ユグドラシル④、誰が為の墓標か
――俺とユグドラティエさん……この星で異物過ぎる二人は、遂にお互いの正体を明らかにした。
かと言って、敵対するわけでもない。
ただ、お互いの存在を確認し合って、より強い信頼関係ができただけだった。
「――んんっ……朝か……」
「うむ。おはようなのじゃ、坊や」
再び魔法の光や植物の光が灯る頃、俺達は目を覚ます。
いつの間にか眠っていたのか、俺はユグドラティエさんに包まれるように横たわっていた。
「すいません、ユグドラティエさん。いつの間にか寝ちゃったみたいです」
「良いんじゃよ、坊や……さて! 嫉妬深いお姫様に感づかれる前に、部屋に戻った方が良いのではないかのぅ?」
「はっ!? ありがとうございます」
急いで戻る俺を、ユグドラティエさんは優しい笑顔で見送った。
「おはようございます、シルフィー。調子はどうですか?」
「おはようございます、旦那様。身体が軽いですわ。目や耳……と言いますか、全ての感覚が鋭くなった感じがしますの」
『精霊王』ティルタニアに上位精霊を与えられたシルフィー。
そのショックで昨日は気絶していたが、問題はなさそうだ。
むしろ、あふれ出していた魔力をせき止めるダムのような魔力層は、彼女に堅牢な存在感を与えてた。
「確かに、今のシルフィーを見ていると存在感が増したというか、セレスさんみたいな上級冒険者の雰囲気に似ています」
「――それが精霊を宿すというものじゃよ? 今はまだそれくらいじゃが、精霊と対話するたびにシルフィーは強くなるのじゃ。そして、おはようなのじゃ二人とも」
朝食を食べる俺達に少し遅れて、ユグドラティエさんも登場した。
「対話……ですの? ユグドラティエ様」
「そうじゃ。昨日も言ったじゃろ? 我らが精霊を選ぶのではない、精霊が我らを選ぶのじゃ。ティルタニアの不遜っぷりを見たじゃろ? 元来、精霊とは人間と比べれば高位の存在。敬意を持って接しておれば、自ずと向こうから話しかけてくるのじゃ」
「分かりましたわ。でも、どうすれば良いのでしょう? 敬意を持つ……何かお供えでもすれば良いのかしら?」
「さぁのぅ? そこは、我にも分からんのじゃ。それを見つけるのも、訓練の一つじゃな。では、食べ終わったら出かけるのじゃ。今日は、坊やに見せたい場所があるのじゃ」
――食後、『ユグドラシル』の根元に着いた。
そして、そのまま大樹の幹に沿って奥へと進む。
途方もないほど大きい『ユグドラシル』。
遥か高みまで続く樹皮は崖のように切り立ち、緑に萌える蔦のヴェールがキラキラと輝く。
周囲にあふれ返る果物や花の香り。
何より『ユグドラシル』自身から白檀香が漂う。
昨日は気づかなかったが、ユグドラティエさんと同じ香りだ。
本当に彼女は、この大樹の分身なんだな……思わず幹に触れてしまう。
「あんっ! 坊やそこは弱いのじゃ……もっと優しく……」
「旦那様……何をやっておりますの!?」
「何もやってないですから! ユグドラティエさんも、ふざけないでくださいよ……」
「なーっはっはっはー。ほれ、もうひと踏ん張りじゃ。目的の場所は近いのじゃ」
しばらく歩くと、少しだけ開けた場所に出た。
『ユグドラシル』に寄り添う形に整地された芝生。
花と芝生のカーペットの先には、長方形の石板が横たわっている。
そこには、大樹の下にもかかわらず陽の光が差し込んでいた。
聖域とでも言うのだろうか? 肌を刺すような荘厳さに背筋が伸びる。
「ここは……誰かのお墓ですか? ユグドラティエさん」
「……」
彼女は無言だ。
ただ、少し潤んだ双眸が真っ直ぐ墓標を見つめていた。
「――では、妾が話してやろうか?」
陽光を屈折させ、虹色のカーテンから出てきたのは傲岸不遜の『精霊王』。
墓標を愛おしく撫でると、周囲には一瞬で花が咲き乱れ花吹雪を舞い起こす。
「これは、妾の愛しい君――アマツの墓ぞ」
「初代国王陛下のお墓!! 鬼籍に入った王族の方々は、王国の霊廟でお眠りのはずですわ!」
「シルフィード、見たもの聞いたものが全てではない。書された歴史など、妾達にとっては落書きでしかないぞ。のう? ユグドラティエ」
ティルタニアは、これを初代国王陛下の墓だと言う。
確かに王国には豪勢な霊廟があり、歴代の王族達は祀られている。
そこに初代の骨がないのは、王族にとって受け入れられない事実だ。
「ティルタニアが言ってることは真実じゃよ、シルフィー。アマツは、生前ここに自分の墓を作ったのじゃ。そして我とティルタニアがあ奴の死後、亡骸を埋めたのじゃ」
「どうして……このような場所に……?」
「どうしてとは? ククッ、愛いのうシルフィード。それは、妾の君最期の願いであり、妾達は愛し合っておったからぞ?」
「――ッ!!」
――花びらが舞い落ちる中で告げられた真実。
シルフィードにとっては、残酷であった。
初代国王は『勇者』として祭り上げられ、清廉恪勤な英雄譚や歌劇は王都でも大人気だ。
勿論、シルフィードも大ファンであり、その功績に誇りを持っていた。
しかし、その『勇者』が正妻と眠らず、『ユグドラシル』の根元で眠っていることに少しだけ嫌悪感が生まれてしまった。
「さて……ここからは乙女同士の会話ぞ? 狂犬! そなたの姫君をしばし借り受ける。なに? 心配はいらぬ。乙女同士の話に男は無用。ここで待て」
「ティルタニア様、僕の名前はセイ――」
「――要らぬ!! そなたの名前など聞きとうない。ユグドラティエと大人しくしておれ」
虹色の眼光に鋭く睨まれ、羽ばたき一つで更に花弁が舞い上がる。
魔力の圧に思わず目を閉じてしまう。
再び開けた時には、大人の姿になったティルタニアの腕にシルフィーが抱きかかえられていた。
足元近くまで流れる七色の毛髪。
彩雲に彩られた民族衣装。
ユグドラティエさんにも劣らぬ面貌が、厳威をまとって俺を見据える。
そして数秒後、光彩の中に消えた。
「ユグドラティエさん、僕は嫌われたのでしょうか?」
「違う、逆じゃよ。坊や、ティルタニア相手に名乗ろうとしたじゃろ?」
「はい……」
「あ奴相手に名乗れる者は、そうはおらん。じゃが、坊やほどの存在が簡単に名乗ってしまうと、強制的に契約される可能性があったのじゃ。じゃから、あえてあ奴は坊やを遠ざけておる」
「そうですか……危うくアマツさんの奥さんを取ってしまうところでしたね」
「そうじゃな、あ奴なりにアマツに操を立てておるんじゃよ。その代り、シルフィーには色々教え込んでやるつもりじゃろうのぅ? あ奴本来の姿などこの墓を建てた時以来じゃ……」
ユグドラティエさんに導かれ墓の前に佇む。
墓標にはこの世界の文字や、エルフ語、精霊文字でエピタフが刻まれている。
『ライブラリ』を使えば解析は可能だろう。
しかし、俺に今そんな余裕はなかった。
なぜなら、エピタフの最後に見覚えのある文字……漢字四文字が刻まれていた。
「……ユグドラティエさん……僕に見せたい場所ってこれですか……?」
「そうじゃ……坊や、最後の文字みたいな図形が読めるのじゃな?」
「はい……そして、僕の心に深く刻まれている言葉と一緒です」
「そうか……」
その言葉こそ、俺が常に自問している四文字の漢字。古
の都、枯山水が誂らわられた精舎にある蹲踞。
アマツさんは、一つの境地に至ったのだな。
「アマツは、我とティルタニアに言い残したのじゃ。『いつか、お前達が認める者が現れたらこの場所に連れてこい。もし、そいつがこの文字を読めたら俺の真意を聞け』とな……坊や、教えてほしいのじゃ。何と書いてあるのじゃ?」
「――吾唯足知です」
「ワレタダタルヲシル……じゃと?」
「アマツさんは、幸せだったと思います。この言葉は人間の境地の一つです。自分にとって何が必要で、何が不要なのかを見極めた至言。贅沢で華やかな食事も、煌びやかで美しい王宮も要らない。ただ、ユグドラティエさんとティルタニア様がいれば良い。だから、ここで眠っている。確信します……彼の人生は満たされていました!」
時代を駆け抜けた王の墓。
そこに刻まれた文字。
二人さえいれば良い。
清濁合わせた彼の生き様が、嵐のように脳内を駆け巡る。
「坊や……坊やには、もしかしたら辛い思いをさせたかもしれぬ……じゃがこのまま、もう少しこのままにさせてほしいのじゃ……」
「ええ……僕もこの場所にきて、決心がつきました」
少し後ろに立っていたユグドラティエさんは、俺の背に顔を埋め大粒の涙を零している。
ユグドラティエさん達にとってはたった50年……一瞬の時間の流れが、アマツさんにとっては永久不滅だったと教える。
短命の人間と永遠の種族では、生に対して隔たりがありすぎたのだろう。
だからこそ、アマツさんは四文字を刻むことでユグドラティエさん達に永遠の愛を捧げる。
そんな男の生き様に、俺は敬意と黙祷を捧げた――




