7.トラワレノミ
「やっと見つけたぞ、小娘。」
太った男が後ろ手に縛られた俺をみて嗤う。
「わざわざお前の方から出向いてくるとは、なんと殊勝な心掛けよ。褒めてやってもいいぞ。」
ぐふふふふ。
そう下卑に笑う男こそが、公爵だった。
「お前は顔が良いから、吾輩の側室に迎え入れてやってもよかったが…。吾輩も、愛妾に刺されたくはないものでな。すまんがお前さんには消えてもらうほかないようじゃ。」
この爺、信じられん。
こんないたいけな幼女に欲情しているのか。
大人の人、助けて~。
助けを呼ぼうにも、猿轡のせいで喋れないし、そもそも周りの大人は敵だらけだ。
「今更泣いて謝ろうとも、無駄なことよ。さあ、この娘を牢に放り込んでしまえ。」
公爵よ、俺は泣いてこそいるが、謝ってはいないぞ。
お前に何を謝ることがあるのか。
おっさんの姪っ子、メイ姉さんに貰った御下がりの民族衣装が掴まれる。
騎士に従って歩いて行かないと、フリルは破れてしまうだろう。
こんなやつに破かれるにはあまりに忍びない。
俺は素直に牢へとぶち込まれたのだった。
「嬢ちゃんよう、災難だったな。」
牢の見張りの騎士が話しかけてくる。
災難どころか、こちらからしてみれば災禍だ。
気の毒に思うなら、公爵を俺の代わりにぶん殴っといてくれ。
そう返したかったが、猿轡は外してもらえない。
「おじさんにも嬢ちゃんぐらいの娘がいてな。」
聞かれてもいないのに、饒舌なおじさんだ。
「綺麗な嬢ちゃんに比べりゃ、ずいぶんと不細工な奴なんだが、気が優しくて剣ができるんだ。」
俺より不細工となると、もはやそれは人外なのではないか?
「王国の方で騎士学校に通ってんだが、あいつぁ勉強の方はからっきしバカでなぁ。来年卒業する予定だったのに、留年しやがった。」
はっはっは。
騎士学校にも留年とかいう概念があるのか。大変だなぁ。
「学費も馬鹿になんねえし、王都は物価がたけえのなんのって!…おじさんも、嬢ちゃんを助けてやりてえとは思うんだけど、すまねえな。娘の学費になってくれや。」
なんやそれ。
助けてくれる流れちゃうんかいな。
「…そんなに泣かないでくれよ、な?おじさんも仕事なんだから仕方ねえのさ。」
泣くなという方が無理だろう。
手のひら返しはたちが悪いぜ、おじさん。
まあ、きっと彼も俺を元気づけようとしてくれたんだろう。
絶対に許さないが。
「お疲れーっす。変わりますよ、せんぱい。」
交代の時間になったのだろう。
階段の奥から新たな騎士が現れて、おじさん騎士と交代した。
「ほれ、飯だぞう。最後の晩餐かもしれねえけどさ。」
新たにやって来た騎士が、牢の隙間から布に包んだサンドウィッチをよこしてくれた。
「ああ、口が塞がってんだっけ。ほらよ。」
彼は牢屋に入ってくると、猿轡を外してくれた。
「…犬食いするってわけにもいかねえもんな。嬢ちゃん、魔法使えたりする?」
もしかして、手錠も外してくれるのだろうか。
「炎しか使えねえよ。しかも、Dランクの。」
「じゃあ、大丈夫だな。」
おっちゃん…お兄さんか?は、俺の後ろへ行くと、手錠を外してくれる。
手錠が外れた瞬間、俺はお兄さんの帯剣を引き抜いて…というのは無理だ。
直剣スキルは持っているが、Eランクだ。鍛えている騎士には到底勝てまい。
それでは、隙をついて頭に裏拳を…というのも無理だ。
体術に関するスキルは持っていない。
「あんがと。」
「おう、ゆっくり食えよ。」
お兄さんは牢の外に出ると、用意されていた椅子に座って俺の食事の様子を眺めている。
「…泣くほどうめえの?」
彼は、俺の様子を見て笑っている。
「実はそれ、俺の晩飯なんだよな。味わって食えよ。」
公爵はクソヤロウだと思うが、公爵家のお付きの騎士団は、いい人が多いのかなぁと思った。
次の日。公爵が牢にいる俺の顔を見に来た。
意外と元気そうな俺に不服だったのか、奴は不機嫌そうに帰って行った。
その日、俺の処刑は行われなかった。
どうやら、俺の心を折ってから殺すつもりらしい。
リョナラーがよお。
「し、シェーラ様。」
今日の見張り騎士は、かつて子爵家に仕えていた騎士だった。
彼は、処刑前の俺と一対一になるのが気まずいようだ。
「…子爵家を裏切った私ですが、公爵家にお仕えしてから、なんだか視界が開けたような気がします。」
そんな彼の実家は、金持ちの商人の家だったか。
多額の賄賂で騎士団に入団したのだったと思う。
「公爵家の騎士団は、実力主義です。腐っていた子爵家の騎士団の常識で通そうと思っていた私は、すぐボコボコにされてしまいましたよ。」
顔を完全に覆い隠すタイプのメットの上から、彼は頬をポリポリ掻いた。
「シェーラ様。私は、この騎士という仕事に誇りを持つことができました。今更ですが、子爵家にお仕えしているころから、この誇りを持てていれば良かったと後悔しております。…残念ながら、お助けすることはできませんが。」
彼は、そう言って跪いた。
「私を御責めになってくださいませ。私は責めを受けて当然の人間です。ですので、どうか泣き止んではいけませんでしょうか。」
そんな自分語りをされても、俺が助からないことには変わりない。
彼を責めても気休めにもなるまい。
まあ、猿轡のせいで責めることもできないが。
「エリック。交代の時間だよ。」
交代の時間になったらしく、裏切り者の騎士は去っていった。
次にやって来た騎士は…。
「やあ、お久しぶり。最近鏡見た?」
左目を隠すように流された白い髪に、真紅の瞳。
人間離れした整った目鼻の下にはもはや隈はない。
そして、極めつけに額から生えている上向きにねじれた1対の角。
尖った耳にはシルバーのピアスがいくつも装着されている。
肉付きの良い腰から生えたスペード型の尻尾は、もはや懐かしい。
声を掛けたかったが、邪魔で仕方ない猿轡。
異世界に転生したっきり、離れ離れになっていた社畜悪魔、アスモデウスが牢の外に立っていた。
「それで、これは一体どういう状況?」
アスモは素手で鉄格子を壊し、俺の閉じ込められている牢の中に入ってきた。
指を鳴らして猿轡を外し、手錠を解錠した。
「これから死刑になるとこだよ。」
「いったい何しでかしたの…?」
アスモは、呆れたような目で俺を見た。
12年の間に、完全に健康を取り戻したようだ。
肌の張りが戻っているし、目の下のクマは消え去っている。
相変わらず姿勢の良い座り方は、もう足が攣ることもないだろう。
「逆に、君は痩せたね。」
「痩せたも何も、若返ったからなぁ。」
俺の前世の胸は確かに小さかった記憶があるが、今の状態ではマナイタ。完全に平板だ。
…元の大きさぐらいにはなるよな?
「どうだろうね。」
俺の考えを読んだように、アスモは首を傾げた。
「異世界転生した時点で、前世の身体とは別物になっちゃったからね。それに、栄養状態によっても多少は変わるからんだよ。」
アスモは、俺の平らな胸を指で突いた。
「おそらく、瞳は今がちょうど成長期でしょう?一日でも食事を欠かしたら……、想像以上に影響が出るかもよ?」
「冗談じゃねえよ。」
逃亡生活の日々がどんな影を落としていることやら。
「泣くほど将来に怯える事はないでしょ。たかが胸ぐらい。」
うるせえやい。恵まれたものにはわかるまいよ。




