6.ムシクイシューラ
食事を終え、風呂を借りた俺は、部屋を宛がわれた。
「長男が出て行っちゃってね。いつ帰ってきてもいいように掃除はしてあるよ。」
聞けば、跡取り息子が冒険者になるために王都へ行ってしまったのだという。
「あ、あの…。お金がないんですが…。」
貴族の子として育てられたからこそ、そして金銭問題で実家が滅ぼされたからこそ、金の大切さはわかっているつもりだ。
思わず好意を受け取ってしまったが、あまり利用しすぎるのも良くない。
「お金なんて気にしなくていいさ。君はまだ子どもなんだから。」
おっさんはそう言って頭を撫でてくれる。だが、俺が子爵家の生き残りだと知ったらどんな顔をするだろうか。
「あなた、もしかして子爵家の…?」
そんなことを考えていたらお姉さんが俺の正体に気付いたらしい。
「あ、違うのよ!そんなに怖がらなくても公爵家に突き出したりしないわよ。だから、おいで?」
思わず部屋の隅で威嚇する犬か猫のような反応を取ってしまう。
だが、お姉さんはそんな俺を抱き寄せて、頭を優しくなでてくれた。
「ほらほら、泣かないの。せっかく美人さんなんだから。」
言うなれば母性だ。
母上は女の子らしくない俺のことを邪険に扱っていたし、姉上たちとはほとんど話したことすらない。
優しい年上の女性ってこんな感じなんだなぁ。
「そうか、子爵家のお嬢様か。本当に、大変だったね。」
おっさんも、ごつごつした手で頭を撫でてくれた。
言うなれば父性だ。という流れは割愛する。
「よし、せっかくだ。部屋を貸してあげるから、ちょっとうちを手伝っていかないか?」
おっさんはそう言うと、俺のことを抱き上げた。
「ちょうど、うちのが作業しているから、見に行ってみようか。」
この2週間でだいぶん体重が落ちたとはいえ、俺は12歳児だ。重くないのだろうか?
おっさんは泣きじゃくる俺を軽々と抱き上げたまま、階段を降りていく。
「パパ、その子が森で拾ってきた子?」
目のくりくりした、俺と同世代ぐらいの少年がぶどう畑に肥料を撒く手を止めて言った。
「そうだ、メリド。この子が…えっと、なんて名前だったかな?」
そういえば、まだおっさんに名乗っていない。
この世界での俺の名前はシューラだ。
「…シューラ。」
シューラというのはこの辺りの言葉で『瞳』を意味するらしい。
よくできた偶然だなぁ。
「シューラ!おれ、メリド!よろしく。」
10歳ぐらいの彼は、手をシャツで拭うと、手を差し出した。
俺はその手を取る。
「シューラはしばらくうちで手伝いをすることになったよ。農場の仕事を教えてあげてくれるかい?」
おっさんは俺を地面に下ろすと、ポン、と頭の上に手を乗せる。
「シューラはインナーカラーだし、きっとすぐに仕事を覚えるよ。メリドと仲良くしてやってくれ。」
おっさんはそう言うと、屋敷に戻って言った。
「シューラ、何才?」
メリドが俺に尋ねる。
「12歳。」
俺は答える。
「そうなんだ!うちの兄ちゃんの1こ下だね。」
メリドは家を出て行った兄のことを語り始めた。
ワイン農家マシーナリー家の長男である彼は、剣術が得意だったらしい。
この近辺の剣術大会では負け無しで、こんな田舎で自らの腕を腐らせるのは勿体ないと、王都で名を上げるつもりなのだそうだ。
「兄ちゃんは、金級冒険者になるんだよ!」
メリドは兄が誇らしくて仕方ないというように、胸をはった。
「兄ちゃんが戻ってくるまで、おれがこのノージョーを守るんだ!シューラをお嫁さんにしてあげてもいいよ!」
「ぶっ!?」
俺は思わず吹き出してしまった。
「あ、シューラが笑った!シューラ、笑ったらもっと美人さんだね!」
「そんな事ねえよ。」
俺とメリドは暫く笑いあっていた。
メリドは俺を連れて農場中を回ってくれた。
意外と大きな農場で、ワイン醸造所も含めると、父上の城が3つは入るのではないだろうか。
案内が終わると、次は仕事の説明だ。
今の時期はブドウの木の必要のない茎を取り除く『摘芯』や、いらない実を取り除く『摘房』という作業を行うらしい。
「なれてきたらラクショーだよ。」
デモンストレーションとばかりに凄い勢いで葉っぱを取り除いていくメリド。
「すげー!どれ取ったらいいのか全然わかんねえや!」
俺は思わず感嘆の声を上げた。
暫くメリドに教えてもらいながら作業をしていると、メリドの妹と母親が帰ってきた。
教会に礼拝に行っていたらしい。
突然やってきた俺のことを、彼女たちは温かく迎え入れてくれた。
そして今。
本日分の作業が終わったということで、俺はメリドと妹たちと共に、外へ遊びに行っていた。
引率として、彼らの従姉、すなわち農場主のおっさんの姪っ子であるお姉さんも付いてきていた。
「シューラちゃんは、いつもなにしてあそんでたの?」
メリドの一つ下の妹が俺に尋ねた。
「そうだなぁ。虫取りしたり、魚獲りしたりしてたぜ。」
俺は領地での暮らしを思い出す。
一緒に遊んでくれる兄や姉がいなかった俺は、一人で野を駆けずり回っていた。
目付け役の侍女はいろんなところを引っ張りまわされて大変だったろう。まあ、あの時俺を庇って死んだが。ははは。
「シューラちゃんどうしたの?」
また涙が溢れてくる。子どもの涙腺は弱くて仕方がない。
「おい!シューラを泣かすなよ!こいつはおれのお嫁さんになるんだぞ!」
メリドがそう言って妹を諫める。
「シューラちゃん、泣かないの。ほら、ちょうちょが飛んでるわよ?」
お姉さんがまた母性で俺を包み込む。
いい加減、このすぐ思い出し泣きしてしまうのをなんとかしないとな。
夏の日差しは鋭い。
よく考えたらよくもまあ、こんな猛暑の中で生き延びることができたものだ。
森の中は日影が多かったとはいえ、十分に暑かったように思える。
「シューラ、あのバッタ捕まえようぜ!」
メリドが葉っぱに止まったバッタを指差す。
「あ、あらあら、大きなバッタねぇ。」
お姉さんはあまり虫が得意ではないらしく、サッとメリドを盾にするように下がった。
「あぁ、あのバッタ…。焼いて食うと美味いんだよなぁ。」
俺は、サバイバルで経験したバッタの食味を思い出す。
空腹というスパイスがあったとはいえ、なんだかエビみたいな香ばしい風味がしておいしかった記憶がある。
「シューラ、バッタ食べるの?」
メリドが目を丸くして驚いている。
「別に、好き好んで食うわけじゃねーよ。他に食うもんがなかっただけだ。」
誤解を招かぬよう、俺は説明しておいた。
「すげー。俺なんか、食うもんがない時でも虫なんかくわねーもん。虫食いシューラだ!」
妙なあだ名がついてしまった。
お姉さんは心なしか俺から距離を取っている。
「美味いんだったら、おれもママに料理してもらおうかなぁ。」
腹が空いているのか、涎を垂らしそうな顔でメリドは呟いた。
その後、バッタや甲虫、果ては蛇までも捕まえた俺たちは、日が暮れるまで遊びまわっていた。
「あら、シューラちゃん。魔法が使えるのね。」
おっさんの奥さんのおばさんが、目を丸くする。
この家に魔法を使える人はいないらしい。
厳密には、出て行った長男が少しばかりの魔法を使えたらしいが。
ともかく、魔法を使える人がいないので、おばさんはかまどに火を点けるのに難儀していた。
火打石で火を点けている姿も新鮮で興味深かったが、あまりに大変そうだったので、お得意の炎魔法を使ってやったのだ。
「すごいわねぇ、そんなに小さいのに。魔法の学校に行ってたの?」
「いえ。Dランクなので学校には行かせてもらえませんでした。」
頭を撫でてくれるおばさんに、俺は少し照れながら答えた。
「へえっ、学校行ってないのにそんなに使えるのね。うちの出てった子も炎の魔法を使ってたんだけど、あの子はよく失敗してたもの。」
彼女はやっぱり出て行った長男が気がかりなのだろう。
王都の方角を見るおばさんの目は、寂しそうだった。
「…料理、手伝いますよ。」
俺は、出てった長男の分もやってあげられることをしようと思った。




