5.ヒトミハニゲル
カミノマを出て、長いような短いような間を彷徨っていた俺は、とある子爵家の3女に生まれ落ちた。
それなりに裕福な生活、それなりに楽しい日常。
粗暴な口調や男の子のような立ち振る舞いを咎められたりはしたが。
ま、ソシャゲ風に言うならばリセマラ切り上げ圏内だろう。
……そう思っていた時期が俺にもありました。
「ハァ、ハァ…」
12歳の夏。
俺は侍女に手を引かれながら走っていた。
後ろからは領民の怒号が聞こえてくる。
姉上の悲鳴、叩き切られる音、床に何かが落ちる重たい音。
まあ、簡単に言うと、領民たちによる謀反に遭っていた。
原因は、後継ぎである兄上の着服か、父上のかける重税だったはずだ。
運の悪いことに飢饉が重なっていたこともあって、暮らしていけなくなった領民たちはその怒りを武力に変えた。
丁度領地の小ささが気に食わなかった隣の公爵家は、ちょうどいいとばかりに領民たちに手を貸した。
あとは戦禍だ。
親のコネと賄賂によって成り上がってきた騎士団に、ろくな戦いが出来るはずもない。
騎士団長が騎士断頭されたとたんに、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
それからは、子爵家一族郎党、使用人に至るまで根絶やしにされそうな勢いだ。
「あぐっ!?」
そら、今も俺の手を引いていた侍女が、胸を撃ち抜かれて倒れ伏した。
涙やら鼻水やらで顔をぐちゃぐちゃにしながら、ただの12歳児に過ぎない俺は逃げ惑った。
もはや、どこへどのように逃げて行ったのかも分からない。
ただ、気が付いたときには、俺は領地の辺縁にある、深い森の中へと入っていた。
運よく異世界から転生してきた俺は、持ち合わせていた知識を利用して必死に生き延びようとした。
しかし、肉体はただの12歳。
持っているスキルは全てがDクラス以下の使いづらいものばかり。
例の転生の仕方のせいで、ユニークスキルもない。
ただ、Dクラスの炎魔法スキルを持っていたおかげで、火の通った物を食うことができた。
まあ、火を通す食材がイモ虫だったり謎の木の実だったりしたわけだが。
そうそう、キノコだけはどんなにうまそうに見えてもやめた方が良い。
あまりに腹が減っていた俺は、茶色い傘のキノコを焼いて食ったことがあった。
その時には運良く、一晩中吐き気と頭痛に襲われるだけで済んだ。
致死性のあるキノコじゃなくて本当に良かったと思っている。
さて、この逃亡生活で一番困ったことは、水だ。
生憎、水魔法は使えないので、魔法で安全な水を得ることはできない。
川もなかなか見つからなかったので、雨が降った時には天を仰いで雨水を啜り、雨が上がったら地面に溜まった泥水を啜った。
アスモに休憩の大切さを伝えておきながら、俺自身は気の休まらない日々を過ごしていた。
いつやって来るか判らない追っ手に怯え、いつ襲い掛かって来るか判らない魔獣に怯える。
ダニや蚊の媒介する病に怯え、怪我におびえる。
食中毒に怯え、寄生虫に怯える。
脱水に怯え、毒水に怯える。
怯える事ばかりの生活だが、鏡を眺めてアスモのデカい尻を思い浮かべていると、なんだか安心することができた。
…別に、変態臭くはないよな?幼女なんだもん。
俺は、母方の祖父の領地へと向かっていた。
祖父は父上の執政に関してさほど興味がなさそうだったし、俺たち兄弟姉妹にも無関心だった。
ただ、それだからこそ、腹に一物抱えていそうな他の貴族たちに救いの手を求めるよりかはよさそうに思えた。
まあ、股間に一物は抱えているだろうが。
祖父がロリコンではないことを祈りつつ、俺は森の中を進んで行く。
幼く、鍛えられてもいない俺の足はすぐに疲労を感じる。
森に住まう魔獣たちからすれば絶好の獲物だが、俺には炎魔法ランクDがある。
奴らを倒せはしないが脅かすことぐらいはできる。
炎にビビる魔獣ばかりで助かった。
ただ、そんな頼りになる炎を焚火にして、夜を明かすことはできない。
追っ手からすれば、煙や明かりで丸わかりだし、放置したままだと山火事で大惨事だ。
「うっ…ううっ…」
幼女の脆い涙腺はすぐに涙を零すし、その鳴き声を聞きつけた魔獣がまた寄ってくるのだ。
俺は、つい先日発見した清流の下流を目指して下っていた。
子爵領からはだいぶん離れたし、追っ手の探索範囲からはおそらく逃れ得ただろう。
追っ手も、まさかこんな貴族の箱入り娘が長らく森の中を生き延びていようとは思うまい。
というのも、子爵領を逃げ出して、もはや2週間が経とうとしていた。
逃げ出してきたときから着ているズボンはもはや半ズボンだ。
シャツはもはや服の体をなさなくなったので、布切れとして様々に活用させてもらった。
ブラを付けるほど胸が発達していたわけでもなく、上半身は丸出しだが、周りには誰もいないので恥ずかしくない。
しいて言うならば、虫刺されが酷い。
蚊柱に思わず突っ込んでしまい、鼻から羽虫が入って来る。
入ってきたのと逆の方の鼻を塞いで、息を勢いよくフン、と噴き出せば、真っ黒な鼻水と一緒に羽虫の死骸が飛び出てきた。
その鼻息を聞きつけてきたのだろうか。
ガサガサと、藪が音を立てる。
また魔獣か。
俺は炎魔法の詠唱を始める。
なんとか魔獣を仕留めて、肉を食えたらいいんだけどなぁ。
藪の音が近づいてくる。
詠唱の最後の単語の一歩手前で止め、いつでも発射できるようにする。
「お、おい、君!!大丈夫かね!?」
しかし、茂みから出てきたのは弓矢を構えたおっさんだった。
「大変だったんだねえ。」
ワイン醸造所の経営主だというそのおっさんは、その後倒れた俺を自分の家に運び入れてくれた。
「これ、アタシが昔着てたヤツなんだけど、良かったら使って!」
経営主の姪っ子だというお姉さんが、ずいぶんとフリフリした民族衣装を俺に手渡した。
「…ありがとう。」
俺はベッドから立ち上がって、その服を被るようにして着る。
「やっぱり!よく似合うわね!」
お姉さんは嬉しそうに手を合わせた。
俺が着替えている前に部屋の外に出て行ったおっさんが戻って来る。
彼は、手にパンとスクランブルエッグ、ベーコンの乗った皿と、温められた牛乳の入ったコップを持っている。
暖かそうに湯気をたてるそれに、俺は思わず唾を飲み込む。
「さあ、食べなさい。」
おっさんは、手をヒョイと動かして、俺に食事を勧める。
俺は、12年間培ってきたテーブルマナーもへったくれもなく、まるで野生児かのように皿の中身を貪った。
そういえば、子爵領で出されていたスクランブルエッグはキメが細かく、高級品である砂糖を使っていたのでとても美味かった。
比べて、このスクランブルエッグは粒も荒いし塩が効きすぎている。クリームもケチっているようで重たい。
だが、それでも久方ぶりに味の付いた料理だった。
「なんだ、泣くほどおいしかったのかい?」
泣きながら食事する俺を見たおっさんは、再び階下に降りていくと、スクランブルエッグがたくさん入ったフライパンを手にして戻ってきた。
おっさんの姪っ子のお姉さんは、ずっと俺の背中をさすってくれていた。




