3.ウェアイズ『イット』
「あと2つ、質問良いですか?」
俺は、疲れを滲ませているアスモデウスに、なんだか悪いなと思いつつ質問を重ねる。
「はい、何なりと。」
ぎこちなく笑うアスモデウス。
「…ほんとに大丈夫ですか?お茶飲みます?お煎餅もありますよ。」
机の上に伏せられた湯飲みに、急須で茶を入れて、アスモデウスの前に置いてやる。
彼女は何故か、下唇を噛みしめている。
「えっと、スキルについての質問なんですけど、スキルってどういうもんなんですか?」
我ながら漠然とした質問だなぁと思う。
しかし、こういう質問をする輩は多いのか、アスモデウスはスラスラと答えてくれる。
「はい。スキルというのはですね…。」
彼女は新たなフリップを取り出す。
ちょっと長いので要約すると、スキルは技能だ。
生まれながらにして持っているもので、その者の才能を決定する一因になる。
スキルは武器スキル、魔法スキル、その他スキルに分けられており、それ以外にもユニークスキルという個人に唯一無二のスキルが存在している。
ユニークスキルは転生者に特有なスキルなんだとか。
それぞれのスキルは、アルファベットで言うとFからS、その上にSS、SSS、EXというレベルが存在している。
スキルのレベルが高いほど、才能があるということらしい。
「武器とか魔法とか、戦闘系があるってことは、俺…僕が行く世界は戦いがあるってことですよね。」
説明の途中だが、俺は口を挟む。
気の毒だが、質問が一個増えてしまった。
「いえ、戦いのない世界などは存在していません。武器、魔法、その他スキルを動かしている法則が違うのでこのように分けられているのです。魔法という概念が無い世界でも、他のスキルは発動していますので。」
アスモデウスは、嫌な顔一つせずに答えてくれる。
戦いのない世界などは存在しない、か。
スキルの説明に戻ろう。
スキルが無くても武器は使えるが、魔法は該当するスキルを持っていないと使えないのだという。
その他スキルは芸術やら政治やらいろいろだ。
勉強すればある程度はどうにかなるが、スキルによる干渉が無ければ凡人どまりなのだという。
武器スキルも似たようなもので、スキルが無くても武器は使えるが、どんなに努力しても、高ランクのスキルを持った者には法則上勝てないのだそうだ。
本当はもっと細かく教えてくれていたのだが、俺が覚えきれなかったのでこの辺で勘弁してもらおう。
「スキルについてはこのような感じになっております。」
アスモデウスはそう言って、頭を下げた。
「なるほど、ありがとうございます。」
俺は、彼女の湯飲みの中身が半分ぐらいに減っているのに気付いた。
急須を傾けて、茶を継ぎ足してやる。
「最後の質問ですけど、……だ、大丈夫ですか!?」
突然大粒の涙をぼろぼろと流して嗚咽を漏らし始めたアスモデウスに、俺は困惑した。
「ず、ずびばぜん…。」
顔を背けてハンカチでチーン、と鼻を噛むアスモデウス。
「他者の優しさに久しぶりに触れたので…。」
彼女はいろいろ苦労しているのだろう。
上司が死に、担当部署だからと、一人で残された仕事を背負い込む。
仕事量も、抱える責任もそれはそれは大きなものだっただろう。
睡眠もとれないほどに忙殺されていくと、壊れていくのは身体だけではなくて精神もまた、だ。
よく判らないが、俺の動きがそんな彼女の琴線に触れたらしいということだけはわかった。
「…失礼いたしました。質問をどうぞ。」
暫く背中を擦ってやったり声を掛けてやったりすると、アスモデウスはようやく泣き止んだ。
恥ずかしそうな顔をして、疲れた様子の補佐官は俺の話を促した。
「えっとですね…。ここにいる間、お世話してくれるって言ってましたけど、その間アスモデウスさんはどういう扱いになるんですか?ちゃんとお給金は出るんですか?」
聞きたかった事とは違うが、思わず気になって聞いてしまった。
「…また泣きそうになるので、勘弁してください。大丈夫です。有給休暇という形になりますので。」
「大丈夫ではないと思うんですが…。」
少なくともそれは休暇、ではないだろう。
「いえいえ。普段のお仕事に比べれば、楽なものですし、新しい神様が赴任していらっしゃるまでは異世界転生係としてのお仕事はありません!ヤタラ様の件に関しましては、こちら側のミスが原因ですので、こちら側が責任をもって朝昼晩、昼夜問わず、お傍で対処させていただきます。」
それに、と彼女は付け加える。
「それに、私。…人のお世話をするのが大好きなので。」
照れるようにはにかむこの笑顔こそが、彼女の本来の笑顔なのだろう。
(かわいい…かわいい…)
口には出さないが、俺は心の中で何度も呟き続けた。
「い、いや、それ以前に、男女二人一部屋ってのはマズいんじゃ…?」
前世では女性経験がなかった気がする俺は、はたして理性を保ち続けられるだろうか?紳士でい続けられるだろうか?
「だ、男女…?ヤタラ様、失礼ですが、これでも私は女性の悪魔ですよ?」
アスモデウスが困惑したように首を傾げる。
「え、いやいや。それはそうですけど、俺は男ですよ?」
まさか、あの世に来てまで男とみられることがないとは思わなかった。
「…もしや、配送時のもたつきで支障が?」
何やら深刻そうな顔になったアスモデウス。
彼女は口元に手を当て、なにか考えこんでいるようだ。
「……ヤタラ様。よくお聞きください。」
ひどく深刻そうに彼女は口を開いた。
「ヤタラ・ヒトミ様。あなたは女性です。」
「な、え…?はい?」
俺は続ける言葉を失った。
「おそらく、配送担当の天使があなた様の魂を見失わっているうちに、あなた様の魂は男性の体に憑依してしまったのでしょう。このような例は珍しいのですが、魂の存在している肉体に霊体が憑依してしまった場合、記憶が混濁することがございます。」
「えっと、つまり…」
「ヤタラ様の魂は男性の魂と混ざり合った後、分離され、ご自身を男性だと誤認したままここまで運ばれてきてしまったのでしょう。」
アスモデウスはそう言うと、虚空に手を突っ込んだ。
そして、中からリモコンのような形の機械を取り出した。
「こちらは、魂の混濁度を測るための機械です。ちょっと失礼いたします。」
彼女は、それを俺に向ける。
彼女がボタンを押すと、一瞬の間の後、鈴の鳴るような音が鳴る。
「結果が出ました。どうやら、分離に失敗しているのは性別を誤認なさっているという点のみのようです。」
アスモデウスはそう言いつつ機械のモニターを見せてくる。
ただ、俺にはそこに書いてある数字の羅列は理解できない。
「比較的小さな規模でしたが、混濁期間が長かったせいで、分離するのが不可能なレベルに混じりあっています。」
なんということだ。
つまり、逆説的に考えれば、俺と魂が混じりあった男は自分を女だと思い込んでいるのだろう。
「申し訳ございません。亡くなったグランドドラゴン様は、性別管理もなさっていたので、元の性別認識に戻すことは現状不可能です…。」
非常に申し訳なさそうに頭を下げるアスモデウスの顔は、もはや絶望に彩られている。
そうか、よく考えたら、俺は、女性の肉体に、自分のことを男性だと勘違いした女性の精神が宿ってる状態なのか。
道理で股の間が軽いはずだ。
俺と魂が混じりあった男のことを考える前に、自分のことを考えることを忘れる程度には混乱している。
もはや、混乱しすぎてアスモデウスの言葉がすんなりと頭に入ってくる。
女性経験がないのにも無理はなかったんだなぁ…。