14.ダイジェストフナタビ1
「おー、こんなに速いのか!」
甲板に設けられた展望席に腰かけ、俺は感嘆の声を上げる。
今はナツガスキ大陸の沿岸部を沿うように走っているいるグレイシレーヌ号。
凄い勢いで陸地の地形が移り変わっていくのが見える。
何千㎞も離れたハルマニア大陸に7日で到着できるのにも納得だ。
まるで海上を滑るように走っているからか、揺れも少なくいい乗り心地だ。
しかしながら…。
「ゔっ…ゔぉえッ…」
七つの大罪の悪魔・アスモデウス『様』ともあろう御方は、船酔いに苦しまれているようだった。
「大丈夫か、三半規管よわよわ悪魔?」
俺は、ここぞとばかりに煽り散らかす。
「…うっ。」
何か言い返そうとしていたアスモだが、口を開けば今朝のサンドイッチが出てきそうになってしまうらしい。
反応がない相手を煽るのも、bot撃ちみたいでつまらないな。
退屈になって来たので、買っておいた小説を開くこととする。
人気作品『宇宙漁師論と恋愛量子論』の最新刊だ。
たしか、前の巻では、宇宙マグロ漁師のキャプテン・アルフリードが、怨敵であり想い人であるブランガ将軍の実の息子だったことが判明したんだっけ。
◆
暫く本を読んでいると、突然前方方向にGがかかった。
危ない危ない。椅子ごと後ろ向きに倒れるところだった。
アスモは腹に机が押し付けられるような形になっていたが、なんとかこみ上げてくるものをこらえることに成功したらしい。
にわかに騒がしくなる船内。
船乗りたちが慌ただしそうに行ったり来たりを繰り返している。
要するに、船が唐突に緊急停止したのだ。
「本日、当船『グレイシレーヌ号』にご乗船下さりました皆様、真にありがとうございます。私、船長のネッドでございます。」
顎髭の長い、海賊船の船長みたいなこわもての男が挨拶をしている。
ネッドなのに銛打ちじゃなくて船長なんだな。
「当船『グレイシレーヌ号』は現在、進行方向にアビスクイッドを確認したため、緊急停船させていただいております。当船乗組員が対処はしておりますが、暫く再出航の目途が立っておりません。つきましては、お客様の中に銀級以上の冒険者の方がいらっしゃいましたら、何卒ご協力をお願いします。」
アビスクイッド。アビス+スクイッドか。
名前的にダイオウイカみたいなでっかいイカの魔物なんだろうな。
魔物に邪魔される船旅ってのも、異世界感があっていいかもな。
まあ、邪魔が無いに越したことはないけど。
船長の呼びかけに、武器を持った何組かの集団が立ち上がる。
銀級冒険者のパーティーなんだろう。
船長からは協力という言葉で示されていたが、実際には報酬も発生するクエストだ。
冒険者達からすれば、仕事もできるし、船の乗客に恩を売ることもできる。
絶好の機会といったところだろう。
「…。」
おや?うちの船酔い金級冒険者様が立ち上がったぞ?
死にそうな目で遠くの水中を睨むアスモ。
彼女は、よろよろと甲板の手すりにもたれると、海の遠くの方に腕を向けた。
船員や冒険者たちは、それを訝しげに見ている。
「…ね。ゔっぷ。」
ボソッと呟いて、海面に向けられた手を握るアスモ。
直後、バチバチバチバチ、という音とともに物凄い閃光。
船の上にいた人々は目を開けていられない。
ブクブクブクブクと海が沸騰している。
閃光が収まった後、真っ赤に茹で上がった巨大なイカが、ぷかりと海面に浮かんできた。
いや、イカだけではない。
腹を見せた大小さまざま色とりどりなたくさんの魚が浮かんできた。
まるで、海中で最大出力の雷魔法をぶっ放したような惨状。
「……。」
閃光の間に海に吐き戻していたらしいアスモが、少しすっきりした顔で、俺の前の席に戻ってくる。
「……。」
無言で戻ってきた彼女の顔を、俺は無言で見つめる。
「「「………。」」」
無言でそんな俺たちの様子を見つめる船上の人々。
「…し、出航いたします!」
呪縛から解かれたように、船長は叫んだ。
◆
それからしばらくの間、アスモは色んな人に話しかけられていた。
主に、冒険者パーティーの人たちだろう。
彼らはアスモを引き入れようと躍起になっていた。
まあ、船酔いで不機嫌なアスモの眼光にビビったようで、やがて逃げるように去って行ったが。
「もうお前、横になって寝てろよ。」
グレイシレーヌ号はかなり大きな船で、各団体に1部屋の船室が割り当てられている。
せっかく風に当たって気分良くなっているのに、目の前で吐きそうな顔をされていたら楽しい気分も吹っ飛んでしまうじゃないか。
船室のベッドに引っ込んでいてほしい。
「だって…。寂しいし…。」
体調が悪くなると心細くなるのは悪魔でも同じらしい。
体調を崩しにくい分、より人肌恋しくなりやすいのかもしれないな?
まあ、こっちは絶望の中、孤独に魔獣潜む森を2週間彷徨った経験がある。
アレに比べればまだマシだということで我慢してもらおう。
俺はアスモを船室に送り届けた後、ついでにスーツケースからおやつの干し貝柱を取り出して、展望台のデスクに戻ってきた。
貝柱をもぐもぐつまみながら、小説の続きを読み進める。
なんと!?ミランダ、お前、女だったのか…。キャプテン・アルフリードが感じていた視線が、お前のものだっただなんて…。
「やあ、綺麗なお嬢さん。」
「あ゛?」
ちょうど盛り上がってきたところで、俺に声を掛けてくる声が一つ。
思わず苛立った声を返してしまった。
「ここ、いいかな?」
うわぁ。
見るからに貴族のボンボンという感じの格好をした、気障ったらしいガキだなぁ。
大体俺と同じぐらいの年恰好だろうな。
ガキは、俺が許可を出す前に、さっきまでアスモが座っていた椅子に腰かけた。
「…何かご用でしょうか。おれ…私は本を読むのに忙しいので。」
「まあまあ、そう言わずに!そんな怒った顔をしていては、せっかくの綺麗な顔が台無しだよ?」
うわあ、うぜえ。
こっちは本を読みてえっつってるのに。
「いやはや。旅は道連れ世は情け。袖振り合うも他生の縁というではないか。折角だし、このヘリアライル男爵家の跡取り息子のこの僕、トーマス・ハリド・ヘリアライルと友人になってはくれまいか?」
やはり貴族か。しかも、男爵家って俺の実家だった子爵家の下の、一番下っぱじゃねえか。
権力をカサに着るわ、さらっと名乗ってくるわ、ナンパの第一印象としては最悪だ。
俺は、返事もせずに本を読み続けることにした。
「おやおや、照れてしまったかな?心配いらないよ。このトーマスも、君を一目見たときから君のことが心を一時も離れなかったからね。いわゆる、一目惚れってやつサ!」
要は、タイプだったから付き合おうぜみたいなノリなのだろう。
貴族の地位をちらつかせて断りにくくするというのは大分卑怯なのではないか。
「さっきの牛人族の亜人は、君の召使かな?彼女もなかなかに麗しい見目をしていたね。それに、凄い魔法だった。まあ、君の美しさには霞むわけだが、君のような麗人を守るものとしてはあれぐらいでちょうどいいのかもしれないね。」
こいつもアスモを牛の亜人だと勘違いしているな。
まあ、あの角と乳だもんな。
「おや、『宇宙漁師』の最新刊じゃないか!僕もつい最近読了したところだよ。恋愛小説がお好きかい?・それとも、恋愛小説のような恋をしたいのかい?」
こういう事を言う輩って、ちゃんと内容読んでないんだよなぁ。
本の中身の話になったら、途端に慌てだして話を変えようとするんだよ。
「おい、給仕の者!彼女に『シレーヌの涙滴』を差し上げてくれないかな?僕にもおんなじのを頼むよ。」
『シレーヌの涙滴』は、飲みやすいカクテルだな。
この世界では飲酒に関して特に年齢下限が決められているわけではないとはいえ、幼女を酔わせてお持ち帰りしようとするのはどうなんだ。
…ただ、この世界の成人が13歳であることを考えれば、12歳は果たして幼女なのかという疑問が生じる今日この頃だ。
トーマスと名乗った貴族のガキは、俺がいくら無視しても席を立とうとしなかった。




