1.ヒトミゴクロウ
「…つ、ついに見つけたぞ…!!」
ボサボサの頭髪、汚れた手足。
虫に食われた肌は、引っ掻きすぎてひどい腫れ方になってしまった。
周囲の獣を夜通し警戒していたせいで、目は血走り、意識は朦朧としている。
着ていたシャツもズボンも、ズタズタのボロボロだ。
そんなひどい状態の俺は今、猛烈に感動している。
何をそんなに感動しているのかというと、ここ2日間ずっと探していたモノをやっと見つけたからだ。
俺の目の前を見てもらおう。
ずっと俺の行く手を遮るように生えていた木々が、ここに限っては開けている。
耳を澄ましてもらえれば、さらさらと、揺蕩う水がかなりの水量で流れているのが聞こえてくるだろう。
……普通に目の前の清流を見てもらった方が良かったか?
寝不足で意識が朦朧としているので、そこはご愛嬌。
透き通った水がさらさらと流れているその沢には、黒っぽくて30cm以上はありそうな魚が泳いでいるのがよく見える。
「やっと、きれいな水か飲めるぞ…!それに、まともな飯にもありつける!!」
思わず指を組んで、俺をここに送り込んだ、疲れた顔の悪魔を拝んだ。
◆
俺こと矢鱈 瞳が前世で命を落としたのは…、さて、何でだったか?
命を落としたことはなんとなく覚えているが、どうして死んだのかは頭に靄がかかったような感じで思い出せない。
ともかく、俺は死んだ。
死んでしまったはずの俺だが、しかし、気づいたときには見慣れぬ部屋にいた。
生前のオタク的知識から推測するに、こういう謎の部屋には神様がいるはずだ。
神様はだいたい老人か綺麗な女の人か幼女で、やって来た死者にチートスキルを授けて異世界へと転生させてくれるものだ。
運良く異世界に転生したヤツは、そのチートスキルを利用して、無双したりハーレムを作り出すのだ。
俺もまた、運が良かったのだろう。
これから始まる自らの冒険譚を想像して舞い上がっていた俺は、部屋の中の異変にふと気付く。
部屋は床も天井も真っ白で、俯瞰してみると正方形のシンプルな部屋だろう。
向かいあった壁2つには扉が付いており、それぞれ『入口』、『出口』と書かれたプレートが、画鋲で扉に留められている。
そしてここからが異様ポイントなのだが、一方の壁には祭壇…というよりは立派な仏壇のようなものが建てつけられている。
見た感じ、かなり新しそうだ。
仏壇モドキには、黒い額に飾られた白黒写真が飾られている。
写真に写った人物は…、何というか、「ヒト」の姿をしていることだけは認識できるが、どんな顔をしている、とか、どれくらいの歳だ、とか、性別はどうか、とかがさっぱり認識できない。
ただ、美しい『人』だと、何となく理解していた。
さて、そんな美しい『人』の写真が飾られた仏壇には、いくつもの花束が捧げられていた。
花束だけでなく、香典や菓子折り?のような包みも、たくさん捧げられている。
誰が誰に送った物なんだろう?
気になった俺は、包みを一つ持ち上げて、表書きを確認してみた。
なんだか、物凄い複雑な、見たこともないような文字が記されていた。
豪華な仏壇モドキから目を離して、もう一度周囲を見渡してみる。
よく見ると、壁一面に、デフォルメされたクジラの絵の腹の部分のような、白と黒の縦縞模様の幕が張られている。
扉や仏壇モドキを塞がないようにうまいことトリミングされているなぁ。
部屋の真ん中には、ござが敷かれており、その上に座布団4枚、ちゃぶ台1台が備え付けられている。
ちゃぶ台の上には、『ご自由にお食べになってお待ちください』と書かれたフリップと、それに指し示された煎餅、湯気を立てる茶の入った湯飲みが置かれている。
『待て』と言われたのであれば、待つか。
ふかふかとした座布団に腰を掛けた俺は、湯飲みを手に取ってそれを啜った。
芳醇な緑茶の香りが鼻腔をくすぐり、強い甘みが過ぎた後には、上品な渋みが口の中を引き締める。
いい茶葉、使ってるんだなぁ。
俺は、煎餅の入った袋に手を伸ばす。
海苔の巻かれた醤油煎餅だ。
バリっと小気味よい音を立てて煎餅を噛み割る。
ガサッ
…ガサッ?
なんだか変な触感だ。まるで、紙でも口に入れたかのような…。
口に手を突っ込んで、その異物を取り出す。
それは、どうやってこうなるまで折りたたんだのだ、と思うほど小さく折りたたまれた、A4ぐらいの大きさの紙切れだった。
広げてみると、大きな字で『矢鱈 瞳 様』とだけ記されている。
紙を裏返してみる。
なんだか明朝体で文章が書かれている。
時候の挨拶から始まったそれは、差出人の近況を伴ってしばらく続く。
どうやら、『神』の補佐官が書きしたためたものらしい。
神の補佐官氏の近況についての後、俺が異世界に転生する運びになった次第が書きしたためられていた。
なるほど、俺の死因は転生モノで定番のトラック事故か。
異世界転生する事になり、魂がこの部屋『カミノマ』に転送される道中、俺の魂は迷子になったのだそうだ。
配送係の天使が、私用で寄り道している間に、俺の魂を落としてしまったらしい。
彼(天使だけに彼かつ彼女というのが正しいか?)がモタモタしている内に、俺よりも後の順番の異世界転生者二人の転生を行ったのだと書いている。
一人目は、スムーズに必要な手続きを終えたらしい。
しかし、二人目で事件が起こったのだそうだ。
二人目の転生者は、なぜか日本刀の真剣を『カミノマ』に持ち込んできていて、『神』が手続きをしている最中に急に怒り出して、なんと『神』を斬り殺してしまったのだという。
…なんとも奇妙な神殺しだ。
二人目の転生者は腹を立てたまま『出口』へと向かっていったが、神は死んでしまっていた。
異世界転生手続きを行えるものが居なくなったので、一旦は異世界人の受け付けを停止したが、そこでタイミング悪くやって来たのが、俺の魂だったのだという。
『補佐官が後程お手伝いに伺います。』
そう書かれた後に、再び挨拶が続いて、最後に
神域
異世界転生係『カミノマ』
異世界転生担当神 グランドドラゴン 補佐官
アスモデウス
と差出人の肩書きと名前を記して締めくくられていた。
「えっと…。要するに?」
俺は、腕を組みながら、再びその手紙に目を通す。
一度読んでも意味がわからない。
2度、3度と目を通す。
あんまりな展開に首を傾げていると、『入口』と書かれたプレートが下がった方の扉がコンコン、と2回ノックされる。
「…ど、どうぞ?」
ノックされた扉は、その後、まるでこちらの許可を待つように静まっていたので、思わず返事をしてしまう。
スルスルスル。
「失礼します。」
てっきり、取っ手を回してガチャリと開けるタイプのドアだと思っていたが、意外にも引き戸だったらしい。
滑らかな音を立てて開いた引き戸。
そこから入ってきたスーツ姿…いや、喪服姿?の女。
彼女は部屋に入り、俺に頭を下げると、丁寧な動作で引き戸を閉じた。
そうして、茣蓙の前まで歩いてくると、緑色のスリッパを脱いで俺の目の前の座布団に正座で腰かけた。
そうして、困惑している俺の顔をまっすぐ見て、口を開いた。
「神域、異世界転生係『カミノマ』、異世界転生担当神グランドドラゴン補佐官のアスモデウスと申します。」
「あ、えっと、矢鱈瞳です。」
俺は思わず自己紹介を返してしまう。
ついでに頭も下げてしまうと、アスモデウスと名乗った女も丁寧な礼を返してくれた。
神を斬った転生者は女性です。