よく食べる人が好き
僕の名前は田辺真。
僕はあまり女性にもてない、というか女性と付き合ったことがあまりない。
前に付き合っていた彼女は僕にバッグや指輪を買わせようとしたり、レストラン――高価な所で食事をさせようとばかりしていた。
明らかにカネ目当ての彼女に嫌気がさして別れてしまった。
思えば、その彼女は外見が派手で、ブランドもので身を固めて、あれが食べたい、これが食べたいと食べ物の話ばかりするような女性だったから、こんなことになっても当然の結果だった。
しかし、女性と付き合ったことがなかった僕はつい彼女の誘いに乗り付き合ってしまったのだ。
そのせいで僕は借金までしてしまった。
30万円くらいだろうか。会社員である僕にとってはそれほど大した額ではないが、彼女にのめり込む前に別れられて幸せだったのかもしれない。
彼女のために何百万円もの借金をして、その挙げ句に彼女を殺してしまうといった事件もテレビで見たことがある。
僕はそうならなくてよかった。
次に付き合うことになったのが、今付き合っている彼女だ。
彼女の名前は北条愛美、親は商店街で電気店をやっているらしい。
交際のきっかけは彼女の方から僕に付き合ってくれと言われたことだった。
彼女と僕は同じ会社で勤めていて、たまたま廊下ですれ違う時に彼女が持っていた書類の束、重そうなその束を僕がかわりに持って運んであげたのが交際のきっかけだ。
彼女は惚れやすい性格らしい。
僕に書類を運んでもらったという理由だけで僕に恋をして、告白をしてきたのだ。
見た目は賢そうで頭を使うタイプに見えるが、案外中身は単純で素朴なタイプかもしれない。
彼女の外見も気に入った僕は、彼女と付き合うことにした。
最初僕は警戒した。
前に付き合った彼女がカネ目当てだったので、今回の彼女も僕に貢がせようとしているのじゃないかと疑っていた。
しかし、彼女は僕にブランド物のバッグや指輪をねだることもなく、食事も割り勘で僕一人に払わせるということもなかった。むしろ彼女の方から僕に食事をおごってくれることもあるくらいだ。
女性の中にはカネに興味がない人間がいることをその時僕は初めて知った。
彼女は本当に僕に惚れているんだな、と僕は思った。
僕は彼女のためなら何でもしてあげようという気分になっていた。
そんな彼女にも困った所が一つある。
僕と彼女が一緒に食事に行くと、僕に無理やり料理をたくさん食べさせようとすることだ。
「よく食べる人が好き」というのが彼女の口癖だった。
なら、よく食べる人と付き合えばいいだろと僕は思ったが口に出すことはなかった。
もしそれを聞いた彼女が「そういえばそうね」と言って僕を捨てて他の男と付き合うのを恐れたからだ。
彼女は僕とデートする時はいつも彼女の女友達と一緒に食事しようとする。
彼女が言うには、前に付き合っていた彼にひどい目に合わされたので、女友達と一緒でなければ僕とはデートが出来ないという。
もしデートを重ねて僕を信じることが出来れば、その時には僕と二人きりで食事に行き、その後二人は親密な関係になりましょうという話だった。
彼女から告白してきた割にはずいぶん慎重だなと、僕は最初思ったが、女性は男性よりも力が弱く、弱い立場に立たされることが多いし、前に付き合っていた相手にひどい目にあわされたのなら仕方がないと思った。
僕も前に付き合っていた彼女からひどい目にあわされているので、彼女の考えに共感したのだ。
彼女とデート――彼女の女友達も一緒だが、その時にまず、女性たちだけで集まって僕の方を見てひそひそ何かを話す。
たぶん「彼をどう思う」とか「どんな彼氏なの」とか女性がよくするようなつまらない恋愛話をするのだろう。
その後で食事の注文の時になると、いつものおとなしい彼女とはがらりとかわり「あれ食べるでしょ」とか「これが好きなんだものね」といって、彼女が僕の食べるものを勝手に注文してしまう。
彼女の友達が一緒なので、僕は違うということも出来ずに彼女のいいなりになり、彼女の頼んだものを食べることになる。
まあ、それはいいとしよう。
たぶん彼女は友達の前で、僕が彼女のものだということを見せびらかしたいのだろう。
だから、勝手に僕の食べ物を注文して、後で僕がトイレに行った時とかに「ねっ、言ったとおりでしょ。彼って私のことが好きだから、私が頼んだものをなんでも食べるんだ」とかいって、わいわい女友達と騒いでいるんだろう。
前に僕がトイレから帰ってきたときも騒いでいたから間違いないと思う。
それは我慢できることだ。
僕は彼女と付き合いたいし、彼女が僕を彼女のものだと女友達に言うのも悪い気はしない。
問題は彼女の頼む食べ物の量の話だ。
たとえば「天丼3杯」とか「カレーライス大盛りで4杯」とかあきらかに量が多すぎるのだ。
しかもデートをするたびにその量がどんどん増えていっているように、僕には思われる。
今日のデートでもそうだ。
彼女は女友達たちの前で「オムライス5人前ね」と平気な顔で言う。
それを聞いて彼女の女友達たちが「無理よ」とか「かわいそうよ」とか言う。
彼女の友達たちが言うことはもっともだが、彼女が友達の意見を聞くことはない。
オムライスが運ばれてくると、彼女は僕が食べるのをじっと見ていて「あなたならやれば出来るわ」とか「食べている姿がとても素敵よ」とか言って応援してくる。
彼女は男の人がたくさん食べるのを見るのが好きらしいが、はっきり言って迷惑だ。
彼女の友達たちが苦しそうにしている僕を見て「残してもいいのよ」とか「無理しないで」とやさしい言葉をかけるが、彼女は「大丈夫、大丈夫。彼はいつもこれくらいぺろりと食べちゃうのよ」と言って無理やり食べさせようとする。
前に一度具合が悪くて、その日は体調が悪くて仕事にも身が入らずに、課長から「お前顔色が悪いから、椅子に座って休んでていいぞ」と言われた時でも、彼女は食べ物を残すのを許さなかった。
「食べ物を残すなんて、料理を作ってくれた人に失礼よ」とか「世の中には食べたくても食べられない人だっているんだからね」と言って僕の罪悪感を煽り吐きそうになるのを我慢して――食べた後、トイレで吐いてしまったが、何とか食べたということがあった。
今日も僕は何とかオムライス5杯を食べきった。
彼女の友達たちが「すごい」とか「信じられない」と騒いでいる。
僕は「体調が悪いので先に帰るよ」と言ってその場を後にした。
僕は医者に来ていた。
最近の無茶な食事のせいで胃の具合が悪くなっていたからだ。
医者が「これはよくないですね」と言う。
「このままだと身体を壊して入院しなくてはなりませんよ」と真剣な顔で医者が言う。
やっぱりそうか。
明らかに身体の調子が悪い。
胃が痛くて、食事もあまりしたくない。
僕は医者の言葉を聞き、彼女に「もう無理に食べるのはやめるよ」という決心をした。
会社で彼女と一緒になった時にそのことを言ったら、彼女が「バカなことを言わないで」と言って怒り出した。
「どうして怒るんだよ」という僕に対して「だって、あなたが食べる姿を見るのが私の楽しみなんだもの」と彼女が目に涙を浮かべながら言う。
彼女を悲しませるのは気が引けるが、とても今のような状況を続けるわけにはいかないので「じゃあ、食べる量を減らしてくれよ」という僕に対して「それは無理よ」と彼女が言う。
「どうして無理なんだ」という僕に対して「だって友達に今度彼がうな重を7杯食べるって言っちゃったのよ」と彼女が言う。
僕が「無理だ」と言っていたと友達に言えよと彼女に言うと「今更そんなことは出来ないわ」と彼女が言う。
どうやら彼女は怒っているらしく、めずらしく喧嘩腰になっている。
彼女の理不尽な言い方に僕は呆れてしまったが、女性にはそういうことがよくあるので、何とか説得をしようと試みたが「本当に医者がそう言ったの? なら診断書をもらってきなさいよ。そうすれば信じてあげるわ」彼女はそう言ってぷんぷん怒りながら立ち去った。
その次の日
僕は彼女に医師の診断書を見せた。
それを手にとってじっと見る彼女。
さすがの彼女も本物の医師の診断書を見てまでは、僕に食べろとは言えないだろう。
僕が彼女の様子を見ていると、僕の予想とは違い「これ1日だけ貸してくれる?」と彼女が言うので「ああいいよ」と僕は彼女に診断書を預けた。
そのまた次の日
「本当にごめんなさい」
彼女が謝ってきた。
どうやら医師の診断書を見て、さすがに僕に悪いことをしたと、今更ながらに反省したらしい。
彼女から医師の診断書を受け取った僕が「これで分かっただろ」と言うと「お詫びをしたいから、明日仕事の休みの日にレストランで一緒に食事をしましょう」と彼女がデートに誘った。
また僕に食べさせる気かと驚く僕に「二人だけで」と彼女が言って僕に投げキッスをした。そして彼女が去っていった。
ようやく彼女と二人きりでデートが出来る。
ということは、彼女と僕の仲も進展するということだな。
今まで無理をして頑張ってきて良かったと、痛む胃を押さえながら僕は喜んだ。
そのまた次の次の日
「おい!! 約束が違うぞ」
「ごめんなさい。どうしても一緒に来たいっていうから」
僕がレストランの個室、というか大広間に案内されて中に入ると、そこには彼女の友達十数人が座って待っていた。
レストランに入って大広間みたいな所に案内されるからおかしいと思っていたが、これはおかしすぎる。
というわけで僕が彼女を問い詰めたわけだが、彼女の説明によると、彼女が僕と二人きりでデートする前に彼女の友達たちが集まって会議をして、僕が彼女にふさわしい男かどうかを審議するための最終試験を行うことになり、それがこのレストランの大広間だということになったということだ。
僕が信じられずに、めまいがしてよろけそうになる僕の腕を彼女がつかまえて「じゃあ、うな重7人前お願いね」と明るい顔で彼女が友達にも聞こえるような大声で言った。
やられた。
彼女はまったく反省などしていなかったのだ。
僕はその場を逃げ出そうとしたが「これが本当に最後だから」という彼女の真剣な顔を見て「これが本当に最後だからな」と言うと「ありがとう」と彼女がうれしそうに言った。
皆んなが見守る中、僕の前にうな重7人前が運ばれてきた。
連日の無理な大食いで弱った身体の僕にはこれを全部食べるのはきつい。身体が万全の体勢でも食べきれるかどうか疑わしいほどの量だ。
大勢の彼女の友達と彼女に見守られながら、僕は食べ始めた。
いつものように彼女の友達たちが「無理しないで」とか「具合が悪くなったらすぐに食べるのをやめてもいいんだからね」という声を聞き、なら僕に無理やり食べさせるなよという疑問が生じたが、今は食べることに集中しなくてはならない。
それほど、うな重7人前を食べるのはきついことなのだ。全力を出さなくては食べきることは無理だろうから。
何とか6人前を食べて一息つく僕に「食べるのを止めちゃ駄目、油断したらそこで終わりよ」と彼女が鬼コーチのような厳しい激励をする。
彼女の女友達たちは、もう皆んな黙ってしまっている。
僕の状態が限界に近いのは誰の目にも明らかなのに、彼女一人だけは「最後まであきらめないで」とか「根性よ、根性で乗り切るのよ」と応援の声を休めることはない。
応援よりも食べるのを止めて欲しかったが、僕は何とか最後のうな重を食べきり後ろ向きに倒れた。
「おー」という歓声が彼女の女友達から上がる。彼女が僕の近くにやってきて「あなたならやれば出来ると思ったわ」と僕に握手を求めてきた。
そんなことよりも僕は胃が今まで感じたこともないほど痛み始めたので、早く医者に行かなくては大変なことになると思い、彼女に「今日はこれで」と行ってレストランから一人先に外に出た。
僕は胃に激痛を感じ、レストラン近くの電信柱にもたれかかり、今食べたばかりのうな重の一部を吐いてしまった。
彼女と彼女の友達たちがおしゃべりをしながらレストランから出てくる。
そしてぺちゃくちゃ僕に気づかずにおしゃべりを始めた。
「まったく、信じられないわ」
「そうよねー」
「彼本当に胃の具合が悪いの?」
「医師の診断書を見たでしょ、彼って本当に胃が悪いのよ」
「それでうな重7人前も食べるなんて、彼の身体はどうなっているのよ」
「さあ、壊れたんじゃないの。そんなことよりもカネを出しなさいよ」
彼女が友達たちに手を出す。
彼女の友達たちは渋々といった感じで、彼女の手にお金をどんどん渡していく。
その額は100万円を超えるだろうか。
「あーあ、賭けにまけちゃった」
「そうよね。絶対に食べられないと思ったのに」
「だから言ったでしょ。男なんてバカばっかりなんだから、こっちが相手のことを愛してるみたいなフリをすれば必死になってなんでもするのよ」
彼女が大笑いをしながら言う。
「でも、彼本当に具合が悪そうだったわよ」
「そうよ。彼が死んだらどうするつもりなの?」
「知らないわよ、あんなバカ。あいつも、もう身体が壊れて使い物にならないだろうから、新しい男を探してそいつにまた食べさせるわ」
彼女が手に持ったお金を数えてウヒヒと笑う。
「じゃあ彼と別れるつもりなの」
「それってひどくない」
「どこが? あんな地味で女とろくに付き合ったこともないような男と付き合ってあげただけでも感謝して欲しいわ。彼も私みたいないい女と付き合えて、もう死んでもいいと思っているに違いないわ。だからその辺で笑顔で野垂れ死んでいるんじゃないの? 想像の世界で私と結婚をしている姿を夢見て、マッチ売りの少女みたいにさ」
自分の言ったことに彼女が大笑いをして財布にカネをしまう。
「あっ……」
「やばっ……」
「何、どうしたの。やばいのはあいつの身体でしょ。あんな身体でうな重7人前も食べるなんて、本当にあのバカ一度死んだ方がいいんじゃないの」
彼女の友達が一斉に逃げ出す。
不審に思った彼女が振り返ったその先には……。
森和彦は会社の同僚と食堂に昼飯を食べにやってきた。
森はエビフライ定食を頼んで、同僚はカツカレーライス頼んだ。
森が食堂のテレビを見ると昼のニュースをやっていた。
『 本日未明、北条愛美さん23歳を同じ会社に勤める交際相手の田辺真容疑者27歳が撲殺するという事件がおきました――――――
警察によりますと、警察の取り調べに対し田辺容疑者は「ついカッとなってやってしまった」などと言って容疑を認めている模様です。
警察は恋愛のもつれが原因とみて慎重に捜査を進める方針のようです。
では次のニュースは―― 』
「何か恐ろしい事件だな」
「そうですね」
「彼女を撲殺するなんて、ひどいことをする男もいるもんだな」
「そうですね、僕には考えられませんよ」
「確か現場ってこの近くじゃなかったか?」
「そうっすね。確かパトカーとかも来ていましたし」
森が手を上げる。
「おばちゃん、エビフライ定食追加ね」
「二人前も食べるんですか?」
「俺も体力をつけて仕事を頑張って彼女を喜ばせたいからな」
「森さんって彼女いましたっけ」
「これから作るんだよ」
「そうですか」
終わり