プロローグ1
事の始まり
興地暦2050年。
世界は戦火に包まれていた。
「世界を一つに!獅子王の御名の下、この世を統べるべし!」
2045年2月15日、グーデンテール帝国第二期ブラウン王朝初代皇帝、ミヒャイル・ロウ・ヴェルゼン・フォン・ブラウンが、小雪のちらつくマルセンハイム宮殿のバルコニーから、「赤帝の広場」に集った精鋭達に放った号令である。
そもそものきっかけは何だったのか。
今となっては誰もその真実を真正面から見つめることは出来なくなっていた。
世界は戦火に包まれていた。
いつの世も戦争の理由など、単純なものだった。
そこに「正義」がある限り。
戦いは、人間の業として、遥か悠久の古来より繰り返されてきた。
だが、意味など誰にもわからない。
「世界を統べる」
皇帝だけが、その「理由」を力強く説いていた。
なぜ。
その意味など、誰にもわからない。
そこにあったのかもしれない「意味」。
だが、5年という長きに渡る戦火の噴煙が、かつて誰もが感じていたであろうその「意味」を霞んでぼやけさせていった。
戦火の意味。
正義の意味。
この世の意味。
全てが、在りき日の思い出の如く、煤けるように霞んでいた。
興地歴1900年初頭に興された技術産業革命は、世の中のシステムを激変させた。
風から蒸気へ、木から鉄へ、金貨から紙幣へ、手から機械へ、ボートから船へ、そして車へ。
大国は挙って、新しい技術を身につけ、持ち得た手段で世界中へと繁栄を求めて乗り出した。
グーデンテール帝国も、その頃には世界に冠たる大国の一つだった。
かつて「獅子王」シュタイナー1世が興した帝国は、大陸の覇権を巡って近隣の強豪国と幾多の抗争を繰り返し、恐れられる存在でもあった。しかし、1600年頃から迎えた海運革命への乗り遅れや、挽回を狙った植民地政策の失敗、それらに伴う国内経済の悪化による内紛の勃発などが影響し、大国は既に「獅子」ならぬ「老いた猫」として陰口を叩かれていた。
それでも、大国としての長い歴史の中で培われ、洗練されてきた技術や思想は、激変を齎す世相にマッチし、徐々にその力を盛り返しつつあった。
興地歴2003年、グーデンテール帝国シュヴァイン王朝5代皇帝カーン3世は、領内最後の抵抗勢力、グスタフ・ペーチ王国を滅ぼし、かつての帝国領の範囲を取り戻すと、その勢いを駆って、それまでの保守的な考えの支配する経済界を解放、外資を積極的に誘致し、国内の税制を整えるなど、抜本的な構造改革に取り組み始めた。
元々挑戦的な気風を持つ国民性は、そんな変貌をそこはかとなく歓迎し、「帝王の末裔たるもの、むやみに欲しがらず、求めたがらず、その時を以って如何なく全てを抱え込むべし」という受け身の美学を払拭せんとばかりに、世界中へと乗り出し始めた。
かつて「絶望と魅惑の大地」と呼ばれた南部大陸や「太陽の森」こと極東への植民地進出や、貿易を目的とした官民合弁会社の設立、銀行の大規模海外出店。
それと同時に、反目しあっていた他の大国達との争いを繰り返しながら、古豪の獪を振るわんとばかりに、再度「大国」の地位を確保しつつあった。
古豪は他にもいた。
世界中に植民地を持つ西の「龍王」グランディオス連合王国。
世界経済の中心地となった新興国「希望の星」カールマン合衆国。
グランディオスと相並ぶ植民地大国「華陽王」フローラル共和国。
海運国家として一時代を築いた「蒼き鷹」エストロッテ王国。
世界初の社会共同生産主義国家「北の狼」ブランカ人民連邦。
世界有数の資産を誇ったエイハム王朝の末裔「黄金王」タガシス=ブリオールト連邦。
時は正に、骨肉相食む弱肉強食の時代。
誰もが我が身を肥やし、懐を暖めることで精一杯だった。そのためには、広大な大地で慎ましやかにその日を過ごしていた民の牧歌などに耳を傾ける必要など無く、いかにして未開の民を屈服させ、どの様にしてその血の一滴までもを絞り取るかを練るのだ。
そこにある正義。
争いに負けたものは、そんな「正義」を語ることすら許されない。勝ったものが、稼いだものが正義なのだ。
大国は、東へ、南へと、満ちたりを知らない亡者の如く、その手を伸ばし続けていった。
「正義」の御旗を掲げて。