第1話 痴漢と誘拐はどちらが罪が重い
お読み頂きましてありがとうございます。
「この看板犬のシュナウザーの名前って、どうしてコウスケくんなんですか?」
最近、尚美さんが良く来る。まだ志正に未練があるらしい。志正は頻繁に現れるからな。
2人が交わす視線にいたたまれないんだけど、お客様はお客様と念じて笑顔を貼り付けている。
「シュナウザーって爺さんっぽいだろ。そこから友人が考えてくれたんだ。なんか昔『爺さんの名にかけて』って叫ぶ有名な漫画があってその爺さんの名前がコウスケって言うらしい。」
「有名ですもんね。でもらしいって読んだことないんですか?」
「元となった小説の方は読んでないよ。」
友人の劉貴は勧めてくれるんだけど、初めの数ページ読んだだけで投げ出してしまった。ホラーはキライなんだよね。
「そりゃあそうですよ。あの漫画は小中学生向けですから読みやすいですけど。私だって好きなアイドルが実写映画に出演してなきゃ読んでないですよ。」
ありゃ。あの実写映画のアイドルといえばアイドルグループMotyの板垣吉右衛門。愛称キッチーで友達だ。尚美さんってキッチーのファンなんだ。身近にライバルが多すぎるよ。
彼もこのマンションに住んでいるから、そのうち出会ってしまうんだろうな。まあそれで志正のことを吹っ切ってくれるんならいいか。
「良くあれだけの情報で推理できるよなって思うよ。」
『鑑定』スキルを持っているわけでも無いのになんでもかんでも見破るし、鋭い嗅覚を持っているわけでもないのに相手の感情を捉えて、指向性のある聴覚を持っているわけでもないのに地獄耳だし、遠くまで見通せる視覚を持ってないのにすぐに逃走した犯人を見つけ出す。
到底、僕には真似出来ないな。
「そりゃあ漫画ですから。」
「えっ。それを言ったらお終いでしょ。」
「そうかあ。名探偵のコウスケくんなんだ。賢そうですもんね。」
そうかなあ?
僕や志正や劉貴が良く話し掛けていたから、人間と話が通じると思っている節があるんだよな。だから、話が通じないとキレるし噛みつく。まあ大人になってからはしなくなったけど、看板犬で大人しそうにみえるだろうけど良くイライラしているもの。
当たり前のことなんだけど、犬も個々によって性格が違う。良く纏めサイトで大人しい犬って書いてあったのにっていう飼い主さんが居るけど、それは絶対に間違いだ。
人間にO型だからおおらかな性格でしょとかA型だから几帳面でしょと言っているようなものだ。
犬も人もただそういう傾向があるというだけで全体の3割くらいで後の7割は全く違うのが普通なのだ。
「それにしてもミンティーくんは連れて来ないんですね。やっぱり、お菓子を欲しがるからですか?」
プラチナ会員様なんだから、日々の体調とかも看てあげたいんだけど。こればかりは家に押しかけるわけにもいかない。
「それもあるんだけど、ここで那須さんと会話していると割り込んでくるじゃないですか。」
ミンティーくんは尚美さんのことを庇護の対象とみており、悪い男たちから守らなくてはいけないと思っているらしい。犬は敏感だから僕が尚美さんに対して抱いている邪な感情もバレバレなんだと思う。
「この季節ならミンティーくんと一緒に屋上のジャグジーでも入ったらどうですか? ミンティーくんも喜びますよ。」
このドッグカフェには犬用の温水プールと人間用のジャグジーが併設されており、会員様なら優待料金で入れるようになっている。
プラチナ会員様は入るだけならもちろん無料だ。併設はされていないが高層マンションの商業施設に入っているトリミングサロンからトリマーを呼んでカット&ドライを行うこともできるが、ドライ台は自由に使える。
彼女の父親なんか球場にはシャワーしか無いからって仕事帰りに入っていったりする。銭湯じゃ無いんだけどな。
「あっ。もしかしてお仕事の邪魔になってます?」
何故か睨まれてしまった。尚美さんの水着姿が見てみたかったという願望がにじみ出ていたかな。
「そんなことは無いですよ。この時間帯は暇だから大丈夫。それにお客様から犬のことを知るのも大切な仕事ですから。」
流石に昼食時は忙しくて構っていられないけど。
尚美さんはガックリと肩を落とす。僕の欲望がバレたわけじゃないらしい。それとも優等生的な発言が嫌われちゃったかな。ついつい内面の感情を隠そうとするとこういう発言をしてしまうんだよな。
☆
「悪い男ですね。」
閉店時間になり、尚美さんを店の外までお見送りしたところ、後ろから声を掛けられた。
「中田さん。店の中に入って待っていてくださればいいのに。いつもすみません。」
彼女からビニール袋を受け取る。明日の昼のランチに使う材料だ。
事件を知った球団社長が手を回して単身者向けのアパートやマンションの商業施設『ハロウズ』に就職先を斡旋してくれたらしい。全くこういうところは足元にも及ばない。
僕がしてあげたことじゃないのに閉店後にお店まで来てお礼を言われた。しかもお返しがしたいと言われたので翌日のランチの材料を届けて頂いているのだ。
「そんなっ。まだ彼女たちの前に出られませんよ。」
もう誰も気にしていないのに。
「そうだ。明日のランチは新作なんですよ。今から試作しようと思うのですけど、食べていきますか?」
いくら試食だと言っても厨房で作りながら食べる料理と女性と一緒に食べる料理では美味しさが変わって来てしまう。いつも、もうひと味加えようとして失敗して元のレシピを使うことになるのだ。
「はい! でも・・・。」
彼女が物欲しそうな顔をする。理由はわかっている。
「今日の分ね。そろそろコウスケくんに代わって貰ってもいいんじゃ無いですか? あっ別に嫌だというわけじゃ無いんですよ。役得だと思っています。」
抱き締めて欲しいのだという。子供が抱っこを欲しがるようなものだと思うことにしている。働いているためか、今の彼女はあの家に居たときよりも、ドキッとするほどキレイになっていくから役得なのも本当だ。
特にナオミさん相手に欲望を押し殺していたあとは逆に癒されているのではないだろうか。外から見ると全力でのし掛かる犬の様なんだろうな。
それにミンティーくんが尚美さんを見るように、僕は彼女を庇護の対象だと思っているからか遠慮せずに抱き締められるのだ。聖人君子じゃないんだから女性を抱き締めるのにそうそう理性で制御ばかりしていられない。セクハラになってない・・・よな。嫌がって無いんだから大丈夫。自分の嗅覚を信じろ。
そのうち、コウスケくんが役割を交代してくれるようになって、いずれ離れられるときがきっとくるはず。今度こそ、そのときは笑って手離せるように覚悟をしておかなきゃね。
僕はソッと離れると厨房に向かった。今日のメニューは先日六本木に行く前に行ったカフェのディナーを参考にしている。僕はジッと視覚と聴覚でその店の厨房で何が行われているかを観察して、実際に味覚で楽しむと材料や使用している香辛料などがわかるので厨房でそれを再現するのだ。
あとはアレンジを加えて店のランチにする。まあ殆どパクリと言っても過言じゃないけど、料理には特許が無いから使える荒技だ。
「美味しい!」
「そう良かった。ここに加えるとしたら何がいいかな。」
「そうですね。赤色が足らないから、プチトマトなんかいいんじゃ無いですか。」
やっぱり、女性の意見は参考になる。そのカフェに働いている人間もうちのカフェのアルバイトも男ばっかりだから、そう言うところに気付かないんだよな。
プチトマトの代わりにトマトをカットして加える。なるほど絶妙の色の配置だ。
食べてみても、酸味が加わってより美味しくなっている。
「明日の昼までにプチトマトを3パック、いや4パック届けて貰ってもいいかな。」
「はいっ。」
随分優しい笑顔が出来るようになってきた。この分だと来年には離れているかもね。
☆
中田さんを見送ったあと、寝てしまっていたコウスケくんを抱き上げて2階にあがる。2階が僕とコウスケくんの住まいだ。大抵の物が『箱』スキルに入っているためだが、殺風景な部屋だ。
「ほらもう遅いから寝なさい。」
ケージの中にコウスケくんをソッと入れたが起きてしまったので話し掛ける。これも僕たちに取っては大事な時間だ。もう時間が時間だから、お菓子はあげられないけど少しくらい付き合ってあげなきゃね。
「わぅぅん。」
(大丈夫か?)
「何が?」
「わわん。わん。」
(なんか寂しそうだったぞ。)
コウスケくんが自分でもわからなかった感情を汲み取ってくれる。流石は癒やしのプロだ。
「古傷が痒くなっているだけさ。掻いたら血が出るだろ。だから我慢しているんだよ。」
☆
「どうしたんですか? 新田警部補。こんな朝早くから。」
翌朝、警視庁で瑤子さんが無理矢理ペアを組まされている刑事さんが息せきって走り込んできた。
ハイハイ。お水ですね。ちょっと待ってくださいよ。
僕が冷水機からコップにお水を汲んでくると一気飲みをする。冷たいから咳き込んでいる。全くもう、何をしているんだか。
「さわられたんだ。」
「なんです。警視正にセクハラでもされましたか? 大変ですね。」
いかにもやりそうだよな。新田警部補は若くて胸板も分厚い。背広の上からでもホルスターベルトの痕がクッキリと出るくらいだ。さぞ触り心地がいいに違いない。
僕も散々セクハラされているよな。あのひとって、あんなことを言っていたけど結構誰でもいいんだな。なんか腹が立ってきたぞ。
「違う。警視正がさらわれたんだ。」
瑤子さんが痴漢にあったのか。あれだけ露出が激しい服を着ていたら痴漢も出るよな。本人は庁内の視線を釘付けにして楽しいんだろうが風紀上問題無いのだろうか。
「その痴漢はどうなったんですか? まさか半殺しとかダメですよ事情聴取にかこつけて殴ったりしちゃあ。」
瑤子さんが言っていることだから、どこまで本当かわからないけど警視庁内にファンクラブまであるらしい。その瑤子さんが痴漢にあったとなれば犯人は袋叩きか。勝手に罪状を付け加えられて死ぬまで刑務所暮らしじゃなかろうか。
「違う違う。そうじゃないんだ。誘拐だ。瑤子さんが誘拐されたみたいなんだ。」