プロローグ ~読々シャイニーズの亡霊~
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「ようナスのくせに可愛い子を連れているじゃねえか。よこせよ。」
ヤクザに知り合いなんか居なかったはずなんだけど。
約束通りに瑤子さんを連れて六本木の街に出て来たところでヤクザ風の男に捕まった。五分刈りに赤黒い肌、ピアスに筋肉隆々の身体、まるで漫画の世界から飛び出してきたようなヤクザファッション。
僕を知っているということは球界の人間なんだろうが覚えがなかった。
「すみませんどちらさまでしょうか。」
「覚えてねえのかよ。原清だ。散々面倒みてやったじゃねえか。」
原清といえば、僕が入団した年のナンバーワンエースだった選手だ。その翌年にFA宣言をした彼は読々シャイニーズに移籍している。さらに発覚した球界のドラッグ疑惑に関わった選手として追放されたはずだ。
面倒をみて貰った覚えはない。入団前に彼のペットを探し出して誘拐犯扱いされ、ことあるごとに絡んでくるぐらいだった。
「どうぞ、どうぞ、お持ち帰りください。」
ヤクザに鞍替えした人間を相手に大立ち回りを演じるほどバカじゃない。それにイヤなら自分でなんとかするだろう。仮にも『警察官』なんだから黒帯だろうし。
「ちょっと那須くん。それは無いんじゃない。全くいいところなのに邪魔してくれちゃって・・・警視庁の野際刑事です。恐喝の現行犯で逮捕しますよ。」
瑤子さんはいきなり奥の手である警察手帳を見せる手段をとった。そんなことをされたら、後の展開はわかりきっているのに。
「あー、ナスめ。お前がチクったんだな。」
大抵の犯罪者は知り合いに『警察官』が居るだけで密告したと勘違いするのだ。
まあさっきのは僕が悪いか。一瞬でも彼女を庇えば良かったんだよな。
東京ドラドラズのプロテストに落ちた僕は正直焦っていた。基本的にプロテストは専願で他の球団のプロテストは受けられないのだが、その年のZiphoneフォルクスは特殊だった。
球団社長が変わったばかりで次々と規制緩和に乗り出したのだ。プロテストの専願もその一つで、あらゆるスポーツ業界の選手を集めようと年齢制限の撤廃や全く野球をやったこともない人も足が速かったり、肩が強かったりと一芸入試みたいなプロテストに変えられてしまったのだ。
高校野球出身者を排除したわけじゃなく。有利なのはわかっていたが裾野が広がったことでより強いコネが必要なのではないかと思ってしまったのだ。
だがそんなに簡単にコネがみつかるわけでもなく、プロテスト当日を迎えていた。
朝早くに到着し、テスト会場となっていた室内型陸上競技場の周囲を歩き回っていた。卑しくも何かコネに繋がるようなことが落ちていないかと探し回っていた。
この会場は東京オリンピックが行われたときに建てられた最新型の陸上競技場だったが用途が限定されていたため、碌々使用されないうちに修繕費が掛かるようになり閉鎖していたものをだった。そこをZiphoneフォルクスの球団社長となった山田氏が買い取り、ドーム型球場に改造したらしい。
「あっバカ、離すなよ。」
声が聞こえた方向に視線を向けると一台の車からZiphoneフォルクスのユニフォームを着た人が降り立ったところだった。
傍らには露出が激しい明らかに水商売風の女性がしがみつくように立っていた。
「そこの兄ちゃん。今、犬が走っていくのを見なかったか。」
絶好のコネのチャンスだ。犬は見なかったが逃げ出したらしいことはわかる。
これは是非ともチャンスを掴まないといけない。
嗅覚を研ぎ澄まし、ゆっくりと鼻で息を吸うと明らかに犬の臭いがする方向がわかった。これだな。
それと他にこの男性から変な臭いが漂ってきた。なんだろう嗅いだことが無い臭いだ。内臓でも悪いのだろうか。でも医者じゃないんだから、下手なことは言えない。
「はい。あちらの方向です。ご案内しますね。」
「兄ちゃん愛想いいな。プロテストを受けに来た人間か。俺はZiphoneフォルクスの原清だ。」
「うわぁ。本物のプロ野球選手に会えるなんて嬉しいです。那須新太郎と申します。」
パシフィックリーグの万年Bクラスのチームの選手なんて全く知らなかったので、最大限効果がありそうな言葉を選びながら挨拶をした。
「なんだぁ。大袈裟だな。」
そう言いながらも嬉しそうな様子だった。
その間も犬の臭いを嗅ぎながら、先導していき草むらでリードが絡まって動けなくなっていた犬を発見した。
「ちょっと待て! おかしいだろう。お前が居た場所からここまで見えている筈はねえ。さては盗んで隠してやがったな。」
絡んだリードを解き、犬を彼に手渡すといきなり逆ギレしだした。想定外である。『超感覚』スキルを使ってズルをしたとはいえなんで親切にした人間に逆ギレされなくちゃならないんだ。
それでも感情はぐっと押し込む。
「本当に見えたんです。」
「お前。那須とか言ったな。覚えておいてやるよ。へっ残念だったな。」
全然、信じて貰えなかった。しかも名前まで覚えられてしまって、コネどころの問題じゃない。この選手に発言力があれば、今日のプロテストは絶望ということじゃないか。
「おいハラッキヨ。あれほど言葉遣いを直せって言っただろうが。ファンサービスも立派な仕事なんだからな。お前のそういうところが減棒対象なんだぞ。」
拙い。先程は気付かなかったがハラッキヨといえば今季球団最多勝の投手じゃないか。発言力どころじゃない。もう終わったも同然じゃないか。なんてことだ泣けてくる。
「君、プロテストを受けにきた・・・ゆ・・・那須くんだ。甲子園は惜しかったね。」
顔を上げるとそこにはプロテストの応募用のテレビコマーシャルで見た球団社長の顔があった。
「なんで、僕の名前を。」
「プロテストに応募してくれたでしょ。これでも一応目を通しているんだよ。おいハラッキヨ、何度言ったらわかるんだ。今回のお客様はプロテスト応募者なんだから、愛想良くしろよ。何をイジメているんだ。本当に減棒にするぞ。」
普通、プロテストには試験料というものは存在しない。交通費と宿泊費が掛かるだけなのだが、今回のテストには現役プレイヤーがアシスタントとして参加することもあり、大学入試並みの料金を払っている。
「仕方が無いだろ。コイツが俺のペットを盗みやがったんだ。」
「ちょっと待て! お前、それ証拠があって言っているんだろうな。間違っていたら、罰金ものだぞ。」
そこでそれぞれが詳しい説明をした。
「だっておかしいだろ。コイツが立っていた位置からはここは死角になっていて見えないはずなのに、真っすぐここに連れてきたんだぜ。怪しいと思うだろ。」
良く考えてみると自分でも怪しく感じられる。もうちょっと探すフリとかすれば良かったんだよな。
「それは状況証拠にもならないぞ。那須くんはこちらの方向から歩いてきたわけじゃ無いよな。お前の車のあった位置から700メートルは離れているじゃないか。車から飛び出た犬を抱え込んでここまで走ってきてリードを絡ませて車の傍の位置に戻るのに掛かった時間がたった1分か。2分だというのか?」
「あれっ。おかしいなあ。そうだ。きっとそこらに共犯者が居るんだよ。」
「だから、思いつきで喋るなって。そんなに都合良く共犯者が居るか。そもそもそんなことをしても誰も得をしないだろ。金品を要求されたのか。違うだろ。那須くんはきっと走っていく方向を見ていて一生懸命に探してくれたんだ。偶然向かった方向に行ったら、偶々見つけた。そうじゃないかな?」
「そうなんです。」
一生懸命に探したのは事実だ。それをわかって貰っただけでこんなにも嬉しい。
「おい。那須くんに謝れ! 全くこんなトラブルばっかり起こしやがって。」
「誰が謝るかよ。怪しいもんは怪しいだよ。そんな奴に謝れるかよ。罰金でもなんでもすればいいだろ。」
原清さんはそのままズンズンと胸を張って歩いて行った。
「申し訳ありませんでした。」
球団社長が身体を折り曲げて謝ってくれている。コネだなんだと言っていたのがバカみたいだ。今はこんなにもこの人の下で働きたいという思いでいっぱいになっていた。
球団職員でも、この人が経営している会社のアルバイトでもかまわないから、雇ってくれないかな。
「そんなに頭を下げないでください。そろそろプロテストの受付が始まるんですよね。すみませんが案内していただけませんか?」
いつまでも頭を下げ続けてくれるのが申し訳無くなって、お願いしてみる。
「うん。そうだ。一緒に行こうか。お詫びに今日のプロテストの内容と審査基準を教えてあげるよ。」
それが山田球団社長との出会いだった。
記憶を掘り起こしてみると、原清との出会いは最低だった。
まあ確かにチクったな。日本プロ野球選手会では『新人選手研修』というのを行っていてその中で麻薬中毒者の病棟に連れていかれて、いかに麻薬が恐ろしいものか徹底的に叩き込まれた。
その時に嗅いだ臭いの中にコイツから漂ってきた臭いが覚醒剤中毒者のソレだと知った僕は山田社長に相談し、球団社長はコイツがFA宣言をするように戦力外通告程度まで減棒を申し渡したのだった。
☆
「へえ。そんな最低な奴だったんだ。逮捕してやれば良かった。」
罪状は適当にでっち上げて逮捕する気らしい。まあ自業自得だけど。
ヤツが逃げていったので、瑤子さんお勧めの店に向かった。
なんでも昔パクったヤクザが引退して始めたお店らしい。たしかに本物のヤクザだ。ヤツとは比較にならない。眼光が鋭く無口でイイ男だった。
死角になったボックス席に案内するとウイスキーと氷と水とおつまみを置くと少し頭を下げると邪魔をしないようにか奥に引っ込んでいった。
「ねえ。イイ店でしょ。このボックス席に好きな人を連れてくるのが夢だったんだ。」
そう言って勝手に隣の席に移動してくる。
「瑤子さんなら・・・若いし美人だしモテるよね。」
僕は必死に『見た目は』と言ってしまわないように言葉をかみ殺す。本当に見た目だけは若いし美人だしスタイルも抜群だし、媚び媚びの視線を送ってくるのは頂けないけど、さっき見た警察手帳を出したところなんか格好良かった。
チラリと見た階級には『警視正』と書いてあった。
なんで僕はこの人じゃあダメなんだろう。
『警察官』だから?
胸が大きい女性がタイプだから?
子供が産めないような年齢だから?
そのどれとも違う気がする。志正が言うようにそのうち好きになるのだろうか。
「そんな見た目に寄ってくる男じゃ嫌なの。見た目に騙されず優しくしてくれるような男じゃなきゃダメなの。わかるかな。」
そんな大層なことをした覚えは無いんだけどなあ。
「じゃあ僕の何処が良かったの?」
「そうね。私の本当の年齢を言うと興味を持って近付いてくるか、逆に離れていく男が殆どなの。それなのに何も対応が変わらなかった。あの尚子を拘束した中田さんだっけ、あの人の要求にも嫌がらず気持ちを汲んで優しくしていたじゃない。あの姿にやられちゃったのよね。」
「あの時点までは演技だったんですか?」
これだから自分をキレイだと認識している女性は信用できない。
「あっ。そうね。そうかもしれないわ。私、なんて嫌な女。こんな女は嫌われても仕方が無いわよね。」
こんなふうに自分を卑下してみせる女性は苦手かもしれないけど、このひとの場合確信犯だからな。
「大丈夫ですよ。そこまで嫌いじゃないです。大切な飲み友達ですから・・・だから、膝を撫であげないでいただけませんか。」
僕はヤバいところをうろうろと触る瑤子さんの腕をつかんで止めた。