第5話 余計なことをするもんだ
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「瑤子さん。私服警官をどれだけ動かせますか?」
大袈裟にするほど問題が悪化する可能性がある。出来るだけ目立たないように解決したほうがいいだろう。
「えー、ここは神奈川よ。県警と所轄に話を通すだけでも最短でも30分は掛かるわ。どうしたのよ。いったい。」
出来ればこの地域の警察にも言わないほうがいいくらいだけど、警視庁が独自に動くと支障があるんだよな。
危機的状況に陥って緊急逮捕の要件でも揃えば別だが警察官個人に任意の独自捜査が出来たとしても越境した途端民間人が動くよりも厄介な状況になるのは目に見えている。
「先程の家です。ミンティーが居た家に尚子さんが捕らわれています。急いだほうがいいと思います。」
もう『今川』と名乗ってしまった。自暴自棄になっていれば何が起こってもおかしくはない。
「わかったわ。とにかく向かいましょう。最悪、私は見なかったことにします。」
不法侵入を見逃してくれるらしい。代わりに脅される可能性もあるが尚子さんの命と引き換えには出来ない。
☆
家主がお礼を言いたいという建前で今川さんと共に再び、あの家に向かった。
インターフォンを鳴らすとあの女性は在宅していた。
「やっぱり、来たのね。」
覚悟していたらしい。僕のコアなファンなら少し嗅覚が鋭いことは知っている。
「どうすれば、尚子さんを出してくれます?」
こうなれば直談判しかできない。
「そうね。キスでもしてもらおうかしら。」
「「なっ」」
チュ。
僕は構わずキスをする。顔は年相応にシミもシワもあり、生活に疲れている感じもありとても魅力的とは言い難い。だが尚子さんの命には代え難いのだ。
「2階です。確保してください。いいですよね。」
僕がそう聞くとその女性は頷いた。
「ねえ、いつまでその女性を抱き締めているつもり?」
話は簡単だった。
以前もこのお宅にミンティーがお邪魔していた。そのとき尚子さんが菓子折りを持って来た際に捕まったらしい。何故捕まえたのかというと、この家の老婦人が死んでしまったのだが老夫婦の年金で生活していたため、死亡届けを出せなかったらしい。
だが町内の民生委員が寝たきりの老人たちの認知度調査のため、度々訪れるようになると誤魔化しきれなくなり、身代わりを用意せざるを得なくなったというわけだ。
おかしいなあ。
民生委員は厚生労働省の職員扱いだけど、警察じゃないから無理矢理踏み入ってまで調べる権利は無いんだけど、玄関先で押し問答することが多かったというのだ。いや警察でも普通は捜査令状が無いと玄関より先に入れば不法侵入のはずなんだがなあ。
捕まえたその日に尚子さんの寝たふりで老婦人の身代わりが成功したあと解放するつもりだったらしいのだが、認知が進んだ老人が本物の奥さんだと思い込み手放さなかったということだった。
「どうなりました?」
あれっ。尚美さんのお母さんって・・・。
「うん。何もされてないから尚子も尚美も内緒にしておきたいそうよ。私も今回は見なかったことにするわ。」
「それがいいですね。お互いに傷つかなくて済む。」
何も無くても1週間も夫婦として過ごしたことでゲスの勘ぐりをする輩が何を言い出すかわからない。
「じゃあご褒美を貰えるかしら。」
これだよ。ゲスよりももっと最低な人がいるよここに。
「貴女が見なかったことにしたという事実を黙っていることにしましょう。僕は善意の第3者ですからね。」
「ズルい。でも格好良いから許す。もう一回言わせて。いつまでその女性を抱きしめているつもり?」
「さあ。本当はこの人が現実に立ち向かえるまで居てあげたいところなんですが、そろそろ帰らないとバイトが交代する時間ですので。ごめんなさいね。」
女性はスッと僕の身体を離してくれる。
「名刺を渡しましたよね。偶には看板犬に癒やされに来てください。それはもう可愛いんですよ。」
営業トークと営業上の笑顔を貼り付ける。
「ありがとう。」
弱々しかったが感謝の言葉が聞けた。これ以上に嬉しいことは無い。
☆
結局、全ての配慮は無駄になった。
彼女は自ら警察に出頭し死亡届けを出さずに年金を受け取っていたことを告白した。瑤子さんが手を回していてくれたらしく。自宅を売り、年金を返却することで不起訴となった。
そこまでは良かったのだが、その町の民生委員が身代わりが居たと言い出したのである。問いつめられた彼女は自白したが監禁罪が適用されるには被害者の監禁されていたという証言が必要だったため、それを嫌がった尚子さんにより罪として成立しなかった。
だが、それらのことは町内に流布されてしまい。居づらくなった今川家は引っ越さざるを得なくなってしまったのだ。
「いいんだよ。社長にこのマンションを貸して貰ったからね。」
僕が経営するドッグカフェは日本有数の高層マンションが建てられている敷地内にある。
そのマンションにはスーパーヤオヘーの高級店『ハロウズ』や飲食店、フィットネススタジオ、高級家具を扱っているお店があるほか、最上階には3大美人の湯のスーパー銭湯まで入っている。
当然、周囲には広大な駐車場がある。その一区画に緑が広がった場所があり、ドッグランや乗馬などを楽しめる施設がある。その端っこに場所を借りて建てたのだ。
「いいですよね。あのマンション。」
中央の高層マンション部分は普通に分譲されたようだが、その他に外周の低層マンションの内、上層を球団社長の知り合いに分譲し、下層を結婚している社員を対象に賃貸している。そう独身者は絶対に借りれない仕組みになっているのだ。
「ああなんといってもマスコミがシャットアウトだ。それに球場も隣接しているし言うこと無いな。」
このマンションにはZiphoneフォルクスの友人たちも借りているが口を揃えて言うのがそのセキュリティーの高さだった。住人が持つICタグ付きアクセサリーがないとエレベーターも上手く動かないのだとか。
「それにしても奥さんが、あの荻尚子さんだったなんて知らなかったです。」
荻尚子といえば、日本屈指の演出家で有名な映画監督の作品も手がけているという話だ。それにこのマンションに入っているフィットネススタジオ兼チアガール養成所のオーナーでもある。
もちろんZiphoneフォルクスのチアガールの演出も彼女が手掛けており、他球団には無い演出で評判を呼んでいるらしい。それにZiphoneフォルクスのチアガールを経験すると彼女の主宰する団体で業界での演出家への道やジャズダンス・ヒップホップ・チアリーディングの指導者への道が開けるらしい。
現役時代からアシスタントとして参加できることから、シーズン中のホームゲームで最大100試合分の日当しか貰えない彼女たちの貴重な収入源ともなっている。
また任意で球団社長がオーナーを務める山田ホールディングスでアルバイトすることもできる仕組みになっており、親元を離れて自活している女性でも十分暮らしていける。
本人はポチャっとしたオバちゃんで演出を手掛けるだけで激しいダンスはやらない。とてもヨウコさんが言うように帝都大学の聖女と呼ばれていたとは思えない身体だ。だからこそ老婦人の身代わりも可能だったのだろう。
「尚子さんなら、ここに分譲を持っているんじゃないですか?」
あの屋敷は売ってしまったんだな。
「ああ。知り合いの芸能人とかに会うために使っているよ。でも賃貸の方が居心地がいいらしくて、横浜に住んでいた時より、旅行へ出掛ける回数が減ったよ。といっても海外ロケとかが減るわけじゃ無いんだけど。」
やっぱり1ヶ月以上出掛けていることもあるらしい。仕事とはいえ大変だ。
「尚美さんはチアリーディングの本番のアメリカで経験してらっしゃったんですね。」
「ああ。毎日、演出が古すぎるだの。選曲がイマイチだのケンカしているよ。だが才能は遺伝しなかったようだな。だから、早く嫁に貰ってやってくれないか。そうすればこのマンションに入れる権利も貰えるぞ。」
また言っているよ。
志正は別の彼女を店に連れてきたから別れたのだろう。まあアイツのことだから、二股や三股は当たり前だから本人はどう思っているかわからないけど、事件後に再会したときに随分とへこんでいたから彼女の中では終わっているんだと思う。
「お父さん!」
「あれっ居たのか。」
「今、ミンティーの散歩の帰り道よ。ミンティーがお菓子を欲しがるから、通り過ぎようと思ったのになんて会話しているのよ。」
★
おまけ話【怪人十六面相とその部下?が暗躍中】
「難儀だったな。監督が頭を抱えていたぞ。ダンスシーンなのにお前が居ないって泣きついてきた。」
「まさか私の居場所を探そうなんてしなかったでしょうね。それはプライバシーの侵害よ。わかってるの?」
「わ、わかってるよ。」
ふふふ。私の何が怖いのかしら、この人。あんなに何でも出来て、時には非情にもなれる人間だというのに身内だけには甘いのよね。
私が社員やアシスタントたちが辞めると言い出したときに即座に全員解雇して使える人間だけ雇いなおしてから、なんか怖がっているのよね。別に採って食ったりしないのに。
「さては私に化けてダンスシーンの振り付けをしたわね。前日に送り込んだアシスタントには自分で踊れるまで教えておいたのに何もならないじゃない。道理で報告のSNSが届かないはずだわ。私がやっていることになっているのね。」
「すまん。どうしてもって言われて。」
何を考えているのかしら。この人ドラッグクィーンじゃ無かったはずよね。ストレートの男性が女性に化ける。それもこんなオバさんに化けて何が楽しいのかしら。
「社長なんだからドーンと構えてなさいよ。誰かが失敗しても幾らでも取り返せるものよ。私が自主謹慎で1年居なくなったときも乗り越えて来ているんだから。」
「うん。そうだ。そうだった。」
「まあ久しぶりに1週間も丸々寝られたんだもの。別に彼女に恨みは無いわ。どちらかと言えば、あの坊やが気にすると思うから、老人ホームと就職先を世話してやって欲しいくらいね。」
「ああ、もう手は打ってあるよ。それよりもせっかくキレイ終われたはずなのに邪魔した奴だな。」
流石にそう言うところは早い。今回は特にお気に入りが関わったからかな。
「この私の名誉も毀損してくれたんだから。あの正義感ぶった女にお返しがしたいんだけど協力してくれるよね。だから貴方から貰った指輪を使ってもいい?」
私もこの人の身内だから。既に何か考えてくれているんだろうけど、どうせなら自分の手でお返ししてやりたい。
「ああ構わないよ。どこをどう探ってもキズひとつ見つけられなかったんだ。せいぜいが旦那さんが浮気をしていたくらいだった。自分の給料は自己満足の正義感のために使われて、活動費さえ碌々請求せず、1回浮気をしただけで借金までさせられているんだぜ。Ziphoneの関連会社だったけど可哀想でクビに出来なかった。」
「その調査結果も頂戴。それでタイミングを合わせて旦那さんをクビにして。制裁が終わって離婚が成立したら、もっと良い会社を世話してあげればいいじゃない。」
★
その数日後、東都新聞の横浜版に「民生委員の女。不法侵入および窃盗で逮捕」の記事が載った。
民生委員のB子(53)容疑者は常に日頃から町民の健康保険や介護保険の使用状況を調べあげており、介護施設への入居直後の被害者宅へ不法に侵入し、通帳と印鑑を盗み出し銀行で引き出そうとした疑いが持たれている。
容疑者は被害者宅の老婦人に貰ったと供述しているがその時間帯には介護施設に老婦人が居たことが確認されている。容疑者の夫が多額の借金をしており、その返済に困り今回の事件を起こしたものとみて警察は追及を続けている。
近隣の住民の話では民生委員の女が勝手に玄関口から上がり込んでくることもあったらしい。今後警察では住居侵入、窃盗の両面で余罪を追求する方針である。
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