第21話 ソロの部 その2
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「ああそれで尚子さんは雪緒くんが真也さんの子供じゃないと確信していたんですね。」
ガンを撃退する放射線治療は子供を作る機能へのダメージが大きい。近年は不妊治療で対応できることがわかってきたが、普通に妊娠する事など無いだろうと言われている。
「うんまあね。弟は大人になってからのおたふく風邪も・・・あれっ。那須くんにそんなこと言った覚えが無いんだけど。」
そうなんだ。免疫力を低下させているはずのガン患者がおたふく風邪に罹るなんて、良く死ななかったなあ。凄く運が良かったんだな。まあ本当に運が良ければガンもおたふく風邪も罹らないだろうけど。
「そうじゃなければ、あんな大掛かりな仕掛けを作りませんよね。いつからこんなことを考えていたんですか。屋敷を買った10年前ですか? それとも健康診断を導入した5年前ですか? まさか勇大さんがAGA治療をした20年前ってことは無いですよね。」
主宰がAGA治療を唆したのかなと思ったけど、真也さんが亡くなる前の話だ。偶然なのか、雪絵さんが真也さんの愛情も後継者の妻の座も両方取った結果なのはわからない。
有限会社化した5年前にインストラクターたちにも補助を出す形で健康診断を導入した時にAGA治療についての知識を勇大さんに植え込んだらしい。そのときには既に考えていたのだろう。
「・・・はあ。探偵役を君に指名したのが間違いだったわ。あれだけ想定外の方向へ進んで行ったのにスラスラ解き明かすんだもん。」
いつの間にか探偵をさせられていたらしい。勇大さんの言い分じゃないけど僕が屋敷に入り込んだことが殺人の引き金になったことは間違い無い。あの憎悪が僕自身に向かってきてもおかしくは無かったのだ。
「想定外だったんですね。」
主宰が過去の事件を用意し凶器を用意したのだ。多絵子さんの証言から正門から稽古場につながる塀の軒下でそれらしい痕跡が見つかっている。誰が凶器をそんなところに隠したのかは不明だそうだ。
勇大さんは想定通り、浮気をさせられ、子供たちを虐待する。自分勝手な親たちを見た子供たちに対して優しく接することで危ういバランスの中で生きてきたのだろう。
そして引き金となる僕が現れ、雪緒くんの心のバランスが崩れる。
「そうよ。てっきり殺意は勇大へ向うと思っていたのに遣り過ぎちゃったかな。」
普通の感覚ならそうだろう。だがいじめられっ子の殺意は決していじめっ子に向かないのだ。親や教師など関係の無い第3者に向く。
「遣り過ぎというか真似し過ぎでしょう。僕の考えでは、三味線の家元の事件も母親に殺意を抱いた子供たちという線が濃厚と考えています。刺殺未遂なのに相手の顔を見ていなかったという母親の証言自体がおかしいです。誰かを庇っているとしか思えない。」
「ええっ。そうなの。てっきり、ブサイクな旦那さんの犯行かと思ったのに。」
過去の事件をほじくり返して勝手に推理して真似したのか。そりゃあ破綻するよね。
「強い動機もあるからか警察もその線でしっかりと調べたようですね。でも何も出て来なかった。」
「随分詳しく調べ上げたのね。そんなに警察は協力的だったの?」
「違います。球団社長の伝手を使って調べて貰いました。」
「ええっ。探偵が調査会社を使って調べちゃダメじゃない。」
『ダメ』って言われる覚えは無いんだけどなぁ。
「自分の足を使って調べ上げる・・・ですか? 僕を誰だと思っているんですかシーズン中のプロ野球選手ですよ。どこにそんな暇があるって言うんですか。」
「だって『お約束』なのに。」
「はあ? 何ですかそれ。とにかく球団社長に使っていいと言われているんです。有料だからめったに使いませんけどね。痛い出費だったんですよ。プロ野球選手の新人なんてグラブやバットを用意するだけでも大変なのに、寮費から他のプロ野球選手との付き合いとかに沢山のお金が掛かるんです。だから少しでも節約しようと、この屋敷に引っ越してくるんです。」
未成年者をお酒の席に連れ出すことを球団社長が禁止しているから、球団内では夕飯くらいだが平気で高級焼肉店とか連れて行かれる。初めは先輩の奢りでも2回目は自腹だ。
友人知人には集られる。高校野球の恩師とかにお願いされたら出席しなきゃいけない。契約内容まで知られているから、今お金を持っていることもバレているから只飯ってわけにもいかない。
「随分と世知辛いのね。プロ野球選手なんて儲かっているのかと思ったわ。」
「個人事業主ですから契約金なんて大半が税金でもってかれるんですよ。皆さん翌年に払う税金で破産しそうになってますよ。」
契約金を貰って気が大きくなって新車の高級外車を買った選手が税金を払えなくて碌々乗らずに売り払ってしまうバカが多いらしい。
プロ野球選手なんて、1軍で活躍しててもいつ故障していつ引退しなければならないか判らないってのに誰もそのことを真剣に考えていない。
僕は運良くプロ野球選手になれただけの人間だから、こういう考え方なのかもしれないけどね。
「そうね。こんなところに私と住んでいれば誘惑を拒絶できるわけね。でも私の罪を暴いたことで、この屋敷にまだ埋められているかもしれない凶器で殺されるとは思わないわけ?」
「この屋敷に凶器は埋められていないですよ。この屋敷と殺人事件があった屋敷は別の屋敷ですよ。もしかして知らなかったんですか?」
僕の話の途中から、とても演技とは思えない驚きを露わにしている。本当に知らなかったらしい。
「ええっ。違うの?」
「新聞にも書いてあったでしょ。世田谷署管轄じゃなくて隣の北沢署管轄の事件でしたよ。だから警察に調べて貰わなかったんですけど。」
少し調べて無関係と言われて終わりだ。それでなくても信頼関係が危うい警察との関係がさらに悪化したら話も聞いてもらえなくなる。
「ああっ。そうか。屋敷を買ったときに不動産屋に話を聞いて2つの屋敷を検討して安いほうを選んだから、てっきり事故物件だと思っていたけど、この辺りの土地のほうが安いのね。」
屋敷を買った10年前は、まだ考えていなかったらしい。
「動機は真也さんのための復讐ですか?」
はっきり言って動機付けとして薄いと思う。最悪全てを失うし、最低限自分の築き上げてきた荻ダンススクールを失うことになるのだから。
「有り得ないわ。真也が殺されたのならまだしも病気で死んだ人間の復讐をしてどうするのよ。」
そうだよね。どう考えても主宰には動機らしい動機が見当たらない。
「じゃあ。何が動機なんですか。前に『間違っていた』っていう発言の内容が判らないんですよ。」
「探偵の癖に動機が判らずに真犯人を追及したって言うの? ダメじゃない。動機から追及して犯人を追い詰めるのが『お約束』でしょ。」
いや真犯人にダメ出しされる探偵もいないよね。
「いや別に追及してませんけど。だって証拠が何も無いじゃないですか。そんな無駄なことはしませんよ。」
こんな様子ならどこかに綻びがありそうだけど今のところ完全犯罪だ。