第2話 バカはどこまでも使えない
お読み頂きましてありがとうございます。
僕が先導して庭に入っていく。庭は剪定されていないようで雑草がボウボウと生えており、酷い有様だった。
あの女性はこの様子を見られて、気まずい思いをするのが嫌だったのかもしれない。
それでも足の踏み場を探して踏み固めながら歩いていく。尚美さんたちのソコソコあるヒールの靴だと歩くのがつらそうだったからだ。
「あっ。ミンティー!」
さらに奥に進んだところで犬を見つけた。すっかり弱っているのか弱々しい鳴き声が聞こえ、こちらを振り向いた。間違いない同じ臭いの犬だ。
僕は持ってきた紙袋の中からペット用の給餌皿を取り出し、お水を注ぐと行きよい良く飲みだした。とりあえず大丈夫そうである。
そして、尚美さんに断り、ポーション入りの犬用クッキーをあげた。これは球団社長がオーナーを務める山田ホールディングスの所有する製薬会社が作り出した滋養強壮成分入りのドリンク剤の原液を分けてもらい犬用クッキーに混ぜ込んだもので、生命力が僅かに向上する。
全ての道具類は『箱』スキルにしまってあるのだが、球団社長に誤魔化すテクニックとして紙袋の中で取りだしてから、紙袋の中から取り出したように装えることを教わっている。
『鑑定』スキルで見たかぎりでは問題無さそうだし、僕の嗅覚でも悪い病気を持っているような臭いは感じられなかった。
「キャン、キャンキャキャン。」
(ママー、ママが居るの。)
『翻訳』スキルが犬の言葉を伝えてくれる。
尚美さんに向って一生懸命吠えている。再会できて嬉しいらしい。賢い犬だともっと詳しく喋れたりするのだけど、ここで何をしていたとか、何故帰って来なかったのかこの犬に説明して貰うのは無理そうだ。
とにかく連れて帰ることが先決だ。結構友好的だったこの家の主に嫌がられてもいけない。
尚美さんが犬を抱えると庭を出て行く。
☆
今川宅に戻ると志正と今川さんが待ち構えていた。やっぱり、気まずい思いをしたらしい。父親からするとこんな球界で有名なプレイボーイと付き合うというのだから気が気でないに違いない。
「ありがとうございました。」
こういった仕事をしていると飼い主さんたちからの心からの感謝の言葉が一番嬉しい。まあ今回は半分以上志正に取られてしまうんだろうが、年会費100万円もかかるプラチナ会員様だから仕方がない。
「いえいえ。どういたしまして。お役に立てて良かったです。」
出来れば室内から出られないようにするとか、リードを付けるとか対策してほしいところだが大抵守られないから双方嫌な思いをするだけで意味がない。
「ねえねえ、お父さんからもお礼を言って。それから、お母さんも探してもらえば?」
母親が居なくなっているらしいのに雰囲気は明るいのはどうしてだ。
もしかして瑤子さんがここにいるのは密かに探して貰っているとか。有り得ない。それならば余計に犬とお昼寝しないだろう。
「アイツが突然旅行に行くなんていつものことじゃないか。那須くん。ありがとう。このお礼はどうすればいいのかな?」
旅行という失踪癖があるお母さんらしい。どこへ行くとかも告げていないみたいだ。
うーんどうしよう。ペット探偵は本業じゃないので料金は取っていない。
会員サービスの一環である。都内とか千葉や茨城の人間なら、月会費5千円のゴールド会員や月会費3千円のシルバー会員を勧めるんだけど、横浜からじゃあ来てくれないだろう。
「どうした? いつもなら、ゴールド会員を勧めるところだろ。俺の女友達相手ならシルバー会員か。」
志正・・・お前『いつも』って沢山の女性と付き合いがあると吹聴しているみたいじゃないか。父親の前なのに無頓着すぎるぞ。
「ペットに関する相談ができる会員サービスだったな。社長に聞いたことがあるよ。志正くんはゴールド会員なのかい?」
「いいえ。あのう志正さんはプラチナ会員でいつでも何処でも僕を呼べるんです。他の会員の方は基本的にペットをドッグカフェに連れてきて頂く必要があるのです。ここからだと遠いですよね。」
僅かな月会費で何度もペット探偵をやらされるわけにはいかない。だからどうしてもペット探偵をやらなければいけないときにはゴールド会員を最低限1年間入って貰っているのだ。
志正の彼女は別だが大抵のお客様は球界関係者だから、その後も会員を続けてくれている。
「じゃあ、そのプラチナ会員に入ろうじゃないか。会費は幾ら何だい?」
「あのう。プラチナ会員は1年単位で年会費100万円です。」
高いですよね。わかっています。シセイの我が儘に振り回される見返りとしてはこれでも安いと思うけど。これ以上は取れなかった。
「何だ。那須くんの年俸からしたら、安いじゃないか。その那須くんと専属契約できるんだろう。」
そうだった。相手は僕の年収を知っている人間だった。球界ではありがちだが、この人も金銭感覚がおかしいらしい。
「そんなっ。こちらとしては何の義務も発生してないですし。とてもお勧めできるものではありません。」
支配下選手時代の年俸は全ての試合の出場義務や合同練習への強制などの義務が課せられている。
「そんなことを言わずに、時々でいいから尚美の我が儘に付き合ってあげてくれないか。」
幾ら目の前のプレイボーイと付き合っているのが嫌だからって、こっちに矛先を持ってこられても困るんだけどな。
「お父さん! もう止めてよ。そういうの。」
とりあえず契約書を書いて貰う。会員種別にプラチナ、金額に100万円と書いて渡した。
現金を手渡される。
ウチの球団はスカウトが現金を手渡すことは禁止しているが接待までは禁止していないから、このくらいの金額なら普通に財布に入っているらしい。
ヤッパリ、金銭感覚がおかしい気がする。人のことは言えないかもしれないけど。
こっちは現金を持ち歩きたくないので、ポケットに入れたフリで『箱』スキルを使う。
ああこれでミンティーくんが居なくなったら、また呼び出されるのは確実だ。志正の我が儘よりずっとマシだけど。
「君も逃げ出したらダメだよ。どこから逃げ出したんだい?」
犬は猫と違ってすばしっこくないから、外で出歩いていたら保健所に捕まって殺されてしまうことになる。
そんなことになれば悲しむのは尚美さんだろう。
思わずしゃがみこみパピヨンのミンティーくんに話し掛ける。
『翻訳』スキルで通じているはずだ。キョトンとしていたがおもむろにに吠えだす。
「キャン、キャンキャキャキャンキャン。」
(あのね。お庭の端っこに穴があるの。)
そして得意げに庭に出られる出入口に近付いていく。案内してくれるらしい。
庭に出られる窓に設置された出入口から、外に出られるらしい。僕は外に置いてあったサンダルを履いて後に続く。庭の周囲はネットに覆われ、外に出られないようにしてあった。プライベートドッグランのようだ。
ミンティーは玄関先に繋がる方向とは反対方向に歩いていく。周囲には壁があるばかりでそれとわかる穴などない。玄関先とは真逆の角の方向に進んでいくと壁伝いに張ってあったネットの外側に出て、壁伝いに玄関先に歩いていく。丁度、角にネットとネットのあわせ目があり、そこから外側に出られるようだ。
僕は慌ててネットとは別に設けられたら人間用の柵から玄関先に出て行き、ミンティーを捕まえる。
「ミンティーったら、そんなところから出たの。凄く賢いのね。」
窓から僕たちの様子を窺っていた尚美さんは声をあげる。そこは褒めるところじゃないです。
「そうだな。偉いぞミンティー。でも、そこは塞いでおくな。」
今川さんも続いて褒めると何かを取りに動いた。何か障害物を置いておくらしい。
「那須くんって、凄いのね。普通、警察犬でもそこまで通じないものよ。」
だから瑤子さん引っ付き過ぎですって。さらに興奮しているのかアレドナリン臭が強くなってフェロモンも多くなっている。
「そうですか? 飼い主さんとは通じている気がしますが。」
とりあえず警察犬云々は放置して、スッとぼける。これも大抵の人間には通じる言い訳だけど、『警察官』にはどうだろうか。
「ヤッパリ、この人に尚子を探して貰ったほうがいいんじゃない? 私が動くのは限界があるのよ。」
警察官が動くのは事件が起こってからだと言うし、事件がいつ始まるかといえば、この場合死体を発見したときだろう。
「だからいつもの旅行だよ。半年くらい平気で居なくなるんだから困ったもんだ。」
凄いな。半年も居なくなるのかよ。僕だったらそんな奥さん絶対に即離婚だな。
「違うって言ってるでしょ。今まで私に何も告げずに居なくなったことは無いの。もう1週間になるのにSNSにも応答が無いのは、おかしいって。」
彼女は尚美さんの母親の友達でもあるらしい。聞いているかぎり、親友みたいだ。
ペットに関する相談しか受けないと言っても無理なんだろうな。実際に志正絡みで徘徊老人を探し出したこともあったし。『警察官』に目を付けられるのは正直勘弁してほしいんだけど。もう遅いのか。
「あのう。またミンティーくんに何かございましたら、ご相談ください。それではこの辺で失礼します。」
こういうときはさっさと逃げるのが鉄則だよね。基本的には球団社長経由や球界の大御所関係で仕事が回って来ないかぎり、受けないことにしている。しかも、ペットに関わらない相談じゃあね。
「瑤子さんが可哀想だろ。那須よお・・・助けてあげればいいじゃねえか。前に人探しもやったこともあるだろ。」
ちっ。志正の奴。本当に何処でも誰でも女性相手なら誰でも優しいんだから、もしかして目当ては瑤子さんか。尚美さんよりも瑤子さんのほうが志正のタイプだよな。
しかも、瑤子さんが『警察官』だと気付いていないらしい。あれだけ球団社長に『警察官』に目を付けられるなって口を酸っぱくして言われているのに困ったもんだ。
「報酬がいるのね。流石に私の給料じゃあ100万円は出せないし、『身体で支払う』っていうのはどう?「瑤子さん!」」
この人、本当に『警察官』か。尚美さんも非難の声をあげているじゃないか。間接的に売春を働こうなんて何を考えているんだか。
そうか違法行為による請求はできないから約束を反故にするつもりなんだな。やりかたが汚いなこの『警察官』。伊達に年齢は重ねて居ないというわけか。
「流石に自分の母親の年齢の女性とする趣味は無いですのでご遠慮します。」
し、しまった。思わず禁句を口走ってしまった。瑤子さんの顔が強張る。
「お前、何を言っているんだぁ。瑤子さんに何処をどう見れば・・・警官?」
志正が視線を瑤子さんに持って行き、余計なことを口走った。なんてバカなんだコイツは。