第10話 ジャズダンスの部 その9
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「勇大氏が一番怪しいことには違いは無いのでしょうが、何か決め手に欠けるというか。まだ何かが隠されているというか。分からないですな。」
刑事さんの情報には雪緒くんが雪絵さんと真也さんの子供ということが抜けている。
被害者が雪絵さんに過去の関係をバラしたという証拠も何も無い状況下でそれすらも決定的な動機になりえないのでは勇大さんを容疑者から外してしまうかもしれない。
だがそのことを警察に言うべきか言わざるべきなのか。
事件解決が最優先なのはわかっているのだが、何分見たこともなく聞いたことも無い被害者というのが二の足を踏んでいる原因なのだろう。これが雪絵さんが被害者だったりしたら、スキルをドンドン使っているはずだ。
そもそも、僕の目的は殺人事件解決に僕のスキルは有効かだった。原点に戻ってやり直してみよう。
「事件現場を拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「構わないですが、あまり踏み荒らさないでくださいよ。」
刑事さんも僕が動くことで何か糸口が見つかるかもと期待しているみたいだ。実際に勇気くんが勇大さんの子供であることがわかったせいかもしれない。
この場では視覚が鑑識係が散々探し回った手がかりを見つけるとも思えない。聴覚で過去の音まで聞けるはずも無い。触覚はもちろんのこと味覚も論外だ。あとは嗅覚しかない。嗅覚に神経を集中して地面スレスレでゆっくりと鼻呼吸する。
ダメだ。事件当夜降っていたという雨が全てを洗い流しており、嗅いだ中で知っている人物といえば新田巡査部長だけだった。
発見したばかりのときならなんとかなるかもしれないが現場には何も手がかりがなさそうだった。
くぐり戸まで行ったところで新田巡査部長に止められたので正門側から回り込むことにした。そのまま壁づたいに正門に向かおうとしたところで嗅いだことのある臭いに出会った。
これは荻尚子主宰の臭いだ。それに僅かだが雪緒くんや多絵子さんの臭いもする。壁の瓦屋根に遮られて雨で臭いが流れてしまわなかったようだ。
家元の住居は正門横にあるので、稽古場に出向くにはここを通るのが一番早い。子供たちが親の顔が見たくなくて通るのは理解できる。だがこの屋敷の主人である家元が屋敷の中を通らずに、こんなところを通るのだろうか。
今、家元は海外で事件には何の関係も無いことはわかっているが気になるな。あとで次期家元にでも聞いてみるか。
くぐり戸の傍まで行くと事件の発見者の女性と女性の悲鳴を聞いて駆けつけた男性が立っていた。
「ワン。」
(こんにちは。)
「やあ。こんにちは。」
思わず挨拶を返して撫でてしまった。
シベリアンハスキーのようだ。こちらが喋りかけたのにそれ以上は話し掛けてこない。しっかりと躾がされているようだ。それでももっと喋りたいのだろう。僕と飼い主の男性を交互に見つめている。
「刑事さん。『ナスシン』じゃないですか。どうしてこんなところへ?」
僕は最近球界で『ナスシン』と愛称を付けて貰った。昔の役者と同じ名前が原因らしい。
それにストライクゾーンに入った球を体勢を崩しながらもホームランにしたときのスイングが役者さんの映画の殺陣シーンにソックリなんだそうである。
この男性はプロ野球を良く見る方のようだ。
「この屋敷のご主人が海外にいらっしゃるので代わりにダンススクールのことを取り仕切っていらっしゃってね。」
「ああ。アレよ。写真週刊誌に載ったじゃないの。このダンススクールの常務の女性と噂になっていたわ。あれって、どうなったの?」
こちらの女性は写真週刊誌で僕のことを知ったようだ。
「デマだったんです。これこのとおり、翌週の写真週刊誌に謝罪文が掲載されています。」
多絵子さんが知らなかったとき用に持ってきた写真週刊誌が役に立った。
「Ziphoneフォルクスは大変だったね。その分君は活躍できたんだから良かったのかもしれないね。」
その分、僕と社長のことを原清は恨んでいるんだろうな。半ば自業自得なんだが逆恨みされていそうで嫌だ。
☆
「それでは番頭さん手はず通りお願いします。」
僕はスマートフォンに呼びかける。途端に結構な音量の洋楽が流れてくる。
「被害者を発見されたときはこれ位の音量でした?」
「もうちょっと小さかったかな。」
「番頭さん。2メモリ音量を下げて貰えますか。」
僅かだが音量が小さくなった。
「ああ。これ位だったわ。」
実は鑑識が調査済みだった音量メモリよりも2メモリ上げておいたのだ。ユキエさんたちに聞いたところ普段はこれぐらいの音量にしてあるという。
おそらく被害者は夜間で和風の屋敷の中ということで若干メモリを下げたのだろう。というのが警察の見解らしい。
発見者は耳は良さそうだ。
「番頭さん。では初めて貰えますか。」
僕がスマートフォンを切るともう一度、初めから音楽が流れ出す。しばらく経つと音ともに足音が聞こえてくる。
次はターンのはずなのにターンのキュッという音の代わりに聞こえてきたのは悲鳴だった。
何をやってんだか。僕はスマートフォンでもう一度番頭さんに繋げる。
2人ともベビーパウダーが効きすぎて滑って転んでしまったという。量が多すぎたらしい。普段彼女たちはベビーパウダーを使わないので加減がわからなかったのだろう。
「ごめんなさい。もう一度やってもらうのでもう少しお待ち頂けますか。」
「何があったんですか?」
「実は被害者の近くにベビーパウダーの粉が落ちていたんですよ。それで稽古場に撒いて踊って貰ったんですけど、お願いしていた方が滑って転んでしまったみたいです。まあ、これで被害者が踊っている最中に襲われたのでは無さそうですね。悲鳴を上げたらここまで聞こえそうですからね。」
まあ怪我の功名と言ったところかな。
しばらくしてまた最初から音楽が流れだす。今度は悲鳴が上がらなかったところをみると転ばなかったようである。キュッという耳障りの音が聞こえない。
「どうでしょう。事件当夜、音楽と共に足音は聞こえましたか?」
「うーん。わからないです。多分ですけど雨音が周囲の屋根に当った音にかき消されたかもしれません。」
「お兄さんの家からは、音楽は聞こえましたか?」
シベリアンハスキーを共に来た男性に尋ねる。
「そうですね。微かに聞こえていた程度で足音がしていたかどうかまでは分からないですね。」
「ワン。ワンワワンワン。ワワン。」
(聞こえていたぞ。でもしばらくしたら、聞こえなくなったぞ。)
『翻訳』スキルが犬の鳴き声を勝手に言葉にしてくれる。
なるほど想定通りの回答が得られた。初めは被害者が踊っていたときのもので、途中から音楽だけが流れていたようだ。
おそらく犯人は1人、もしくは複数としても偽装を行なうほどヒップホップが踊れない人物だったことが考えられる。その点では雪絵さんと美名子さんは除外できそうだ。
またタップダンスとヒップホップも同じ教室で教えられていることが多いから、勇大さんや番頭さんも踊れそうだ。残っているのは全くの部外者くらいである。
被害者が音楽をかけたまま、何らかの理由で稽古場から離れて更衣室に入り被害にあったということが考えられる。
でも犬の発言じゃあ、誰にも信じてもらえない。どうしたらいいんだ。
☆
結局、発見者は足音が聞こえなかったのだろう。というところで落ち着き、警察はますます外部の人間の犯行という見方に傾いたようだ。
また凶器の庖丁の出所も通いのお手伝いさんの話では母屋のものは全て揃っていたそうで番頭さんのお宅や美名子さんのお宅の庖丁でも無いようだった。
「ますます昔、この屋敷であったという連続殺人事件に似てきましたなあ。」
刑事さんたちが帰ったあと、番頭さんがこんなことを言い出した。
家元に聞いた話では、三味線の家元が住んでいた30年以上前にも殺人事件が起きたそうだ。
三味線の家元には美しい娘がおりそこへ三味線の才能を持つ婿が入ったのだが酷いブサメンで指一本触れさせては貰え無かったそうだ。その男が後継者としての権力をたてに次々と女性と関係を持ったそうで、そのうちの1人が最初の犠牲者だったそうだ。
そのときも凶器は別のところから持ち込まれたらしく。この屋敷のどこかに埋められていたものが使用されたそうである。
「そのとき、家元が仰っていたんです。まだ、掘り出されていない凶器がこの屋敷のどこかにあるのでは無いと。」
「そのときの次の犠牲者はどういう人だったんですか?」
「家元は笑って教えてくれませんでした。」
確かに共通点は多そうだ。だが過去の事件なんてどうやって調べればいいんだろう。
警察に聞くのか?
一笑にふされて終わりだろうな。