第1話 犬と死体を見つけました
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「ちょっと待って。もう強引なんですね。」
膨れっ面の彼女も可愛い。何で志正の彼女なんかやっているんだろう。そんなに軽いタイプじゃなさそうなのに。
スキルにより向上した嗅覚を頼りに犬の臭いが強い方向へ家の中を進んでいく。
「あれっ。お嬢さま、こちらはどなたさまですか?」
奥から年齢不詳の女性が出てきた。玄関先で随分と喋っていたから、インターフォン越しで話した客とは思わなかったようだ。
とてもそんな年代には見えなかったが『鑑定』スキルでみると40歳代。彼女の母親の世代だったが母親が『お嬢さま』なんて呼ばないだろう。もちろん名字も違う。
うん?
『警察官』だ。『鑑定』スキルで見た職業欄が『警察官』になっていた。
これは厄介だ。普段なら僕のスキルを知られても信じないだろうし、スッとぼけて笑って誤魔化す自信はあったが尚美さんは知っている。口止めすべきだったかも知れない。
「瑤子さん。シセイさんの元同僚で那須さんって言うの。ミンティーくんを探して出してくれるそうよ。こちら父の知り合いの野際瑤子さん、家事を手伝って頂いているのよ。」
しかも尚美さんは彼女の職業知らないみたいだ。何かの内偵捜査だろうか、厄介なところに来てしまったな。まあ志正絡みだし、何かあっても球団社長に処理してもらおう。
あの人は財界のみならず、政界にも顔が利くみたいだから、何とかしてくれるに違いない。
以前、日米野球でアメリカに渡った時に大統領と仲良さげに喋っていたのをみたことがある。
「失礼します。」
挨拶をしてその女性の横を通り抜けようとして固まる。急に臭いが薄くなったのである。
「どうしたの? そんなに見つめられると瑤子困っちゃう。」
視線を合わせると職業と年齢に似合わない口調が飛び出してくるが気にしないことにする。見た目だけは尚美さんと比較しても親子ほどに違うようには見えないが本当の年齢を知ってしまうとちょっと引くなあ。
さらに彼女に近付いて臭いを嗅ぐ。やっぱり。この女性から漂う犬の臭いが一番強い。それとは別に何に興奮しているのかアレドナリンの臭いとフェロモンもプンプン臭う。
「あら強引なお方ね。」
何を勘違いしたのか彼女がすがりついてくる。『警察官』と知らなければ演技とは思わないところだ。
「瑤子さんっ!」
こちらも何を思ったのか、尚美さんが彼女を引き離す。痴漢行為でもするような男に見えたのだろうか。凄く傷付くな。
「もしかして、ミンティーくんはこの方に懐いていたんですか?」
「そうなんです。瑤子さんのお膝がお気に入りで最近良く一緒にお昼寝していました。」
おいおい、それじゃあ仕事にならないんじゃ・・・。
「夜もですか?」
「いいえ。瑤子さんは通いですので、普通に寝て・・・。そういえば夜居なかったような。その分、お昼寝が長かったのかな。」
犬が自由に出入り出来るところがあるらしい。
本当は愛用のタオルかクッションがあればいいと思っていたのだが愛用のお膝かよ贅沢犬め。仕方がないから、この人を連れて探しに出掛けるとするか。
「ごめんなさい。お、お姉さん、一緒に来て頂けないでしょうか。」
ヤバい。思わずオバサンと言いそうになってしまった。この年代の女性にとっては禁句だよな。
実はトラウマがある。見たことが無かった山田ホールディングスのアメリカ在住の社員を掃除婦と勘違いしてオバサン呼びしてしまい、烈火のごとく怒らせてしまったことがあるのだ。あれは怖かった。
後でその人が重役だと知り、暫く山田ホールディングスに行くときはビクビクしていたものだ。
「何故、瑤子さんを?」
「ええ、愛用品のお膝じゃなかった、自分の臭いが付いた物が近くにあったほうが見つけたときに寄って来ると思います。」
ヤバい。うっかり発言が多すぎる。客商売なんだから本音をポロポロ出すなって球団社長に良く言われるんだよな。気をつけないといけない。
流石に臭いを嗅ぐので傍にいてほしいとは言わない。
「瑤子さんじゃなきゃダメなの? 私も良くお膝に乗せているから、寄ってくると思うわよ。」
「そうですか。」
臭いを嗅ぐために近付いていく。尚美さんは嗅覚が敏感だと知っているので下から上へと臭いを嗅いでいく。やっぱり瑤子さんのほうが臭いが強い。
「ちょっと近い。近いって。」
目の前には真っ赤な顔の尚美さんがいた。もう10センチ前に進んだらキスが出来そうだ。志正じゃないんだからしないけど。
「お前ら、何やってんだ。何処かのバカップルみたいだぞ。」
何って、志正に対する嫌がらせのつもりだったんだけど効果が無かったようだ。尚美さんとも軽い関係らしい。まあコイツが本気になった相手なんて見たことが無いけど。
「じゃあ、尚美さんも瑤子さんも一緒に来てください。志正さんはどうする?」
「俺はこの家で待っているよ。居ても役にたたねえだろ。」
そう言うと思いましたよ。それにしても女友達のお父さんと2人っきりなんて嫌じゃ無いんだろうか。僕だったら、気まずいなんてもんじゃないけど。
まあ同じ球団の仲間だから大丈夫か。僕が気にしてやるほどのこともないな。
今川さん。すみませんが志正のお守りをお願いします。
☆
やっぱり外に出ると2人に付いていた犬の臭い拡散されてくよな。尚美さんは僕が一緒に行って欲しいと言った理由を知っているから横にピッタリくっつくのはわかるんだけど、何で瑤子さんまでくっついているんだろう。臭いを嗅ぎやすくていいけど歩きにくい。
「3日前から居ないんでしたよね。」
事前に志正が聞き出していた情報はこれだけだ。全く役に立たないんだから。
「そうよ。昨日、雨が降ったけど大丈夫?」
確かに臭いの痕跡は消えていた。そもそも風が吹けば臭いなんてものは飛んでいってしまう。地球上の空気は常に滞流しているので嗅覚に神経を集中すれば半径10キロメートルほどの臭いは嗅ぎ分けられる。さらに風下に立つと風上の臭いが流れてくるから、もっと遠くの臭いまで嗅ぎ分けられると思う。
僕は手を顔の前に持ってきて集中する。触覚でおよその風の流が読める。今はそんなに風が強く無いみたい。絶好の探索日和だ。今度は鼻に神経を集中して、ゆっくりと息を鼻で吸い込む。
「良かった。近くにいるみたいです。」
これが車で連れ去られていたりしたら、痕跡を辿るだけで一苦労だ。
「そんなのでわかるの?」
しまった。隣には『警察官』の瑤子さんがいるんだった。
「ええ、少しだけ嗅覚が鋭いんです僕は。良くいるでしょカネの臭いに鋭い人間とか事件の臭いに鋭い人間とか。僕は特にペットの臭いに鋭いんです。」
僕が良く使う正直にいいながらも誤魔化す方法だ。大抵の人間には効果があるんだけど、疑り深い『警察官』にはどうだろうか。
「いるよね。いるいる。」
『鑑定』スキルで瑤子さんの顔を見ながら聞いているが特に変化は見られない。流石に心の奥底の変化はわからない。少しアレドナリンの臭いがするから興奮しているのかもしれない。
「あっちの方向です。」
僕は指差しながら歩いていく。瑤子さんが身体を寄せてくるのでその小さな胸を押し付けるようになっている。歩きにくいなあ。
暫く歩いていくと一軒の家の前に到着した。
これはヤバいかも。犬の臭いに混じって腐敗臭が漂ってきた。犬が死んでいるわけじゃない。ちゃんと生きている犬の臭いだと思う。死にたてホヤホヤではない限り。
逆に死にたてホヤホヤなら腐敗臭はしないだろう。どうも、この家の2階から漂って来ているみたいだ。まあ人間の死体と決まったわけじゃないし、騒がないほうがいいよな。
犬が気付いて居ないといいなあ。警察犬や災害救助犬でも無い限り、死体が発する腐敗臭なんて解らないか。
「尚美さん。この家を知ってますか?」
「ここは端っこだけど同じ町内だからわかります。確か老夫婦とその娘さんが住んでいるはずです。」
確かにこの家の中からは女性2人と男性1人の臭いがするし、男性からは老人特有の臭いがする。奥さんは後妻さんなのかな。男性よりも随分若いようである。
それに老夫婦は寝たきりなのか動いていないようだ。
「知り合いですか?」
「顔見知りって程度ですけど。」
事件には巻き込まれたくないから、とりあえず犬だけを確保しよう。そうは言っても『警察官』の前で堂々と不法侵入は拙いよな。こういうときは正々堂々と正面から行くか。
とりあえずドッグカフェ兼ペット探偵の経営者と記載されている名刺を用意する。ペット探偵は仕事じゃ無いので普通の名刺には刷り込んでいないがこういうときに役に立つので刷ってある。
ペット探偵だけよりもドッグカフェ経営していることで信用度はぐぐっと上がるからでもある。
インターフォンのボタンを押す。カメラが取り付けられているタイプだ。下手をすると監視カメラもあるのかもしれない。まあ無いか。カメラや録画用のパソコンにネットワークストレージと沢山の機材が必要でとても年配の女性一人で取り付けられるものじゃない。
「こんにちは。ペット探偵をしている那須と申します。こちらに犬が紛れ込んで来ていると思うのでお庭に入らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
カメラに名刺と顔が映るようにして挨拶をする。
『えっ。もしかして、Ziphoneフォルクスのナスシンっ!』
インターフォン越しに声が響いてくる。
『ナスシン』というのは選手時代に付いた愛称で僕のファンの方はそう呼んでくれていた。どうも僕のファンは年配の女性が多いみたいで、昔の俳優さんの愛称をもじってつけられたらしい。ウチの母親みたいだ。
僕のファンらしい。それならば話し合いは上手くいきそうだ。
思った通り年配の女性が出てきた。キッチリ玄関の扉を閉めているところをみると2階にある腐敗臭を発しているもののことを認識しているらしい。
「わあっ。ホンモノだぁ。もう肩のほうは大丈夫なんですか?」
こっちも本物のファンらしい。僕の引退理由まで知っているみたいだ。にわかファンなら、そこまで覚えていないだろう。
「ええ。もうすっかり良くなって、普通に運動できるくらいまで回復しています。」
そう言って肩を回して見せる。実は引退する必要も無いくらい軽いものだったのだが僕の特徴である長打力と強肩が損なわれてしまったから引退したのだ。
貯金が出来ていたし、人生をやり直すなら若いほうがいいと思ったからでもある。ズルズルと40代でも野球をやりたいと貯金をはたいてトレーナーとかを雇って続ける先輩もいるが最後には惨めな人生が待っているとしか思えなかったのである。
それに子供のころからプロ野球選手になるのが夢だったので十分夢は叶っている。『超感覚』スキルでトップ選手の仲間入りが出来たというオマケ付いたくらいに感じている。
野球選手という意味で言えば、志正のほうが肝が座っている。何か理想像があるのだろう。そこだけは彼を尊敬している。他はグダグダだけど。
「すみません。お宅の庭に犬が来ていると思うんですが、入らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「わあ。本当にペット探偵をされているのですね。良く広報誌の対談に書かれていましたものね。将来ペットに関わる職業につきたいって。いいですよ。最近、犬の鳴き声が聞こえるのは庭に紛れ込んでいたからなんですね。そちらの方々が飼い主さんですか。」
コアなファンみたいだ。ペット探偵の真似は、球団の同僚たちのペットを探してあげたのが始まりだ。何件かは誘拐犯扱いされて嫌な思いをしたけど、それも良い経験だったと思っている。
対談内容はそういったペットを探してあげて感謝しています・・・みたいな内容だったように記憶している。その記事が評判を呼んで、野球界から持ち込まれる相談も未だに多い。
「そうなんです。今川尚美さんと瑤子さんです。」
「えっ。3丁目の今川さん?」
声のトーンが上がる。向こうは尚美さん家を良く知っているみたいだ。
「そうです。ご迷惑をお掛けしまして申し訳ありません。これつまらないものですがお受け取りください。」
尚美さんたちが粗品を渡して頭を下げる。
粗品は僕が用意したものでドッグカフェで売っているお菓子だ。犬や猫用の身体に優しい素材ばかりを使ったお菓子があるのだが、それを人間用に食べられるギリギリの甘さにしたものだ。ペットと同じものを食べるというのが高い評価を受けているみたいである。
初めは店内で僅かな量を作って売っていたのだが、球団社長に目を付けられてしまった。
同じレシピのものを山田ホールディングスの製造工場で安く大量に作って貰って、スーパーヤオヘーの高級店ブランド『ハロウズ』で売って貰っているが結構な利益がある。さらに最近はネット通販にまで進出しているのだ。
「ご丁寧にどうも。ああ、帰るときは声をかけなくても、か、構わないからね。」
そう言い残してそそくさと家の中に引っ込んでしまった。
何か突然、態度が変わったような気がする。高級店とはいえスーパーで売っているお菓子を粗品に使ったからだろうか。
時々居る高級百貨店の包み紙のモノしか受け取らないというタイプの人間なのかもしれない。