第2話 ジャズダンスの部 その1
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「ねえ。お母さんとばかり、喋ってないで此方も手伝ってよ。」
僕が尚子さんに入門のときの話を語っていたら、尚美さんに注意をされてしまった。拙い拙い。
「どうかしました?」
「聞いてなかったの? もう。」
尚美さんの膨れた顔は可愛いけど、最近怒らせると怖いということも知っているので小さくなってみせる。どこまでできているかわからないけど。
「ごめんなさい。」
「いいわ。あのね。今回の新人選手の振り付けはヒップホップが中心じゃない。でもチアリーディングにはジャズダンスもあればチアダンスもある。チアダンスのほうは昨年の新人選手がやった演技をやってみせたんだけど、ジャズダンスの模範演技は何か無いかな。これはやれそうに無いって振り付けがいいんだけど。」
なるほど、振り付けが難しくて音をあげたんだな。チアダンスのほうはポンポンを持って踊ってみせたのだろう。これは男として絶対に踊れない。僕は観客に受けたから、チアガールと一緒になって踊ったこともあったけど、同僚には引かれた覚えがある。
ジャズダンスもやや女性的な踊りなのだが振り付け方によっては格好良いものもあるから、より女性的な振り付けの曲を踊って欲しいのだろう。
それならば丁度尚子さんに語っていた話が、僕が入門した際に雪絵さんの振り付けをコピーしたところだったのだから、どんなんだったかやってみせればいいよな。
「わかりました。丁度いいのがありますよ。」
僕は自分のスマートフォンをフィットネススタジオのチューナーに接続する。曲自体は誰もが知っている曲だった。
おそらく発表会用に1回目のサビのところで終わるように振り付けられていたのだろう。踊り終わったところの曲の途中でスマートフォンの停止ボタンを押しに行った。
「どうかされました?」
尚美さんの様子がおかしい。
「これって真也お兄ちゃんが踊った振り付けじゃない。どうして、どうして、那須さんが踊れるのよぅ。」
涙ぐんでいる様子だ。
「そんなに似ていましたか?」
振り付け自体は尚子さんの手によるものなので彼女も一度は踊ったことがあるはずだ。だがそれに独自の解釈を加え、踊りを神の領域まで近付けたのがその男性の手によるもので、それを忠実に再現して見せたのが雪絵さんだったのだ。
あのとき、半ば冗談半分だったのだろうけど忠実に再現したことで雪絵さんも僕を通して真也さんを見ていたのかもしれない。
「似ている似ていると思っていたけど、真也お兄ちゃんが天国から舞い戻ってきたのかと思ったわ。」
なるほど彼女が僕に近付いてきた理由はそんなところにあったのか。僕の心の中で古いキズが蠢く。
でもそれは言い過ぎじゃないかな。真也さんのステージ写真を見たことがあるがバレエダンサーらしく繊細そうな体付きだった。僕の良く言って筋肉質な悪く言えばゴツゴツした身体とは大違いだったのだ。
「これは凄い。彼も今回の20周年記念発表会でソロを務めて貰っては如何かな。」
稽古場である能舞台の客席に座って見ていた勇大さんが褒めてくれた。プロのダンサーに褒めて貰えるとは思わなかった。
「いいえ。僕なんてただ忠実に再現できるだけなので、本物のダンサーたちに混じって演技をするなんておこがましいことは出来ません。ただ僕はプロ野球選手として今まで鍛え切れていない筋肉を鍛えるためにダンスを習いたかっただけなんです。」
これは本当だ。僕も野球選手として鍛えているのだからとダンスくらいと思っていたのだが、全く違う筋肉を使っていたのだろう。変なところが筋肉痛になったのだ。鍛えたりないと痛感した僕はこのダンススクールの門を叩いたのだった。
「そうだな。惜しいが25周年のときに特別ゲストとして踊って頂いたほうが他のインストラクターと軋轢を生まなくていいのかもしれないな。」
「えー嫌よ。私は彼と2人で踊りたい。私のソロの代わりに彼とのデュオを入れてちょうだいよ。彼と二人三脚で挑めばもっと高みを目指せる気がするのに。」
それは絶対に無理だ。完全にコピーすることは出来てもより良くすることができない僕の踊りでは滅茶苦茶になってしまうのが落ちだ。
しかし、気が強い女性だ。柔和な次期家元とは大違いだな。性格は父親に似たんだな。
「ダメだ。彼はプロ野球選手が本業なんだぞ。お前とみっちり練習する暇なんぞあるはずも無いだろう。」
それでも父親に叱られてシュンと小さくなっているところは可愛いものだ。
「そうね。でも今の演技を私と2人でやってみせるというのはどうかな。それなら特別ゲストとして追加できるでしょ。」
そこに物言いを付けたのは次期家元だ。
「えー、お母さんだけズルい! 私だって彼と踊りたいのに。」
母親と娘というのはある意味ライバル同士なのかもしれないな。ターゲットが僕以外なら微笑ましい光景なのにひたすら僕は右往左往させられるだけで終わりそうだ。
「それなら3人で踊ってみる? でもこういった曲と振り付けは貴女苦手だって逃げていたじゃない。」
「うん。私頑張ってみる。」
話がどんどん進んでいく。雪緒くんと勇気くんは揃って僕を睨みつけている。雪緒くんはお母さんやお姉ちゃんを奪われるみたいで嫌なのだろう。しかし、この2人仲がいいな。親友なのかもしれない。彼らが兄弟だという僕の直感はハズレだな。
「そうね。練習場所は球場の何処かを借りればいいよね。ああシンさんは一緒に踊ってくれればいいわ。他の振り付けの指導もそのときにしましょう。ダンサーが本業の私たちが合わせるのがスジよね。それでどうかしら。」
否応無しに決められてしまった。元々発表会の日はオールスターゲームの翌日の日曜日でオールスターに選ばれるはずも無い僕に取っては単なるお休みで見に行こうと思っていたのだ。
次期家元がスケジュールを合わせて教えてくださるというのであれば、僕には応じるしかできない。