プロローグ ~Ziphoneフォルクスの女怪~
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「うわっ。完璧ね。教えるところが無さそうだわ。」
尚美さんにそう言って貰えると嬉しい。
今日はマンションの商業施設に入っているフィットネススタジオ兼チアガール養成所にお邪魔している。球団社長から手伝って欲しいと依頼されたからだ。
毎年、Ziphoneフォルクスに入団した新人選手たちは試合に出場すると共にチアガールと共に試合の合間に踊るという義務が課せられるのだ。
毎年そうなのだが、自分たちは野球選手であってダンサーじゃないと言って愚図る人間が必ず出てくる。そういった場合、初年度に実際にやった僕にお手本を見せることややることの意義を説明する役目が回ってくるのだ。
僕の場合、視覚と聴覚に神経を集中させ講師に前方・右ナナメ後方・左ナナメ後方と3回お手本を示して頂くことで丸々コピーすることができる。講師の方々にはいつも褒めて頂いているが自分なりの解釈を入れ込もうとすると途端に踊りとなさなくなってしまう欠点がある。
昔はこの欠点を知らずに有名な野球選手の身体の動きを真似することで超一流選手の仲間入りが出来るかと期待したときもあったのだが臨機応変に身体が対応できず単なる人真似で終わってしまった。
「そんなことも無いですよ。初めの8カウント目の右腕の動きにシャープさが足らないでしょうし、最後のターンから始まる8カウントのところも溜めが足らないと思うんですよね。」
まあお手本を示してくれた尚美さんの動きもそうだったから丸々コピーした所為でそうなってしまったんだけどね。
「そんなところまでわかるのね。すぐにでもここでインストラクターができるわ。」
僕も新人選手のころ、そういう注意ばかり受けましたから。
「これって尚子先生の振り付けですか? 尚美先生の振り付けですか?」
「半分以上私が振り付けたのよ。何よ。不満なの?」
「いえ新しい振り付けだなあと思いまして。でも見ている人はわかるかな。」
あまり斬新すぎると球場に来るお父さんたちに覚えて貰えない。大抵、子供がお父さんに向ってやって欲しいと強請ることが多いと聞いたことがある。それに過去にどこかで見たことが無いと印象に残らない。
そこまで考えて尚子先生はいつもクラシカルで覚え易い振り付けを付けてくださるのだ。
まあ説得するのは僕の役目じゃないから他の人にやってもらいたい。
「元に戻してみましょうか?」
あれっ。あっさりと前言が翻った。インストラクターの方々はプライドが高いから、説得は困難を極めるものなのだが、前にも尚子先生の振り付けを独自解釈で修正したアシスタントが居て、元に戻してもらうのに結局尚子先生の鶴の一声が必要だったことがあったのだ。
もう一度、尚美さんに3回踊って貰い、コピーした振り付けを皆の前で踊ってみる。今度はシャープさも出たし、溜めも上手くいった。
「とにかく貴方がたの到達点はココよ。分かった? 引退した野球選手が3回見ただけで到達したところよ。現役選手である貴方たちなら簡単よね。」
上手い。現役選手というプライドをくすぐっている。今年の新人選手たちも目が輝き出した。
さらに僕がその意義を説明する。本題は如何にして観客を楽しませるかという部分なんだが、監督やコーチ陣の目にとまることや1軍選手と同じ舞台に立つということに意義を見いだす選手が多い。実際にそうやって1軍出場を果たした選手も多いのだ。
真面目に取り組んでいるというのは新人にとってどこの職場でも求められることなのだ。
☆
僕の出番が終わり、後は尚美さんのシゴキが始まる。今まで見てきたインストラクターの中で一番厳しい。1曲3分の振り付けを5回連続で休みなく練習させられるとプロ野球選手でもへたばってしまう。
「相変わらずね。いつも美名子が悔しがっていたことを思い出すわね。」
いつの間にスタジオに入ってきたのか尚子さんが話し掛けてくる。美名子さんというのは、以前尚子さんが主宰していた荻ダンススクールで専務を務めていた女性だ。
「美名子さん。お元気なんでしょうか。」
「知らないわよ。あれっきり連絡も入ってこないし、ダンスチームの主宰になったという話も聞かないから、辞めたんじゃないかしら。」
「もったいない気がしますね。」
「あの子はダメよ。ダンスのセンスもインストラクターの腕も良かったけど人に恵まれなかったわ。あれだけ居たのに手足となるべきインストラクターがろくに育てられなかった。もしダンスチームを主宰していたとしても自分が教えれる範囲が精一杯よね。しかも子供を育てながらでは無理ね。」
僕が初めて荻ダンススクールに入門したとき、美名子さんを含み4人の社員と20人を越えるインストラクターを抱えるチアダンスチームとしては日本でトップクラスの規模を誇る団体だった。
アシスタントを含めても100人規模というのは、一見少ないような気がするが有名歌手のバックダンサーでもそれだけでは食っていけないというこの業界において驚愕すべき規模らしい。
荻尚子といえば、多くの有名歌手の振り付けやツアーの演出を任されており芸能界にとってはなくてはならない存在で最近では映画の演出や振り付け、東京オリンピックの入場シーンまで手掛けている超有名人だった。
本人は決して表舞台に出ない人らしく。ホームページに載っている写真からしてそこらに居そうなオバちゃんだった。
ダンススタジオも六本木の一等地のビルにあり、それとは別に東京都心に屋敷を持ち、そこで社員たちがダンス技術の蓄積と研鑽に励んでいるのだということだった。
僕は当初六本木のスタジオで他の新人選手と共に美名子さんの指導を受けていたのだが、総本山を見たいという僕の好奇心と美名子さんの邪な意図により、この場所に足を踏み入れることとなったのだ。