第5話 ヒロインは誰なんでしょう
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「だから野際刑事を何処へやったんだ。」
「この男が妹を・・・。」
刑事局長が張り付くようになってから、僕に掛かってくる電話の詳細な情報を全て残してもらうように山田社長にお願いしていたのだが、ここ数日頻繁に掛かってきていたのがこの男のスマートフォンだったのだ。
「ナス嘘を吐くのもいい加減にしろ。警視庁には野際なんて女刑事は居なかったぜ。あの警察手帳はオモチャなんだろ。そう言えよ。」
なるほどコイツは瑤子さんを偽刑事だと思ったんだ。だから刑事を誘拐しようなんて企てたんだな。
「ヨーちゃん。こんなことを言ってますが調べられるものなんですか?」
刑事の名前が知られているといろいろ支障がありそう。
「ああ。我々も公務員として給料を貰っているのでそちらから調べればできないことは無い。それに暴力団たちも常に情報収集しているから、何て名前の刑事が何々署に居るかくらいは掴んでいるかもしれん。隠密任務を主体とした一部の刑事は偽名を使っているから、正確じゃないかもしれないが。」
「出来るんだよ。俺にはそういう知り合いも多いんだよ。」
公務員の情報を漏らす人間も暴力団も犯罪者だ。そんな知り合いが多いと自慢するなよ。ばかばかしい。
「残念ながら、瑤子さんは本物の刑事だ。それも警視庁捜査1課、課長 野際瑤子警視正殿だ。でしたよね。ヨーちゃん。」
「ああそれで間違ってない。」
「捜1の課長だ。警視正だ。テレビドラマじゃねえんだから、そんな女居ねえだろ普通。それに居たとしてもあんな若い女のはずがねえ。何かの間違いだ。」
僕も『鑑定』スキルが無ければ同じように思っていたに違いない。
「野際姓は珍しいからな。瑤子以外の刑事は居ないな。そうか野際という名前の若い女刑事で調べさせたんだな。この男は。」
「そうみたいですね。あの容姿を見てもうすぐ50代とは誰も思わないですよね。『お兄ちゃん』の深溝瑤太刑事局長を見て50代とは誰も思わないように。」
「それを言うな。それで苦労しているんだから。」
「フカミゾって、あの女が言っていた金持ちだという親戚じゃねえか。あの電話は刑事局長の家に繋がっていたのか! あの女騙しやがったな。」
イヤ別に騙してないよな。深溝家に取って総選挙前じゃなきゃ3000万円なんてハシタ金、妹さんの命と引き換えならポンとくれてやっても惜しくは無いに違いない。
「すみません。僕のミスです。この男のスマートフォンの番号を着信拒否してあるのをすっかり忘れてました。」
コイツが僕のスマートフォンの番号を知っているのは瑤子さんのスマートフォンに登録してあるものを見たのだろう。
「着信拒否だぁ。なんで俺のスマホの番号を知ってやがる。」
きっとコイツは着信拒否されているとは思わず、僕がスマートフォンを水没させて一時的に使えなくなっていると思い込んで店までやってきたんだな。
たしかどちらの場合も発信側には同じメッセージが流れたはずだ。
どこからか店にスマートフォンが置いてないか様子を窺っていたのだろう。それでも分からなくて空き巣に入って部屋を調べた。基本的に仕事中にスマートフォンを触らないからな。
「この男が覚せい剤使用と不法所持で捕まった際に一切の接触を禁じる通達が出たんですよ。そのときにZiphoneフォルクス全選手着信拒否にしようということになりました。」
「そんなことを考える奴は球団社長だな。あのヤロー何かにつけて俺を冷遇しやがって。」
☆
「第1機動捜査隊の出雲巡査部長です。お呼びでございましたか刑事局長殿。」
刑事局長の前に現れたのは全身筋肉質の大男だった。例のごとく警察官に対して原清の引渡しを命じたのに対し、千葉県警を通して指示しても刑事局長と信じて貰えず、仕方なしに引渡し先の警視庁から人を呼んだらしい。
「すまんが俺の身分証明とこの男の護送をお願いしたい。」
「ヨータ。またそんな姿で独自捜査か。身分証明の度に呼び出しやがって。」
彼は刑事局長の本当の姿を知っている人間のようだ。しかも随分と気易い関係とみえる。
「那須新太郎と申します。よろしくお願いします。」
「ああ瑤子さんの彼ね。聞いているよ。ふーん・・・瑤子さんの好みというより、ヨータの好みだよねこの身体は。」
なんか身体をジロジロ見られている気がする。昔もこんな視線を受けたことがあったな。あの時はアメリカ大リーグの選手だったかな。高校時代の部員にも居たし他球団にも居た。野球やっている奴には結構居たな。身体付きで人間の評価をしても仕方が無いだろうに。
「バカ。お前何を言っているんだ。」
へえ。ヨーちゃんが好きな身体ね。何も赤い顔をしなくてもいいのに。
「ヨーちゃんって、筋肉フェチ? そういえば着替えている最中に触ってきたもんね。」
時々居るんだよね。スポーツ選手を見ると身体に触りたがる男が。男が男に触って何が楽しいんだか。僕も良く球場で触られた覚えがある。
「ヨータ。お前まさか。」
これから警視庁の取調室で瑤子さんの居場所を白状させるらしい。悠長なことだ。
僕はその途中で降ろして貰うことにした。
「こんなところで降りて、どうするんだね。」
「この男の行動から瑤子さんの居場所を探ってみます。」
「お得意の嗅覚で探すのかな。」
瑤子さんから話が伝わっているらしい。まあ信じて貰おうとは初めから思ってないけど。
「もしそれっぽい建物を見つけたら、連絡しますね。」
「それなら、俺たちも付き合おう。面白そうだ。コイツの護送は後でもいいよな。それにコイツの反応によっては絞り込める。」
見世物じゃないんだけど。でも見られたく無いなんて言う雰囲気じゃないし、そろそろ失踪して丸4日になる。飲まず食わずなら瑤子さんの体力も限界に近いかもしれない。
「なんだぁお前ら本当に警官かよ。コイツの超能力なんか信じんのかよ。有り得ないだろ。」
球界でペット探偵の真似事をするうちに口コミで超能力者らしいという噂が流れていた。僕にとっては何のスキルも持たずに球界のトップ選手に居られる人間のほうがよっぽど超能力者だけど。
「うるさい。それならば、お前がさっさと白状しろ。」
「へっ。誰が喋るかよ。あの女を使ってナスを呼び出してぶっ殺す計画がおじゃんだ。あの女がしつこく身代金の話をしやがるから、ナスごと金を奪えば一石二鳥だと思ったのによ。しかも、身代金の要求をしたらそのスマートフォンはすぐに足がつくから捨てろだ。全部あの女のせいだ。あの女なんか干からびて死ねばいいんだ。」
なるほど僕が警察に密告したと思い込んだコイツは僕に復讐するために瑤子さんを攫ったんだ。
このままでは2人共殺されると思った瑤子さんは攫われたことを警察に知らせつつ、コイツに自分のスマートフォンで僕のスマートフォンに電話を掛けさせることでコイツの犯行だと警察に知らせようとしたんだな。
「ほう。瑤子は水も自由に飲めないところで拘束されているんだな。コイツの自宅で軟禁されている可能性は捨てるべきだな。」
凄い。ヨーちゃんがたったあれだけの情報で捜索範囲を狭めてしまった。
「この男は、今日午前10時31分この場所から向こうのほうに歩きながら僕のスマートフォンに電話を掛けています。この先には駅があるので、そこから電車に乗って僕の店にやってきたのでしょう。」
僕は山田社長から送られてきた情報をかいつまんで説明する。
「何故そんなことがわかるんだ。」
原清は先ほどの言動から情報を抜き出されたためか、覆面パトカーの中で黙り込んでいる。合いの手を入れるのは出雲さんだ。
「ええと何処かな。あそこに見える携帯基地局と向こうに見える携帯基地局がありますよね。」
もちろん携帯基地局の情報も携帯電話会社Ziphoneの副社長も兼ねている球団社長から送られてきているから、およその場所は分かる。あとは建物の上を『鑑定』スキルで探すだけである。
「ああ・・・あれかな。」
彼らは警察官だから携帯基地局がどんなものか知っているのだろう。僕が指を差した方向から正確に場所を掴んでいるようだ。
僕はこの男が辿ったと思われる道を歩く。
「この辺りかな。この男のスマートフォンが繋がっていた携帯基地局がこっちからあっちに切り替わっているんです。ですから、この男はこっちからあっちへ歩いていったというわけです。」
僕は後ろの方向から駅の方向へと指し示す。
「その情報と君の嗅覚は関係無いだろう。」
やっぱり僕の嗅覚のことを疑っているらしい。まあ初めて会った人間はそんなものだ。それよりもヨーちゃんがジッと僕のことを見ているのが気になる。
ヨーちゃんも喋る警察犬なんて言い出すんじゃないだろうか。
「まあ、ちょっと待ってくださいよ。僕もペット探偵みたいなことをしたことはあっても人を探したことは無いんです。だから、できるかぎり情報は全て集めておきたい。刑事さんの仕事でもそうですよね。」
「ああ、そうだな。すまん。続けてくれ。」
「そして、午前10時43分にそのコンビニエンスストアで買い物をしています。スマートフォンの決済サービスが使われていました。さらに日時を遡ると前日の午後6時5分にも買い物をしているようです。ちょっと行ってみましょう。」
覆面パトカーには運転手の刑事と原清を残して3人で入る。
「出雲さんすみませんが責任者の方を呼んで頂けませんでしょうか?」
「ああ買ったものを調べるんだな。」
出雲さんが店長さんに警察手帳を示して決済番号から買ったものを調べて貰う。
良かった店長さんが協力的で。ダメだったら球団社長にこのチェーンの本部に集められている情報から取り出して貰わなくてはならないところだった。スーパーヤオヘー関連だからできないことは無いはずだ。
「ほう。前日の夜は随分と多いな。朝晩と考えても最低3人分、いや4人分の食事はありそうだな。つまり、あの男の単独犯では無い可能性が高いんだな。」
「そうですね。焦って今日僕の店に現れているところを見ると、手伝って貰える期限があるのかもしれません。その後瑤子さんは放置されるのでは無いでしょうか。」
干からびるなんて言っているんだから。
「それは希望的観測だろう。瑤子に顔を見られた彼らからすれば殺すか。麻薬漬けにして売り物にするかのどちらかだな。」
冷酷なことを言っているが肉親である刑事局長の顔から表情が失われていく。
「では今日中に見つけ出さなければ、瑤子さんは・・・。」
今日の何時に帰る約束をしたか分からない。前日の買い物の時間からすると午後7時くらいだろうか。1時間でも遅れたら彼らは撤収するに違いない。そうなれば瑤子さんはもう手の届かないところに行ってしまう。
失敗した。
こんなことなら渚佑子さんにお願いして拷問して貰ってでも自白させるべきだった。
今からでもお願いするべきか。いや午後からは球団社長と何処かへ出かけているはずだ。世界最強とも言える彼女を球団社長のボディーガードから外すわけにはいかない。
ここは自分1人の手で見つけ出さなくてはならないのだ。
「那須くん。悲観するな。瑤子はきっと生きている。いまごろ仲間の男たちを手玉に取っているさ。」
しまった。一番心配しているはずのヨーちゃんに慰められてしまった。何をやってんだ僕は。とにかく全力を尽くす。それしかできない。
僕はパトカーに戻り、原清の胸元を掴む。
「おいダメだ。民間人の君が暴力を振るっちゃ。」
違うんだけどな。
「おい脱げ。そのシャツを脱ぎやがれ、脱がなきゃ破り取るぞ。」
僕の気迫に押されたのか原清は素直にシャツを脱いだ。
もう見た目とか気にしている場合じゃない。コンビニエンスストアの入口に戻り、シャツを鼻の傍に持って行き良く覚えこませて、来た方向の携帯基地局に向って地面スレスレを這いつくばって歩き出す。
「はっはっは。とうとう犬の真似を始めたぜ。人間にはそんな能力は無い。諦めろ。」
うるさい。
出雲さんもそう思ったのか。パトカーのドアを閉めに行く。
「おい。ダメだ。そこの男。動画なんか撮るんじゃない。公務執行妨害で逮捕するぞ。」
そりゃあコンビニエンスストアの前で大男が這いつくばって地面の臭いを嗅いでいたら興味を持つだろうし動画も撮るだろう。もうそういう時代になって随分と久しい。明日には球界の纏めサイトに『ナスシンの奇行』とかで動画が載っちゃうんだろうな。
まあ瑤子さんの命には代えがたいんだから仕方が無い。
全神経を嗅覚に集めながら地面スレスレに漂う一筋の糸を手繰り寄せるように鼻で吸って口で吐く動作を続ける。
よし掴んだ。
向こうの方向だ。
携帯基地局の位置に騙されるところだった。あのタイプの携帯基地局のエリアカバー範囲は半径3キロメートルほどあるので東西南北の大まかな方向はわかるが全然違う方向を進んできている可能性もあったのだ。
だから絶対に立ち寄ったであろうコンビニエンスストアを基点としたのだ。
「あっちの方向です。」
僕は立ち上がると掴んだ細い糸を離さないようにゆっくりと呼吸しながら歩きだした。
全神経を嗅覚に集中している所為で人とぶつかり易いからか、前方で出雲さんが交通整理をしてくれている。
☆
「瑤子さんは、この建物の3階に居ます。」
その建物は町工場と隣接して建てられた事務所で2階以上が住居になっている。
良かったこの分なら生きている。生きている瑤子さんの臭いだ。
「中には何人居る?」
ヨーちゃんは全面的に信じてくれたようで僕の嗅覚を頼りに聞いてくる。
「1階に男が2人。2階に男が1人。そして3階に瑤子さんを含めて女が2人ですね。」
想像したよりも随分多い。
「銃を持っている人間は居るか? 出雲見せてやってくれ。触るなよ。民間人の君が触れた途端、法律に触れる。」
「ああ。わかります。新田警部補がいつも吊ってらっしゃるので。」
「あいつもこんなところで役に立つとは。」
「左遷は止めてあげてくださいね。瑤子さんにとっては面白いオモチャだそうですので。」
ヨーちゃんに笑顔が戻る。
まあ新田警部補もそんな理由だと知ったらショックだろうけど。
「わかった。」
嗅覚を頼りに火薬とオイルと金属の入り混じったような臭いを探していく。町工場のほうにあるような気がしたが、あれは機械かなにかだな。
「1階の男が2人共持っているみたいです。」
「厄介だな。応援を呼ぼう。」
「そうですね。その間にちょっと周囲を歩き回ってきます。」
「気をつけろよ。君は彼らに顔がバレている可能性が高い。」
ああそうか。僕をおびき寄せて殺すのが彼らの役目なんだった。
僕はパトカーから離れて今度は聴覚に全神経を集中させる。
信用してくれている彼らに悪いが聴覚まで鋭いとは知られたくなかったのだ。
3階では瑤子さんに女が話しかけているけど殆ど返事らしい返事をしていない。折角、偽刑事だと誤解してくれているのだから、下手なことを喋ってバレたら何もならないからだろう。
2階では男が情報収集のためかテレビを見ている。しかもスマートフォンを操っている音がするということはスマートフォンでも情報を収集しているらしい。
1階では2人の男が下らないお喋りをしている。良く聞くと僕の殺し方の相談のようだ。いかに自殺に見えるように殺すか相談しているようだ。あまりの話の内容に背中に冷たいものが走る。
僕は歩きながら、視覚に集中して町工場の中を伺う。中は真っ暗だったがそんなことは関係無く昼間のように中の光景を映し出してくれる。車の修理工場だったようだ。
その中に1台の車が映し出される。これは動く車のようだ。これで逃走されては意味が無い。
そのまま町工場の中に入っていく。
車のぐるり周囲を伺っていくとトランクが空いておりアタッシュケースが開いた状態で置いてあった。拳銃が3丁と弾薬が入っていた。触れると法律に触れるんだっけ、まあ触れたと分からなければいいよね。
僕はその拳銃と弾薬をアタッシュケースごと『箱』スキル内に入れる。
車の運転席に回り給油口を開けると『箱』スキルから近隣の安売りスーパーで買った2リットルのミネラルウォーターを次々と注ぎ込む。店で使っているものだ。ああ勿体無い。
35本くらい注ぎ込んだところで水ばかりが出てくるようになった。ガソリンは水よりも軽いので既に溢れ出ている。手の上に溢れた出たガソリンの大部分は『箱』スキルに入った。これってどうやって取り出したらいいのだろう。
給油口を閉めて、足音を立てないように外に出る。意外とガソリンの臭いはしない空気中の粒子も全て『箱』スキルに仕舞われたようだ。ますます取り出したときにどうなるかわからない。
「そのマイナスドライバーはどうしたんだ?」
他には別に問題は無かったが町工場に落ちていたマイナスドライバーを『箱』スキルに入れずに持ってきた。
「万が一、応援が来る前に突入しなければいけないときにピッキングできるように持ってきました。それに武器にもなるでしょ。」
マイナスドライバーを隠し持っていただけで逮捕された例があるらしいので刑事さん公認にしておく。
「大丈夫だ。君とヨータは突入部隊には入れない。ヨータなんか入れたら解決するものも解決できない。」
そこまで言うか?
「ええっ。警察官って黒帯じゃ無いんですか?」
「警察庁キャリアが行くのは警察大学校であって、警察学校じゃないから必要無いんだ。一応持っているらしいが警察大学校では投げの型さえできれば貰えるそうだ。だから弱いぞ。君でも取り押さえられるくらいだ。押さえ込まれそうになったら試してみるといい。」
うわぁ。瑤子さんよりも最低な黒帯だ。
「出雲! 要らないことを言うな。那須くんを押さえ込むことなんか無い。」
否定するところはソコなのか。弱いことは事実なんだ。
「あっ。人が歩いてきた。僕が行ってきます。」
犬を連れているから説得してみよう。
「気をつけてな。」
どう考えても彼らが行くよりも僕が行ったほうが騒動になりにくい。
☆
「すみません。可愛い犬ですね。撫でてもいいですか?」
「うん。いいわよ。」
飼い主さんは30歳にしては少々派手な化粧をしていて有名ブランドの服やハンドバッグなどを身に付けていた。犬の首輪にもそのマークが付いているから、そのブランドが好きなのだろう。
「ワン。ワワン。ワーン。」
(私。可愛い。嬉しー。)
「スタンダード・プードルですよね。キレイにカットされていて愛されてますね。」
「ワン。ワンワン。ワンワンワンワーンワン。」
(私。愛されてる。好き好き私のこと好き。)
「そう君のことが大好きなんだ。この先に危険なところがあるんだ。引き返してくれるかな。」
「ワンワン。ワン。」
(危険危険。吠える?)
「お願いできるかな。犬笛聞こえる?」
僕は『箱』スキルから犬笛を取り出して聞かせる。
「ワン。」
(うん。)
「近くの仲間たちも伝えておいてほしいんだ。」
「あのう先に何が?」
いかんいかん。飼い主さんを差し置いて犬とばかり喋ってしまった。
うーん面倒だな。
「ゴメンなさい説明する暇は無いんだ。コレお詫びの印だから、プードルちゃんに後であげてください。」
そう言って試供品の犬用のクッキーを『箱』スキルから取り出して手渡す。
「ほら。回れ右してお家に戻って。」
そう説得すると犬が飼い主を引っ張っていった。やはりスタンダード・プードルは大きいから力が強いな。
「なんか犬ばかり説得していたように見えたが。」
出雲さんも細かいな。そんなにジロジロみないでほしいんだけど。
「知らないんですか? 動物って結構話が通じるんですよ。」
これも良く使う言い訳だ。実際に会話が多い家で育った犬は人間の言葉をある程度理解できる。さっきのプードルは『可愛い』って言葉に敏感に反応していたから、そう言われ続けたんだろう。
「クッキーを持ち歩いているのか?」
「ええ職業病ですね。パッケージには店の名前が入っています。」
「なるほど。」
「クッキーが欲しかったんですか? ありますよ。」
「ああさっきから腹が減ってね。でも犬用クッキーなんだろう?」
「いいえ。同じ材料で人間用のもあります。はいどうぞ。」
ポケットから出すフリをして『箱』スキルから人間用クッキーを取り出す。これはポーション入りの特別版だ。これから頑張って貰わなきゃならないからね。
「うん。上手い。それに元気が漲ってきたよ。やっぱり甘いものはいいな。」
まあ低下していた生命力が少し回復しただけなんだけどね。そう思いながら自分も口に運ぶ。まあ普通の人間用のお菓子に比べれば全然甘く無い。混ぜ込んだ芋の甘みのほうが強いように作ってある。
「よろしければ、『ハロウズ』に置いてあるのでお手に取ってみてください。」
もちろん『ハロウズ』に置いてあるのはポーションが入って無いやつだ。
「買わせてもらうよ。・・・ん、何か騒がしいような。」
「そうですね。」
実はイロイロ準備していたのは2階の男の様子がおかしかったからだ。スマートフォンを弄る手が止まり何処かへ電話していた。その中であのマンション名と原清の名前が出てきたのだ。
「マンションで暴れていた件の報道規制はしました?」
「あっ。忘れてた。」
誘拐の件は伏せられたがあの事件はそのまま報道されたらしい。
「じゃあ、コイツの名前が出ているんですね。・・・移送先の警視庁で取調べ中って出ています。拙いですね。」
スマートフォンにて『ハラッキヨ』で検索を掛けると既にネットニュースになっていた。元プロ野球選手というネームヴァリューを見誤ったんだな。
「おい待て。君は行っちゃだめだ。」
そんなことを言っている場合かよ。
何が何でも瑤子さんを助けるんだ。
僕は建物の外にあった階段を3階まで一気に駆け上がる。途中2階の男の後ろ姿と出くわしたが相手は丸腰だ。元プロ野球選手を舐めるな。
『箱』スキルから取り出した硬式ボールを相手に向って全力で投げ込む。多分130キロは出ていただろう。男のわき腹に当ったらしくて呻き声もあげずに2階と3階の間の踊り場で昏倒している。
アレ痛いんだよな。現役時代何度も受けたボールに思わず身が竦みそうになる。
そんな場合じゃない。僕はそのまま駆け上がるとマイナスドライバーを蝶番に差しこみ、一気に抉じ開ける。1階では拳銃の音が鳴っている。銃撃戦が始まったらしい。
もう一回下の蝶番にマイナスドライバーを差し込んで抉じ開ける。初めからピッキングをしようなんて思って無かった。そんな技術も無ければ鍵を破壊できるほどの握力も無い。
野球選手は握力が強いと思っていたのだが何の運動もやっていない友達に負けたときは悔しかったものだ。その友達はボーリングが趣味だったらしい。
後は差し込んだマイナスドライバーとドアノブを持って持ち上げて、『箱』スキルに入れて階段側に出して弾避けにしておく。流れ弾が当ったりしたら馬鹿馬鹿しいからな。
「何よ。アンタ。」
ドアの前では瑤子さんを羽交い絞めにした女がナイフを持ってスタンバっていた。瑤子さんは両手に手錠を掛けられており、足かせの鎖が柱に付けられていた。一応トイレは行けるらしい。他は何も無い部屋だ。
「正義の味方のヒーローのつもりですが。」
攫われた女性を助けに来たんだから、そう名乗っても構わないだろう。
「じゃあ私はヒロインね。」
ヒロインって年齢か?
「そこ首を傾げないでよ。」
思わず首を傾けていたらしい。
「ふざけないで。清をハメた張本人のクセして。」
「別にハメてませんが・・・なにか誤解があるようですね。」
「清に取り入ろうと犬を泥棒しようとして失敗したくせに。球団社長に取り入って清を追い出して、たかだかヤクぐらいで警察に密告して清の野球人生全てダメにして、貴方何様のつもりよ。」
ああ、あのときに一緒に居た水商売風の女性か。すっかり洗脳されてるな。これならば簡単に引っ掛かりそうだ。
「那須新太郎様と呼べ。バカな男と地獄までランデブーか。バカだろお前。男はもう捕まったよ。警視庁の捜査1課長を誘拐するんだぜ。もう一生刑務所から出られないな。」
ちょっと立て板に水で喋りすぎた。俳優にはなれないな。
「嘘を吐かないで偽モノなんでしょ。」
「嘘なんか吐かないよ。ほら。」
僕は国会審議中のニュースを見せる。そこには深溝刑事局長の名前が載っている。
「受けるだろ。あの男、刑事局長の家に電話したんだぜ。あまりにもバカすぎて。笑えるだろ。ほら笑ってみなよ。」
「清のことをバカにしないで!」
女が予想通り、ナイフを突き出してくる。そのナイフを野球で培い『超感覚』スキルでさらに上がった動体視力で右手の親指と人差し指で挟み取った。
「瑤子!」
僕が叫ぶのが早いか瑤子さんが背負い投げをしたのが早かったのか。体勢の崩れた女はあっという間に寝技に持ち込まれる。手錠の掛かった腕を上手く使った寝技だ。僕も気をつけよう。
だが少し強すぎたのか。女はあっさりと気絶してしまった。
「手錠を外すね。」
手錠を少し浮かせるとこれも『箱』スキルへしまう。足かせはどうしようかと思ったが。良く見るとロープで柱に結んであるだけだったので、ナイフで切断してこれも『箱』スキルへしまった。
「いいの。そんなに見せて。」
「ヒロインはヒーローの不利になるようなことを言わないものだろう?」
なんちゃって、少し格好付け過ぎかな。まあ瑤子さんのことは信用している。
「そうね。来てくれてありがとう。嬉しいわ。」
そう言って瑤子さんは僕に抱きついてきたのでしっかりと抱き締める。まあ少しくらい役得を味わってもいいだろう。
それでも無理矢理キスをしようとしてくるのはお決まりの行動パターンなので避ける。
「ゴメン遅れて。まさか瑤子さんを刑事と知っているはずのあの男が誘拐なんて企てるなんて思わなかったんだ。」
身体を離すと今までの経緯を掻い摘んで話した。瑤子さんは聞きながらその間に女を縛り上げている。
「兄が来ているの? しかもドッグカフェで働いていた? 私の居ない間になんでそこまで仲良くなっているのよ。」
「今、1階でドンパチやっているはず。そういえば銃弾の音が聞こえないな。」
その時だった。大音量エンジン音が響き渡り、町工場からあの車が出てくる。エンジンは掛かったらしい。仲間の前で車が止まるとドアが開けられ乗り込む。だが車はうんともすんとも進まない。
まあそうだろうな。水じゃあ車は進まない。後は相手が手を上げて出てくるのを待っていればいいだけだ。
それなのにヨーちゃんがポリカーボネート製の盾を持って車のほうに近付いていく。物凄い悪手だ。本当に突入部隊に向いていないらしい。
「あーお兄ちゃん! そんなに近付いたら危ないわよ。」
瑤子さんが大きな声をあげる。その声にヨーちゃんがこっちを見たときだった。車のドアが凄い勢いで開き、男が飛び出てくる。
ポリカーボネート製の盾ごとヨーちゃんは吹っ飛んでいる。
僕は思わず持っていたナイフを飛び出ていた男に向って投げつける。
銃声が鳴り響く。
ナイフは男の手に刺さっており、銃弾は反れたようだ。危ないな。それでもヨーちゃんはひっくり返ったまま動けないでいる。そこにヨーちゃんを庇うように出雲さんがでてくる。
ヤバイなんてもんじゃない。
「瑤子さんはゆっくりと来てね。」
僕は階段に立てかけてあった扉を持ち上げるとそのまま階段を駆け下りていく。途中何かを踏んでカエルの鳴き声を聞いた気がするが気にするまい。
僕はそのまま男に向って突進していくとこちらもカエルの鳴き声のような声を発した。そしてそのままヨーちゃんと出雲さんを庇うようにパトカーのところまで戻った。
「何をやっているんだよ。出雲さんも止めろよ。」
「すまない。助かった。だがその扉は何だ?」
「3階の扉を外した。瑤子さんの安全は確保したよ。後は男たちの投降を待つだけでしょ。なんでヨーちゃん。こんな簡単なことが分からないんだよ。」
これが全国の刑事を指導する立場の人間か?
全国の刑事がこんな無茶なことをすれば、死者だらけだぞ全く。
「だって那須くんの安全を早く確保しなきゃ・・・って気が逸って・・・すまない。」
瑤子さんじゃなく僕?
僕が民間人だから?
じゃあ仕方が無いか。
あっ。もう1人の男が車を出て逃げ出していく。
「出雲さんは、そこにころがっている男を確保して。ヨーちゃん。ポリカーボネート製の盾を借りるよ。」
「お、おい。ダメだって。」
ここまで来て一人も逃がせるかって。いろいろやっちゃった感は強いが考えまい。
ポリカーボネート製の盾を構えながら、僕はゆっくりと進む。
男は時折振り返って拳銃を撃ってくるがそれも僕の動体視力を持ってすれば盾をナナメにして弾を逸らすくらいは訳無い。
それを見た男は全力で逃げることに専念しだした。僕は『箱』スキルから硬式のボールを取り出して握る。ある程度走っていくと何匹かの犬の臭いが漂ってきた。犬笛を吹くとそれらの犬が一斉に吠え出した。
思わず硬直する男に僕はボールを投げつけるのだった。
☆
「なんでお兄ちゃんが此処にいるのよ。」
「取った休暇は今日までだったからな。瑤子こそなんでいるんだ。」
「あんなことがあったんだからって参事官が休暇をくれたのよ。」
「甘いな。警視庁って本当に甘いよな瑤子に。警視庁の刑事部長にもっと厳しく指導しなきゃならんな。」
「止めてよ。今でも十分に忙しくてシンに会いに来れないんだから。」
翌日の朝から店のカウンター越しに兄妹喧嘩が始まった。ヨーちゃんは律儀にも約束通りに今日もアルバイトに入っており、瑤子さんは朝からカウンターに陣取っている。
何故か瑤子さんの呼び方がシンに変わった。しかも瑤子さんも呼び捨てにして欲しいらしい。ご遠慮申し上げたけど。
あれからどうなったかというと全ての手柄を出雲さんに押し付けて事情聴取も受けずに逃げてきた。犯人達が多少おかしなことを言い出しても誰も信じてくれないだろう。警視庁に刑事さんたちの誘導通りの自白に納まると思っている。
ちなみに運転手役の警察官は銃撃戦のときに足に銃弾を受けて入院したそうだ。
「いい加減にしてくれないかな。そろそろキレてもいいかな。僕がキレると恐いぞ。」
少しおチャラけ気味に言ってみる。
「「分かっています。身に染みて。」」
逆に本当に恐がられてしまった。そんなに恐がらなくてもいいじゃないか。
「活躍したんです・・・ってね。」
それよりも尚美さんが恐い。何が気に入らないのか。物凄く刺々しい。
「い、いや。瑤子さんを見つけただけだよ。例によって僕の嗅覚でね。」
「そうなの? 私、こんな動画をみつけちゃった。」
尚美さんが見せてくれた画面に昨日コンビニエンスストアで這いつくばっていたところがバッチリと映っていた。やっぱりか。当分騒がれるんだろうな。
「しかも何よ。その指環は。」
「えっ。尚美さんはもう持っているよね。あのマンションに出入りできるICタグの埋め込まれたアクセサリだよ。」
尚美さんは球団社長に雇われている立場だ。そのアクセサリの持つ意味を十分に承知しているはず。理屈は良くわからないが、アクセサリさえ身につけていれば世界じゅうどこに居ても探し出せるらしい。
「そうじゃなくて、それを何で那須さんが瑤子さんに贈るのよ。」
「だって。もう二度と、その動画みたいに這いつくばった姿を誰にも見られたく無いんだよ。」
そう僕が言うと皆に呆れた顔をされてしまった。なんなんだよ。いったいもう。
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