公爵令嬢の前世の記憶と現実の差異
二度目の人生、どう言うわけか乙女ゲームの舞台となった世界に生まれ、何故かその中で傲慢女と名高い公爵令嬢と称されたエリシア・ロンバートは悩んでいた。
母譲りの紫紺の髪に父譲りの蜂蜜色の瞳、両親共に美形のお蔭で容姿はかなり整っているし公爵家に生まれたおかげで生活には困らず言うことなしの人生を送っていたと思っていたのだが、人生そんなに甘くはなかった。
成長するにつれ見なくなっていた前世の記憶と言う名の夢を久しぶりに見た所為だ。
煌びやかなオープニングが流れタイプの違う見目の良い男たちがたった一人の少女に手を伸ばし愛を囁く物語、中には多くの試練と妨害が織り込まれおり、少女はたった一人の心に誓った男と共に周りを認めさせていくシンデレラストーリー。
そのゲームの中でも最も面倒なのが女の世界だ。
少女を良く思わない者たち、少女を手駒にしようとする者たち、少女を邪魔に思う者たち、と一癖も二癖もある彼女らを納得させていくシリアスありのコメディタッチで書かれた裏ストーリー。
エリシアはそんな裏ストーリーの最たる壁、ある種のラスボスとして描かれている。
物語によっては死ぬ描写もあるが、この際それはどうでもいい。
問題はエリシアが物語のラスボスになる気がないと言うことだ。
正直それが運命と言うなら従うのも止む無しと受け入れるのだが、社交界のラスボスとなればエリシア自身も一癖も二癖もある彼女らを御さなければならないと言うこで。
そこまで想像してからエリシアはふっと笑みを零した。
(今日のお菓子は何かしら?)
初等部から通い慣れた廊下を友人であるミルフェの作ったお菓子を思い浮かべてふらりふらりと風に揺れる花弁のように歩いて行く。
冬が終わりに近づき春の日差しが廊下に差し込んでとても暖かい。
どこかでお昼寝をしても良いかも知れない。
淑女としては赦されない考えだが人間どこかで息抜きしなければ生きて行けない生き物だ、ここは笑って許して欲しい。
脳裏に過ぎった家庭教師の怒り狂った顔に謝りつつ目的の地に到着した。
既に来ていたのだろう、ミルフェが小さく手を振り呼んでいるのが見えた。
クルクルと巻かれた桃色の髪に青緑の瞳の小柄で愛らしいミルフェは学園に入学して以来の友人だ。親友と呼んでも良い時間を共有している。
「遅かったわね。お茶が冷めてしまうかと思ったわ」
「春の日差しが心地よくて、寝てしまいそうだったのよ」
ふふ、っと笑いあいメイドたちが用意してくれたお菓子に手を伸ばす。
「今日はマドレーヌね、ミルフェは本当に腕が良いわ」
「ありがとう。ちょっと味変えてみたの、わかるかしら」
ミルフェと二人だけのお茶会はいつも談話室を一室借り切って行っている。
偶には気兼ねなく友人とお喋りだってしたい、その想いを滔々と職員室の隅で話していたら二時間だけの制限つきで贅沢させてもらえるようになった。
「そう言えば、最近面白い話を聞いたわ」
「面白い話?」
「なんでもランドルフ様と最近入って来たご令嬢がお友達になったんですって」
「お友達?あのランドルフ様と?」
話題に上がったランドルフ・オルフェリスは四大公爵家の一つオルフェリス家の嫡男で女嫌いで有名な人だ。
学園に入学した最初の頃など、令嬢たちがこぞって傍に集まっていたのだが自分の周りにいる令嬢たちを毛嫌いし冷たく「邪魔」の一言で撃退していた。
おかげで今では近づこうとする強者はおらず、彼に好意を持っている令嬢は遠巻きに見てるしかない。
そんなランドルフ・オルフェリスが異性と友人関係になったとは、確かに面白い話だ。
「しかもそれだけじゃないのよ、トーリス様とも仲良くなってるらしいの」
「あら、トーリス様とも?」
トーリス・カナンジ、彼は伯爵家の次男坊で薬学に精通しており将来は有望な医者になると期待された少年だ。
こちらはランドルフのような女嫌いではなく逆に物腰柔らかな好青年で爽やかな雰囲気を持った令嬢にも人気のある人物だ。
同時に二人、しかも将来有望株で令嬢に人気のある子息と仲が良いとはなんとも敵を作りやすい構図。
エリシアはお菓子を食べながらその令嬢に勇気あるなその子としか感想を持てない。
「その令嬢、名前なんだったかしら」
「たしか、リリアンヌ・クライス子爵令嬢だったはずよ」
「リリアンヌ子爵令嬢……ん?」
名前だけは覚えておくかと軽い気持ちで聞いたのだが、エリシアは眉を顰めた。
何か引っかかるような、どこかで聞いたことがあるような、引っかかるものを覚え思い出そうと頭を悩ませるが、結局思い出せずわからず仕舞いだった。
ミルフェとのお茶会を終え、談話室を出ると話題に上がった件の男、ランドルフ・オルフェリスが歩いてくるのが見える。
その後ろにはちょこちょことミルフェよりすこし背が高い令嬢がついて歩いていた。
どうやら、噂の令嬢も一緒らしい。
ミルフェは扇を取り出し口元を隠して観察するように二人の様子を眺めている、どうもあの噂を気になっているようだ。
ランドルフ・オルフェリスが好きだとは聞いたことがないのだけど、もしかしてミルフェは秘めた思いを隠していたのだろうか。
「エリシア嬢、ちょうど良かった。話がある」
「話し?私にでしょうか?」
いつの間にか近くにまで来ていたランドルフが声を掛けてきたのでつい、身構えてしまう。
四大公爵家としての交流を持つ相手だが、学園での関係は一切持ってこなかったのにいったい何のようだと問いたい。
何を言われるのかと待っているとランドルフは後ろの人物を気にしてなにやら言いにくそうにしている。
エリシアもその態度に誘われてランドルフの後ろ、リリアンヌ子爵令嬢に視線を向けた。
視線が向いた瞬間リリアンヌ嬢の肩がビクリと跳ね怯えた仕草をみせる。
見えにくいがランドルフの服を掴んでいるようで、服に皺が出来ているのがわかった。
なぜ怯えられているのかわからずランドルフを見上げると無表情でこっちを見下していた。
「エリシア嬢、出来れば二人で話せないだろうか」
二人での部分で遠くの方から悲鳴が聞こえてくる、「そんな」「ランドルフ様が」「嫌ですわ」などの哀しみに暮れた令嬢たちの声に辺りを見渡せば柱に隠れているつもりでいる数名の令嬢たちが居るのが見えた。
どうもここでは人目があり過ぎるようだ。
「でしたらそこの談話室で、先ほどまでミルフェと使っていたので誰もおりませんわ。ミルフェ、申し訳ないのだけど話が終わるまで扉の前で待っていてくれないかしら?」
「構わないわ。心行くまでお話ししてちょうだい」
うふふっと楽しそうに笑うミルフェに見送られランドルフと出たばかりの談話室へ入る。
途中、もの凄く痛い視線を近くから貰ったが気にせず扉を閉めた。
談話室にランドルフと二人っきりになった途端、ピクリともしなかった彼の表情筋が崩れ瞳に涙まで滲ませて頭を抱えだした。
「どうしようエリシア、あの子全然離れてくれないんだけどっ!!何度冷たくあしらっても拒絶してもゾンビみたいに近寄って来るしなんか馴れ馴れしく名前まで呼んでくるんだ!」
「……あなた、いい加減その対人恐怖症克服なさいな」
「無理ムリむり!!あいつ等笑顔で人に擦り寄ってくる癖に裏で何言ってるかわかんない連中ばっかりだぞ!ほんっと気持ち悪いあり得ん」
「公爵令息の仮面被ってる時はマシになったのにねぇ」
誰が信じるのだろう、この情けなくもぷるぷる震えている男があのランドルフ・オルフェリスだと。
ランドルフとは同じ公爵家のよしみでそれなりに仲が良かった。
特に同年代の者がエリシアとランドルフだけだったこともあり、互いの家を行き来したりして友人としての仲を深めていたのだが、ある時ランドルフが泣いてロンバート家にやって来たことがある。
どうしたのかと心配したら、友人だと思っていた相手の本音を聞いてしまったらしいのだ。
その内容は何とも言えない稚拙な言葉だったが、純粋で気弱なランドルフの心を抉るには十分なもので一種のトラウマとして根付いてしまった。
それから想像が妄想となり妄想が恐怖となり、ランドルフは立派な対人恐怖症となっていた。
マシな相手が出来るのがエリシアと特定の一部の人間だけとなり周りの者たちはとても困った。
なにせランドルフはオルフェリス公爵家の嫡男、行く行くは家を継ぎ人の上に立つ存在だ。
しかも多くの貴族たちが通う学園ではそんな事言ってられない。
どうするかと頭を悩ませた末、何故かエリシアに声が掛かったのだ。ランドルフをもう少し人慣れするようにしてくれと。
何とも迷惑な話である。
「まぁ、良かったじゃない。あなたの冷たい態度にもめげない心の強い令嬢が見つかって」
「良くない!そんなの望んでない!」
「私の指南書を今まで実行してきたのでしょう?大丈夫よ人類みなかぼちゃ。心の仮面を被れは立派な公爵令息だもの、いけるいける」
「俺は、俺は、」
「それとも、好きな人でもいるの?それならまずその人と普通に接せれるようにならないといけないわね」
「俺はっ!」
「頭も悪くないし剣の腕も良い、落ちない令嬢はいないわよ」
「俺はエリシアが良い!!」
俯いていた頭を勢いよく上げてそのままエリシアの手を取ると涙で瞳を潤ませながら見つめてくる。
突然の展開にどう反応しようか思慮したものの、ランドルフの真剣なようすに冗談でも酔狂でもなく本気なのだと理解する。
「でも私。これでも王太子妃候補筆頭なのだけど」
「筆頭なだけで他にもいるだろ王子には!」
「あなたには私だけだと?」
「俺には、エリシアしかいない。エリシアだけが俺が唯一信じられる相手だ」
ぐっと眉間に力を入れ皺を作るランドルフは奥底にある気持ちを吐露するみたいに苦しげに話す。
握り込まれた手が痛い、赤くなって痕がのこりそうだ。
「私のことは好き?」
「好き、だ」
「それはどう言った意味?側に居ると落ち着くから?気兼ねしないから?それとも、肉欲込みでの好き?」
「にっ!?な、に言ってるんだお前」
カッと首筋まで真っ赤にさせて恥ずかしそうに口をもごもごさせるランドルフは右往左往と視線が激しく揺れる。
顔を覗き込んでジッと見上げると観念したのか視線が定まり見つめ返してきた。
「ランドルフ、答えて」
少しの沈黙の後、強い意思を持った熱の篭った瞳がエリシアに注がれる。
「……俺は、誰も信じられなくなったあの時から誰も彼もが打算でしか近づいて来ないんだと怖くなった。自分から泣きついた癖にエリシアもきっとそうだと思ったこともある。でもっ、俺がどれだけ情けない姿や泣き言を言ってもお前はいつも正直に思ったことをぶつけて来て、その言葉に何度傷ついたかわからない。それでも、俺にそんな風に言ってくれるのはエリシアだけだった、俺を奮い立たせるのも叱るのも、いつもエリシアがしてくれてた」
「公爵に頼まれたからだとは思わないの?」
「例えそうでも、エリシアはしたくないことにいつまでも付き合ってくれないだろう。父が頼んでいたとして言うべきことは言ったとか言って離れて行った筈だ」
ランドルフの言葉にギクっと肩が揺れる。
確かに相手がランドルフだったから公爵の頼まれごとも渋々ながらも受けた。
面倒だと思ったのにランドルフを見捨てるようなことが出来なくて、辛そうにする姿をどうにかしてあげたいと思ってしまったから。
それに、公爵に頼まれる前からずっとランドルフの泣き言を聞くのはエリシアの役目だった。
ここまで付き合ったのだから最後まで面倒は見てあげよう、だなんて理由まで探して。
「だからエリシア、俺を他の令嬢にやらないでくれ」
「……」
「俺を捨てずこれからもずっと側にいてくれ。俺の横でダメなところを叱って欲しい足が竦んでいたら背中を押してもらいたい。ずっと、死んでしまった後も共にいたい」
「ランドルフ、……死んだ後は考えさせて欲しいわ」
急に重くなったランドルフの想いに無情にも待ったをかけ首を横に振る。
死んでもずっと側にいるだなんてどんな夫婦だ熱すぎて火傷してしまいそうだ。
エリシアの言葉に傷ついた顔になったランドルフにでもね、と続けた。
「でも、これからの人生でそう思えたら、死んだ後も一緒にいましょう」
「え、エリシアっ!」
握られていた手を解かれ広げられた腕の中に閉じ込められる、触れる温もりが思う以上に心地よくて逞しい胸に頬を寄せた。
「ランドルフ、この事は早くお父様たちに伝えた方が良いわ」
「ああ。わかってる。直ぐにでも伝令を飛ばそう」
身体を少し離すと甘さを含んだ嬉しそうな笑みが返されエリシアは胸がきゅんっと鳴るのがわかった。
踵を上げ顔を近づけると同様にランドルフの顔も近づいてくる、時間にして数秒の触れ合いは幸せな気持ちにさせ胸がいっぱいになる。
談話室に入る前は固い顔をしていたランドルフが表情筋が壊れたのではと疑われるレベルで微笑みながら出てきたのでそれを見たミルフェは口を開けて驚き、リリアンヌ子爵令嬢は悔しそうに唇を噛んだ(柱に隠れている令嬢たちはまた悲鳴を上げたがロンバート公爵令嬢ならば、みたいな空気が流れていた)。
中でどんな話をしたのだとミルフェには問いただされたがエリシアが答える前にランドルフがミルフェに話しかけた。
「エリシアから話は聞いている。いつもエリシアと仲良くしてくれていると、これからもエリシアの事を頼んでも良いだろうか?」
「ええ、もちろん。貴方に頼まれるまでもないわ、と言いたいけれどそう言う事なのね?」
確認するようにランドルフに問うミルフェの瞳が鋭く光った気がする。
ミルフェの問いに黙って頷きエリシアに視線を動かすと見たことのない甘い微笑みを向けてくる。
つい、照れ隠しでその顔を手で覆いたくなるのをぐっと我慢して微笑み返した。
「ら、ランドルフ様!」
「リリアンヌ嬢」
「我慢なさっているんですよね?親に言われたからっだから――」
「リリアンヌ嬢、もしそれ以上俺とエリシアの関係を悪く言うなら黙っているわけにいかない。俺から彼女に求婚した。決して家絡みの求婚ではない」
「――どうして、そんな」
「申し訳ないが、あなたの想いに応える気はない。今後は声も掛けないでほしい」
顔を青くさせ方を震わせるリリアンヌ子爵令嬢はエリシアに視線を向けると睨んできたが、何も言わずに駆けて行った。
その後ろ姿を見送っているとエリシアの頭にハッとあることを思い出させた。
呆然とリリアンヌ子爵令嬢が駆けて行った方向から隣にいるランドルフに視線を動かし何度も瞬きをする。
エリシアの視線に気づいたランドルフが不思議そうに見返してから心配そうに窺っていたがエリシアはジッと見入って無意識に言葉を零した。
「メインヒーローその二」
「エリシア?」
名を呼ぶランドルフから視線を離しもう一度リリアンヌ子爵令嬢が走って行った方を向く。
「そしてあれがヒロイン」
「ちょっとエリシア?」
心ここにあらずのエリシアに残された二人はどうしたのかと心配そうに気遣っていると、ふっと笑い声が聞こえてきた。
「ぜ、全然顔が違う」
「は?」
「顔?」
エリシアの言っている意味がまったくわからず置いてけぼりを食らう二人を見ながら気づいてしまった事実に笑いが止まらない。
夢に見た前世の記憶、その全てに出てきた見目麗しい男性諸君、加護欲く誘われる愛らしい女性、全てがキラキラと輝いていたが所詮は絵(二次元)と言うことか、現実のランドルフは夢に出たランドルフとは違う容姿をしていた。
いや、ちゃんと似てる部分はあるのだが現実のランドルフはあんなにキラキラしていないしあっさりと人を受け入れるような性格もしていない。
どこに攻略対象者がいるのかと思っていたのに、まさかこんなに近くに一人いたとは。
しかも、長年気づけなかった自分も可笑しくて、エリシアは込み上げてくる笑いを我慢できなかった。
「ふふ、ごめ、んさない。ランドルフが私を選んでくれて嬉しくて」
「エリシア」
「それと、昔の事を思い出したら笑いが止まらなかったの」
「昔?」
「ええ。ランドルフの可愛かった頃よ」
「エリシアっ、何を思い出したかは知らないが。止めてくれ、恥ずかしいだろ」
慌てて口元に手を被せるランドルフにミルフェの瞳がキランと光りニヨニヨと笑みを作る。
前世の記憶なんて荒唐無稽な話しをするわけにもいかず、エリシアはランドルフに申し訳なく思いながらも尊い犠牲になって貰おうと心の中で合唱した。
前世と言えど記憶は記憶、しかも夢で見るだけならば事細かく覚えていることなんてあるんだろうか?
なんて思って出来た小説です。
私は夢を見ても印象深いところしか覚えてないんですが(起きたら忘れてるので)、みなさんはどうなんでしょう?