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覚醒する悪意

 両サイドをコンクリートに囲まれた路地を必死に走る男がいた。息を切らしながらも死に物狂いで疾走する。本人も気にしている短い足をムチ打って走る。しかしそのスピードは本人の思っている以上に遅かった。だがそれも当然である。彼は社会科教師なのだから。


「なんてツイてないんだ!」

 社会科教師――山木要一は息を切らし走りながらつくづく思う。私の人生は他人より幸せだった事が一度もないと。


 ちょっと前に市内に避難のお知らせがあったのは知っていたし、町が最近慌ただしいのにも気づいていた。しかし『所詮他人事だ』そう思っていた。だがそこはやはり私だ、さすがの私だ、本当にツイてない。

『人が人を襲う?』そんなバカな、せいぜいが若者グループのちょっと前に聞いた『オヤジ狩り』みたいなものだろう、どうせそうなんだろう? 大人があわててどうする。だから生徒(こども)に舐められるんだ。だから今の大人達は駄目なんだ。そう思っていた。しかし今まさに私が被害に遭おうとしている。その犠牲者になろうとしている。そして現実を知る。やはり世界は私を嫌って、いの一番に不幸の使者を届けに来ている。なんで神はいつも私に試練を与える!


 ギラギラとした異様な眼をした男が私を追いかけてきている。

「なんでいつも……私なんだ……」

 割を食うのはいつも私だ。世界はそういうルールで回っている。とても納得出来ないが何時もそうなのだ。

「誰かっ……ハァッハァ……助けてくれぇ!」

 運動不足の心臓が『限界だ』と悲鳴を上げる。

 なんとか発したSOS(エスオーエス)が誰もいない路地に少しだけ反響して消える。もう走れない。次の角で誰か、誰か助けてくれる人を見つけなければ――――。


 山木は知らない路地の角を曲がると、

「なんてこった……ここで私の人生は終わりか」

 社会科教師の目の前には行き止まりを示す不動(コンクリート)の壁が、絶望を後押しするようにそびえていた。でももう構わない。この辛かった人生。そこから、

「やっと解放される。今よりマシな所へ行ける。ここ以下の場所などあるものか」

 振り返り追跡者を待つ、ほどなくしてソレは姿を見せた。


 どこを見ているのか解らない赤い眼、20代の若者だろうか、誰かの血液が暴力によって返り血となり若者の服に付着している。普通じゃない状態の人間の普通じゃない格好。それを目の当たりにして――、

 怖い。やはりまだ死にたくない。こんな人生でも生きていたい。怯える。心の底から。震える。まだ生きたいと。心の底から。

「やめろ! やめてくれぇ!」

 山木は全身全霊を掛けて命乞いをする。

「か、金ならほら! すべてもっていってください!」

 財布を両手で差し出し頭を垂れ願う。頭をアスファルトにこすりつけ全力で哀願する。


 若者が近づいてくる。何も言わず「うぅぅ」と声をもらしながら、獲物を狙うように私に迫る。

「やめろ! 来るな! あっちへ行け!」

 もう終わりだ、どうせ何をしても殺される。私を殺した後に財布を奪ってもどちらにせよ彼にとっては変わらないだろう。順番が逆になるだけだ。それがわかっていながらも頼んだ。目玉が痛くなるほどに目を閉じ助かりたいと念じる。

(後生だから助けてくれ! こんなオヤジ殺してもつまらないだろう? 後味が悪いだけだ! そうだろう! 頼む頼む頼むお願いだ!)

「…………?」

 山木を襲う暴力は来なかった。頭を上げ見上げると、彼の姿はどこにもなかった。


「助かった……のか?」

 山木は拍子抜けしたように全身から力が抜けた。


 彼はどこへ行った? 私を見逃してくれたのか?

 ガクガクと震えた足に力を込めて立ち上がる。


 恐る恐る来た道を戻り曲がり角から首をだして路地を確認する。そこには静かに歩いて戻っていく赤い眼をした若者の後ろ姿が見えた。

(なんで? どうして助けてくれたんだ? 私があまりにミジメで情けないのを見て同情してくれたのか? 殺す価値もないとわかってくれたのか?)


「ま、待って! っください……」

 そういうと彼はすぐさまピタッと止まり、誰かを待つように突っ立っている。

 なぜ呼びとめたのか、自分でも『せっかく助かったのに何をしているんだ!』と思いつつ、好奇心は押さえられなかった。さっきまで確実に私は捕食される側だった。彼も完全に私を殺すつもりで追いかけて来ていた。

(何故だ何故だ何故だ。何故助けてくれたんだ? 聞きたい! 知りたい!)


 若者の正面に回り込んで顔を確認する。やはりどこも見ていない。さっきまで追いかけていた私に全く興味が無い。まるでさっきの事を完全に忘れ去っているように、なんの感情も湧いていない。しかしおかしい、私がこんなに顔を近づけているのに、イヤな顔もせず突っ立っている。普通なら『うぜぇ』だの『くせぇ』だのいわれて突き飛ばされそうなものだが……。

「す、すみません、行ってください」

 おずおずと言うと、彼は再び歩き出した。ゆっくりと亡霊のように、ただ歩いて行く。

(な、なんだこれは……どうなっている? もしかして私の言う事を聞いてくれたのか? そんなバカな……生徒ですら私の言う事には耳も貸さないのに?)


 彼は明らかに普通の状態じゃない。薬物でもやっているかのように、自分の意思がないかのようにボーっとしながら歩いている。

 私は確認するように意を決して再び「待て」と言ってみた。若者は命令を聞くように止まる。そして今度は「行け」と、私が言うと彼は再びゆっくりと歩き出した。

 しばし観察して彼の後をついて行ってみる事にした。しばらくすると彼は道端に落ちていた、朝帰りのサラリーマンが吐いたであろう、吐瀉物(ゲロ)を踏んだ。なんの躊躇も無く踏んだ。その後も犬の排泄物らしきものも気にせず踏み潰し乗り越えていく。普通なら少し避けて通れば済む事なのに、少し高そうなメーカーのバスケットシューズを履いているにも関わらず。ただ何かを求めるように動いている。そこに『食べ物があるから』『目的の場所がこの先だから』そこに何があろうと最短のルートを欲望のままに行くだけ。という感じだ。


 しばらく歩くと、車の行きかう道路に出た。私は「待て」、と声をかけ意思なき青年を道路わきに駐車しているトラックの影に止めた。

 信号が青になり車が行きかう。

「行け」

 と私が命令を下すと、青年はトラックの影から飛び出し、信号から十分に加速して走ってきた車に跳ね飛ばされた。

 あたりに通行人の悲鳴が飛び交う中、私は目の前で起きた出来事に息を飲み放心する。

(何故? 何故? 前途ある若者が私の言う事なんか聞いて自殺したのか? 何故? 彼に何のメリットが? 今日たまたま自殺するつもりだった? なら何故私を追いかけてきて殺そうとしたんだ?)

 疑問が多すぎる。解らない事が多すぎる。

(今話題の伝染病の影響? 何かの薬の副作用か? インフルエンザの薬? お約束の麻薬? 大人気のハーブか?)


「――なっ!」

 私は目を疑った。引かれたはずの彼が何事もなかったかのようにムクリと立ちあがった。そして若者を心配して寄って来た人間の首に噛みついている。それが当然の主食であるかのように、食らいついて食べている。

 再び上がる悲鳴、そして若者から離れようと逃げ惑う人々。かまれた人間が「やめてくれ!」と絶叫している。しかし彼はなおも肉を引きちぎらんばかりに噛みついている。

(誰の言う事でも聞くわけじゃない? 私の願いは聞いてくれたのに? 何故だ?)


 数分考え込む。


 しばらくすると若者に襲われた男性が静かに起き上がった。私は「待て」と声をかけ近くに行き襲われたスーツ姿の男性の目を確認した。

「同じ目をしている」

 意思の感じられない虚ろな目。若者と同じ症状だ。二人の目を確認し私は低く唸って悩んだ。そして少し理解する。可能性を思いつく。

(噛まれる事によって伝染していく病気?)

「まるでB級のホラー映画じゃないか……」しかし……、「私だけの命令を聞くのか?」


 もしそうなら、そうだとしたら……。


「おもしろい事になって来たじゃないか」

 社会科教師は舌舐めずりしながらニヤリとして、「もう少し実験してみよう」と、二人を従え歩き出した。


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