キリンとの生活 ――時の流れ――
街が慌ただしくなり、とうとう避難警報が発令された。
俺の場合は通ってる学校に避難することになるだろう……。
でも、俺は……。
ガレージのバイクの前で悩み立ち尽くす。しかし俺はほぼ覚悟を決めていた。強制的に連れて行かれるのでない限り、家に残ると。
誰かの走ってくる足音が聞こえ、背後で立ち止まった。それは恐らく――――、
「タイガ、聞いたよね? 準備したらいくわよ」
有無を言わせぬキリンの声が聞こえてくる。
「…………、」
「なによ……。また『アレ』? こんな時にもう!」
怒ったようにドスドスと俺に近づいてくる。
「違うよ、俺、行かないから」
その言葉にキリンは立ち止まり、背を向けたままの俺に言った。
「はぁ? なんでよ、『噂』しってるよね? 避難してみんなと居た方が安全よ」
「コレ、置いてけないからさ」
バイクを指さし、低いトーンで俺は告げる。
「コレってリュウさんのバイク? 噂の『狂人』ってバイクも襲うの?」
「それは初耳だな。そうなのか?」
「なんで聞いてくんのよ……。もしかして盗まれるとかが心配なワケ?」
「いや、そうじゃなくて、たまにエンジンかけないと機嫌悪くなるんだよコイツ。下手するとまた修理が必要になっちまうし、それにもしかしたら――――」
言葉を終わりまで言えない俺に呆れる様に、
「そんな事いってる場合? いまはなにより安全でしょ?」
「……、」
「バイク以外にも……何かあるの?」炭酸が抜かれたように、勢いを弱めた言葉でキリンは続ける、「まだ……待ってるの?」
「俺は………………、」
キリンは俺を心配してわざわざ来てくれた。その事は素直に凄く嬉しかった。
だが、キリンは俺の気持ちに気づいているのだろう。俺の未練と、ずっと持ち続ける儚い希望を知っているのだ。自分が言わなければ俺が避難しない事も解っているのだ。だからいつものように力づくで、強制的に連れて行かないのだと思う。
長い沈黙。キリンは待ってくれていた。
二の句を継げない俺に、キリンは勢いを取り戻し、一気にまくし立てる。
「仕方ないわね――――。じゃぁしばらくは一緒に生活してあげる。アホタイガ一人じゃ一日で干からびた何かヘンな存在になっちゃうもんね。そうしましょ」
言われた事の意味がわからず俺は一瞬キョトンとしてしまった。
「はぇ? キリンさん一体なにお? おっしゃっているのでござ――――」
キリンから飛び出した予想外の言葉に一瞬凍りつき、錆びついたようにギギギとぎこちなく振り返ると、既にキリンの姿はガレージから消えていた。
あわててガレージを飛び出しキリンの家に視線を向ける。ヒロインはウキウキとした何か楽しげな祭りでも始まるような笑顔で家の中にはいって行くところだった。
「お、おい?」
俺は、オロオロとこれから巻き起こる暴力と絶対の支配に心が軋む音を聞いた。
夕暮れの終わり際、闇の到来に俺は不思議な寒気を感じていた。
その一時間後、額に汗を浮かべたキリンがなにやら色々な荷物をもってウチの玄関に登場した。
「引っ越しかよ」
俺は素直に感じたままツッコミを入れた。ありったけの夢でも詰め込んで来たのかと思ったからだ。その刹那、さっそく人体急所の顔面ど真ん中に先制パンチをお見舞いされた。
そこはまさに正中線。触れては行けない末魔である。それも当たったのはキリンのパンチだ。ゴリラのような剛腕からクリ出された一撃は、俺を天に帰すに十分すぎた。
そして――――俺はっ!
目の前に広がる花園に、俺は目を奪われた。何か妖精のようなものが、楽しげに歌いながら川岸を飛んでいる。
そして俺は決意を固めた。
いつだって、どうしてもお前が原因だったけど、いつか必ず戻って見せる。
この懐かしくも美しい地球へ、必ず帰って来る!
そして――キリン――――話してやる! 聞かせてやるよ! 俺の武勇伝をな!
「長いんだけど?」
「ごめんなさい」
殴られたのは俺なのに、何かうんざりしているキリンに謝った。
俺はまず今日一日をすら生き残れるだろうか?
痛む鼻をさすりながら、避難しなかったことを早くも後悔しはじめていた。キリンから避難するべきだったのか、と。
さすった手のひらに血が付いてないか確認すると――、
「出てないわよ」
――即座に否定された。
夜になり、不吉な月が出た頃。
キリンが作ってくれた晩御飯を食べ終わった後、俺は歯の間に詰まった物を取りだそうと爪楊枝で格闘していた。するとなにやらギラギラと目を輝かせたキリンが力強く切り出した。
「ねぇ、どうだった?」
「んあ? なにが?」
「あたしが作った晩御飯よ。どうだったの? 美味しかった? それとも……美味しかったわよね?」
「一択なのかよ」
「感想、聞いてんのよ」
ジト目で睨むように言う。
「おいしかったんじゃんねぇの?」
「そう? 遠慮してない?」
遠慮しなかったら何か飛んでくるだろうが。また異世界に転移したらたまらん。いや、まだギリギリ転移してないけど、そろそろしちゃいそう。
しかし普通においしかったと思うが。『生姜焼きなんか誰が作っても同じだろう』とは絶対言わない。まぁそれすらも作ったことのない俺が言ったら、今日が俺の命日になるだろう。
「そっかそっか」パッと嬉しそうに表情に明るさを取り戻し、キリンが満足そうに言った。続けて、「じゃぁ皿洗いはお願いね、それくらいやんなさいよね」
「えー」と言う『え』と発音するための呼吸の段階でヒロインの表情が仁王のそれに変わる。「やります」と俺は頭を垂れ短く迅速に言い換えた。あわや大惨事か終末である。
何やら家から持ってきた荷物をガサゴソしているキリンを背に、俺はため息をつきながら皿を持って台所へ向かった。
そして頭の中で愚痴をこぼす、今や脳内だけが俺の安地だ。
めんどくせぇなぁ~コンビニの弁当とか、カップめんでいいのに、
と、渋々食器を洗い始める。
「じゃぁお風呂借りるわね」
その言葉に俺は食器を洗いながら凍りつく。そして首だけをキリンに向けて聞く。
おいおい! そりゃこのご時世コンプライアンス的にかくかくしかじかで色々アレだろ!
「んごっ! お、おい借りるって? ウチのか?」
「なにいってんのよ、当然でしょ?」
「どうかな~ウチのはどうかな~? どうなの?」
「いや聞かれても……ね。なにか問題あるの?」
「そうだお前のお眼鏡にかなう風呂じゃないんだウチのは! あ!そうだ超汚いから!掃除してねーし! くっせー! そうだったそうだった。いやすまん! あ! あと――、」
「もうホントしょーもないわねー。じゃぁまずはお風呂掃除ね」
なんでそーなるのっ?! なんでお前はそこまでウチで入りたいんだよ! どうすりゃいいんだこの状況はっ!
「じゃぁうちからお風呂掃除の道具もってくるわね」
いそがしいいそがしい、と言いながらキリンはお風呂セットらしき物をソファーに置く。全くタイガは……、と言ってそしてリビングから出て行こうとする。
俺はキリンにすかさずアドバイスを送った。
「ついでにお前んちで風呂に入ってらっしゃいよ!」
「あんたもしかして今までお風呂入ってないの?」なにか汚いものでも見ているように顔をしかめると、「これから先もお風呂使わない気なの? そんなの駄目よ。不潔すぎるから掃除しましょ」
これ以上の問答無用と言った感じでそういうとズカズカと玄関に向かい、家に戻って行った。
俺は何か悪事が見つからないかビクビクするような、不安な気持ちに苛まれた。そしてそんな時に限って時間はマッハで過ぎ去る。シミジミと思い知る、世は不条理であると。
数分後、家から掃除道具を持ったキリンが再度俺の家に上陸した。そして風呂場に入ったキリンが叫ぶように大声で報せる『なんだ綺麗じゃない』と言ってそのまま風呂に入り今なワケだが。
「………………」
正直モンモンとした妙な気持になる。先ほどの食事の時も、俺は気持を悟られないように平静を装っていた。だが、見知ったヒロインのエプロン姿は新鮮でドキリとしたのが本心だ。まるで結婚した夫婦のような感覚に陥ってしまった事も否めまい。ヒロインとは幼稚園からの腐れ縁ではあった。
しかしさすがの俺も体だけは大人だ、朝は何時も元気だし、それなりにアレもソレしている。今も時を経て日々成長しているのだ。、当然あいつも……。なわけで。それも共同で生活し、今まさにあいつは――――――な訳で。――――――――――。
「キャー!」
風呂場から突然、甲高い叫びが聞こえた。俺は急いで脱衣場に向かい、外から声をかける。はせ参じた家臣のように膝をついて、
「どど、どうなされた?」
「いたた、ちょっと滑っちゃって……だいじょぶだから……ごめん、大げさにさけんで」
「さ、左様でございましたか、無事で何よ――――り――――――」
俺はその時思わず掴んでしまったモノを見る。温もりが少し残るソレは、紛う方無きそれは下着、脱ぎたてほっかほっかほっかのそれはあぁぁぁすなわちパンツだった。
「こ、こりは!!」
すると、強烈なビジョンが――――――。
俺は記憶を封印した。これを知られた時、世界が終わり。時代が終わる。俺の17年に渡る生涯も終わるのだ。黒歴史、後に人はそう呼ぶ。主に俺が。