薄れゆく思い出
放課後。
自宅のガレージで、俺はバイクを見つめ思い出していた。
『いつか二人で一緒に走ろう』
そう言って兄貴はまだ俺が中型免許すら持ってない時から、俺のバイクを少しずつ組んでくれていた。
『兄貴と同じ奴がイイ』
『それだとだいぶ先になるぞ?』
『それでもいい。同じやつがいい』
バイクを組んでもらう立場で生意気にもそういった。兄貴と全く同じバイク。何故そこまで自分の我を通したのか、それは同じ条件で兄貴と張り合いたかったからだ。今思えば感謝こそすれ、文句を言える立場じゃなかったと反省する。
ガレージのシャッターを開け、バイクのエンジンをかける。アクセルを軽く絞ると、2ストローク三気筒のパリパリという甲高いエンジン音が鳴り響く。マフラーから吐きだされる煙が相変わらず凄まじい。だがこの単車にとっては、これが普通である。今のところ調子は良さそうだ。
兄貴は今も生きている。時々そう感じることがある。遺体が見つかってないのもあったが、不思議と匂いや気配を近くに感じることがあるのだ。
いなくなった人間を身近に感じた時は本当にドキッとする。けどすぐに懐かしい感じがしてくる。『五時になった。そろそろ帰ってくるんじゃないか?』と窓の外を見て期待する。あの独特の排気音が聞こえてくるんじゃないかと……。
でも家に飾ってある遺影が現実を突き付けてくる。俺はあの遺影が好きじゃなかった。いつも同じ表情で笑っている遺影が。この表情意外おもいだせなくなる。それがイヤだった。怒った顔や声も覚えているはずなのに。匂いだってあったはずなのに。時間が経てば経つほど、記憶が薄れて行く。そんな感覚がいやだった。いつか忘れてしまうのが怖かった。
『いまもこの世界のどこかにいて、またどこかで会える』
どうしてもそう期待してしまう。だから、今もたまに兄貴を連れて行ったバイクを温める。バイクが好きだった兄貴が、いつ戻ってきてもいいように。きっと喜んでくれる。と思う。
俺の『兄貴がまだ生きている』と頑なに信じる理由は、たぶん最後に喧嘩別れしたからだろう。せめて仲直りした後でなら……。自分をなんとか納得させる事が出来るのに。どうしてもそう思ってしまう。
バイクは事故の後しばらくして、兄貴の知り合いに頼んで修理してもらった。壊れた兄貴のバイクから、使える部品を取り、俺の組みかけ途中で動かないバイクの足りないパーツとを組み合わせ、一台が完成した。
未亡人製造機と言う不名誉な通り名で呼ばれた伝説的な500SS。当時、走る棺桶とも呼ばれた|化け物のようなスペック(クレイジーマッハ)。
今となってはその性能も平凡な物なのかもしれないが、俺はこのバイクが好きだ。しかし同時に兄貴を連れ去ったこの怪物を恐れてもいる。大型免許を取っても、たぶんこのバイクに俺が乗ることはないだろう。
俺にとってこのバイクはエンジンのかかる動く『形見』代わりだ。