大河と稀凛の事情
朝。自宅玄関。
休みたい。でもしかたなく玄関を出る覚悟を決める。少しでも寝ていたいし、面倒くさいから朝飯は基本ぬいている。
教科書などはほとんど教室に置いて来ているから鞄はほとんど飾りで軽いのだが、それでも体は二度寝したいと訴えていた。閉じそうな瞼を押し上げ、靴をサンダルのように引っ掛ける。
最小限の力でドアノブをこじ開け玄関に出ると、外は腹立つくらいに天気がいい。眩しい太陽の光を手で遮り――、
(雨だったら休もうかと思っていたのに、アマ○ツさんめ!)
――と謎の八つ当たりをしてみる。
「だるー」
「相変わらずアホそうな顔して……ひょっとしてアホなんじゃないの?」
声のほうをみずとも解る、隣にすむ鬼ーテールだきっと。我が家が異世界に転移するか、誰かがいつの間にか隣に引っ越して来たのでない限り……。変わらぬ危機がいつもそこにある。
そして今日もきっと蔑んだ視線を俺に向けているのだ。
「それにその目にかかりそうな髪、邪魔じゃないの? 切ってあげようか?」
指をチョキチョキさせながら俺を見上げて言った。『じゃぁ帰ったらやろうか』と俺の返事も待たずに決定しようとしている。
う~む、俺の事を考えて言ってくれているのだろうが、別に今の状態で困ってはいない。むしろキマってない? と自分では思っている。
キリンは少々お節介なのが玉に瑕だ。そこが良い所でもあるのかもしれないが。攻撃的な所を封印し、黙っていれば小さくカワイイ奴なのだが……。
小さいといっても160くらいか? だが小さいからと侮る事なかれ、その筋力たるや15センチ程の身長差をものともしない凄まじいポテンシャルが秘められているのだ。この女体に。
「なに不思議そうな眼でみてんのよ……」それより、と「あんたちゃんとご飯食べてんの?」
学校への道を並んで歩きながら一本角の悪魔が俺を疑うように心配してくれている。
「鬼の目にも涙とはこのことか」
「ハァ? 喧嘩売ってんの?」
と言ってスネに強烈なローキックを叩きこんできた。数多の天使を屠って来た凶悪なまでの一撃。その直撃を受け俺は死んだ。なんと死んでしまった。早くも俺の人生は幕を閉じてしまった。17年間の人生が、一人の悪魔によって、唐突に。無慈悲に。終わる。俺の人生はここまでか……。そして……俺はとうとう異世界への門を叩いた。ワッショィ! という訳にはいかず生きて告げる。
「ちゃんと食ってるよ……霞を」
「ずいぶん間が空いたわね……。またなにかヘンな事かんが――って! なっ! あんた誰かつきあってんの? あんたみたいなゴミと? 誰よ! どこの星の人? 嘘でしょ! なんで! どうやって? どうして? どんな弱み握ってんのよ!」
教えなさい! と言って俺の首を絞める。万力のような力に俺は何も教えられなくなった。
駅前を行きかう人々が『何事か』とこちらを見ているのも気にせずまくしたてる。周りがざわつき出したのに気づくと、キリンは『パッ』と手を離した。危うく本当に異世界に転移してしまいそうだった。助かったぜぇ、イェィ。俺は今日を生きられる事に感謝した。
それにしても言い過ぎじゃないか幼馴染よ、しかもなんか勘違いしてるきがするが。
周りの目を気にしたのだろう、キリンが小声で聞いてきた。
「……教えなさいよ」
「ん? いやだから仙人の」
「せ、千人て……っ!? あ、あ、あんた…………あっ、なぁんだ嘘か……。ふぅ、妄想にしても酷いわよソレ。やらしいHゲームでもやりすぎたんじゃない? アホ!」
「うん、もうこの話題いいかな? なんか痛い。主に視線が」
「ま、いいけど。たまに家に帰ったタイガの両親が、餓死でもして遺体になったあんたを発見したら気の毒だからね」
そしてしばらく無言で歩く。あたりが不思議と静かになったきがする。俺たちの会話を続けさせようとしているかのように。
話を変えるかのようにキリンが切り出した。
「もうすぐ龍さんの命日だね」
心なしか寂しそうに言う。亡くなった恋人を想うように。思えばキリンは兄貴が好きだった。と思う。兄貴はバイク事故で死んだ。それはいい。嫌、よくはないが、遺体は見つからなかったのだ。
事故を起こした現場は激しいワインディングが続く断崖だった。『ガードレールにぶつかり、崖の下にある海に投げ出されたのだろう』と、気の毒そうに警察官は俺に教えてくれた。誰も悪くない単独の事故だった。兄貴が死んだ場所には、墓標のようにバイクだけが残されていた。
俺はそれを泣きながら家まで押して帰った。折れ曲がったフロントフォークが軋み、持ち主の死を悲しんで鳴いているように聞こえた。家に戻りバイクを乱暴に倒して、手近にあった工具でぶっ叩いた。力の限り当たり散らした。バイクに罪はない、頭ではちゃんと理解しながら、怒りをぶつけ続けた――。
「タイガ?」
心配そうに覗き込んでキリンが静かに言った。
「ん? あぁお前もしかして霞って女の名前だと思ってた?」
「は? 何いってんのよ」
と言って俺の脇腹をギュッとつねる。
「イテッ! やめちくり! ないちゃう俺様ないちゃうから!」
思い出した俺は少し泣いていた。俺も兄貴が好きだった。でもいつも何かで勝ちたいと思っていた。一番近くに、ずっと近くにいるライバル。それが兄貴だった。
優秀な兄貴を失って、うちの家族は壊れた。兄貴の死後、俺は少しでも期待されていた兄貴に近付こうと頑張ってはいた。けど俺は結局兄貴の代わりには不足みたいだった。『兄貴の代わりにはなれない』そんな事俺が一番解ってた。
今現在、両親はまだ離婚してはいないが、三人ともバラバラに暮らしている。もうかれこれ数カ月は会っていない。『父母は知らないが父母だけは俺に期待しているぞ』と言う感じで両親ともに競うように援助のお金などは送ってれる。だから食うに困ることは無かった。
ただ寂しいだけだった――。
「あの……さ、もしよかったらだけど……。しばらくどっちかの一緒の家に住む?」
えっ、と唐突なお誘いに俺は目を丸くした。(冗談か?)と思いキリンを見ると、真剣に俺を心配してくれているようだ。
「うちも今パパいないし……」すこし顔を赤らめて続ける、「なぁーんて、嘘! 嘘ね! 今の!」
「ていうか、まだパパって呼んでんのかよ。ぷぷっ」
無言でとび蹴りが飛んできたのは言うまでもない。『ぐぇっ』という言葉を残し、俺は今度こそ死んでしまった。さようなら我が街よ。
目を開けるとそこは、一面に草原が広がる地球にはないような光景が広がっていた。転移の原因はほぼ完全に間違いなく絶対に幼馴染だったけど、『俺は元気でやってくぜ』この世界、『エターナルアース』で……。そしていつかまた再び帰って見せる……。あの喧しい鬼が蹴りを入れてくる世界へ……。アデュー! これも嘘だ。
「ただいま」
「は?」
目の前でキョトンとしている榊稀凛の家もちょっと複雑だった、母親が不倫して出て行ってしまったのだ。詳しくは知らないし、聞かない。俺はその事には触れない。キリンは今でも両親が大好きだからだ。
キリンも俺と同じで寂しいのを我慢しているのだろう。それになんだかんだ言って、俺の事を一番心配してくれている。
口うるさいとはおもうけど、感謝しないとな。あと暴力も酷いけど……感謝――――?
そうこうしている内に学校が見えてきた。
「そして相変わらず校舎は無事だった」
「だから誰にいってんのよ……。もう怖いあんた」