「炎の記憶」30
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――男は雑踏に紛れて歩いていた。夜の闇には少々目立ち過ぎる白い服装。フードを目深に被り、顔を晒さないようにする徹底振り。しかし誰もが彼に興味を示さず歩き去る。
「――ああ。能力者でもない。異質だな、あれは」
その耳に当てられているのは携帯電話だった。口元が動いている事から電話しているのが分かるだろう。
「身を隠して最後まで見ていたが……“アレ”は一度だけ、俺と似たような能力を使っていた」
名称が決まっていない以上、そう呼称するしかなかった。小路に入る。先程よりも暗闇は広がり、数メートル先も見え辛い。いつもであればここにたむろしている連中が居てもおかしくないのだが、今日は嫌な程静かだ。
「……『機関』の手の者なのかもわからん。今更生体実験をしていようが驚きもしないが、それにしては存在が雑だった」
建物と建物の隙間。人一人通るのがやっとという幅の空間で、男は立ち止まり背中を預ける。随分と冷たい感触が背中を伝う。
「恐らく仲間が襲われていたのも“アレ”の仕業だろう。今の『機関』の能力者に命を奪えるような強い力を持った者はほとんど居ない。……そうだな、片手で済む数だ」
ローブの下から取り出したのは煙草の箱だった。ちらりと垣間見えた服装は、以外にも普通の若者のようであり、普段は世を忍んでいるのだと伺える。
「それと、もう一つだ。新たな能力者が……あれは何て言えば良いんだ?俺らのように強制的に引出された訳でもなく……」
真紅の炎。特殊な空間内を焼き尽くした膨大な力。塵すら残さない強烈なものだ。
「ああ、覚醒なんて言葉が良いかもな。ただあれが脅威になるかは判断のしようがない」
ライターから昇る小さな炎。彼にとってはあの力もこの程度のものなのだろうか。
「だが、野放しにしておく訳にもいかない。危険性の判断と、『機関』の人間に奪われてしまう前に行動を起こさなければならないな」
ゆっくりと煙草の先端に近付け、少し甘みのある煙を吸い、吐き出す。もくもくと立ち上る煙を眺めながら電話先の言葉を待つのだが、一向に返って来ない。
「無言、か。まあ良い。そっちは俺で試してみるさ。上手くやれば戦力の増強も出来るだろう。『機関』を叩きのめすのに数は多い方が良いはずだ。……それじゃあ、報告は以上だ」
一方的に通話を切り、空を見上げる。薄く曇った空だ。煙草の煙のせいかもしれないが。
「お前らの思い通りになんかさせない……必ず、俺らの手で……」
まだ半分ほど残っている吸殻を空中に放り投げると、指を鳴らす。燃え滓共々粉々に切り裂かれ、ほとんど何も無い状態で風に舞う。
「……さて、戻るか」
彼の足は再び雑踏の方へ。いつの間にか純白のローブは脱いでいるではないか。向かう先は、彼自身の日常だ――
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