「異能の世界」13
まるで夜になったかのような、否、もしかしたらそれ以上暗かった。今護の視界に入っているのは一面の黒。突然の出来事に驚き、疑問の声すらも出せない。ただ口を開いては閉じるを繰り返すのみ。
「どうして……また……!」
代わりに声を発したのはホワイトだ。その声は怒りに震えているようにも聞き取れる。その理由は定かではないが。
今、二人の目の前に突如として出現したのは蝕と呼ばれるモノだ。空間の亀裂から現れた生物――見た目がこの世界に於ける動物のそれに似ているから――。目的、経歴などは一切不明の怪物。
「良い?そこから一歩も動かなければ絶対に安全だから」
その怪物、蝕は表現するのなら蜘蛛に似ているだろうか。灰色の体に生える複数の足や、血のように赤い不気味な複眼。外観的に言えばとても不快感を与えるだろう。そして何よりもその大きさ。高さは一メートル程度。それが二人を取り囲むように数匹。恐怖でしかないだろう。いとも容易く木片に変更されたベンチがその脅威を物語る。
ひんやりとした空気が護の首筋を撫でる。どうやら視界が真っ暗闇だったのはホワイトがその小さな体で覆い被さっていたからのようだ。
護から離れ、握り拳を作るホワイト。その足元にはこの時期に似合わない純白の霜。舞い散る桜の花弁をも凍らせる冷気。
それに怯えてか、蝕は一切仕掛けようとはしてこない。口元の牙のような触角を擦り合わせて鳴らし、赤い複眼にじっと二人を映している。
やはり、意図は読めない。
「ど、どうするの……?」
「逃げる訳にもいかないでしょ。それにこの程度なら一人で――」
霜がうっすらと蝕の体の下へと伸びているのが護には見えた。そしてホワイトが足を軽く踏み鳴らすと同時、強烈な勢いで太い氷の柱が出現。蝕の体を中心から貫き、肉を裂く気持ちの悪くなるような音が耳に届く。しかし、血は出ていないようだ。
「ざっとこんなもん、かな……大丈夫?怪我は?」
「僕は特に――」
何も異常はない、と言いかけた瞬間の出来事だ。冷気を引っ込めて背中を見せたホワイトの後ろ。光を失ったはずの蝕の眼が怪しく輝く。それを感じ取った護はどうにかして伝えようとするが、遅かった。言葉を発しようと腹に力を入れた途端、目の前にあったはずのホワイトの体が横に吹き飛ばされたのだ。
氷で貫かれた体。そこから伸ばされた細い足。今は曲げているだけであるが、それを真っ直ぐ伸ばしたら、直撃する。
護は唾を飲み込み後退ろうとするが、その背後にも動かない蝕。こちらは正面のものとは違って目の輝きがない。だが、今の事例を考えると確実に動かないという保証はない。逃げ場は無かった。
不気味に光る眼は護だけを映している。何をするつもりなのか。口と思しき箇所から二本の触角が新たに伸びてきた。粘液のようなものが滴り落ち、地面を濡らす。ゆっくりと、護の体へと近付いて来る。
足は恐怖で動かない。それでもどうにか下がると硬い毛のような手触り。蝕の体だ。
「く、来るな……!」
食われるのかもしれない、と思った時。フラッシュバックする真っ赤な光景。残酷で、悲惨で、どうしようもないあの光景が。ここに再現されようとでも言うのか。掌が熱い。チラリと自分の掌を見ると人差し指が微かに切れている。痛み、熱さ、赤い、燃えるような――




