「壊れた歯車」27
運んで、届ける。たったそれだけだ。何の力も無い自分にだってそれくらいは出来るはず。恐怖や緊張、焦りが混じった感覚を生唾と共に腹の底へ。今、必要なのは一歩を踏み出す勇気。腕を伸ばし、純白の槍を掴む。軽いとは言い切れないが両手で抱え込めば動けない事は無い。
「くれぐれも無理はするんじゃないぞ。出来るだけ近くに寄って、渡すんだ」
「……わかりました」
力強く頷き、自身の腕に納まる槍に力を込める。ひんやりとした感触を胸に押し付け、そして何も考えず、ただ足を動かした。茂みに隠れつつ、聖羅の居る付近へ、走る。
「これを届ければ……きっと……!」
普段であれば整備されているはずの茂みだが、今は戦闘の余波でどこからか掘り出されたらしい大きな石や遊具の破片、木片が散乱して全力で走れない。だが護はそんな物は気にせず、目的を遂行するために進み、直ぐに目下戦闘中の聖羅のほぼ背後まで到達。大した距離を走った訳ではないが、元々運動が得意ではない護に辛かったらしく呼吸を乱している。目の前では人形が巨大な手足で地面を揺らし、暴力を振り撒く。それを華麗に避けながら攻撃を加える聖羅もかなり消耗しているはずだ。
響く音は体の芯すら揺らし、弾ける閃光は熱風を侍らせ。人間の域を超えた戦闘が、日常では起こり得ない事が、先程よりも近い距離で感じられる事に身を引きつつも、護は負けない。
「っ……会長!これ、持って来ました!」
息をこれでもかと目一杯吸い込み、普段滅多に出さない大きな声で叫ぶ。そんな事をすれば、聖羅だけでなく人形にも見付かるというリスクがあるのも忘れていた。
「紅野くん!?今は――」
後ろを振り返ってしまった聖羅。意識が戦闘から護へ向き、“招雷”によって防いでいた小さな攻撃は勿論だが、それよりも速く人形の振り上げた機械の腕が空を切り裂いて迫っていた。それを捌かなければならなかったのだ。
「間に、合わないっ……!」
握り締められた拳が聖羅を直撃。骨の軋む音が耳に届く程だ。そんな一撃を喰らってまともに立っていられる訳もなく、聖羅の体は見事に後ろへ吹き飛ばされた。
物凄い速度で過ぎ去る一瞬を、護はただ呆然と見詰めてしまう。気付けば聖羅の小柄な体が桜の幹に衝突して、ずり落ちているところだ。花弁が舞い散り、無情にも幻想的な空間を作り上げる。
「か、会長……!僕が、僕のせいで……!」
ようやく事態を理解し、槍を投げ捨てて駆け付ける護。冷や汗なのか涙なのかはわからないが、頬を伝う。どうして良いかもわからなくなり、とにかく倒れたままの聖羅を抱き起こす。
「んっ……この、くらいなら、まだ大丈夫……」
「でも、でも血が!」
完全に力を殺しきれなかったらしく、聖羅の腕は傷だらけで真っ赤な血も流れ出ている。服もかなり破れていて痛々しい姿だが、それでも彼女はまだ戦おうという意志を捨ててはいない。
「あれをどうにかしたら、しっかり治すから、問題ないわ……だから、取ってくれる?」
この状況下で、どうしたら笑顔を作る事が可能なのか護には理解出来ない。そこまでして、聖羅や大和が戦う理由も。機械の人形はその間も容赦なく進行を続けている。何が狙いなのか、そんな物は誰も知らない。その顔の中心にある赤い光源にはどんな意味が隠されているのか。護は、聖羅をその場にそっと寝かせると震える足を無理矢理動かした。
「ちょっと……何、してるの?」
「わかりません……ただ、僕にも何か出来るんじゃないかって……不思議な力なんて持ってないし、運動も苦手です……」
投げ捨てた槍を拾い上げ、ぎゅっと目を閉じる。構えた槍の穂先は小刻みに揺れていて、へっぴり腰。
「怖いけど、ここで逃げたら……人として良くないんじゃないかって……」
「そんな、弱い理由で……立っちゃダメよ!」
「弱くて、良いんです」
再び目を開けると、人形は既に組んだ両拳を高く上げていた。
「……僕は、見てるだけなんて――」
唸りながら落とされた文字通りの鉄拳は、落下と同時に土煙を巻き起こし、護のか細い声を掻き消す。