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第6話 覚醒偽乙女

 その後一ヶ月、大学生が終わっては浩文は会社に直行し、女声の発声練習と女の仕草について徹底的に叩き込まれた。


 普段からのスキンケアなども義務付けられ、体幹トレーニングや首を細くするためのマッサージも毎日することになる。


 かなりのハードな道だったと彼自身断言できるだろう。だが、あの変身について病みつきになりつつあった浩文は、素直に練習に従い、日々"女"になるために様々なことを磨いていった。


 化粧の最中、徐々に"女"と化す自分の姿に満足し、内心では取り返しのつかないところだと分かりながら、彼は迷わず進んで行くことにした。自分の姿に騙される誰かを見る事は、中々に楽しかったこともあろう。


 だが彼はまだ一つ、踏み出せずにいた。


 女装で、会社から出ることが無かったのだ。


 だからこそ、その言葉が一ヶ月経った後の日曜日に発せられた時は、覚悟しながらも避けたいと思ったのだった。


「外に……」

「そう。もう貴女は十分に"女"の必要なスキルを得たわ。そろそろ次のステップに出た方が良いんじゃないかしら」

「……」


 清香のその宣言を、深妙な顔持ちでまだ変身前の浩文で考え込む。


 確かにそろそろ人目に慣れることをしなくてはならないかもしれない。ある程度、会社の社員という身内の目線に慣れ、余裕を持ち成り切ることは完成した。


 が、やはり赤の他人の視線に晒され、社会の中に出るとなると、やはり話は別となる。未だにスカートは心細いし、恥ずかしさも比べ物にならないだろう。


「私も一緒に歩いてあげるから」


 ここで清香から助け舟が出された。それが意図されたものであっても、浩文には乗るしかならないのだ。


 そう言えば今日の清香は和服ではなく、目立つことのない洋服になっていた。恐らく最初から、今日浩文と街を歩くつもりでこんな格好をして来たのだろう。


 壁際で新作のアプリゲーを舌打ちしながらする社長を見れば、


「社長命令だ。行ってこい。飯代と買い物代は、経費で落としてやるから」


 どうやら、逃げようがないみたいだ。


 ここのところの騒動で潔さは嫌という程身についた浩文は、お手上げというふうに両手をあげるのであった。



 *  *  *  *  *



 エコーディオン(以下略)社があるのは横浜の繁華街の少し外れ、海に近い場所であった。


 警備会社を自称するこの会社だが、裏では法に触れるようなことを平気でするという噂もある。それほどに腕が良いといえばそれまでだろう。


 そしてもう一つこの会社の特徴が、超弩級都市艦「リーブティア」に多くの顧客を持つことであった。


 翔子の父、吉田松明(まつあき)は元々異世界からこの世界に来た最初期の移住者とされる。


 と言っても彼には特殊な異能を始めとした、この世界の人間と大きな違いを持っていなかったという。そのため、この国の社会に早くに馴染み、異世界の女性と結婚までしたというすごい人物なのであった。


 そんな彼が、自身の警護術と友人の力を借りて創り上げたのが、このエコーディオン社というわけである。ちなみに名前の意味は現社長の翔子ですら知らない。ただ彼女によるとこの名前が父がつけたものではないことだけは、この名前で会社を立ち上げた時の父の名前だけに対する不満から察したという。


 ともかくこの会社は社長と友人によって様々な技術を植え付けられた精鋭ばかりとなっていった。翔子自身、父直伝の古武術を使えるらしい。いつもは対して色気のない服を着て娯楽室でゲームやマンガの日々であるため、信じられないと思うが。


 ともかく問題は、この会社が横浜の繁華街のすぐそばにあることだった。


 今日は日曜日。人の多さはいつも以上にあり、それだけ人の目に浩文は晒されることとなった。


「…………」

(や、やっぱドキドキする……! っていうか心細すぎる……!)


 夏の始まりを思わせるような少し暑いその日、浩文は白のブラウス、チャコールグレイのミディのスカートを着ていたが、まずスカートが心細さの筆頭となっていた。


 足の動きと共にスカートの中に外気が忍び入る。ストッキングが太ももや膝の裏で微妙にすれ合い、股間が感覚が違うことも相まり、なんとも心細い。


(しかしさすがうちの技術班……こんなものを作るとは)


 現在浩文の男の証によるショーツのぷりっとした膨らみは有るが、それはいつも以上に小さく納められていた。


 彼のモノには被せるように、エコーディオン社(自称)技術班、アタッチメントの彼の自信作である「隠せーるくん」が装備されている。毛が無いおかげですべすべになっている場所に張り付いたその布が、膨らみが生理現象で大きくなることを防いでいるだとか。どういう仕組みかは分からないが、「異世界の技術が使ってある」と言われたら納得しざるを得なかった。


(ただ大きくなったらかなりやばいことになるらしいなぁ……生理現象とはいえ気をつけよ)


 ブラウスの辺りで揺れるパッドの胸も、いつもよりも敏感な気がする。視線がささるのだ。女性にしては妙に高い身長も、視線を集めることに一役買っているに違いない。


 胸が小さいなどと言っていたが、それでも胸が動く感触は十分すぎるほど伝わる。その度に胸を隠したくなるのだ。羞恥が加われば変わると言うのは、こういうことだろう。今は、この胸が視線という矢に射抜かれているかのようにも思えた。


 都会人というものは基本他人に興味を示さない。が、これだけ男の視線を感じるということは、浩文の感覚が鋭敏になっていることと本当に浩文が、身長のせいもあるだろうが、目を引く魅力的な"女の子"であることが理由だろう。


 それと同時に、心の奥底でこの感覚を楽しんでいる自分がいた。男たちはすれ違えば、浩文の顔、胸、脚という順にその視線を走らせる。中には露骨に、まるで舐めるかのように見る者もいた。


 自分は男であるのに、世の中の男の達は自分を"女"として見る。そのことが、浩文を自分が社会のさらに一段優位な立場にいるかのような錯覚をさせる。


 しかしそれでもまだ羞恥が勝るようで、彼の動作はまだもじもじしているものであった。


 下を向き、猫背となっている浩文を見逃す清香ではなかった。


「こら。歩くときは堂々としなさいって言ったじゃない」


 今まで横に、歩幅がどうしてと狭くなる浩文に合わせて歩数を調整していた彼女。すぼんでいた浩文の腰を彼女は後ろに引っ張ると、なぜか一度だけお尻を指で撫でるように触りながら、浩文の目の前で怒ったような言い方で立ち塞がった。


 清香も浩文と同じようなOLのような格好をしていた。その見た目から、ポニーテールとおさげの浩文、清香二人は姉妹のように通行人からは見られているだろう。


「貴女は背が高くてすらりとしているんだから。お尻も突き出し気味に、必要以上に小股にならないように」


 「身長の高いOLの妹が、少し身長の低い同じ姉に路上でしかられてしょげている」ように見えるその光景には自然に視線が集まり始めた。それに、更に浩文はもじもじと顔を赤らめる。


「けど……やっぱ俺これは……」

「めっ」


 強い口調だった。感覚が鋭敏になっている浩文はそれだけでいつもよりも大袈裟に反応し、心臓の鼓動が早くなる。


 苦し紛れに目を泳がせた浩文は、ふと横を通り過ぎた男性に視線がいった。


 恥ずかしさからだろうか。何故だがは自分でもわからなかった。浩文ら赤くなった顔で思わずその男性に微笑んでみたのだ。


 次の瞬間、確かに浩文の体の中の何かが切り替わった。今まで芽生えかけていた芽が、完全にその葉を茂らせるように。


 盗み見るような視線が、値踏みするかのような視線が、さっきまでよりも強く背筋をむずむずしたものを走らせるように感じさせた。それが間違いなく、何よりも気持ちよくなった。


 そして、通り過ぎる男の視線を予測したりして──要は楽しくなってきたのだった。


 同時に、羞恥を上回る何かが心の底から決壊し、溢れ出してきた。いつの間にか彼は、そんな男の視線に応えるように一生懸命すましたような顔を作り出していた。


 見られたくないのに、魅せたい。そういうジレンマに悶えているかのようだった。


 その様子を、清香は満足気に見ていたのだ。


 極め付けは、浩文が微笑んだ男の反応であった。


 とてもどぎまぎした感じの青年は、そのまま早足で通り過ぎたのだ。


 それが、浩文には楽しくてならなかった。


「……少し先にカフェがあるから、そこで話しましょうか」


 前を再び歩き出した清香に慌てて付き従うように、浩文はついていった。



 *  *  *  *  *



 カフェの窓際の席を取り、座り込んだ浩文を見て、清香はいよいよ快感を抑え込めなくなっていた。


 清香は女装というものが好きである。いつもとは違う視線、違う感覚は体を震わせ、なんとも言えないエクスタシーを感じさせてくれるのだ。


 そして同時に、"女"への可能性を秘めた男を、"女"へと昇華させるのも、彼女はたまらなく好きだった。


 輝きの全くない原石を美しい輝きを放つダイアモンドに変えるように、青臭い芋虫を美しく舞う蝶に変えるように、彼らが彼女たちに羽化する瞬間、清香はとてつもなく満たされるのであった。


 本来ならばここに彼女を座らせ、窓からの視線を足がかりに羽化を促す予定だった。


 それを、彼女は窓というバリア無しにやってのけたのだった。


 自分の窓に映った姿を一目見ると、スカート中を隠すかのように裾をちょっと引き下げるようにした。そして膝頭を合わせたまま、足先を揃えて斜め前方に置き膝から下を傾けるような形に落ち着く。


 そうして出来上がった座り方は、まごうことなく女の子の座り方であった。


 一瞬、水を運んできたウェイターを前にしてスーツの襟で胸を隠すような仕草をしたのも、ウェイターの視線をブラウスの膨らみに感じて無意識にしたのだろう。


 今は窓を見て物憂いな表情をしているが、内心では自身に視線を浴びさせる通行人達の反応を楽しんでいるだろう。すましてみるその姿は、いよいよもって本当の少女の顔へと化していく。


 彼はもう「見られる立場」であることに楽しみを感じ始めたのだ。


 いよいよ最後の手順だ。彼を、完全に彼女へと変える。"女の子"にする。


 清香は疼きを感じ、ショーツの感覚がおかしいことに今気づいた。


 それほどにこの瞬間を、待ちわび、興奮し、快感を得るために彼に全てを叩き込んだのだろう。


 まぁ今の浩文に優しい姉のように微笑んでいる彼女の思考を文字で表すのなら、


(何この子やっぱ可愛い。間違いなく上玉だわ。私より身長高いけど可愛すぎ愛でたい可愛がりたい真っ赤にさせて犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい犯したい──)


 ──こうなるだろう。


 翔子をはじめとする一部の者しか知らないことだ──清香。彼女は女装させ、女になるのにもさせるのにも、どちらにも興奮し、公衆の面前ですら及びかねないというド変態であった。


 そして、そのことをまだ浩文は知らない。


「──いい?」

「あっ、はい」


 優しく話しかけられて慌てて窓から目をそらし、浩文が小さいながらも確かな声を出した。まだ女声は練習中で自信がないのだろう。それも含めて、可愛い。清抱きたいくらい、可愛い。


 その欲望を、なんとかぐっとこらえる。


「いい加減にしなさい。貴女はいま女の子なのよ。『俺』じゃダメよ」

「え……いや……」


 恐らくこの羞恥心が失われたとき、自分の何かが決定的に変わる。彼自身、そう分かっているに違いない。


 だが清香は、間違いなく彼がそれを自分から乗り越えると信じていた。


「貴女は誰? 貴女は女。女の子。街の中を歩いて、男達の目線を向けられて、恥ずかしがりながらもそれに応える、まごうことない少女」

「………………女」

「もう、貴女の心の奥底を、思いっきりさらけ出してもいいの」


 びくり、と浩文は震える。


「──貴女は、誰?」

「あ……………」


 俯いた顔の表情は、どんなものなのだろうか。浩文自身ですらわからないに違いない。


 そして、


「…………わ…わた……」


 そして──


「わ、…たしは………」


 その瞬間、浩文の中の"ナニカ"が切り替わる。


 自身に自覚はない。曖昧なものだ。だが、確かにそれは切り替わったのだ。


 そして……。


「……わ、私は白文沙耶」


 その言葉は、意外にもするりと口から出た。なぜ、今までこの一言を言えなかったのだろうと、不思議でならないほどに。


 次の瞬間、"沙耶"は優しく微笑んで見せた。


「………うん……スッキリした…うん。もう大丈夫。ありがとう、お姉様!」


 「お姉様」という言葉に、一瞬清香の顔が惚ける。そして"沙耶"がしてやったりというように可愛く、意地悪くベロを少し出した時、清香は今までに感じたことのない快感が、体の芯を突き抜け、身悶えた。


「あ、ごめんなさい…お姉様だなんて……けど私、よくわかった…これが、清香さんの言ってた、女の子の気持ちになるこ……って。あ、あれ? 清香さん? 大丈夫?」


 ぷるぷると震える清香の尋常ではない様子に不穏な空気を感じた沙耶だったが、次の瞬間、顔を真っ赤にして、それこそまるで少女ではいられなくなってしまった乙女のように震える彼女を見て、何かあったのかと思わず沙耶は立ち上がった。


 上からの目線となった沙耶の目に、清香のスカートが目に付いた。別にそこにも目立つようなものが何もなかったら、そんなに目に付くことはなかったかもしれない。


 そう。"何もなかったら"だ。


「…………もしかして……」


 清香の朱色の顔と、沙耶の真っ青になった顔が、ひどく対象的だった。


「…………もしかして──!?」


 荒い息遣い。潤んだ瞳。上目遣いであらゆる男の心拍を高くするであろうその美貌。聞いた者の背筋を刺激するような色っぽい声で、清香は沙耶の恐れを蕩けきった顔を縦に振ることで肯定した。


「んなっ!?」


 この日、横浜の街のカフェにて沙耶という一人の"女の子"が生まれ、清香という一人の"女性"が光速を超える勢いで更に何万メートルも腐った泉に堕ちていくこととなったのだった。

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