第3話 乙女への大変身 〜ケショウノマホウ〜
「…………」
「…………」
「…………」
いつもより遅く起きることができる学生が起き始め、ニート達がいつも通りの遅めの朝を迎えるであろう時間帯。部屋の中の誰もが、言葉を発せずにいた。
この会社の全社員が集まるこの部屋。偶然全員この時間は外に出る仕事が無く暇だった為、暇つぶしに見世物程度で集まったはずだった。
が、そこにある物を見たあらゆる者が言葉を失う。
そこにはまごう事なく"乙女"がいた。
被らされた絹糸のように滑らかにできた特製の黒髪ロングのウィッグはともかく、マスカラとビューティによってボリュームアップされた目は黒曜石のような輝きと鋭さを秘め、桜色に色づけられた唇、うっすらと施されたファンデーションによって最早男と言われても信じられないどころか悪い冗談だと笑うであろうレベルと化している。
しかし、着ている服は男性服。もし、ちゃんと脱毛を施し女性服を着ればさらにその姿は生えることだろう。
「…………マジか…」
そこに完全に伊藤浩文の名残は無かった。少し伸びた感じの髪型と硬い髪質の髪の毛も、あまり大きくない目も今はもう見当たらない。その制作時間は一時間。とある人物のメイクの腕と変なところで発揮された素材の味が見事にかみ合った結果である。しかもこれで完成体ではないのだから末恐ろしい。
「──人生でこんな言葉を言うとは思わなかったですけど……」
一息置いて、何のこともない素の声で浩文は呟いた。
「これ……俺ですよね……?」
そして何故か歓声が上がった。
「「「「う……うォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」」」」
「はい!? 何この歓声!? うるさいんですけど!」
巻き上がる歓声にあたふたとする浩文。だが、今の彼の姿ではそんなことですら彼らの燃料と化していた。
「化けるってレベルじゃねぇぞこれ! 進化しやがった!」
「やかましい」
「なんだよこのクロメーテル女史は!」
「やめろ! 哿に失礼だ!」
「浩文君! 今度私と食事に行かない!? 女装してさ!」
「普段は話しかけてすらもらえなかったのに!?」
「美女来たァァァァァ!!」
「OLの格好してプレイしない? 一回六十万までなら出す」
「先っぽだけでいいからやらないか」
「あんた達それでいいのかァァァァァ!?」
「アタッチメントは要」
「ジョイスティクなど可愛さと美しさの前にはどうでもいい」
「付加価値だからこそ映えるものもある」
「アームストロング砲があろうがなかろうが美女は美女」
「語彙が豊富だなぁ話題はピンポイントだけど!!」
男性陣が息巻く。そんな中、女性陣の一部は嫉妬の眼差しで浩文を見ていた。
「……チッ。素体があれな癖にどうしたらこうなるのよ」
「地味に化粧の魔法がよく効く肌してるわよね……顔は中の下な癖に」
「余裕もって接していた仮面の下の本音がダダ漏れですよ大熊さん、坂垣さん」
「このナース服着てパンチラしてくれたら一万払うわ伊藤君」
「貞操の危機しか感じられないのですが黒田さん!!?」
騒ぐ社員達。それを尻目に、感心した顔をしているものの余裕があるような感じなのは優雅に紫煙を弛ませる翔子だ。
「だから言っただろ化けるって。感想はどうだ?」
「……正直、そこの馬鹿どもの狂喜乱舞が無ければ見惚れていたでしょうね……。女子高生が朝早くからメイクしてくるわけだ…化粧の魔力恐るべし…」
多分、よくある「これが……私?」的な事になっていたに違い無い。周りの騒がしさにその暇すら与えられなかったが。
そして翔子の他にも、もう一人。浩文の変身ぶりを当然のように見ている人物がいた。
「ねぇ? 言ったでしょ。偶にいるのよね。メイクすると女の子に変わっちゃう子って」
その"女性"は、短パンを履いている浩文の太ももをなぞった。
美しい"美女"である。黒髪ですっきりした顔立ちをし、同年代と思われる茶髪に短髪で若々しい活発的な美しさのある翔子と比べれば、また違った若々しくも大人の色気というべき魅力がある女性だった。その身に纏った和服から、旅館の若女将という印象を抱くであろう。
本来ならば童貞の浩文はこんな美女相手にすれば怖気付くこと間違いないだろうが、この"女性"に限ってはその法則は適用されない。
「あの……セクハラはやめて貰えません?」
「あら? こんな美女にセクハラされるのは嫌なの? チェリーボーイくん?」
「「あんた(お前)男でしょう(だろうが)」」
そう。浩文と翔子が指摘したように、この"美女"──自称「清香」は男である。
「あら、いけずぅ。ところで男の娘同士の恋愛って百合になるのかしら」
「個人的にはBLかと……じゃなくて俺との絡みなんて誰得って話で」
「「「「二万でお願いします!」」」」
一応、こんな人物ばかりでも浩文が入った当初はそれなりに先輩として優しい人ばかりのホワイトのはずだった。はずだったのだが。
「……俺、この仕事終えたらここやめよっかな……。就職する時は給料や環境ばっかに惹かれずにまともな職につこう」
「何言ってんだ。今回の事で女装担当の人材が出来上がりそうだからな。手放すわけ無いだろう」
「お色気による情報収集担当はいますよね。うち」
「人出はいくつあっても足りんし、うちの女性社員を痴漢の魔の手から守るためにも、女装という一肌被ってくれ」
勘弁してくださいよ……俺は生贄ですか、と俯きつつ、彼は鏡に映った自分の姿を再度見る。
まごうことなき若い女性がそこにはいた。仕事終わりの若いOLとでも言うべき雰囲気を醸し出している、スラリとしたまるでモデルのようなのに、"女の子"というべきうら若き女性。今まで浩文が見た中でも中々の美人なのは間違いない。
(普通に美人なのがムカつく…俺だけど)
正直言うと浩文も、自分のいつもの姿からメイクが施され、段々と別の何かに変わる途中を見るのは、内心楽しさすらあった。
(ま、変身願望は誰にでもあるしな……しかしやっぱ自分じゃ無いみたい──)
「あら? 満更でもないって仕草しちゃって。ハマっちゃった?」
いきなり耳元に艶っぽい声がし、驚く。鼓動を早くする胸を押さえながら振り向けば、意地の悪そうな顔をした清香の顔があった。顔を近づけても、やはりその姿は清楚な女性にしか見えない。
ちなみにその時、二人は端から見れば乙女と美女が愛しく見つめ合っているような様となっており周りの数人がマジで目覚めかけたのは、また別の話。
「……これは世の中の女装家達が沼に落ちるのも無理は無いですね。ある意味、中毒性高いかも」
「意外と受け入れ早いわねー。初心な方が良かったのに」
「社長は俺に何を望んでいるんですか……」
「いやー嫌がってる子が段々と女装にハマり、羞恥と背徳感と共に堕ちていくっていいと思わない?」
「そういうの好きな腐女子かあんた…」
「翔子はホント、そういうの好きねー。ま、私もそういうのはよく『主食』として味わっているけど。ここだけの話、私をこうした原因も翔子にあるのよ。だから気をつけなさい。ま、ハマっちゃったら私達は大歓迎だけど。今度私の店に来る? 同志がたくさんいるわよ」
「行きません。確かに、貴方くらい美しく化れれば、そりゃあ坩堝に嵌るかもしれませんね…。ってか社長、この人に何したんですか?」
「いやぁ別にー。ってか、お前が言うかそれ」とはぐらかす翔子に、どうせロクでもないことだろうなと睨みながら浩文を予測する。
「さてと……とりあえず私がこの子を"女"にしちゃえばいいのね?」
「ああ。歩き方から作法、声の出し方、色気の出し方、○○○○の仕方から初夜の反応まで。何から何までお前の女を叩き込んでやってくれ。そういうのは手慣れてるだろ?服代や備品も経費で落としてくれるそうだから使いたい放題だ」
「一体何者なんですかその依頼人、リリィアントの理事長さんって……。ってか、まだ依頼について聞いてないんですけど。後幾つか俺の貞操について触れるようなヤバイ単語もあったんですけど」
そもそも、この会社にリリィアントがどんな依頼をして来たのか。それすら浩文は知らないのである。
「それについては三ヶ月後、潜入開始の一週間前にお前の女装の出来のお披露目と共に先方から直接言い渡させる。それまで精々、"女"を磨いておくことだな」
「磨きたくないなぁそれ……」
嫌そうな顔をしても最早引き返すことなどできない。浩文は諦めて前に取り返しがつかなくならない程度に進むことを腹に決めるのであった。
「あ、そうだ。名前つけないとね」
「「名前?」」
「そう。私の『清香』みたいな、所謂源氏名。そうねぇ……かわいいの付けてあげないと……」
できるだけ「色っぽい声だなぁ…」「今夜のオカズはあれにしたら三回は確定」と聞こえてくる声をなるべく耳に入れないようにする。
「……サヤ……そう。白文沙耶ちゃんなんてどう?」
「俺、浩文だから浩美でよくないですか。そんなの」
「それじゃ本名と近すぎる。できるだけ潜入するなら本名とは名前が離れていた方がいい……が、白文は浩文から取ったんだろうが、沙耶の出所はなんだ?」
「那月ちゃんって知り合いの子がいるだけどね。その子が一時期使ってた名前なの。もう使わないから誰かにあげてくださいって言われたのを思い出して」
かくして、白文沙耶が誕生した。