第10話 乙女の仕草は女性ですら習得は激ムズという事実 前編
「さて──どうしたものかなぁ」
夜遅く。すでに多くの社員は退社し、人がいなく静まり返ったオフィスで一人唸る女性がいた。翔子である。
手元には大きな紙の束。表紙には「清香直伝! 女装の心得会得への道──これで貴女も立派な乙女に──」……馬鹿馬鹿しいにもほどがあるタイトルだが、今はとても必要なものである。
「ヤツ曰くまだこれの半分しか終わってないらしいが、肝心のヤツは危険だから近づけられないし……」
そんな風に思考に耽っているからだろうか。突然鳴り出したスマホに翔子は大仰に驚いてしまう。
「おおっ!? ──なんだ、電話か…」
誰にも見られていないのに、驚いたことを少し恥ずかしく思いつつ画面で電話先の番号を確認する。
「ん、この番号は……?」
見覚えのある番号が視界に入り、翔子は電話に出るのであった。
* * * * *
「おはようございます!」
朝9時。すでにオフィスが出勤者達でだいぶ賑わって来た頃、パフスリーブの花柄ワンピースを着て"沙耶"は会社に現れた。
「おお、おはよう沙耶ちゃん。もう夏休み入ったんだっけ?」
「はい!」
「よう沙耶ちゃん。今日も可愛いねぇ」
「うふふ。ありがとうございます」
「沙耶ちゃん、是非うちに嫁としてきてくれないかな。なかなか良物件だと思うんだよ、うちの息子」
「睦さん、冗談よしてくださいよー」
「沙耶ちゃん、仕事終わったら食事行かないかい?おごるからさ!」
「そのお金で私じゃなくて別の人を誘うことをお勧めしますよー」
「沙耶ちゃん、ナイスちんちん!!」
「F◯ck」
「なんで私だけそんな感じ!?」
「「「「いや妥当だろ」」」」
……このように浩文が沙耶へと覚醒し、終始過ごすようになって早2週間。夏休みということで一日フルで女性として過ごせるようになってから益々綺麗になっていく沙耶に他の社員達も慣れ、このような光景が日常となっていた。
「あ、来た?」
「おはようございます社長。それじゃあ私行ってきますね」
会社へ出勤後、荷物を置いて外出する。清香が沙耶の自宅に不法侵入し翔子が沙耶と会うことを清香に禁じて以来、沙耶はそれ以前から行なっていた様々なケアや技術向上、仕草の習得を継続していたのだ。
一日2回の豆乳洗顔と保湿、メイク技術の向上、ファッション。他にも色々。この外出も、そのうちの一つであった。
「いや、今日はいいわ」
「へ?」
「あと一時間半ほどかな…このまましばらくここで待機していてくれ」
そう言いながら渡されたのは数冊の女性用雑誌。どうやらこれを読みながら待機していろということらしい。
「はぁ……」
雑誌を受け取るや否や、会社を出ていく翔子。他の社員にアイコンタクトで訴えるも、全員首を横に振る。彼らも何も知らないようだ。
わけがわからない沙耶はきょとんとすることしかできなかった。
* * * * *
それから一時間半とちょっとが過ぎようとしていた頃。翔子が帰ってきた。
この時間帯になると多くの社員は外に出る仕事がほとんどなので、会社に残ってるのは沙耶を含め数人のみだった。
「あ、翔子さん。おかえりなさい」
デスクワークに集中している他の社員たちに代わり沙耶が立ち上がる。今回の翔子の行動はどうやら自分にまつわることらしいのはなんとなく察しがついていた。
「ああ。じゃあ沙耶はとりあえず社長室に行っててくれ」
「はい…」
指示に従い自分の席から社長室に移動する沙耶。社長席の他に社長室には座るための家具等がないためそのまま立って待つ。
すると、玄関から翔子に続いてオフィスに入ってくる人物がいた。翔子が手招きしていたのを見るに、どうやら会社の入り口手前で呼ばれるまで待っていたらしい。
「お邪魔します」
オフィスで、働く社員達にそう一礼したのは"紫髪の女性"だった。
薄い紫の色のふんわりしたウェーブのロングヘアー。スタイルのいい体に纏っているのは、チューリップスリーブのチェック柄ブラウスとネイビーのスカート。
高い身長の細身の体に付いた、服を押し上げる双丘に、スカートからのぞく白く光る太ももに、ノースリーブによって強調される脇に、ついつい視線を向けてしまう。
自分よりも大人びた外見だが、年はそこまで変わらないだろうと思う沙耶。大学生、いってても社会人一、二年目というところではないだろうか。沙耶と清香の可愛さと美しさのバランスとはまた違ったバランスを持っている人物だった。沙耶を後輩系、清香を女将風と例えるならば、先輩系といった感じだろうか。
しかし何故だろうか。「何かが違う」。そう表現しようがない感情に襲われる沙耶。果たして珍しい"紫髪"がそうさせているのか、沙耶自身にもわからなかった。
「はじめまして。あなたが、白文沙耶ちゃん?」
「は、はい」
「私は相澤那月。よろしくね」
優しそうな雰囲気のたれ目で沙耶を直視しながら、手を差しだしてくる那月という名の人物。慌てて沙耶も手を出し、握手を交わす。
「はい、よろしく──」
その時、沙耶の中で一瞬和らいでいた違和感が大きくぶり返した。
相澤那月。那月。その名前に聞き覚えがある気がしたからだ。その名前をどこで聞いたのか思い返してみる。
(確か、あれは──)
沙耶の頭の中でとあるワンシーンが回想される。自分の名、先ほど目の前の彼女も呼んだ白文沙耶という名が名づけられた場面を──
『それじゃ本名と近すぎる。できるだけ潜入するなら本名とは名前が離れていた方がいい……が、白文は浩文から取ったんだろうが、沙耶の出所はなんだ?』
『那月ちゃんって知り合いの子がいるだけどね。その子が一時期使ってた名前なの。もう使わないから誰かにあげてくださいって言われたのを思い出して』
──
「あ………」
思わず素っ頓狂な声を上げる。思わず、目の前の人物を二度見する。
「……もしかして」
「あれ? もしかして気づいちゃった?」
沙耶の反応を察したのか。目の前の人物は苦笑する。ほんわかするような暖かい、けど色気も感じられるような、そんな笑みだった。
「そいつの名前は相澤那月。名前はあってるから──察しの通り性別は"男"だがな」
「あはは、この子も中々のものだと思うけど。すごい可愛いよ?」
また一人、乙女(♂)が増えた。
* * * * *
「改めまして、相澤那月です。私も清香さんに"教育"させられた口だから、あなたにとっては兄弟子、いや姉弟子? みたいなものかしら」
「はい……よろしくお願いします…」
女装男子の自分が言うから説得力が更に出る「性別なんてささいなこと」。清香、自分と続いて三人目の乙女(♂)の登場に浩文として重ねた性別感覚など既に瓦解しきっていた。
「那月はリーブティアに住んでてね。今回清香にお前に対しての接近禁止令を私が個人的に出しただろ?」
「はい。確か『私がいいと言うまでの沙耶の目の前に現れた場合』…えーと、誰かに言いつけるんでしたよね」
「『真白さんに言いつけるぞ』…だな」
「あー……清香さん、父さんに弱いわよねぇ」
まさかの父親ときた。となるとすなわち相澤真白という人物が、現在清香のストッパーとなって自分を間接的に守っているということになる。
「……なんかまた聞いたことある名前ですね…まさか、その真白さんって人も」
「一応言っておくけど私の父さんは女装男子じゃないからね」
口に手を当てる沙耶に対して、釘を刺しておく那月。当たり前だ。そうそう簡単に女装男子や男の娘が増えてたまるか。
「話がズレたから戻すが、その間にお前の特訓の教師が必要というわけで、清香から那月に話をしてあったらしい。先日私にも電話がきて、それでわざわざ来てもらったというわけ」
「翔子さんと那月さんもお知り合いなんですか?」
「まぁね」「家族ぐるみ程度の付き合いよね」とお互いにうなづきあった二人。なるほど。どうやら那月との関係は清香よりも翔子の方が長いらしい。
「……けど、今更いりますかね?先生なんて」
ここでふと、疑問に思ったことを口にする沙耶。沙耶は見逃してしまったが、この時那月の温和そうなタレ目が少し鋭くなった。
「………ん?」
那月の温和な女声の中に、少し混じる覇気。
「自分で言うのもなんですけど私、結構女の子してると思うんですよねー」
えっへんとそれなりにある(偽乳で盛られた)胸を張る。さらに那月の目が鋭くなったことに、まだ沙耶は気づかない。
「へぇ……つまりあなたは、もうどこに出しても恥ずかしくない女性、ということで?」
「え……あ、いや…まぁ…?」
ようやく那月の様子がおかしいことに気づき、しどろもどろになる沙耶。アイコンタクトで翔子に助けを求めるも、どこ吹く風だ。
「そう……」
つかつかと沙耶に歩み寄る那月。思わず後ずさりする沙耶だったが、あえなく那月に追いつかれる。
そして、
「甘いわ──!」
いきなりワンピースをめくられた。
「えっ」
ワンピースの端を握った那月によって上にめくりあげられ、その中に隠されていた光り輝く太ももと可愛らしいピンクのショーツが露わになる。もちろん、普通の女性ならないであろう、下腹部の膨らみも一緒にだ。
一瞬のラグがあったものの、瞬時に真っ赤になる沙耶の顔。
「うっ、うわぁぁぁぁ!? ちょっと!? 何するんですか!!」
耳まで赤くなった沙耶は慌ててワンピースの前を抑えつける。
「あら、可愛いのつけてるわね…そこは評価しておいてあげる」
「ななななんでこんなことを…」
「けどあなた、私を初めて見た時、ジロジロと胸と下半身を見てたわよね」
そう言うと自らについた双丘と、太ももを指差す。恐らく胸に関しては沙耶と同じ偽乳であろう。
「いい? 女性を相手にした時に胸や下半身に無意識に目がいってしまうのはダメよ。女性は敏感だから、例えチラ見のつもりでもガン見に感じてしまうものなの。無意識に目がいかないように無意識で制御しなさい」
「無意識に無意識? そ、それと私のスカートをめくることの、なんの関係があるんですかっ!」
「それについては私から説明しよう」
手を挙げ、割り込んできたのは今まで不動を保っていた翔子。社長席の引き出しから何かを取り出し、沙耶に見せてくる。
「……なんですか、それ」
「清香直筆、女装乙女になるためのカリキュラムマニュアルよ。清香がお前の特訓を始めるにあたって、私にもコピーして渡していたのよ」
ふざけたタイトルとでかでかハートマークに囲まれた「禁」の文字が書かれた紙の束を見せつけられる。乙女チックなフォントの文字といい、製作者の趣味が伺える一品だった。
「これは今までに清香が何人もの乙女な女装男子を生み出してきた特訓内容が記されたもの。当然、そこの那月も一度通った道よ」
「そして、」とページを開きながら翔子は言葉を続ける。
「沙耶、あんたの特訓は今から後半に入るの。で、こっからはもし女性らしからなぬ所作や男らしい行動を取った場合の罰として、スカートをめくる……つもりらしい」
自分のおこなったあれほどの特訓がただの前哨戦と言われたのもショックだが、もっとインパクトがある話に思わず呆気に取られる沙耶。
「え? えぇ!?」
「そういうことよ。清香さんや私のような女装子が必要ってのも、罰を行うか否かを見極めるためなの」
うふ♡ と笑顔を浮かべる。美人な那月の微笑み、それは聖母の微笑みと言っても差し支えないほど慈しみにあふれているはずだが、沙耶には背筋が凍るような冷気を発する笑みに見えた。
「私も通った道だから辛さや恥ずかしさはわかるけど…それこそ必要なものだからね。悪いけど容赦しないわよ〜?」
「……」
「あ、もちろんスカートめくりが罰となる以上は、ズボンやパンツルックみたいなめくれないのは着用禁止だからね。さすがに公共の場ではしないけど、そこでミスしたぶんは後々でちゃんとめくるから、油断はいけないわ」
「……」
「それじゃあ──よろしくね、沙耶ちゃん」
首を傾げ、可愛らしくウインクする那月に、沙耶は引きつった笑いしかすることができなかったのであった。




