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O・S・K story ~ oneesan to syounen to kurage? ~ お姉さんと少年とクラゲ? 1話 パート9

  「あはは、大変だったっすねぇ〜」

 ムラタが楓に対してそう言った。

 場所はショータの客室。そして食卓の場。

 楓は風呂場が後ろ方の席に座り、ショータは窓側が後ろの方の席。そして鈴音は楓の反対側の席に座っている。

 そしてショータの反対側、玄関廊下の隣にあるキッチンの方に、ムラタは常温配膳車と共にやってきていて、キッチンで調理をしていた。

 ムラタは楓達が風呂から上がる前からキッチンに居た。

 楓達の格好は、お風呂に入る前の服装とは違う格好をしていた。

 

 楓は、鈴音に無理やり引っ張られていった感じなのもあって、着替えの事をすっかり失念していた。

 そして、喉声の声にならない叫びを出した後に逃げる様に脱衣場に出た後になって、着替えの準備をしていない事に気付いた。

 だが、着替えが脱衣場の洗面台の右隣の空いた辺りに置かれているカゴの中に、着替えが置かれていた。

 楓はその時、左を見るとムラタが脱衣場から退出しようとしていたタイミングの時だった。

 そしてそこから、ムラタの用意した着替えだと把握する。

 そしてムラタの説明を一通り受けて、楓は逃げるように早く着替えた。

 故に、今の食卓を囲う格好と相成っている。

 楓が着ているのは、黒い上下ジャージ服。

 それは楓としては悪くない部屋着の類。付き合いあるムラタなりの気遣いのチョイス。

 鈴音が着ているのは白い布地のロングワンピース。

 前はボタンで閉じるタイプで、肩袖は無いタイプ。

 そしてショータが着ているのは、

 「可愛いっすねぇ〜」

 鈴音の着ている白いロングワンピースと同じだが、此方は半袖があるものを着ていた。

 そしてボタンは胸元から腰の辺りまで留めている。

 そして、下にはぶかぶか気味で、裾を曲げた黒緑色の長ズボンを履いていた。

 ショータは、ムラタのふいな言葉に、どう受け取ればいいのか分からない感じで困惑気味で俯いていた。 

 楓はムラタの用意した服が、中性的ではあるが、比較的女の子寄りな格好であるのもあって、

 (・・・何やってんのかしら・・・本当に・・・)

 楓は、肘杖で頬を着きながら、呆れた様な表情をして内心で溜息を吐露していた。


 ただ、確かに似合ってはいた。

 中性的だから、比較的女の子寄りだが、中性的な衣服の格好が、特に似合う。

 ちなみに、ショータの持ち続けていた歯ブラシセットとコップは、今現在、ショータの上の着身物と化しているロングワンピースの腰下の辺りの左右の大型ポケットに納まっている。

 どちらのポケットも、コップ1つが容易に入る大きさ。左側のポケットが、コップの膨らみを示している。右のポケットの方には、歯ブラシセットが入っている。 

 楓は『まぁ・・・』とでもムラタの似合う、という言葉に同調しそうになりながらも、何とも言えない気分でムラタの配膳をぼんやりと見つめていた。

 いつも通り、毒味役として毒性洗浄機に食器を入れての確認や、他にも食材にその都度、小さな欠片分ぐらい切り取って毒が含まれているかの確認をしているムラタの様子を楓は見受けた。

 そして焼くなどの調理の過程を経て、そして成果物の料理も別途の分け箸で皿に爪ほどのサイズの欠片を盛り、毒見用の箸などで調べていく。

 そして問題なければ料理の完成としていく。

 それが整い、出来上がったのは洋風のメニューの食卓。

 炭水化物はショータが何も食べていなかった事を考慮してなのかパンも無く、コーンポタージュが手前の配置。

 そしてその奥にはかなり蒸かされたと分かる湯気立つ、白い丸皿に乗ったジャガバターの姿。

 そして右には手の平程の透明なサラダボウルにおさまった、刻みクルトンが軽くかけられたレタスとトマトのサラダ。

 そして左には、底が少し深い、縁が赤い皿に入った、タマネギやピーマンなどで煮詰められた魚類の白身の煮付け。

 比較的、消化器官に気を遣ったタイプの食事メニューだった。

 それが、4人分出揃っている。

 「自分もご一緒してよろしいっすかね?皆さん」

 その言葉に、3人の視線がムラタに集まる。

 そして楓がショータを見て、

 「アオバ君、いいかな・・・?」

 と、不安そうに尋ねたが、ショータは、

 「・・・ぁ・・・は、い・・・」

 どことなく不意に尋ねられた感じだったが、嫌な様子も無く自然に応じていた。

 それを耳にした楓は、一応一息つき、 

 「・・・それじゃあムラタさんも一緒に食べましょう?」

 と、伝えてムラタは、

 「了解っす」

 肯定を示して応じた。

 しかし、ムラタは席に座る前にショータの方を見て、

 「あ、そうだったっす」

 何か気付いた様子で、ショータの席の方へと机の周りを回り、ショータの傍に立つとショータの右手を両手で掴んで、ほがらかな笑顔を向けて、

 「自分、ムラタ=タロウいいますっす。よろしくおねがいしますっす」

 ショータへと自己紹介と挨拶をしていた。

 楓は、そのムラタの行動を見て、ショータが不意な表情をしていたりした理由の要素がそれなりにあったのだと理解した。

 姿形の歳合いで言えば、楓の歳ぐらいの女の子と近しい姿形の印象。

 しかし、耳は魚のヒレの様なものになっていて、人間ではないらしい姿を示していた。

 だが、ショータはそれに対して怖気づくこともなく、ただ単純に、

 「・・・ムラタさん、・・・ですか・・・?」 

 と、ムラタに対してどう呼べばいいのかの手探り気味な声をこぼしていた。

 すると、ムラタは、

 「はいっムラタっすよ〜♪」

 そうあっけらかんに笑いながら口にした。

 そして左手だけを離して、左手をムラタは自分の左頬に当ててわざとらしく、身体を少しだけくねくねして冗談交じり気味に頬を赤らめつつ口を開く。

 「いきなり苗字じゃない方で呼ぶとは、中々気が早いっす〜♪色々と大人な意味で成熟が早いっす〜♪」

 ショータはその言葉に、きょとんとした顔で、

 「・・・ぇ・・・と・・・」

 状況がよくわからない感じの様相になる。

 そして、楓がムラタに対して、どこか呆れ気味で、

 「・・・ムラタさん、お願いだから変な事しないで・・・」

 そう注意した。

 ムラタは「あ、はいっすっ」と応じて悪ふざけを止めた。

 そして楓はショータを見つめて口を開く。

 「ムラタさんの苗字はね、タロウの方なの」

 「ぇっ・・・」

 ショータが少し驚く。

 楓が言葉を続ける。

 「魔界で長生きしてる人の中には、そんな感じの名前の人がたまに居るの」

 楓はそう前置きしてから、説明する。

 「ここは魔界だから・・・アオバ君や私の故郷の世界の常識は、あんまり通用しないわ。いや・・・殆ど通用しないパターンもある。・・・けど、今のムラタさんの発言はただの冗談とかだから、深くは気にしないで?」

 和らかく緩く諭す言葉。

 その言葉に、ショータは漠然の理解すら経られないままながらに、一応口を開いて、

 「わかり、ました・・・」

 そう応じた。

 だが、ムラタが口を挟み、

 「あ、自分の事はムラタでオッケーっすよぉ〜。・・・で、貴方様に対してお呼びしたい言い方があるんすけども」 

 ショータへと、ズイっと迫る。

 ショータは、

 「・・・ぇ・・・?」

 単音こぼすしかなく、疑問符を浮かべるしかない。

 ムラタは、奔放に、

 「ショーちゃんとお呼びしてもよろしいでしょうかっす?」

 ショータは一瞬、何の事かと分からなかった。

 だが、数瞬俯いて何となく分かってきて、

 「・・・あ・・・ウチの、事・・・ですか?」

 そう、尋ねて、ムラタは、

 「はいっす〜」

 にこやかに応じた。

 ショータは、その返答を聞いて、

 「ぃぃ、です・・・よ・・・?」

 こう、答えればいいのかという具合に、最後の辺り疑問符が付く感じになりながらも、そう応じていた。

 「ではショーちゃん、よろしくお願いしますっす♪」

 ムラタは、自己紹介を終えて上機嫌気味になっていた。

 そしてムラタは自分の席の方へと気ままな様子で戻っていく。

 楓はそんなムラタを、何かしでしかしたりしないか不安な表情で注視していた。

 そんな中、鈴音はショータの方を向いていた。 

 そして鈴音は口を開く。

 「・・・おねえちゃんがね?・・・魔界に来た時に・・・ムラタさんが色々とお世話してくれた人なんだって」

 その説明にショータは不意な顔をする。

 そして楓は鈴音の説明の声に気付いて、

 「す、鈴音っ・・・そういう事は言わないくていいからっ・・・」

 と、悩ましげに注意していた。

 だが、そこにまだ席に着いて居らず、自分の席側で立っていたムラタが、

 「ありゃま?夏季の恥はナマステと言うもんじゃないっすかね?」

 そう、再び楓の頭痛が酷くなっているかのような様相にする発言をしていた。

 「・・・それを言うなら『旅の恥は掻き捨て』よ・・・というか、誤用所の話じゃないんだけど・・・」

 (・・・というか『ナマステ』って何・・・ナマステって・・・)

 楓が内心でツッコミを入れる。

 そんな中でムラタは楓の冷静な言葉もお構い無しに、立ったまま、その様はまるで舞台女優か演歌歌手の握り拳か、と言わんばかりに右手を上に掲げて、

 「あぁ、語るも・・・えー・・・」

 何やら喋り始め、

 「・・・なんでしたっけ?」

 楓が本当に椅子からずり落ちそうになる発言を駄々漏れにし続けていた。

 しかしムラタは「あ、」と思い出したのか、テンポ続けて、

 「シーちゃんはっすね?昔は髪が長かったんすよ〜。今はボーイッシュにキメてる感じっすけど、ちっちゃかった頃はスズちゃんより恥ずかしがり屋さんでして〜」 

 その言葉に、楓が咄嗟に、ほぼ反射的に席を立ってしまった。

 「ちょ、ムラタさんっ・・・!?」

 しかし、ムラタはショータを見つめている。 

 「それにっすね?魔王様がシシーってシーちゃんの事を呼んだ時、シーちゃん嫌がって、魔王様が楓、って呼んで、じゃあ自分もカーちゃんって呼ぼうとしたらものすっごい怒ったんすよぉ〜。だから自分はシーちゃん、ってヌ、ゴッ」

 「そ、それ以上喋るのは許さないわよ?ムラタさん?」

 気付けば楓は、顔は笑顔だが、頭中に怒りマークが出来た感じの表情をしていた。

 そして楓はムラタの背後に回り、ムラタの首と口元に腕を回して口を封じていた。

 だが、どうやら変な口封じの仕方をしてしまっていたらしく、ムラタは楓の両腕にタップアウト(プロレスとか格闘技で関節技を受けた側がリタイアの意思表示をするアレ)をしていた。

 「ぎ、ぎまっでるっす、シーぢゃんっ」

 それに気付いて楓は慌ててパッ、と手を離した。

 「ご、ごめん大丈夫っ?ムラタさんっ・・・」

 「・・・あ、はい・・・何せ・・・」

 「・・・?」

 ムラタは、両耳のヒレを前後にぴくぴく動かした。

 「ヒレ呼吸ができてたので、大丈夫っすっ」

 「・・・」

 「それに本当は決まってなかったですしっす〜ー・・・」

 「・・・・・・」

 楓は、無言でムラタの右手に、左手を向けて触れる。

 「へ?シーちゃん?」

 2人は、もとい楓がムラタを引っ張る形で食卓から少し離れる。 

 だが、段々と手を握っていた姿が変化していた。

 それは、流れる踊りの様な仕草であったのに、

 「・・・せいっ」

 楓は、ムラタに、傍目から見る者が気付けば、コブラツイストを仕掛けていた。


 ※コブラツイスト 〜 『相手の背後に回り、相手の左足の外側へと、技をかける側の者の左足を前に出して絡ませて、そして技をかける者の左腕を相手の右脇を通らせて相手の首を固定し、相手をくの字にひねらせる関節技。主に相手の首や腰などにダメージを与える』


 「あ、あだだだだ、い、いたいっすっいたいッすっ!シーちゃんっ!?」

 「・・・いや、どうせ痛くないんですよね、師匠?海の生物には軟体生物も居るんですし」

 「じ、自分はタコじゃないっすっぅ〜〜!???こ、子供の頃から教えてあげてる護身術をそんな事に使わないでほしいっすぅ!??」

 食卓から離れた場所で、2人は何故かそんな事をしていた。

 「コブラツイストは教わった覚えがないんですけどねー・・・というか師匠なら簡単に抜けれるでしょう?」

 「め、メイド服を着てる時は淑女で居たいっす〜〜!て、というよ、りメイド服がひっかかってぬけれ、ない、っす?!ぅ?!」

 「あ、そうなんですかー。だったら師匠の格言の『仕留められる時は仕留める』を実行できますねー」

 「そ、それヅァっちゃん、の格、げ、っぬおおおおほおおお?!???」

 再び、ムラタのタップアウトで試合終了のゴングが鳴った。

 楓は苛立ちが少しすっきりした感じで、しかし目は閉じてクールに去る感じで自分の席へと戻っていた。

 対するムラタは、床に倒れるのはメイド服を着る者として、食事の前の配膳者としての衛生観念に対する矜持か、膝が耐える様に少し曲がっては居るが立ち、腰が曲がって前のめりになっている状態で両腕は肩から肘までが胸より下の位置だが、肘から先は横ばいに伸ばしてぷるぷる震えていた。

 「ぉ、おぉぉ・・・い、いたいっすぅ〜・・・」

 ムラタのその様子に、鈴音が楓を見て、

 「おねえちゃん・・・ひどい・・・」

 そう口にした。

 「人の暴露話なんかする人にはこれぐらい仕掛けるもんよ、鈴音」

 楓は少しだけ呆れと怒った混じった感じで、そう口にしていた。

 そしてムラタが何とか席の方に戻ってくる。

 「ひ、ひどいっす〜・・・シーちゃん・・・」

 「・・・だったら食事の前なのに変な事をペラペラ喋らないでよ・・・」

 楓は、思い出すのも少しばかり恥ずかしいという具合に抗議していた。

 「うぅ・・・」

 そしてムラタは抗議できず、という具合に横波目気味に涙目気味な、何とも言えない顔をしていた。

 しかし、どこか、その雰囲気はまるで質屋に売られる町娘、とでもいわんばかりに、「よよよ・・・」という風な仕草と雰囲気を示して、

 「シーちゃんがちっちゃかった時は、「シショー!シショー!」って言ってくれてたのにっすぅ・・・反抗期っすぅ・・・」

 「・・・」

 楓の冷たい視線。

 ムラタは、ビクッ、と涙目気味になって、

 「あ、ぅ〜・・・ごめんなさいっす・・・」

 そう声をこぼしていた。

 対して楓は、

 「・・・ムラタさん、お願いだからちゃんとしてよ・・・大人なんだし・・・」

 「えぇ〜・・・大人だからこそっ、すよ〜?」 

 「・・・?」

 「弟子は目に入れても痛くないって言うでしょう?」

 「・・・そういう言葉あったっけ?」

 楓は、本当に知らない言葉を聞かされて、少し困惑していた。

 (『目に入れても痛くない』じゃ・・・)

 楓のその疑問が、正解である。

 だが、楓はその意味を漠然と思い出し始め、対してムラタは、

 「あ、ちなみに『目』って言うのは『視界』って事っすよ〜?つまり可愛い、って事っす〜〜♪」

 意味を説明するかのように、そう口にしていた。

 何て事は無い、文字通りの意味。

 その言葉に、楓は数瞬の間を置いて、

 「・・・」

 何とも言えない顔で、どこか肩身狭く、気恥ずかしそうに小さく溜息をついていた。

 「・・・まぁ、いいや。鈴音。アオバ君、一緒に御飯食べましょう?・・・この人はほっといていいから・・・」

 「あ、自分も食べるっすよ〜っ・・・」 

 各々が席に座りなおして居佇まいを直し、楓が手を合わせて、

 「いただきます」

 挨拶を宣言して他の皆も各々のテンポで「いただきます」の言葉が続いた。

 ショータは、少しばかり困惑と呆気が混じり気味だったが、何とか挨拶を終えた。

 「あ、シーちゃん、飲み物は何がいいっすか?」

 「自分で注ぐ。配膳車の中?」

 「はいっす。・・・あ、コップまで忘れてたっす・・・」 

 食事が始まった途端にムラタと楓はそんな相談をしていて、ムラタが気付いた様に声をこぼしていた。

 そしてムラタと楓は席を立ち、楓は配膳車へ、ムラタは毒素洗浄機へと赴く。

 楓は配膳車の中を物色していた。

 ムラタは人数分の透明で、しかしどうやら割れないコップの類を持ってきて、ショータや鈴音達の席へと置いていった。

 そしてムラタはショータと鈴音へと、

 「スズちゃんとショウタ君は何がいいっすか?お冷と野菜ジュースと牛乳と冷茶があるっすよー?」

 鈴音が直ぐに反応して、

 「牛乳、ください」

 答える。

 そしてショータはふいに話しかけられて、言葉にふいに詰まりながらも、

 「・・・お、茶を、・・・ください」

 ショータも応じて注文を出せた。

 そしてそこから先はムラタの「了解っす〜」の言葉のまま、自分で注ぐ事を決めた楓は除いて、自然な流れでムラタは配膳車へと歩んで行った。

 楓はお冷を机の上に持ってきていた。

 透明容器に入った氷とお水の姿。

 それを楓はムラタが席を外している間に、ムラタの方を向いて、

 「オレンジ系の飲料が無かったから、お水でよかったかな?」

 そうムラタへと尋ねる。そしてムラタは、

 「あ、そうっすよー?」

 そう応じた。そして楓が、

 「じゃあ、注いでおくわ」

 そうムラタへと告げる。

 「ありがとうっすシーちゃん♪」 

 ムラタは自然な流れのままで楓の言葉に甘えていた。

 「・・・」



 ショータはそれを見つめて、ふいに、2人の――――影を思い出した。

 



   『はい、翔也さん』

   『ありがとう、那由蛇』

 



 ――――ふいな、錯覚――――



 「・・・」

 ショータは、食卓を見渡した。

 「はい、どうぞっすショーちゃん」

 ふいに、ムラタからショータはコップに入ったお茶の飲み物を配膳された。

 「ぁ、りが、とうございます・・・」

 ふいに、浮んだ影―――その中で自分が当事者になったかのように錯覚した。

 「いいえいいえー〜♪」

 そしてムラタは自分の席の方へと戻って行っていた。

 ショータは、そんな姿も見つめていた。

 3人は、明確に食事を始めていた。

 食事の姿勢や作法は綺麗に、そしてしかし時折会話を挟んで楽しそうに食事をしている。 

 それは、縁があるから、そこに在る光景。

 ショータの視界に写る3人の女の人達。

 その3人同士の縁は、確かにここにあるものだった。

 それは、自分がうかがい知れない様な時間の差があるもの。

 「・・・」

   キュ・・・

 ショータの胸が、ふいに痛んだ。

 

 ただ、思い出す。 

 ―――二日前の夜の、1人のクラゲの店主さんと、1人のお姉さんが傍に居てくれた食事。

 それが、何故か否応無しに思い出せた。

 

 ―――綺麗なガラス――――自分は、ヒビ?


 ここに在るのが、間違いであるような気がした。

 ここに居る3人共――――縁があり、縁を大事にしている人達同士だというのがショータには否応無しに視えた。 

 食事が始まる前のやり取りも、喧嘩も、会話も。

 だから、ここにその縁の中にいない自分が居ていいのだろうかという疑問が、ただ沸き続けていた。


 それは、自身を不純物の様に思えてしまった感覚――――

 

 ショータには、それに抗える気持ちが、なかった。

 訳の分からない寂しさが沸いていく。

 誰かが居て、寂しくないはずなのに、心の内側がふいにぽっかり空いてしまっているかのような、急に見えない真っ暗な底が顔を出したかのような、そんな感覚がショータの中にあった。

 「・・・」

 ショータの頬に涙が伝う事はなかった。

 

 それなのに、ショータの胸の内側は、自覚する事もなく無意識に涙を流していた時と同じ痛みが、走り続けていた。






 

 ============================================






 「・・・」

 シャルディアは、ショータの客室の光景を部屋分け廊下から見ていた。

 そして、ショータの心の内面も、サトリを用いて視ていた。

 (・・・鈴音の気持ちに任せてみた、が・・・)

 シャルディアは、失敗だったかもしれないとふいに思った。

 (・・・鈴音も、楓も・・・故郷の世界に両親が居る・・・が・・・ショウタには・・・)

 シャルディアは沈黙し、俯いていた。 

 そんな中、左隣の、

 「どうした?」

 ビリー店主が口を開いて尋ねていた。

 今日も護衛者として彼は立ち続けている。

 「・・・なんでもないさ。・・・ただ、」

 「・・・?」

 「・・・ビリー、キミは、あの子と暮らし始めた時・・・あの子はどんな感じだった?」

 魔王は、彼にしか分からない主語の抜いた言葉で、そう尋ねていた。

 「・・・」

 店主は、数瞬その言葉の意味を吟味してから、

 「サトリを使えばいいだろうが」

 「キミの口から、聞きたい」

 「・・・」

 店主は、呆れた様な様子になりながら、口を開いた。

 「・・・さぁな。荒んでいたっつーか・・・無駄に警戒はしてたと思うぞ?」 

 そう、答えていた。

 「・・・キミは、彼女の事はどう思っている?」

 「・・・別に、アイツはウチの従業員であってそれ以上でもそれ以下でもねぇ。・・・まぁ、学校に通いたいとか言い出したら通わせるつもりはあるが」

 「・・・ふふ」

 「・・・なんだ、一体・・・」

 「・・・いや・・・なんでもないさ」

 (・・・)

 シャルディアは、隣の古縁の者に対して、微苦笑を示した。


 私は・・・鈴音や楓達に対して同じ気持ちを、抱いてあげれているだろうか・・・?

 そして・・・ショウタにも、同じ気持ちを抱いて、傍に居れたら・・・


 (心を・・・癒してあげれるだろうか・・・・・・?)


 

 会談地への召集の前日の昼過ぎ。

 魔王城全体が警備で緊張を強める一時の中、魔王は多くの懸念を抱きながら、ただ悩みを持ち続けた。

 




 

=========================================





  

 「それじゃ、自分が食器を片付けますんで、皆さんは歯ブラシをしてきて下さいっす」 

 食卓の上の皿に盛られていた料理が綺麗に完食と相成り、ムラタが食器を片付け始めようとしていた。

 ショータは少し慌てて席を立ち、自分の分を自分で片付け始める。

 「あ、いいっすよ?ショーちゃん」

 しかし、楓も鈴音も同じ様に食器を片付け始めて自分でキッチンの洗い場へと持っていこうとしていた。

 「自分の分ぐらいは自分でやる、いい事じゃないの。ムラタさん」

 「うーん・・・そうっすけども、自分のお仕事ですしねぇ・・・それに、ここのキッチンの洗い場って、1人作業用の広さっすから、分担作業はできると思いますけども、4人同時に自分の分は、って風にするのは難しいと思うっす」

 「あ・・・そっか・・・」

 楓がふいに相槌を返す。

 そしてムラタが、

 「とまぁ、そういう訳ですし、キッチンの洗い場にまで持っていってくれればオッケーっす。そこまでしてくれれば、自分としては充分っすから」

 「・・・うん、分かった。ごめん、ムラタさん。お願いするわ」

 「はいっす♪」

 ムラタは応じる。

 そしてムラタは4人で使用した食器をキッチンの洗い場まで運ぶのを見つめながら、

 「あ、そうだ。御三方。歯ブラシなんすけども・・・」

 ムラタ自身の分含め3人が食器を洗い場の水受けの方に置き終えてから、ムラタは配膳車の方を見つめて話を始めていた。

 そして、ムラタは配膳車の頭の辺りの引き戸の様な部分を引き出して、中から開封済みの歯ブラシを3人分取り出していた。

 だが、その歯ブラシは全部、まるで未使用品のように綺麗なブラシ並びをしている。

 「此方、既に毒素洗浄済みの歯ブラシっす。ですんでコレを水洗いしてお使い下さいっす」

 3人分の歯ブラシを持ちながら、ムラタは言葉を続ける。

 「一応、こまめに水洗いしてみてくださいっす。もう、キッチンの洗浄機で洗い終えた奴っすけども、やっぱり毒味役としては細心の注意を払いたいもんで。手の皮膚とかがビリビリ痛かったりしたら多分毒の可能性もあるんで、直ぐに連絡欲しいっす」

 その説明に、キッチンの洗い場の水受けの方に食器を置いて片付けていた楓と鈴音は互いの顔を見合わせる。

 「それって、私と鈴音には自室から歯ブラシ持ってこないで、それが別途に今後使う様にしなきゃいけない奴・・・って事?」

 「はいっす、新品っすからね。お2人が今から自室の歯ブラシとか持ってくるとなると、時間がかかっちゃいますし、新品支給のついでっすよ〜」

 「あー・・・わかった」

 楓は応じながら、ムラタに歩み近づいて、それを受け取る。

 そして鈴音も後に続いてそれを受け取る。

 そして最後、キッチンの洗い場に食器を置き終えていたショータは、少しばかり困惑するように俯いていた。

 そして白いロングワンピースの上の服の右の大きなポケットの中から、歯ブラシセットを取り出して、ムラタに示し見せて、

 「ウチ、は・・・あります・・・」

 そう、説明した。

 だが、今度はムラタが少し困った顔をして、

 「うーん・・・ショーちゃん、今回はソレは使わない、って事にしてくれませんっすか?」

 「ぇ・・・」

 「もしくは、この毒素洗浄機で洗ってから使う、って事にして欲しいっす。・・・ショーちゃんには怖い話かもしれないっすけど・・・」

 ムラタは、ふいに天井を、まるでこの建物全体を指すかのように見つめて、

 「ここは魔王城っすから・・・色々と最善の注意を払わないといけないんすよ。で、ショーちゃん達の場合は特に『毒』とかが怖いんす。何より人間の子供な訳っすから」 

 「・・・」

 ショータは、ふいに白雪姫の毒りんごが脳裏に浮んだ。

 そして、そこからのイメージのお陰か、ムラタの言いたい事が、何となく理解できた。

 

 ここは、魔王のお城。

 魔王は、王様。

 王様、お姫様。

 偉い人?

 だから、悪い魔女が狙う?


 連想ゲームのような事柄。

 それでも、子供の思考としては、限りなく間違いはなく到達していた。

 ショータは、シュン、としながらも、

 「・・・わかり、ました・・・」

 歯ブラシセットを元の右ポケットへと仕舞い直して、ムラタの方に近づいて、ムラタの提供する歯ブラシを受け取った。 

 「それじゃ、御三方は歯ブラシをなさって下さいっす。あ、シーちゃん、此方歯ブラシ粉っす」

 ムラタは楓に続けて白いチューブ入りの歯ブラシ粉を手渡した。

 その言葉に、楓は「わかった」と応じる。

 「鈴音、アオバ君、歯を磨きにいくよ。虫歯になったら大変だから」

 その言葉に2人は従い、3人は脱衣場の方へと赴いた。

 ドアを開けて3人は中に入る。

 広さで言えば、3人居ると、少し狭くなってしまうかもしれない、という具合の広さ。

 畳が2畳分ぐらいの広さの脱衣場。

 そこで楓が率先して洗面台に立つ。

 「2人共、一応ムラタさんの言う通り歯ブラシをちゃんと洗ってね?」

 「うん」

 鈴音は直ぐに返事した。

 そしてショータは、

 「・・・毒を落とす為・・・ですか?」

 ふと疑問に思ったように、これで合ってるか不安な程合いの表情で尋ねた。

 楓は「ん、」と応じて、

 「ここ、魔王城だからね・・・色々と大変なのよ」 

 「・・・」

 「アオバ君も、これからココに住む事になるんだろうし・・・こういう事は覚えておいた方がいいわ」

 その言葉に、ふいにショータは少し驚いた顔をした。 

 その表情の色合いは、呆気な色合いが多い。

 (・・・一緒に・・・)

 ふいに、ショータはその言葉が、脳裏で反復した。

 それは、さっきの感覚の最中の気分。

 (・・・)


 ――――それは、漠然としていて、言葉で明確に疑問に思ったものではない感覚。

 

 言葉にすれば、それは、

  ―――『さっきの気持ちが―――消えてくれる?』

   ―――『あの縁の中に―――在れる?』

 そんな、切なくて、まだ分からなくて、だから気強い雰囲気はなく、何とも言えない顔で俯くしかなかった感覚。

 「・・・?」

 楓は、ふいにそんなショータの表情に疑問符を浮かべた。

 それは、ショータの表情が読み取りやすいものではない、微細で微妙な色合いだったから。

 だから、楓には何か、ショータが考え事をしているように見えるぐらいで、大きな理解に至れる事柄ではなかった。

 ただ鈴音は、

   キュ・・・

 ショータの右手を左手で握る事を、示していた。

 ショータが、ふいに驚いて右側に居た鈴音を見つめる。

 鈴音は、おっとりとしていて、今さっきのショータ程に色々な心情がない交ぜになっていて、分かりにくい表情をしていたのとは、根本的に違って表情の色合いの変化が乏しい雰囲気なのもあって、今度はショータが鏡合わせになってしまうかのような表情を見つめる事になった。

 ただ、

 鈴音の表情は、ショータに読み取れた。

 それは、とても小さな色合い。

 鈴音は、どこか、何かショータを心配するような色合いが見え隠れしていた。

 「・・・」

 ショータは、その視線を受けて、ふいに小さく俯いてしまった。

 楓が、ふいに疑問符を浮かべたままだったが、2人の方を見てショータへと、

 「それじゃあ、私は洗い終えたから次はアオバ君、やってみて?」

 そう告げて、ショータは咄嗟に顔を上げて、楓の方を見て、

 「は、はいっ・・・」

 楓が洗面台の左側の空いた辺りに移動するのにつれて、右側(ドア側)の方に鈴音と居たショータは洗面台の前に立つ。

 楓より背丈は小さいショータは、爪先立ちを少しだけしながら、手渡された別途の歯ブラシを洗い始める。 

 少しばかりぼんやりとした表情になりながらも、ショータは次の順番に鈴音が居る事を気遣い、楓と同じ時間ぐらいを洗ってから、蛇口の水を止めて、後ろに下がる。

 「はい、アオバ君」

 楓は、歯ブラシ粉を手渡した。

 「今、使ってるけど、何ともないから大丈夫な奴って保障できる」

 そう言う楓の説明を受けつつ、ショータは、

 (・・・)

  

 『私もなんだ。よくなっちゃう』

 

 自分の悪癖を思い出して、そして1人の女の子の事も、思い出していた。

 

 鈴音が、歯ブラシを洗い終える。

 鈴音がふいに疑問符を浮かべる表情になる。

 ショータが、まだ歯ブラシ粉を使い終えてなかったから。

 ショータは鈴音と、遅れてショータが立ち止まっていた事に気付いた楓の視線に気付いて、ハッ、とした。

 慌てて、自分の歯ブラシに歯磨き粉をつけて、チューブの蓋を閉じて、鈴音へと、

 「どう、ぞ・・・」

 手渡した。

 楓は、気のせい?という具合に疑問符を浮べながらも、自分の歯磨きに専念した。

 そして鈴音は少しだけ、不安な顔を数瞬していたが、鈴音も歯ブラシに歯磨き粉を付けて歯ブラシを始めた。

 ショータは、自分の悪癖がバレないように気をつけながら歯を磨いた。

 だから、最初に歯磨きをしていた楓が歯磨きを終えて、うがいを始めてそれも終えたら、直ぐにショータもうがいを始めれるように歯磨きはしたけど、急いだ感じで行った。

 違和感は然程無い流れ。

 そんなままに、歯磨きは終わり、

 「あ・・・どうしよ、ケースがないのか・・・」

 楓が気付き、どうしたものかという表情になる。

 「しゃーない、鈴音、アオバ君。とりあえず私達のはもう一度こまめに洗って、そして水をはらってから、ポケットに仕舞っといて。床に水滴こぼす訳にもいかないし・・・ムラタさんからキッチンペーパーでも借りて、私と鈴音は自室の歯磨き置き場に置くまではそういう形で保管。アオバ君はムラタさんに、また聞いて対応、って事にしましょ」

 「うん・・・」

 楓は先に鈴音にやらせてから、次に楓が歯ブラシを洗うのを始めた。

 ショータは、そんな姿を見ながら、今、手にある歯ブラシを一瞥しながら、

 「・・・」

 右手をロングワンピースの右ポケットの中の歯ブラシケースの方へと伸ばして、そして取り出して歯ブラシケースの中に入れるべきかと迷ったが、ムラタから言われたコレは使って欲しくない旨の言葉を思い出して、ショータは鈴音の後に続いて同じ様にした。

 ロングワンピースの右のポケットに仕舞い直す。

 そして歯ブラシ洗いが終わったのを楓が認識すると、 

 「それじゃ、戻るよ」

 ドアの方へと手をかけて、楓は率先して退出した。

 2人も後に続く。

 楓がL字を上下反転して左右反転したかのような、途中でトイレのドアが右側にある、廊下を歩いて部屋の方へと入っていく。

 「ムラタさーん、ちょっといいー?」

 そして楓は鈴音とショータが部屋に入る前の廊下に居る段階でムラタへと声をかけていた。

 楓が「キッチンペーパーとか、歯ブラシを包んどくものないー?」という風に会話を始めていた。

 そして鈴音が前に歩く中で、ショータも後ろに続く。

 ふいに、ショータは自身の着ているロングワンピースのポケットの方へと目線を向けた。  

 「・・・」

 足取りが、途中で止まりそうな色合いが、ショータの全身から垣間見えた。

 だが、先に鈴音が立ち止まっていた。

 ショータは、ふいな顔をして顔をあげた。

 すると、鈴音は右手をショータの手元の近くに差し出していた。

 「・・・」

 鈴音は、無言だった。

 だが、その表情はショータの手を引っ張った時みたいな顔色と同じだった。

 まるで、家族に対して向ける手。

 されど、表情として写るのは家族と接する嬉々の様な類のものではなく、心配の色合いが含まれているものだった。

 ショータは、ふいに戸惑った。

 そして、迷った。

 どう接すればいいのかを。

 だから、これで正解なのか分からないという顔をしながらも、

   

   スッ・・・

 

 ショータは、鈴音の右手を左手で握った。

 「・・・ン」

 鈴音は、微笑んでいた。

 ショータは、その微笑みが、ただしい行動を肯定してくれたものなのかは、分からなかった。

 ただ、自然と、鈴音の歩調と身体がシンクロしたみたいに自然と歩く事は出来ていた。

 2人は、部屋の方へと出る。

 楓とムラタの方の2人は、ムラタが配膳車の中が何でも入っている便利なポケットでもあるかのように、自然と箱ティッシュ型で斜め口から取り出し使うキッチンペーパーを楓へと提供していた。

 「新しい歯ブラシはいいんだけど、ケースとかないと意味ないでしょムラタさん・・・」

 「いやぁ・・・ホントは保護された方々用の長期宿泊、もとい洗面台辺りに置いて貰おうと思ってたもんすから・・・渡し忘れてたんすけども、ショーちゃんの場合はコップも歯ブラシ立て代わりにお渡しするつもりでしたから・・・シーちゃんとスーちゃんは想定外っすよ〜・・・」

 「そりゃあ・・・悪かったけど・・・」

 2人は、そんな風に会話をしていた。

 そして楓が鈴音達が机の辺りまで来ていたのに気付いて、楓はキッチンペーパーの一枚を鈴音へと手渡していた。

 「はい、鈴音。これでとりあえず包んで、部屋に戻ったら洗面台の歯ブラシ置き場とかに片付けるようにね?」

 「うん」

 楓と鈴音は、姉妹然とした雰囲気でそう会話しながら応じる。

 「アオバ君、アオバ君の歯ブラシは脱衣場の洗面台の隣の空いた辺りにでもタオルを敷いて、その上に歯ブラシを置いてよ。後でムラタさんがコップも渡すみたいだからさ」

 その説明にショータは、

 「はい・・・」

 応じていた。

 説明を終えた楓はふと動きが止まる。

 鈴音の右手が、ショータの左手を握っていたから。 

 密着するぐらいに近いな、と楓には見えていたからロングワンピースの衣服が被さっててよく見えなかった。

 楓は、それに気付いて、

 「・・・鈴音の歯ブラシ、確か左ポケットに入れてるよね?」 

 「ぇ・・・うん・・・」

 「なら、ペーパー返して?それと左手で歯ブラシ出して?私が包んでおくから」

 楓はそう言って、鈴音を促した。

 鈴音はその促しに応じた。

 左手でロングワンピースの左ポケットの中から歯ブラシを取り出して、握り手を楓の方に向けて手渡す。

 そして楓はそれを受け取り、キッチンペーパーでお歳暮の包み紙みたいに綺麗に折り包んで、鈴音へと手渡した。

 「ありがとう、おねえちゃん」

 鈴音はそう言って、楓から返された紙包みにされた歯ブラシを受け取り、元のポケットの中へと仕舞い直した。

 そしてそれを見て楓は、

 「・・・んー・・・」

 ふと、今更だが、こんな風に客室にお邪魔してしまっていいものなのかという疑念を抱いた。

 しかも、色々と気持ちの機微もあるであろう1人の男の子の部屋にどかどかと入り込んで。

 「・・・鈴音?えーと・・・」

 しかし、楓のそんな様子を直感的に察知してなのか、鈴音はショータの左腕に身を寄せて、楓が言いそうになった事に対して抗議の雰囲気を示していた。

 妹分の直感か、付き合いがあっての以心伝心か、どちらにしても楓はそんな鈴音の姿勢に、

 (・・・あー・・・)

 以心伝心を喜ぶべきか、この状況でそんな以心伝心をしないでほしいと思うべきか、些か困惑気味に内心で単音こぼした。

 (いや・・・鈴音・・・。アオバ君の都合も無視してずっと傍に居る訳にもいかないでしょうに・・・)

 楓は、どうしたものかと思いながらも、ふとショータの方を向いて口を開く事にする。

 「えーと・・・アオバ君?」

 「・・・?」

 「シャルディアさんがさ、色々仕事が多くて鈴音とかには会えない事が多いもんだから、鈴音がアオバ君に甘えている感じになってて・・・」

 嘘を織り交ぜた内容。

 しかし、鈴音は否定して訂正を求めたりしなかった。

 これまた、以心伝心か、空気を読んでくれたのか、楓には何ともいかんしがたい。

 「アオバ君さえ良ければ・・・なんだけど、鈴音ともうちょい傍に居て貰ったりしてもいいかしら?・・・」

 ふいに、楓は鈴音の目を見つめた。

 その鈴音の目線は、お風呂場へと連れて行かれた時とかと同じ『おねえちゃんも』という風な表情が見てとれた。

 楓は、内心でお手上げな気分になり、

 「・・・本当にアオバ君さえよければ、だけど・・・私もちょっと交流深めたりぃ・・・」

 「・・・」

 「なんてぇ・・・」

 楓の、何となく言葉が詰まる問い掛け。

 何となく楓の目線も、目が波線に泳ぐようなぐらいの、何とも言えない風にはなっている。

 目線が真っ直ぐではなく、外れているのか、外れていないのか、何とも言えない最中。

 ただ、ショータは左側に居る鈴音の体温が感じ取れていた事に気付いた。

 (・・・)

 

 ――――ガラスのヒビは、熱細工でまた新たに結晶とできるのかもしれない。


 言葉にして明確な認識を経ているものではない感覚。

 しかし、ショータの気持ちには、確かにそんな感じの、積み重なって形を成す糸の縁が無いのであれば、新しく織り成せるのかもしれないという気持ちの類を、確かに漠然とだが、抱いていた。

 8歳の子供の、直感や本能的な感覚の理性。

 「・・・は、い」

 ショータは、肯定の意味で返事をしたつもりだった。

 「へ?」

 楓は、ふいに返事をされて、それがどういう意味か分からなかった。

 「え、えと、それはオッケー、って事?」 

 「ぁ・・・は、ぃ」

 ショータは、トーンが落ち気味になりながらも、肯定を示して応じた。

 「・・・えーと、そりゃ、万々歳・・・?」

 そして対する楓も、自分で何を言っているのか分からなくなる感じで応じていた。

 唯一鈴音が表彰台にあがったように、あどけなくも、微細で小さなものでありながらも、歳相応の微笑みを笑みを浮かべていた。

 ムラタは既に食器洗いの途中だった。

 スポンジで食器を洗いながら、ショータ達の方を見つめている。

 「じゃあ、自分の食器洗いが終わったら少しお勉強するっすか?」

 ふいな言葉に3人全員の目線がムラタに集まる。

 「魔界の事を、幾らかお勉強しましょうっす。あ、此方ショーちゃんの為のコップっす」

 ムラタは、白いコップを手に持っていた。」



 


 

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 食器を洗い終えたムラタは、脱衣場にショータの分の白いコップを置いてきて、そして部屋に戻ってきてから、いつの間に持ってきていたのか――――もとい、それは楓達がお風呂に入っていた時にでも持ち込んできたのか――――玄関廊下の方から、ムラタよりも背の高い車輪脚立型のホワイトボードをキッチンの前の空いた辺りへと持ってきていた。

 ムラタが提案してから数分。

 楓達がムラタにお願いされた通りに窓側を背にする席(キッチンの方を向く席)に椅子を持ってきて座して待っていた所、ムラタは準備を終えたらしい。

 ホワイトボードに備え付けだったのか、教員が黒板の場で使う指揮棒の様なものを持っていた。

 そして、ホワイトボードの板下の溝の辺りには黒い専用のペンやボードクリーン(ホワイトボード用黒板消し)などが置かれていた。

 そして何故か右端には丸い磁石留め具も沢山ボードにくっ付いている。

 「えー、ではお勉強気を始めたいと思いますっす」

 ホワイトボードの右側に立ち、ムラタは一礼しながらそう口にした。

 楓は口を開く。

 「えと・・・さっき魔界のお勉強とか何とか言ってたけど・・・どうするつもりなの?」

 「シーちゃんやスーちゃんが魔界に来た時と同じ様な魔界一般常識のお勉強っす」

 「・・・」

 楓は席を立った。

 ショータと鈴音が疑問符を浮かべて怪訝な顔をするのも気にせず、ムラタに詰め寄り小声で尋ねる。

 それは鈴音やショータには聞こえない程の小さなヒソヒソ会話。

 2人共ショータ達に背を向けて、話し込む。

 『・・・私や鈴音の時は、それなりに合間・・・だいたい一週間ちょっと以上は空いてからどうこうしてたじゃない。なんでアオバ君は急なのよ?無理して詰め込んでも・・・』

 『シーちゃんやスーちゃんは世間に簡単に隠蔽できたんすけど、ショーちゃんは今回の事件の転び方次第ではちょっと問題が大きくなりかねないもんで・・・』

 『・・・世間を騒がすニュースみたいになったりの最悪を想定しての事、って訳?』

 『そうっす。・・・何よりショーちゃんに教えるなら今がチャンスみたいらしいんで・・・しばらくはお勉強期間を設けたい感じでもあるっす。あと、もし報告書通りの4人の人間の子供達の方々もご存命で、保護に成功したら同じく早期に色々教えておきたいってのもあるっす。魔界のパパラッチ対策の為の土台作りも必要、って事っすね。・・・シャーさんの方針でもあるっすよ?一応は』 

 『・・・まぁ、分かった』

 楓は一応、しぶしぶと応じる。

 『あ、できればシーちゃんも補佐に回って欲しいんすけども・・・』

 『えっ、なんで・・・』

 『やっぱり歳の近い子同士の方が、どう教えればいいか分かると思うんす。教師の視点からだけじゃダメな時もあるっすよ?』

 その言葉に、楓は何とも言えない顔をしたが、

 『・・・分かったわよ・・・』

 ホワイトボードの左側に立って、仕事を引き受けた。

 そしてムラタが居佇まいを仕切りなおして、口を開く。

 「では、皆さん。少々お待ち下さいっす」

 ムラタはそう言うと、ホワイトボードの後ろの方で何か準備をしていた。

 楓は怪訝な顔で「?」という顔をした。

 そしてホワイトボードの後ろの方を見ると、ムラタはホワイトボードの後ろの方の溝棚の中に収納していたらしい、細長な円筒を開いて、中から丸められて柔軟性透明フィルム保護みたいなのがされた物を取り出していた姿を見た。

 それを見て、楓は更に怪訝な顔をした。  

 対してムラタがそれを持ったままホワイトボード前側に出戻った時、鈴音も、ショータも怪訝な顔をしていた。

 だが、ムラタがそれを広げて、右端にくっ付いていた磁石留め具を使いながら広げた紙をボードに貼り付け始めていた。

 その広げられた紙を見て、楓はそれが何なのか理解した。

 そしてそれは鈴音も同じ。

 唯一、ショータはそれが何なのか、分からない顔をせざるをえなくなった。

 それは、ショータの見識では幾許程度のものしか見た事もないであろう、古い時代の世界地図の様な焼け茶色な色合いの地図の姿だった。

 ホワイトボードの7割は占めるサイズで開かれている。

 「ショーちゃん、これが何か分かるっすか?」

 ムラタの問い。

 それに対してショータは、

 「・・・地図・・・ですか・・・?」

 怪訝な顔で尋ねた。

 ムラタは、

 「そうっす。そしてコレは魔界の現時点での世界地図なんすよ」

 その言葉に、ショータは、

 「・・・魔界、の・・・?・・・」

 そう、声をこぼしていた。

 ショータにこれから説明をしようという時、ふとムラタは楓が手招きしている事に気付く。

 すると、左手の親指を立ててホワイトボードの後ろを指差している姿を示していた。

 ムラタは、それが、楓がホワイトボードの後ろに回って欲しい、というジェスチャーである事を理解した。

 ムラタは楓の動きに合わせてホワイトボードの後ろ側へと回る。

 『・・・ねぇ、ムラタさん』

 『はい?』

 比較的小声な会話。

 どうやら先程の小声の会話の続きと見て、ムラタは声をなるべく潜める。 

 楓は尋ね始める。 

 『さっき、イザコザとか、パパラッチ対策とか言ってたのに・・・なんで魔界の現時点での世界地図を教える事から入ったの?』

 その問いに、ムラタは、 

 『まずはイメージが大事っす』

 そう答えた。

 『イメージ?』

 『シーちゃん達の時もまず始めは世界地図から、って感じだったでしょう?』

 『・・・まぁ、そうだけど・・・』

 『どんなお勉強も、頭の中でイメージし易い感じの土台を作る事は大事っすよ。それにショーちゃんは魔界の事はどうあがいても無知な状態な訳ですし、シャーさんの言語履修とかで無理に知識を詰め込む様な事をすると、下手すれば廃人とかになりかねないですし・・・』

 『・・・』

 『と、言う訳でとりあえず初歩から始める、って事っす。シーちゃんとスーちゃんという、ちゃんとカリキュラムを検討してみて、お勉強して貰って、何だかんだでそれなりにお勉強が出来た前例に沿いたいというのもあるっすしね』

 『・・・まぁ、分かったわ』

 楓はムラタの説明に了承を示した。

 2人は前の方に戻り、きょとんとしていたショータと鈴音に対して、楓が一度咳払いをしつつ、ムラタが説明を開始する。

 「とりあえず、ショーちゃん。これが魔界の現時点の世界地図なんす」

 ショータには、不思議な感覚だった。

 その文字は、人間には読めない様な文字のはずだった。

 しかし、ショータは読めた。

 それは、魔王の庇護下であるという事を意味し、そして言語履修という特異点能力が働いている事に他ならない。

 そしてショータは、ただ漠然と、その年齢ではありえないぐらいに、その地図の大まかな情報を認識する事が出来ていた。

 地図の中心を時計の針の根の部分と比喩すれば――――東、西、南、北、そしてその4方角の合間の、西南、南西、南東、東南、東北、北東、北西、西北の計12の方角に、国がある事が理解できた。

 ショータは、『異世界』という言語の概念の理解を経た時みたいに、不思議な感覚でそれを見ていた。

 その12国の配置は、まるで缶詰のパイナップルを12等分したみたいに均一。

 しかし、それは地図の中心の辺りからの話で、パイナップルの外側はそれぞれの国の国境を示す線が12国全てが微細に、または大きめにそれぞれ違うなどの特徴を示していた。

 ただし、12等分の直線状の範囲から逸脱していなくて、まるで食べかけのピザみたいな状態になっている。

 3方角直線、外側の方角だけが領土の違いを示していた。

 それも、ショータはおかしな事に、国境という明確な理解を経ていないのに、それが敷地みたいな理解を経ている。

 (・・・)

 ショータは、とても不思議な感覚だった。

 まるで、この地図そのものに魔法が備わっていると錯覚する程に。

 それは、魔王の職責の時の余波か、それとも偶然か、否か。

 どちらにしても、ムラタが口を開き、

 「そういえば、ショーちゃんは国境、って分かるっすかね?」

 そう尋ねると、ショータは、

 「・・・た、ぶん・・・」

 そう、答えた。

 そしてムラタは、

 (・・・魔王様の言語履修、いい感じみたいっすね)

 そう内心で声をこぼしながら、話を進めても大丈夫そうだと思った。

 「じゃあ、お話を進めるっすね?」

 ムラタは、溝棚の中の指揮棒を右手に装備して、魔界の世界地図を指揮棒で指し始めた。

 「ショーちゃん、この太くて黒い線が魔界の国々を分ける国境っす。で、この中心をっすね・・・」

 ムラタは、世界地図の中心、まるでパイナップルの果実の無い穴あきの部分の中心点の位置を指した。

 「東西南北の方角に分ける為の中心点として扱えばいいっす。・・・あ、東西南北は分かるっす・・・か?」

 「ぁ・・・は、い」

 「解説が楽で助かるっす。なら続けましょう。・・・・で、東西南北と、その合間の方角も合わせた12方位の方角に、それぞれ国があるんすよ。そして名前はその方角の後ろに「国」とついて呼ばれるんす。ちなみに・・・」

 ムラタが、指揮棒を用いて、西南国と書かれた部分、時計で言えば8の辺りの部位を指し示した。 

 「今、ショーちゃんが居る国が、この『西南国』になるっす。で、シャーさん・・・じゃなくて、魔王シャルディア=センルーザー様が王様として統治するのがココになるっすね。つまり自分達の立っている場所の所になるっす」

 「・・・」

 (・・・シャーさん・・・?)

 ショータは、ふと変な所が気になったが、真面目に授業を聞く。

 「で、1つの国の面積がおおよそ・・・えー、確か、ショーちゃんの世界のロシア、と言うんでしたっけ?のおおよそ2、3倍以上の面積があるっす」

 「・・・」

 ショータには、あまりピンとこない。

 小学2年生レベルの知識で、社会科の授業は些か難しいのかもしれない。

 ショータも「ロシア」という国の名前ぐらいは聞いた事があるような気がする程度。

 隣の楓が注釈する。 

 「私達の故郷の世界で、一番面積の広い国よ。アオバ君」

 その説明を聞いて、ショータは続けて平均2、3倍の広さ、という部分が頭の中で連想ゲームのようになり、ショータには途方も無い話のように思えてくる。

 ムラタが話を続ける。

 「ま、ま、そこら辺の事も後々一つ一つずつ、覚えていけばいいんす。12方角統治ノ協定とかの重要な部分然りっすね」

 「・・・十二方角統治ノ協定・・・?」

「魔界で結構重要なルールの事っすよ、ショーちゃん。そこら辺もまた追々後にお話したいと思うっす。コレは覚えることが多いっすからね」

 「・・・ルール・・・」

 ショータは、何度か耳にした言葉を思い出すような気持ちになりながら、

 「・・・わかり、ました」

 肯定を示した。

 そしてムラタは気さくな感じで言葉を続ける。

 「そいででしてね?追々お話するという事になる12方角統治ノ協定なんすけども、ちょっとだけ引用したいと思うっす。魔界の世界地図の説明をする時には、コレも関係するもんすから」

 「・・・?」

 「その12方角統治ノ協定が密接に関係している土地、と今は覚えておいて貰えればいいんすけども、この中心の部分、」

 ムラタは、12国の中心の、どの国境にも属していない、不干渉地帯の様な丸い円の部分を指揮棒で指した。

 その円の大きさは、缶詰入りのパイナップルの穴の空いた部分の様なサイズを示している。

 「ここは『会談地』と呼ばれるんす。今日はとりあえず『会談地』という言葉を覚えましょう。ショーちゃん」

 「『会談地』・・・」

 「そうっす。魔界の前後左右上下も分からない状態なのに、実感も体感も無いのに無理して詰め込み学習するのは自分も苦手なもんすから、とりあえずは単語を覚えておきましょうっす。・・・んで、あと1つ、魔界の世界地図を見る上で覚えておいて欲しい単語がありますっす」

 「・・・?」

 「この地図を見るだけで12の国の・・・この外側の部分の国境は全然違うでしょう?」

 ムラタは12国の方角の方、つまり12国全部を円とするなら円の外側を指揮棒でなぞりながら説明した。

 ただし、その方角に向いた形のサイズはバラバラだとしても。

 「これはっすね?『未開拓地』と言うんすよ」

 「『未開拓地』・・・?」

 「はいっす。ショーちゃんの故郷の世界の地球は7割方が『海』だ、って事は聞いた事がありますっすか?」

 ショータはその問いに、少しばかり考えて、

 「ぇ、と・・・」

 何となく聞いた事はあるような気がするが、確信には至れない。

 楓が助け舟を出す。

 「ムラタさん、そこら辺もおいおい教えていけばいいんだし、問答は止しといた方がいいんじゃない?」

 その問いにムラタは「あっ、」と、不覚の至りという顔をして、

 「そうっすね。ま、ま、ショーちゃん、今のは覚えておくといい程度、って事で1つよろしくお願いしますっす。本題は地球の7割が海って点じゃないっすから」

 その言葉を口にしてムラタはホワイトボードを一瞥しながら言葉を続ける。

 「自分が言いたいのはっすね?魔界の常識じゃ信じられない事なんすけども、ショーちゃん達の故郷の世界の地球というのは、既に「星」という概念を持って世界一周が成功しているという点なんす。つまり未開拓地の先は分からないって事なんす」

 ムラタは、注釈するようにそう口にした。

 だが、直ぐ様にハッ、として、

 「・・・あ、すいませんっす・・・コレも詰め込みになっちゃうっすね。・・・まずそもそも、皆さんの故郷の世界の『地球』という『星の学問』のイロハから教えないといけないっすからね・・・ホントにすみませんっす・・・」

 ムラタは、申し訳なさそうに言葉を連ねていた。


 そして、その言葉が、


 『―――ショウタ、地球はね?丸いから、ずっと同じ所を歩き続けたら、同じ所に戻ってくるんだ』


 ショータの記憶を、想起させた。


 1人の影、その記憶。

 大切な存在から、教わった知識。

 リビングの机の上。あるのは大きな地球儀。

 それを共にして右隣に影の存在を共にして座って聞いた事。

 

 『ほら、ここに指が立って歩き続けると、・・・ほら、同じ所に戻ってきちゃうだろう?』

 

 指を人の様に見せかけて地球儀を一周する。


 『だから、地球っていうのは歩き続ける事への終わりがあるんだ。けど、海があって、火山もあって、真っ直ぐは歩けない。けど、今の時代は人が飛行機で世界を一周したりする事ができるんだ』



 「・・・魔界は、違うん・・・ですか・・・?」

 そのショータの問い掛けに、楓とムラタは少し虚を突かれた顔をしていた。

 「ありゃ・・・ショーちゃんは、『星の学問』・・・というより、地球の色んな事をご存知で・・・?」

 「ぁ・・・ぇ、と・・・」

 ショータは、分かる範囲の事を連ねた。

 「地球が・・・ぇ、と・・・丸くて、・・・飛行機に乗って、世界を一周できる事・・・とか、ですか・・・?」

 その言葉に、楓もムラタも少しばかり驚いた顔をしていた。

 ムラタは少しばかり嬉しそうな顔になった。

 「いやはや、まずは皆さんの世界の学問から教えないといけないなぁ、と・・・魔界の地図を出しておきながら思ったんすけども、今回に限ってはショーちゃんに説明する手間暇が省けるみたいっすね。なら外側に関しての部分だけなら、ちょっとだけ魔界の事を説明しても大丈夫そうっす」

 ムラタはそう告げて、話を進める。

 「地球に関してはショーちゃんの言った通りっすけど・・・今の魔界は、魔界が星なのか、それともそうでないのか、という事すら分かっていないんす。つまり世界一周が成功していないという事になるんすね」

 「・・・?」

 ショータは、少し難しく考えながらも、

 「・・・だから・・・まだ・・・未開拓、地・・・?が、分からない・・・?」

 そう言葉にした。

 「そうっす」

 ムラタは相槌した。

 ムラタが腕を組んで一考してから、

 「この世界・・・魔界はっすね?多分、大多数は星って考え方の世界じゃないんすよ」

 「・・・え・・・」

 「多分ですけどね?何せずっっっと・・・平面・・・大地が広がってるみたいな世界なもんすから、星、って考え方もこの世界じゃマイナーなんすよ。言葉の意味合いも色々用途が違ったりしますし・・・例えば誰かがお亡くなりになられて「お星様になった」みたいな使われ方の方が多いっすから」

 ムラタは例え話を交えながら言葉を続ける。

 「だから、この円の外が調べ続けなきゃいけない部分、つまりまだ見ぬ土地、だから未開拓地と言われている所以になるんすね」

 ショータはふいな言葉で、混乱した。

 楓が、補助に回る。

 「アオバ君、わかりにくいと思うから私が教えるわ。つまりね・・・」

 楓はホワイトボードの後ろに周り、キッチンに隣接して停車してた、配膳車の中から林檎を1つ取り出した。

 そして机の前に立って、ショータと鈴音、どちらにも見えるような場に立って林檎を右手の手の平の上に乗せて、左手で林檎を指差しながら、

 「アオバ君は・・・さっき地球の事をある程度知ってるみたいだったけど・・・地球儀、って分かる?」

 楓はそう尋ね始めた。

 その言葉に、不意にショータは、つい先程の想起と合わさって息をのんでしまうが、

 「・・・は、い」

 ショータは肯定する。

 そして楓は説明を続ける。

 「ン・・・なら、地球儀が無いからさ。今はこれが地球儀の代わりだとでも思ってよ。・・・地球儀って完全に丸いでしょ?」

 「っ、ぁ、はいっ」

 ショータは聞きこぼしたりしないように気をつけて耳を傾けた。

 楓が説明を続ける。

 「この林檎も完全に丸いものだと思って聞いてね?・・・えーと」

 楓は、林檎の横に左手の人差し指をピッと触れさせた。

 「地球ってさ、終わりがあるでしょう?だから世界がどれだけ広がっているか、なんてもう分かってることになる」

 「・・・はい」

 「けど、魔界は違うの。・・・多分、魔界は私達の故郷の地球とかとは、比べ物にならない広さなんだ。・・・そして、この林檎・・・地球みたいに丸い星の世界、って訳じゃないかもしれないの」

 そう言って、楓は手元の机の上に林檎を置いた。

 「もし、この林檎が地球だとしたら・・・この机が魔界、って感じなの」

 「え・・・」

 ショータはふいに下を、机の方を見た。

 楓が言葉を続ける。

 「この机はさ、置ける規模・・・置けるお皿の数が決まってる・・・終わりがあるでしょう?だから、実際にはこの机を魔界に例えるのも間違いなんだ。・・・だから、この机がもし、幾らでも物が置ける・・・終わりの無い机なんだとしたら・・・それが今の魔界の常識として捉えられているモノ、って思ってくれれば・・・例えになるかもしれない」

 ショータは、机を凝視した。

 そして、楓の手元の林檎をふいに一瞥して、

 「・・・地球より・・・大きい星・・・?、って事・・・ですか?」

 「うーん・・・どうだろ」

 楓は、困った様に机を見渡し、

 「大きいっていうのは正解。だけど星なのか否かは、まだ分からない、って感じなの」

 「・・・わからない・・・」

 「そういう事。・・・うーん・・・コレばっかりはシャルディアさんに空の旅行にでも連れてって貰わないと、実感的に貰うのは難しいだろうしなぁ・・・というか、否定も肯定もできないのが今の状況なんだよね?ムラタさん」

 「はいっす。『星』っていうのが丸いって感じか否かなのは自分では分からないっすね・・・シャーさんからアチラの映像とかを見せて貰った事はあるんすけども」

 ムラタがショータを一瞥し、上を右手で人差し指を伸ばして指した。

 「魔王様はっすね?空の向こう側に行く事ができるんすよ」

 その言葉に、ショータは疑問符を更に浮かべた。

 その説明ではわかりにくいか、という事をムラタは思ってか、右手を降ろして、

 「あ、じゃあ魔王様は飛べるんすよ。鳥さんみたいに羽を羽ばたかせる感じじゃないっすけど、こう普通に立ってても上にすーいすいって感じで」

 子供用教育番組のお姉さんみたいに両手を軽く左右に、腰に当てるぱたぱたとした仕草をしながら、そう説明する。

 ショータは、

 「鳥・・・?」 

 そう声をこぼす。ムラタは説明を続ける。

 「そうっす。で、魔王様って物凄い速さで飛べるんすけど・・・」

 ムラタは左手に備えていた指揮棒を右手に装備し直す。

 そして、ホワイトボードの西南の方の円の外側と比喩できる方を指揮棒でずっとなぞってから、

 「この円の外側をずっと真っ直ぐ飛ばれても、終わりを魔王様が見つける事はできなかった、・・・って仰られたんす」

 そのムラタの言葉に同調するように楓が林檎をまた持って、

 「地球みたいな星なら、一周しちゃうでしょ?けど、シャルディアさん曰く、行ける範囲まで行ってみたけど・・・」

 楓はそれが銀髪の魔王が分身体を用いた事と脳裏に浮かべるが、目の前の教え子の立場の男の子には訳が分からなくなってしまう内容だろうから、そこら辺は伏せて話し続ける。

 「終わりは見つからなかったって言ってた上に、私達の今居る西南国に反対側から戻ってくる・・・なんてこともできなかったんだって」

 「・・・」

 ショータは、その説明を聞いて、ただ漠然と、何ともいえない気持ちになる。

 ただ、あるとすればその言葉全てが事実ならば――――ここが故郷の世界ではないということへの再確認――――それを認識する現実が傍にあった。

 ふいに楓が、

 「私もさ、一週間ぐらいシャルディアさん達と一緒に、この円の外側・・・この地図代わりの中心から方角を見たら西南の方角の方を旅した事があるの。・・・外側ってさ、荒野みたいなのが広がってるんだ」

 「荒野・・・?」

 「そ。そして時々白い草が生えているんだけど・・・そこら辺は、この円の中の、緑化された環境じゃないから、って事になる」

 「・・・??」

 「あ、えとね・・・円の中の12の国々は、植物を一杯植えているんだ。地球の植物とかを使ってさ」

 「地球の植物・・・?」

 「そ。シャルディアさんとかが出来る力みたいなんだけど・・・確か``乖世収集``って言ったっけ?っていう力でね?干渉できる異世界に限って、異世界の物をコッチ側に持ってくる事ができるの」

 「・・・え・・・」

 ショータは、段々と、何故か言葉が理解できるようになってきていた。

 それは、まるで異世界という現実を、概念を認識すればするほどに知識が自動的に増えているかのように。

 「だから異世界から植物とか色々なものを持ってきて、魔界を発展させてきたのが魔界の歴史・・・って感じなの。・・・で、えーと・・・」

 「あ、のっ・・・」

 ショータは、声を小さく荒げた。

 「・・・植物、は・・・生き物・・・ですよね?」

 「へ・・・?そりゃ、そうだけど・・・」

 「・・・人間も、・・・持ってくる事が・・・できるんですか・・・?」

 その問いに、楓はふいに目を見開いた。

 (しま、・・・っ・・・た?もしかしてっ・・・)

 そして、直ぐ様に地雷を踏んでしまっていた事に、気が付いた。

 ムラタもそれを察していたらしく、楓へと「あ、あのーシーちゃん?」とショータの様子を伺いなら楓に何か気をつけて、と言いたげな感じになっていた。

 そして、楓はわざと話題を逸らすかのように、

 「え、えとね?それでムラタさんの言った12方角統治ノ協定って言うのが・・・」

 「・・・・・・」

 ショータは、ただ真剣で、されどどこか不安が入り混じった顔で、楓の顔を見ていた。

 それを見て、楓は何とも言えない顔で意気消沈して、

 「・・・うん、そう。・・・シャルディアさんとかが使える``乖世収集``ってね?異世界から生き物を・・・人間も連れてくる事ができるんだ」

 その言葉に、ショータは目を見開いた。

 しかし、楓が直ぐ様に、姿勢を直して、真摯な表情をして、

 「アオバ君、シャルディアさんがアオバ君をこの世界に連れてきた訳じゃない・・・と思うよ?」

 



 スティアラ『ええ、・・・私はお姉様達みたいに乖世感知も使えない魔王としては未熟以前の者ですけど・・・他の魔王は、確かにお姉様本人が乖世収集使用の犯人であるような事は、否定なされてるわ。・・・もちろん、謀略が絡んでいたりとかのケースなら違うのでしょうけど・・・全員一律に言うのだから、可能性は高いと思う』





 (――――スティアラさんが、そう言っていたんだから・・・きっと・・・)

 楓は、自分には分からない、飽くまで信じたいという気持ちで、口から、そして内心からも、言葉を連ねていた。

 自分はこの世界の生き物ですらない、人間という異種族。だから、絶対なんて言える事は1つだって無い。

 それでも、信じたい気持ちは、本物だった。

 「・・・」

 それに対してショータは、ふいに俯いて沈黙して、

 「・・・どう、して分かるん・・・ですか?」

 疑問を投げかけていた。

 その姿勢に、楓は少し驚いた。

 視界に写る男の子が疑心暗鬼になっているかのと思った。

 いや、実際そうなのかもしれない。

 だが、それ以前にこうやって言葉にして聞いてくるという事が、一瞬視界に写る男の子が、鈴音よりも年下な子供にしては、大人びているとすら感じる事が出来た。

 自分がこの歳の頃の時――――魔界に訪れてしまった歳の頃が――――こんなに『何故か』という疑念の探求ができる程の子供だっただろうかという疑問を、自分に問いかけたくなる程に。

 楓はホワイトボードを一瞥して、左手でホワイトボードの中心、それはまるで描かれた地図のような絵全体を指し示すかのようにして、

 「・・・さっき、ムラタさんが12方角統治ノ協定に関して単語だけを話してたけど・・・これはね?シャルディアさんから聞いた言葉そのまんまになっちゃうけど・・・12方角統治ノ協定っていうのは、『【魔王】の力の均衡を保つ為のルール』なの」

 「・・・?」

 「アオバ君が疑問に思った乖世収集、これも確かに出来る事だけを聞いたら、シャルディアさんが私達全員をこの世界に連れて来たんじゃないか、って疑問に思うのは当たり前だわ。それに、私も正直・・・シャルディアさんも例外じゃないけど、魔王の誰かが私をこの世界に誘拐したんじゃないのか、って・・・故郷恋しさに思っちゃう事もあるわ」

 「・・・・・・」

 「けどね、まず説明しておくと、魔王の人が無関係で、・・・異世界から魔界に生き物がふいにやってきてしまう事柄は、自然現象でもあるらしいの」

 「自然現象・・・?」

 「そ。私は難しい事は分からないけど・・・次元や素粒子とか・・・だっけ、とかの観点で見ても、解明できてないとか、で・・・ううん、ここら辺は置いとくわ。説明できないし、話がズレちゃうから・・・」

 楓は、林檎を手に取り、机の上から離した。

 「この机の上には、何もないわね?」

 「・・・はい」 

 「・・・けど、異世界から生き物が何かが来ると・・・」

 楓は、机の上に林檎を置いた。

 「こうやって、何も無かった所に『生き物』が現れる。コレは・・・林檎だけど、この林檎がハムスターとかだと思ってくれると分かりやすいと思うわ」

 「・・・」

 「これは『渡来』とか『外来』とか、正しくは『異世界漂流体』って呼ばれ方の現象なの」

 「・・・渡来・・・外来・・・漂流体・・・?」 

 「そ。で、私と鈴音は多分、その自然現象の方でこの世界に来ちゃった方になる」

 楓は、ショータがこの世界に来てしまった理由は、可能性や推察の論の域を出ず、当人の認識も経ていない以上は、伏せた。

 「・・・なんでそれが分かるか、っていうと乖世収集が出来るのって、魔王に成った人だけなの」

 「魔王だけ・・・?」

 「そ。そしてそれに加えて乖世収集ができる人ってえーと・・・ムラタさん、物凄い少ないんだよね?」

 「あ、はいっす。シャーさ・・・、じゃなくて魔王様、今の12の国に居られる魔王様方だけに限れば、3人しか乖世収集の力をお持ちになってる方々はいないと思うっす。隠されているパターンもあるかもしれないっすけど・・・」

 「ありがと、・・・で、この3人が乖世収集が使える訳として、・・・で・・・アオバ君はこの乖世収集が使えるこの3人の魔王に対して、シャルディアさん含めて疑惑の目を持つのが普通よね?」

 「・・・」

 ショータは、何故か難しい会話のはずなのに、さっきよりも明確な理解を得られる感覚のままで、無言で頷き、肯定を示した。 

 楓は客観視できずに話に熱くなっている。故に、ショータのその異常な聡明さが起きている状態を把握できていない。

 唯一、ムラタや鈴音が、違和感を覚えていた。

 ムラタは、

 (言語履修が・・・かなり効果を発揮しているんでしょうっすかね・・・?)

 ただ、心配になる。

 それを横目に楓は言葉を続ける。

 「だけどね?この乖世収集っていうのは他の魔王の人達がお互いの事を知っていると、誰が乖世収集が使えるのかー〜ってことが国跨ぎでテレパシーみたいに分かるんだってさ」

 「テレパシー・・・?」

 「``乖世感知``って力の名前だったと思う。それはシャルディアさんも持ってるらしいけど、他の魔王の人達も・・・えーと確かシャルディアさん含めて、今は8人以上が使える、って事らしいの」

 「・・・」

 ショータは、数瞬考え込んでから、

 「・・・他の魔王の人が乖世収集をしたか・・・分かる・・・って事・・・ですか?」

 「そうなるの。・・・そしてそれは12方角統治ノ協定で決まってるルールで、魔王が無断で乖世収集をしちゃいけないってのが決まってるのよ」

 「しちゃ・・・いけない・・・?」

 「そ。だって何を持ってくるか分からないでしょ?だからシャルディアさんとかが乖世収集を使う時、って色々と手順や手続きが必要な上に、他の魔王が会談地で一緒にいてからとかじゃないと使えないものなの」

 「・・・」 

 「そしてシャルディアさんは、他の魔王の人達とアオバ君が魔界に来てしまうより遥か以前に、顔も合わせてるみたいだから・・・だから、シャルディアさんが乖世収集を使ったら、バレるらしいわ。・・・そしてね?・・・今日は、他の国の魔王の人がこの城に来てたの」

 「ぇ・・・」

 「そして、その魔王の人も、シャルディアさんはシロ、って訴えてる」

 楓は、自分が卑怯な事を口にしていると理解していた。

 西国の魔王は、乖世感知が使えない。

 だが、全部嘘という訳ではない。

 西国の魔王から、他の魔王達の新しい見解も見聞きしてみる事が出来た。

 銀髪の魔王との会談の場が整う前のほんの少しの時間だったとしても。

 「・・・ただ、それだけだと他その魔王の人含めて、魔王の人達が嘘をついているんじゃないかな、って話になったら堂々巡りになるけど・・・私個人は、そのシャルディアさんじゃない別の魔王の人の事は・・・少しだけ、信じたい人なの」

 それは、楓にとっては、信頼と信用のある論拠の1つにもなっていた。

 楓は、内心の中に浮かんだ1つの気持ちを、気恥ずかしさと、隙だらけ、と思える内心から直ぐに沈める。

 『シャルディアさんも信じてる』という気持ちを。

 「・・・私も、だから納得して、なんて言う事はできない立場だし・・・信じてるなんて言っても安っぽいだろうけど・・・アオバ君、」

 「・・・?」

 「自然現象の『外来』や『渡来』って捉え方があるのが、この世界なの。・・・だから、分からない事も多いから、多分・・・ここに誰もがアオバ君の納得できる言葉なんて口にする事はできない。・・・だけど・・・」

 楓は、背筋を伸ばし、口にした。

 「アオバ君と同じ立場の私が唯一言える事は・・・多分、・・・時間が説得力になる、って事かもしれない」

 「時間・・・?」

 「そう。この世界の事を知る時間。でないと、何も納得なんてできないわ。・・・私も・・・・・・・」

 楓は、数瞬の、迷いにも似た間を置いて、

 「・・・故郷に・・・父さんや母さんに、会いたい、って思う時もあるから」

 「っ・・・」


 ショータの目は、見開いていた。


 楓は、言葉を続けた。

 「だけど、・・・この世界で無理な事とか、やれる事を知って、折り合いをつけて私はココに居る。・・・多分、シャルディアさんが言う故郷の世界に帰してあげられないって事は・・・本当かもしれないと私は・・・4年間ぐらい居て、そう思えたから」

 「・・・・・・」

 ショータは、ただ目線も逸らさず聞いた。

 楓は、言葉を続けた。

 「・・・それに、この4年間ぐらいで・・・色々と信じてみたいって人達も居るから・・・」

 「・・・」

 ショータは数瞬だけ、目を見開いていた。

 そして楓の言葉の終わりから数瞬の間を置いてから、ふいに俯き沈黙した。 

 その頃には、ふいな目の見開きも、終えていた。

 ショータの顔は、影に隠れるように髪が降り、隣の鈴音にはよく表情が見えなくなった。

 何とも言えない間が、流れる。

 そして、

 「・・・次の、事を教えてください」

 ショータは、ふいに楓達が小さく目を見開いて驚く言葉を出していた。

 楓が、

 「え、・・・えー・・・と・・・?」

 言葉を選ぶようになりつつ、

 「次、っていうと・・・魔界の事、かな?」

 その問い掛けに対してショータは、

 「・・・はい」

 ただ楓の顔を直視して肯定を示していた。

 その表情は、先程とあまり変わらない様な気がした。

 ただ、折り合いをつけたかのような嘆願の言葉と、肯定が、否応無しに大人びて見えた。

 それが、楓には理解して貰えたのか否かが、よく分からなかった。

 だが一応、楓は、

 「け、けど、覚えきれないと意味がないし・・・」

 そう断ろうとしたが、

 「・・・おねがい、します・・・」

 ショータは、懇願するように、そう声をこぼしていた。

 その顔は、先程と変わらないはずなのに、どこか怖かった。

 「・・・」

 楓は、何かに睨まれたかのような気持ちを味わいながら、

 「わ、・・・わかった」

 と、応じて、ムラタと相談して、とりあえず『会談地』の事を纏めて話す事を決め合って、説明を始める事にした。

 

 それは、傍目から見れば、ショータが何かしらの折り合いをつけたかのように見えたかもしれない事柄。

 だが、実際はそうじゃなかった。

 

 視えてしまっていた――――

 


 ―――――ヒビ―――――塞ぎようの無い、もう空いていた、ヒビ―――――


 

 ガラスの中の不純物や、壊れ、それが自分であるかのように視えてしまうような縁を、確かに今ここに。

 食卓の時よりもずっと強く、大きく、堅く、そして自分が不必要な部分であるかのように。

  

 ―――――1人かもしれない。


 それは、ショータ自身の中で浮んだ感覚。

 

 ―――――だから、抗わないといけない。

 


 ただ、ショータの気持ちにあったのは、折り合いや理解などではなく、抗いようの無い孤独感――――その感情だった。


 「・・・」

 隣に座る鈴音は、そんなショータに違和感を感じていた。







 ============================






 「・・・」

 「・・・あ?」

 店主は、隣に立つ魔王が、表情も人形の様に変えず、されど涙を流している事に気が付いた。

 「・・・おい、どした?」

 店主が怪訝な顔で尋ねる。

 今この場―――部屋分け廊下――には、店主と魔王しかいない。

 魔王は、ふいに店主の言葉に気付いて自身が涙を流してしまっていた事に気付いたらしく、左手で涙を拭う。

 「いや・・・ビリー・・・」

 「・・・?」

 「・・・難しいな、人の気持ち・・・というのは・・・」

 その言葉を、店主は耳にした。

 そしてふいに、店主は直感を得た顔になって、ショータの居る客室の方へと飛び込みそうになっていた。

 そこに、

 「ビリーッ・・・」

 魔王が、懇願するように、

 「・・・いいんだ。・・・いや、違う。・・・ダメ、なんだ・・・」

 ただ、その言葉を口にしていた。


 店主はただ、苛立たしげに

 「っ・・・」

 舌打ちとも言えない、やりきれない何かを吐き出すかのように、またシャルディアの左側に戻り立ち続けた。







 ================================





 「・・・」

 メルーは窓際に立っていた。

 カーテンが閉じられているのは、窓の外から何かしらの襲撃者や、スナイパーなどが居たりした時の為の対策の予防線の1つ。

 説明された内容いわく、この窓は防弾性で内側からなら、意外と簡単に破る事はできるが、外側からだとかなり堅牢であるとの事だった。 

 それでも、空を明瞭に見る事もできないとなると、いささか寂しい気持ちになった。

 

 ――――この空が、偽物の空なんだとしても。


 「・・・青空、って・・・私は好きなんだけどな・・・」

 メルーは、カーテン越しに半透明に見える空を眺めながら、ただ小さく呟いていた。

 その内心に、

 (・・・ショータ・・・)

 1人の男の子の事が、不意に思い浮かべながら。








 =====================================








 夕方の頃合い。

 ショータの客室から楓は鈴音とムラタと一緒に退出してきた。

 「・・・あ、どうも」

 楓はふいに、部屋分け廊下に立っていたシャルディアの隣に立つ、顔のあるクラゲの様な存在に対して一礼をした。

 「お久しぶりです。ラグラギァさん」

 その言葉に対して、店主は、

 「・・・ああ、久しぶり」

 どことなく、つっけんどんな感じで応対していた。

 楓は「・・・?」と怪訝な顔をしたが、そこに、

 「楓、」 

 シャルディアが、楓の事を呼んだ。そして、

 「・・・少し、展望台にでもいかないかい?」

 そう、誘っていた。







 ==========================






楓はシャルディアの誘いのままに、展望台の方へと来た。

 ここで、楓は実物のアオバ・ショウタと初めて顔を合わせた。

 その時は、1人の胸の大きな年上の女の子のせいで、初対面の邂逅に縁深い感じのするものは特にはなかった。

 楓の右隣には、楓の右手を左手で握ったままで一緒に歩く鈴音。

 前には、背中を見せて距離を置いて歩くシャルディアの姿。

 入室してから、数瞬歩いたこの頃合いが、シャルディアの歩みが止まるとの同時に終わり、楓が口を開く。

 「・・・一体どうしたんですか?シャルディアさん」

 急な誘いに疑問を持った楓の尋ね。 

 それに対してシャルディアは、楓の方を向いて、

 「楓・・・すまない」

 謝っていた。

 楓は怪訝な顔をして、

 「何の事ですか・・・?」

 疑問を問いかける。

 シャルディアが、口を開く。

 「・・・ショウタの事に関して、楓に伝えておかないといけない事があったんだ」

 「・・・え・・・」

 「それを私は黙っていた。・・・だから、楓に私は謝らないといけない」

 その言葉に、楓は怪訝な顔をした。

 そしてふいに、クラゲ亭の店主のつっけんどんな顔が重い浮かんだ。

 「・・・私、何か変な事をアオバ君に言いました・・・か?」 

 「・・・私のせいであり、楓が気に病む事じゃない」

 「・・・言ったん・・・ですね・・・私」

 シャルディアは、数瞬俯いた。

 楓の事を鈴音は見上げる。そして楓の右手を左手で握る力が、少しだけ強くなった。

 楓を心配するように。

 シャルディアは口を開く。

 「できれば、ここから口にする言葉は・・・魔王城の者達にはまだ言わないであげてほしい・・・あの子には・・・」

 それは、苦しみを吐き出すような言葉。

 「故郷の世界で一週間前までは両親が居た。・・・だがご両親共に自宅の火事に巻き込まれ亡くなられている」

 「え・・・」

 楓は、呆気な顔をした。

 そして鈴音は、ただ小さく、目を見開いていた。

 「そしてあの子は、故郷の世界の孤児となった子供を保護する行政施設の担当部署・・・市役所の児童保護課という部署に一時的な預かりの立場になっていた」

 楓は、口を半開きにしていた。

 「・・・僥倖とする部分があるならば・・・その行政の児童保護課という部署に、ショウタの家族・・・母親の唯一の親族の女性が公務員として所属していた、という事だろう。・・・だが、アチラの法では、その女性が様々な条件をクリアしていない為に、養子としてて迎え入れる事はできず、尚且つその土地の地方条例故に、公務員である為に後見人などになる事も、一時的な同居をする事も許されず、市役所の保護施設で保護を続けていた。・・・近日中にでも、孤児院に行くことが取り決められていた」

 「・・・っ・・・!?」

 「あの子は・・・魔界へと来てしまった日、あの子の精神はかなり磨耗をしていた。・・・周りの大人の両親が死んだという言葉を信じたくない様な・・・現実逃避と言える一心で、市役所を一人で逃げ、そして何も無い・・・ただ封鎖された故郷の家の焼け跡を見た後に・・・一人で町をさ迷い、この世界へと迷い込んだ」

 「・・・」

 「・・・」

 (・・・そして、私も、あの子に願望に答える事は、到底できなかった・・・)

 

 ショータは、願っていた。

 魔王が、マホウツカイならば、死んだ両親を生き返らせて欲しい―――――と、


 それは、子供が、多様な童話を知り、童話の中の奇跡を知り、『どれが』と理由になる事も無い漠然と知り得た御伽噺の虚言と虚構。

 それは、半ば現実逃避の様で、切実な、心の隅で消えることの無い願い。

 それでも、展望台で会った時に願いを言わなかったのは、8歳の子供であれど『死んだ人は帰ってこない』と、どこか鮮明な理解をしていたから――――ー

 

 「・・・」

 無言だった楓は、ふいに1つの疑念が脳裏に浮んだ。

 (だか、ら・・・なの、かっ・・・?)


 ホワイトボード。

 林檎。

 色々な道具を傍に置いての乖世収集の問答の問い掛け。


 あの時の大人びて見えた感覚。

 あれは、大人びて見えたのは一面性に過ぎず、根本的な柱が違うものなのではないかと、今になって楓は思った。

 両親がいなくなったという現実。

 信じたくない気持ち。

 疑心暗鬼――――そしてそういう心境にならざるをえない過程と、結果の環境が、否応無しに1人の男の子の感情を、思考を、そうさせていたのかもしれないという実態。

 それは、男の子の置かれた立場が、多くのモノから、多面的な疑心暗鬼のままに抗う為のものである選択肢。

 そして1人の男の子は、自覚があろうとなかろうと、ただ子供心であっても本能的な事故防衛のようなもので、その選択肢を選んでいたのではないか――――ただ、楓の脳裏に、その怖気が走った。

 『・・・故郷に・・・父さんや母さんに、会いたい、って思うから』

 自分自身が、あまりにぶしつけな言葉遣いをしていたのかもしれないという感覚への怖気、それは自己嫌悪に変わる。

 自分の言葉が、自分の経験に基づいただけのもので、何も知らない一人の男の子にとってはお門違いな事柄でしかない事を、口にしてしまっていたかもしれないと。

 「・・・」

 シャルディアの無言が、肯定を示していると楓は思った。

 ``サトリ``が使えるのだから、尚の事と。

 それは飽くまで楓の想像。

 全部がそうかもしれないし、そうでもないかもしれないという無言が、ただ怖くなった。

 シャルディアは、

 「・・・正直に話そう。・・・ショウタは、確かに楓がご両親に会いたいという気持ちを吐露した時に、・・・疎外感に近い感情を覚えていた」

 「疎外、感・・・?」

 「・・・楓達に知識の教えを願ったのは、あの子なりの本能的な心を護る為の願いと言えるかもしれない。・・・あの子は私の個人的な感想にすぎないが・・・聡い子だと思う。言語履修も、予想以上に効果を成す程だからだ」

 シャルディアは、ただ個人の素養次第であれど効果の発揮も違う自身の特異点能力の事を思い出しながら、そう口にした。


 ムラタが、疑問に思う程の効果を示した一人の男の子の素養を指して――――皮肉にも、明確な疎外感の認識を経る形で作用してしまったものだとしても――――


 「だから、知識を願った。・・・楓の様に、故郷の世界に縁があり、そして今の楓の立場の縁、それがただ大きな形にショウタには視えていた。・・・それが、自分が天涯孤独だと思えたからこそ、自分がしっかりしないといけない・・・自分自身しかいない、ただそう無意識に本能的に思った孤独の感情の羅列の様なモノを抱いていた。・・・もしかしたら、全て同時の内包かもしれない。それだけ、サトリを使う私にも、一元的に言えない程に・・・自覚も殆ど無い、心を護る様な感覚ですらあった」

 「・・・」

 楓は、その言葉を聞いて、どういう意味なのか、直ぐに理解する。

 シャルディアは、楓の疑心がおおよそ合っていると告げているのだと。

 自分は、故郷の世界に、両親が居て、両親共に元気な姿を、目の前の母親代わりの人の、魔王としての特異点能力の``情報結晶``を用いて見せて貰う事ができる。

 両親のどちらかが風邪を引いて寝込んだ時も、何か良かったと思えることがアッチであっても、それも見せて貰える。

 自分がいなくて両親に心配をかけて、両親の心が辛くなりそうになっても、目の前の銀髪の女性が、手を貸してくれた。

 だけど、彼にはそんな存在すら、故郷の世界にはいない。

 ただ一人の親族の女性というのも、立場上その立ち居地に立てない。

 シャルディアの雰囲気。

 そこからでも楓はシャルディアが何を言いたいのか、何となく分かった。

 時間に任せるしかないのかもしれない。そんな気持ち。 

 だけど後悔はどうしても、楓の心の中から離れなかった。

 (けど・・・アオバ君のお父さんも、お母さんも・・・)

 楓は、苦くてきつい、口の中に血が広がるような気分を感じた。

 それをただ、鈴音は楓の手を握り続けて傍に居る。

 当事者としてこの場に立ち、そして聞いた鈴音は、感じ取れたあの違和感の理由を、漠然と察する事が出来た。

 それ故に、手が離せなかったのかもしれない。

 それが言葉で意思で明確な形になったものではないとしても。

 (・・・)

 楓はふいに、唯一の親族の女性というものが気になった。

 「その・・・親戚の女性の人、って今はどうしてるんですか?」  

 「・・・楓、鈴音の時と同じ様に警察へと捜索の届出を出されている。・・・そして楓、鈴音のご両親である方々と同じ様な様相、・・・とだけは言えるだろう」 

 「・・・」

 その言葉に、楓は微妙な、整理できない気持ちになった。

 ただ、微妙な間が流れる。

 そして、

 「・・・鈴音」

 楓は鈴音の方を見て、手をゆるりと、離し、

 「しばらく・・・1人になっていいかな?」 

 「・・・」

 鈴音に尋ねて、鈴音は数瞬の沈黙の後に頷いた。

 「シャルディアさん、自室に少し・・・戻っててもいいですか?」

 「ああ、構わない・・・」

 シャルディアはそう答えた。

 楓は、展望台の部屋を出る事にした。

 ただ今は、1人で少し考えたかった。

 それが、アオバ・ショウタという1人の男の子の孤独を理解できるようなものではないと分かっていても、ただ、そうしたくなっていた。

 廊下に出て、頭を左手で抑える。

 「・・・」

 色々な自己嫌悪が浮かびながら、楓は歩いて自室に戻る事を決めた。

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