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an oldman wished for peace

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「しかしこの国にも、孤児院なんてあるのかぁ……」

 孤児院なんて、実際のところ昔読んだ童話で、読み手に同情を巻き起こすために作り上げられた設定程度にしか認識しておらず、その存在性をせいぜいニュースが誇大妄想で作り上げた資金援助の無い老人ホームや学童だと思っていた。だから、そんな僕にとってああも身近に孤児院の存在を感じられたのは新鮮だった。

「当たり前じゃない。孤児院なんて戦争が起きている限りどこの国にも山ほどあるわよ。というか、逆に聞くけどあんたの国にはないの?」

「僕の国?いや、確かにあることは、あるかも知れないけど、少なくとも僕の身の回りにはないね。だって、僕が住んでいた国は平和だったもの」

「平和……ねぇ。平和。私たちにとっては縁遠い言葉ね。あまりにも縁遠すぎて、それがどんなものなのかもわからないわね」

「平和は、退屈だよ。それは一見いいものに見えるかもしれないけど、実際はそんな大層なものなんかじゃない。ただ平凡を良い言い方に言い繕っただけで、僕からすれば、戦争のほうがよっぽどいいね」

 まぁ、その平和のおかげで僕は、元いた世界に疑問を持つことが出来たし、哲学書にも出会えたのだけれど。

「私もあんたと同じね。というか、軍の上にも、口で平和を語る奴はたくさんいるけど、事実、私たちレンテンマルクの人間は平和と言うものは、味わったことはないわね」

「それは、どういうこと?」

「レンテンマルクは私たちの先祖がこの地に建国して千年、神話に寄れば……」

 と、ここからは少し長いので、要約させてもらうと、隣国である、リッツ連合政府、ルパチーニ共和政府、そして長年の宿敵、クシャミニッツ教皇国と島の周り七百キロメートルのあたりに円形に点在する十二の島にレンテンマルクの南東沿岸から四百八十キロメートル離れた場所にあるラピスラズリ島を加えた一三の島を戦争によって争いあっていたらしいの。そして今日まで、十年前の先の大戦を経ているけど、その歴史は血塗られた闘争の歴史ってわけ。そして大戦が終わってからも、天授連邦に植民地支配を受け、真の平和はいまだに手に入れてなんかいないのよ、という訳だそうだ。

「国の名前とか、む……難しいなぁ……」

「難しくは無いわよ。だってこの私が覚えているんだから」

「そりゃ君はこの国の人間だから良いけどさ。僕は昨日来たばかりだからなぁ」

「あんただってもうここの人間なんだから、レンテンマルク神話はちゃんと知っておきなさいよね?軍上層部はそういうの大好きだから」

「はぁ……」 

 とはいえ、彼女の話は、本当に、固有名詞ばかりですぐには覚えられそうにも無いので、このレンテンマルクという国の目先にはとりあえず三つの国家が存在することだけを頭に入れておくことにした。

「ところで、少し話を変えるけど、今、君の話を聞いてて思ったことがある。何かって言うと、このレンテンマルクと僕が住んでいた世界では単位が全く同じなんだね」

 事実、昨日の戦いでは戦車の口径の長さをジョナスはミリ単位で答えていた。

「えっ、そうなの?嘘でしょ?た、例えば、重さだったらグラムとか、キログラムとかも?」

「うん。僕のいた世界でも重さはグラムとキログラムだったよ」

 まさか重さまで同じだとは。ここまで来ると単位を作った奴がまさか地球人か、とすら思えてくる。

「えっ。何かあんたのいた国と単位が同じなんていい気分がしないわね、明日の国議会で、単位の変更を訴えようかしら」

「……僕のことを馬鹿にするのはまだいいけど、それはちょっとひどくない?」

「冗談よ。冗談。私は国家を愛する軍人であり、生粋の国粋主義者よ?たとえ、あんたの住んでいた国家がどんなものであろうと、長い歴史を積んで研鑽を磨いてきたのだから、それを馬鹿にするのは私のお門違いよ。だから、そんな怖い顔をしないでよね」

「いや、別に君が国粋主義者であることは関係ないと思うけど……」

 大体、普通に考えれば軍人の九割以上は国粋主義者であるし、それもかなり激しい右翼の連中だ。

「まぁ、いいじゃない。別に。とにかく私はあんたの国籍を馬鹿にすることはしないわよ。他の軍人と違って私は人の実力しか見ないからね」

「ふーん。まぁそう言ってもらえるなら、助かるよ。で、肝心のお金は?」

 ここ肝心だ。もしこれで彼女が、円とでも答えようものならば、この世界は、現代日本となんら変わらない、言うなればエセ異世界だ、というつもりだった。しかしその心配は杞憂に終わった。

「イェーガーよ。一〇〇〇以上、一〇〇〇、五〇〇〇、一〇〇〇〇はそれぞれお札になっていて、一〇〇〇以下は、硬貨になっていて、単位はレマルク。全部銀貨ね。どう、これもあんたの国と同じ?」

 うーん。どうなんだろうか? 似ているといえば似ているし、違うといえば違うといったところだろうか。まぁ、単位の名称は全く違うし、違うことにしておこう。

 僕は馬に乗りながら器用に体だけを僕のほうにひねるエイラに対して首を横に振って見せた。

 

 道の脇に立ち並ぶ露店をはじめとした多くの店は彼女の言うとおり繁盛しているようで、どこの店にもたくさんの人たちが立ち寄っていた。

 季節は冬ということもあってか、とくに食べ物に関する店は、どれも、湯気が立ち上っている。そしてそれが風が吹くたびに僕たちの鼻腔に色とりどりの匂いを提供してくれた。

「ねぇねぇ、エイラ」

「何よ?」

「あの、『スイル・ジャコタン』って何?」

 立ち並ぶ店を眺めていると、かなりの数の店が掲げる看板にでかでかと、『スイル・ジャコタン、始めました』だの『スイル・ジャコタン、食べ頃です』といった日本と何ら変わりのない宣伝文句が小汚く、塗料で書き付けられていて、そのお店には、隣に立つ店とは比べてあきらかに多いお客さんが入っていたのだった。

「スイル・ジャコタンは、北のほうで繁殖しているアンジャリキ草の実である、アンジャリキ豆をすりつぶして、南の海の沿岸でしかとることができないザイルの木の実を乾燥させたザイルシュガー。それをはじめとした甘いどころの調味料を加えた後、煮沸して冷やして、ペースト状にしてから、団子状に丸めて、蒸篭で蒸したものね。とっても甘くて私は好きだけど、食べたいの?」

「……そう見える?」

「あんた、口元からは涎が出てるわよ」

 彼女はそう言ってニヤニヤしながら僕の口元を見つめてきたので、慌てて口元に手を触れると、たしかに濡れていた。

「……わ、悪いかよ? 僕はこれでも大の甘党なんだよ……」

 その中でも和菓子は特に好きで、彼女の話を聞いている限り、その、スイル・ジャコタン、とやらは日本で言うところの餡子のようなものだと僕は思った。

 そして僕は餡子には目が無いと同時に、味にとても厳しい餡子ソムリエで、餡子は友達と言っても過言ではないほど、僕は中学生のころから愛し続けていた。

「まぁ、奢ってあげてもいいけど? その代わり交換条件があるわ」

 そう言って彼女は悪魔のような笑みを浮かべる。僕はすぐにその交換条件が僕にとってはあまり良くないものであることを感じ取った。そこで彼女に恐る恐る尋ねた。

「……交換条件?」

「そうよ。といっても別にそんな難しいことじゃないから、身構える必要は無いわ」

 彼女の、そんな難しくないの基準は僕には分かりかねるが、彼女の性格上、その基準はおおよそ普通の人とは、ずれているに違いない。

 いつもの僕ならば、交換条件のところで即座に交渉打ち切りだったであろうが、今回は甘いもの、しかも餡子のようなものである。そう簡単に交渉打ち切りというわけにはいかない。ぜひとも食べてみたいのだ。異世界の甘味とやらを。

「わかった。程度によっては、その条件を呑むよ」

 苦渋の決断だった。しかし背に餡子は代えられないのだ。

「へぇ、あんたがこうも乗ってきてくれるなんてね……新たな弱点を知ったわね。後でメモ取っておこうかな」

 取らなくていいよ。頼むからそのままお得意の鳥頭で綺麗さっぱり忘れてくれ。

「あんたがどう考えているのかは知らないけど、私ね、こういう他人の弱点とかは、絶対に忘れないんだ」

「……僕の思考を読み取るなんて、君はテレポーターの類の人間なのか……というか、そんなことに君のその少ない脳の容量使っている暇があるなら、少しでも戦略を覚えようよ……」

「うん、何か言った?あんた、何も言わなければこのまま通り過ぎるわよ」

 おっと、いけない、つい思っていたことが口に出てしまったようだ。と、こめかみにわずかながらに青筋が浮き出ている彼女は馬に鞭を当て今にも進行速度を速めようとしていたので慌てて制した。

「いや、ちょっと待ってちゃんと言うことあるから」

 すると彼女はすぐに鞭を下に下ろしてくれた。それを見て再度僕は言う。

「その、交換条件って、やつを、教えてくれないか?」

 彼女は僕のことを見ないで、前を向いたまま、考えこみ、やがて言った。  

「……二度と口に出して私のことを鳥頭って言わないこと」

「……え?」

 それは良く聞こえたはずなのに僕はつい聞き返してしまった。

「だから! もう私のことを、鳥頭って呼ぶな、って言ったの。そのあんたの国の言葉、昨日からすごくむかつくのよ。何気に言いえて妙なところとかね」

 あれ、そんなに嫌だったんだ……。まぁ、別に僕だって鳥頭という言葉に拘っているわけでもないし、それを言わないだけで、奢って貰えるのだとしたらこれほどいい話は無い。

「……わかったよ。もう二度と、言わない。これで良いんだろう?」

 どうせ彼女の鳥頭じゃ二日もたたぬうちにこんな口約束なんて忘れてしまうに違いないさ。やっぱりね、さっきはあんな別に、拘っていない、なんて言っちゃったけど、実際は元の世界で散々馬鹿にされてきたから、こういうところで仲間、いや僕以下を見つけられて、心に余裕が出来た。

 それで、もし誰かが僕の事を見て非哲学的な人間だというのならそれはちがうと思う。だって、所詮、僕たちは人間じゃないか。皆、学校の奴らは本性丸出しで僕のことをいじめてきたんだ。女の子相手に泣かない程度なら馬鹿にするくらい許されると思うんだ。

「あんた、今ちゃんと自分の口で、言わない、って言ったわよね?」

「うん。言ったけど、何か?」

 そう気を緩めて答えたのがいけなかった。彼女の口元がにやりと笑ったと気付いたときにはもう遅かった。

「よし。言質も取れたし。今のことは、ちゃんと陸軍の歩兵部隊の軍法に条項として加えておくから。間違っても破って死刑とかにならないでね?」

 彼女は今回に関して言えば僕より何枚も上手だった。というより僕が彼女のことを見くびっていたのかも知れない。


 ――こいつやるときはやるぞ


「そんな大仰な……」

 だって一国の陸軍の兵士全員が守らなきゃいけない大事な規則である軍法に、『エイラ司令長官のことを、鳥頭と呼んだ者は、罰する』なんて加えて、当の本人と僕以外でちゃんとわかるやつなんていないだろう。職権乱用にも程がある。

「いいのよ。どうせあんただって、『こんな軽い口約束、忘れやすいあいつならすぐに忘れちゃうだろうな』みたいなこと考えていたんでしょう?」

 さっきから、本当に彼女はどうしてぼくの思考をいとも簡単に当てて見せるのか、不思議でならない。

「まぁ、私はれっきとした上官だし、あんたも含めて部下に舐められるとあっちゃ、面目が立たないのよ。それにただでさえアイザックの爺さんが私の弱みを探そうと躍起になっているんだし、少しでも不安因子は潰しておかないと……」

 彼女が最後にぽつりと言った言葉が僕には気になって、すぐに聞き返した。

「……アイザックの爺さん?」

 と、彼女は、まさか僕が聞いているとは、思っていなかったのか、明らかに狼狽した様子をみせたあと、すぐにまくし立てるような口調で、

「いや、あんたには関係の無い話だから! そんなことより約束通り、スイル・ジャコタン奢ってあげるから。どれでも好きなもの選びなさいよ」

 と、急かしてきたので、怪しいとは思いつつも、

(……まぁ、ここで、深入りしても何にも実はなさそうだしな。それだったら、今は甘味の幸せに浸るほうを僕は取ろう……)

 それで、僕は、

「じゃあ、エイラ、あそこの店に寄ろう!」

 と、元の世界では考えられないくらい元気な声でそう言った。エイラはそんな僕を見てか

「……あんた、いつもはあんな低テンションで何事にも無気力な奴なのに甘いものが絡むと、こんな子供っぽくなるのね。なんだか意外って感じ」

 そうは言いながらも彼女の顔は、笑っていたので僕は何も反論し返さなかった。そうしたところで、また喧嘩になりそうだったからだ。甘いものを食べるときは怒ってちゃおいしく感じられない、というのが、長年甘いものと付き合ってきた僕の絶対遵守の持論だ。

「ほら、早く行こう。ぐずぐずしてたら売り切れちゃうよ」

 僕がそう言うと、 彼女は、ほんとにあんた子供ね、とつぶやいてから馬に鞭を当てすぐ脇の商店へと向かった。


「おいしいなぁ……」

 僕は腕の中に山盛りのスイルジャコタンが入った紙袋を抱え、馬に揺られていた。手は浅葱色のもちもちとしたスイル・ジャコタンのせいで、べたべたしていた。

 いや、しかしそれにしても、甘いものはいい。よく、眠ることは、一時的とはいえ、全ての世界を忘れることが出来るからいい、という人を見かけるが、僕はそれだったら、甘いもののほうが断然忘れることができると思う。

「あんた、女みたいね。そんな甘いものを食べたぐらいで幸せそうな顔になれるなんて。うらやましい限りって感じよ」

 その言葉にはどこか含みがあるように感じられて僕は、口に頬張りながら言い返した。

「何、君? もしかして貰えないから、僕のこと悪く言っているのかい?」

「どうして、今の話でそうなるのよ! 大体、それ買ったの私よ? 貰うも何も食べたかったら自分で買うわよ」

 ちなみに僕の脳は甘いものを食べていると、頭が真白になって、口が悪くなる。というのも、これは推測だが、昔から、学校から帰ってきて、甘いものを食べているときに何も考えずに、僕のことをいじめてきた奴の悪口を言っていたから、それが癖になって、何の気なしに反抗的になるんだろう。

「僕がいた世界にはね。バレンタインって言う行事があるんだ」

「ばれんたいん?」

「そ。バレンタイン。それは女の子が好きな男の子にチョコを渡すとか言う、何のためにやるのか理解しがたいイベントなんだけど、たいていのしょぼくれた人間は、自分でチョコを買って満足するんだよね」

 僕は、彼女に、含みありげな言い方でそう言い返してやった。

「あ、あんた、何、私のことをしょぼくれた可哀想な、一生独身そうで、金で何でも解決する卑しい女とでも言うの!きいぃぃぃっ!」

 と、彼女は勝手に妄想を膨らませ怒り始めたので

「いや、別にそこまでは言っていないよ……。僕はただ君にこの国の文化を教えてもらったかわりに、僕がもといた世界の文化を教えてあげることで、文化交流を図ろうとしただけでね……って、ちょっと、何、僕を突き落とそうとしているのさ!危ないじゃないか」

 そう言うと

「うるさいわね! あんたねぇ。さっきから黙って聞いていれば、ちょっと生意気すぎるわよ。もう落ちなさい。そらそら」

「ちょ、ちょっと待って。わかった。わかった。僕が悪かったから、お詫びにこれをあげるから落とそうとしないで……」

 僕は必死に馬から落ちそうになるのを腰に力を入れて堪えながら彼女の軍服を引っ張った。そして、余っている手で彼女に紙袋を突き出した。

「ちょっとせっかく卸したばかりの軍服なのにそんなに強く引っ張ったら皺が付いちゃうじゃない」

「じゃ、じゃあ、僕のこと引きあ……げて」

「ちょちょちょっと落ちるー!」

 僕の筋肉は自分の力で、起き上がれるほど強いものではなく、あえなく彼女を道連れに馬から落下してしまった。ドシン、雪が積もる地面に腰から落下し、目の前で火花が爆ぜるほど、痛かった。そして何故だか呼吸が辛いし、何より視界が真っ黒で、何も見えない。感触は、さっき食べていた、スイル・ジャコタンぐらいぷにぷにしていて、それでいてほのかに暖かい。また唯一、耳だけは他の人々の声や靴が雪を踏みしめる音を、感じ取っていた。そして、それはエイラの声だって例外ではない。

「つっ、つぅぅ、いったーい。あんたねぇ、何してくれてんのよォ……ってあんたどこに顔うずめてんのよ!」

「ほこって、ほこだほ?」

「どこって、どこだよじゃないわよ!あんた今すぐ私のお、……お尻、から顔を離しなさいよォォォ!」

 いや、無理です。今、あなたは、僕の顔にまたがっているんですよ? それでどうしろと?

「ほいふか、ひみ、いがひにおもひね……ぐむむむむ」

「わ、わ、私が重い、ってぇ?あんたねぇ、本当に……ちょっと、そこに直りなさい!」

 彼女はそう言ってその場からすっくと立ち上がって地面に寝そべっている僕のことを睨んだ。もちろん周りを歩く人たちの目は、好奇と羨望に満ち溢れていた。

 男たちは、ただ僕のことを見て、くっそ、あの野郎、エイラ様とあんなふうに……、とでも言いたげにしているし、女性たちからは、それとは対照的に、僕たちのことを、あらあら、若いっていいわねぇ、と、でも言うような一種の微笑ましさがその視線に垣間見えた。

 僕は、皆の注目を浴びているのが恥ずかしくて(というより慣れていない)すぐに立ち上がってから背中に付いた雪を払って、

「あのさ、僕のスイル・ジャコタン、どこにあるか知らない?」

 エイラに謝るのではなく、まず先にお菓子を探した。僕の頭の中に謝るという選択肢が無かったのだ。

「……そこよ。ほら、今、私の馬がおいしく頂いているでしょ。そんなことより先にすべきことがあるでしょ……」

「あぁ、僕のお菓子が……」

「ちょっと、あんた」

「はぁ、何、美味しそうに食べてんだよ。全く。まぁ、馬相手に怒ってもそれこそ馬の耳に念仏ってやつだけどさ」

 って、いや、今僕うまいこと言わなかった?馬相手に怒っても、馬の耳に念仏、って。いや、いいセンスしているな。僕。

 と、突然強く肩を誰かに掴まれたので急いで振り返ると、それは端整な顔を般若のようにゆがめたエイラだった。

「あんたねぇ……軍人になる前、というかそれ以前に人としての当然の振る舞いをこの私が教えてあげるわ……」

 そう言って何故か抜刀するエイラ。彼女は相当お怒りでいらっしゃるようだった。

「あの、エイラさん?何で剣の方を、そんな高々と……」

「うるさい!問答無用。この常識知らず、昨日みたいに痛い目見させてやるんだから。そうじゃないと私のことをどうやらなめっぱなしみたいだしねぇ!」

 彼女は手に持ってふりかざしていた剣を何のためらいも無く上段から切り下ろしてきたので、僕は有り余る体力の全てを動員してそれをよけた。

「ちっ、やるわね、こいつ。でもこれで、終わりと思ったら大間違いなんだから!」

「ちょっと、待って、危ない、危ないから。こんなにたくさんの人もいるんだし、止めにしようよ。ね?仲良くが、一番さ」

「あんたね、これだけは覚えておいたほうが良いわ。そうやって心にも無いことを言う奴の顔が一番私はむかつくってことをね!」

「あっ、ばれた? いやぁ、まさかね……って、ちょっと、剣を持ってこっちに来るなよ。怖いじゃないか」

「黙りなさい。本当にあんたは頭冷やさないと分からないみたいだから、この剣であんたの頭冷やさせてあげるんだから!」

 そう言って彼女は僕のほうに向かってきたので

「何、するのかわからない所がなおさら怖いよ……」

 百メートル走、十六秒の僕は、その足を動かした。


「……ようやく、入り口の門にまで来られたか。もう本当にあんたのせいなんだから反省しなさいよね!」

「はい……すいません」

 僕は昨日と同じく顔を腫らしながらそう言った。あのあと僕は少しは知ったところであっけなく彼女に追いつかれ、雪の上に組み敷かれた後、剣の柄でボコボコに殴られたのであった。

 道行く人は皆、僕の惨状を見て、同情の視線を送ってきたが、誰一人として、彼女に止めるよう言うものはいなかった。それは、それまでの僕たちのやり取りを見ていたからなのか、それはわからないが唯一つ言えるのは、その人たちに感謝こそしなかったものの不快感を覚えなかったことだった。それが何故なのか、僕の心に語りかけてみなきゃ分からないけお、生憎その心は僕に背を向けていて、反抗期の子供のように、何も話してくれそうにないので僕は諦めて彼女の説明に耳を傾けた。

「この門は、あんたも昨日通ったと思うけど、歴史的には、『全ての眠りと終息の門』と言われているわね。私のお父様が先の大戦で戦勝記念に建設した門なのよね。で、戦いに勝つたびに、兵士と共にここをくぐって、民衆に祝福される。それが何よりの幸福だったらしいわ」

「……それは、お父さんから聞いたのかい?」

「えぇ。でも皮肉にも最後の戦いでここで、天授連邦軍の戦争勝利を祝うパレードが行われたわ。そして門には敵軍の戦死者の名前だけが刻まれた。お父様が戦死し、レンテンマルクが降伏をした三日後にね」

 そう言って悔しそうな笑みを浮かべるエイラ。その頃の彼女は七歳ぐらいだ。それは、小学校に入ったとはいえ、まだお父さんに甘える時期。それを戦争に踏みにじられた挙句、伝統も歴史も何もかもを否定され、彼女は幼い心ながらに、喪失感を味わったに違いない。

「……やっぱり過去にこだわらなくて僕はいいと思う」

「え?」

「過去は、いわば、教科書、だと、僕は思うんだ。それに拘っちゃいけない。大事なのは未来、宿題にどう生かすかだよ。そして僕たちは、もう一歩踏み出している。それで良いと思うんだ。くよくよしてても何も始まらないよ」

「……まぁ、あんたに慰められるようなことじゃないし、その前にあんたこそ常識と言う名の筆記用具を手にしなさいよ。まったくもう」

 何だよ、これじゃまるで僕がくさいことを言って失敗したみたいじゃないか。言わなきゃ良かった。と、僕が心中で葛藤を繰り広げていると、大きな影を地面にたらしこむその門を通り抜け、大きな広場に躍り出た。ただ広場といってもそこには何も無い。周りを家が円状に囲むように立ち並んでいるだけで、あとは、頭の上に茶の平ざるを載せてそれを手で支えながら、歩く農夫や、銃剣を持って走り込みをする軍人の姿が見られた。

「ここは、どういうところなの?」

「ここは、陸軍省と農業省の領地、つまりは、このレンテンマルクの北部地域と首都、トリニステライヒを結ぶ、広場ね。本当ならば、よくここで露店とか催されているはず何だけど、今日は無いみたい。で、あの左手に見えるのが農業省の領地への門、右手が私が長官を務める陸軍省の領地への要り口ね」

 そう言ってエイラが指差したほうを見ると、確かに広場の奥の左手は、灰色の石柱が二本聳え立っていて、それにもたれる様に、二名の兵士が長い銃身を持つ銃を、持ちながら守っている。それに対し、右手は、門どころか入り口を守るものなんて何も無い。だから、昨日僕達がずっと歩き続けていた緑に覆われた山が今いる場所から丸見えだった。

「というかさ、エイラ一つ聞いていい?」

「舐めた質問だったら張っ倒すからね、あんた」

 張っ倒すとか怖いな。しかも冗談じゃないところが、なおのこと怖い。

「いや、そんなたいしたことじゃないよ。ただ何で、あそこに立っている兵士の人は昨日僕が見た兵士の人と全く違うんだろうな、って思ったんだ。それだけだよ」

昨日の兵士は皆、一様に緑の薄汚れた布製の軍帽に、裾をボタンでボタンで留めることができるタイプの外衣を着ている、という、ゲームで見た近代陸軍兵士のスタンダードな格好であるのに対し、農業省の守衛の衛兵は、頭頂部にスパイク状の頭立がついたヘルメットを目深に被り、黒いブルゾン型の戦闘服を羽織っていた。銃も股から地面に届きそうなくらい長い茶の古ぼけた歩兵銃で明らかに昨日の兵士の銃とは違っていた。

「……あいつらは、皆、私たちに協力しない逆賊よ。伝統にばかり固執して、戦争から、逃げてばかりの腰抜けなんだから」

 本当に忌々しいというように剣呑な目つきで衛兵の方向を見た。それはさっき僕を殴るときにしていた彼女の目とは違う。

「君だって、十分、伝統に拘っているじゃないか……」

 彼女はそう僕が小声で言ったにも関わらず、彼女の地獄耳は、しっかり捕らえたようで、ぎろりと睨み付けた。

「あんたね。私をあんな奴らと一緒にしないでよね。反吐が出るわよ。全く」

「そんなに怒らなくてもいいじゃないかよ。全く。で、その省ってやつは実際なんなのさ?あとは、それは僕に何か関係あるの?」

 そう話を変えると彼女は顔をパッと上げ、

「関係あるも何も、あんたは昨日、トルスト様から君国の儀を受けて、正式なレンテンマルクの陸軍士官となったんだから、陸軍省に配属する人間になったわね。で,あんたの質問にあったとおり、そもそも、省、って何、ってこと何だけど、これは、何を隠そう、レンテンマルク独自の政治体制なのよね」

 彼女は馬上でそう雄弁に僕に語った。とりあえず、すぐに機嫌を直してくれてよかった。あのままじゃ僕に八つ当たりされかねないと思ったからな。

「政治体制?」

「そ。私たちの国は先の大戦で敗れて以来、それまで国王に権力が集中していたのを、戦勝国である天授連邦の指示によって、国王を盟主という名前に変えて民の象徴的な役割だけを持たせるようにして、なるべく政務や政策の施行の大半を、王国国議会に属する私たち議員が執り行うことになったのよ。それで、五年ぐらい前かな。自国を守る程度の最低限の軍事力を持つべきと断固主張して、国議会でこの私が現在の三省分権制度を法案として通したんだから。どう、すごいでしょう?私」

 やっぱり彼女はあまり人に説明するのは向いていないな。普通人に何かを教えるときに固有名詞ばかり出す人間っていないよね。まぁ、名前の堅苦しさに目を瞑って、穿った見方をすれば、大体の概要は掴むことが出来るからいいけど。

「……、ってちょっと、あんた、今の私の説明聞いてた?」

「……う、うん。すごいと思うよ。いかしていると思うな。その君の立ち向かっていく姿勢は」

 彼女は僕に褒められていると勘違いしているのか、とても嬉しそうに

「でしょでしょ?しかも、それのおかげでここ五年間でレンテンマルク陸軍、海軍の軍備は先の大戦よりも、圧倒的に向上を見せているんだから。だから、天授連邦の常駐軍相手にこっちから戦争を吹っかけることだってできたんだもの」

 ……、いや、ちょっと待てよ。何気ないように自分のことを自画自賛しているけど、少し考えればそれって、自分で作った法律を自分で破ったってことだよな。

 やってること、めちゃくちゃじゃないかよ。普通そんなことを僕の国で、したら、国が滅ぶ恐れだってあるだろうに。だから、それに、反抗する奴がいてもおかしくは無いだろう。

「……で、農業省が、君の方針に反抗、ってとことかな……」

「そうなのよ!あいつら、国家を戦争に向けていくために必要な調印書も全部拒んで判を押そうとしないし、私たちが最新式の武器を送っても先の大戦で使われた旧式のオンボロ武器で十分自衛程度の戦力には事足りる、なんて言っちゃてさ。頭が硬いったらありゃしないのよ」

「そこまで言うのなら、そんなやつらから協力なんて得ようとしなければいいじゃないか。別に海軍と陸軍をフル動員して戦場に導入すればいいだけでしょ。だって、そんな旧式装備の烏合の衆が集まったところで、大した戦力にもならないでしょ」

「そこが、また問題なのよ。というのも、陸軍省の主な役割は名前の通り、陸軍に関することがメインだし、海軍省は、漁業や海底資源の採掘をはじめとして海軍の管理も入れたら、海のことがメインなのよ。そこまではいいでしょ?」

 僕は無言で頷く。

「でね、ここからが問題なんだけど、何かって言うと、農業省の役割がそれが、なければ国家が回らないって言うくらい大事なもので、勝手に戦争を起こしたところで奴らからも協力を得ないと前進は難しいのよね」

「彼らの役割って、何?」

 と、そう至極当然なことを聞いたときだった。その質問に対して答えを言ったのは目の前にいるエイラではなく、後ろのほうからする風邪っぴきのようなしわがれた声であった。

「ふっ、小僧、何も知らない陸軍兵士のお主に、このわしが、教えてやる。わしら農業省の主な役割は、主に三つ。一つ目は、その名の通り、このレンテンマルク国土に存在する六千万の民の食料を生産すること。そして、わしらが生産した食料はもちろん戦線にも補給物資として兵站に送られるわけじゃ。二つ目は、わしらが治めている領地、レンテンマルクの北部の西の地域は特に山地が多く、資源も豊富での。もちろん、その小娘が欲しがる戦車や大砲といった兵器の燃料も多量に搾取できるわけじゃ。最後にもう一つ重要なのは、隣国であり、同盟国でもあるリッツ連合政府との外交じゃな。この五年間で、リッツ連合政府との交易や国際交流の全てを預かっているのはわしらであるのじゃ」

 そう言ったのは、後ろにたくさんの農業省兵士を連れた、杖をつく一人の老獪であった。彼もまた農業省の軍服に身を包み、頭にはその白髪には不恰好な黒いスパイク付きの軍帽を被っていた。

「……なるほどね。そりゃ、エイラが農業省の事を放っておけない理由も分かる。確かに、戦争において補給ほど大事なものはないし、兵器を動かす資源は、戦争には不可欠、しかも天授連邦だっけ?あそこのように、資源を大量に保持している国には、長期戦が望まれるから、なおさらこちらもありったけの資源を投入しなくちゃいけないし。それに、唯一の軍事同盟国である国の外交まで掌握されていたら、放っておくどころか、こちらが腰を低くして頼まないと、いけないよなぁ……」

「お主、なかなか頭の回転が速いようじゃな。戦争しか脳に無い陸軍省の人間にしてはめずらしいの」

 そう言ってフォッフォッフォッ、と乾いた笑いをすると、周りの取り巻き連中もそれに合わせるように盛大に笑い始めた。そして間接的に侮辱された陸軍省長官のエイラがそれに対して、黙っているはずも無かった。

「あんたたち、いい加減にしなさいよ。あんたたちみたいな内輪の協調性の無い奴らが、戦争に協力しないから、負けっぱなしなのよ!そうやって、私たちのことを馬鹿にしている暇があるならさっさと調書に調印しなさいよ。戦争に協力します、ってね。それだけのことでしょ」

 と、その老獪の笑いは一瞬にして消え、エイラを睨みつけた。

「それだけのこと、じゃと?まだ、わからんか。先王の娘よ!何度も言っておろう。わしは戦争はしない、と。戦争なんぞ我々には何の利益も、もたらさん。わしはそんなものより、こうして民が笑っていられる平和を渇望しているんじゃ。お主のほうこそ、民から笑顔を奪うつもりか?」

「違う!私たちは真の自由を取り戻さなくてはいけないのよ! 十年前の天授連邦による侵略で、私たちはなにもかもを奪われ、自治すらも奪われた。今、私たちが武装蜂起しなければ、今はおろか、未来永劫レンテンマルクは天授連邦の傀儡で終わってしまう」

「なら、言わせてもらうがの! 自由は責任も伴うんじゃ。人はのさばらせていたら、自分に言いように動く輩じゃから、わし達が、法律を作って、何重にも同じレンテンマルク人を縛り付けなくてはいけないのじゃ。それでは、そのときは良くても、後々齟齬が生じることになるだろう。それならば、他国に支配されながら、気ままに平和を謳歌したほうが、よっぽど意味があるわ!」

「そんなのは偽の平和よ! 大体、私にはわからないけど、少なくとも平和というのは私たちが自分たちの力で作り出すから初めて平和って、いうはずよ?違う?」

「いんや。正しい。……ただ、それでは、悪いのかの?」

「な!?」

「良いではないか。たとえ、それがお主の言うように偽の平和であっても、戦争で血縁のあるものが、お互いを愛し合うものが、引き裂かれ、人間同士で狂気の中、殺し合い、血を流し合い、そして悲しみに明け暮れ、国が民の悲嘆で満ちるのならば、欺瞞であっても、民に平和を説いて、それを信じ込ませ、何ごともない日々をおくらせる、これに尽力することこそが政府の本懐では、なからんか?」

 彼女は、堂々と自分の意見を述べる老獪に、肩を震わせたかと思うと、おもむろに馬から降りた。僕一人がこの場で馬上にいてもなんだか変なので慎重に馬の鞍をまたぎ、地面に足を下ろそうとしていると、ここが公共の場であることも忘れたのか、彼女は激昂した。

「もう我慢なら無い! 前からいつもいつもそう言ってきたけど、あんたね、仮にも先の戦いで武勇をはせた軍人なんでしょ!? なんで、いつもいつもそんな考え方が女々しいのよ!そういうの何ていうか知っている?」


 ――現実逃避って言うのよ。弱虫って言うのよ


 それがスイッチとなったようだ。それまで、回りのことを配慮してか、少し声を押さえ気味だった老獪がためらいのない大きな声で堰を切った。

「小娘に、何が分かる! 先の大戦の悲惨さも知らないくせに、分かった口を利くな! わしの目の前で、たくさんの仲間が酒を飲みあった仲間が、まるで、人間に踏み潰される虫けらのように簡単に死んでいったんだじゃぞ。いまだにわしの頭の中にな、皆の悲鳴がこびりついているんじゃよ。銃声がするたびに糸の切れた人形のように地面に崩れ落ち、あまたの兵士の中にぼろぼろの刃こぼれした剣を一本だけもって挑んでいったやつは、わしらの目の前で敵の銃剣になすすべもなく、串刺しにされ、首は切られ、全身は、バラバラに切り刻まれたんじゃ!そいつは、わしらの軍で少しくらい位が高いだけだった。それなのに、敵は、上官を殺したという勲功が欲しいがために容赦なく刃を体のいたるところに突き刺されたんじゃ……」

「……」

 その気迫に、彼女は、何も言い返せなくなった。必死に唇をきつく噛み締め、睨み返すことはするものの、言い返すことは出来ない。

(……仕方ない。一応、僕は彼女の部下と言うことだし、さっき彼女には奢って貰ったし、少し助け舟を出すことにするか)

「ちょっと、一ついいですか……」

「何じゃ、言うてみい。少しはこの娘よりましなことを言いそうじゃからの」

 そう言ってその老獪はぐるりと顔の向きを変えて、僕の方を見た。それは何だか人間味の無い、ロボットのような動きだった。

「いや、周りの人も見ていますし、こういう不毛な喧嘩は止めましょう、と言いたかっただけです……」

 と、その老獪は、突然僕のほうに歩み寄り、その年を疑ってしまう程の強い力で僕の軍服の胸襟を掴んで、顔を引き寄せた。

「貴様、不毛、と言ったか?」

 僕はすぐに自分の失言を強く後悔した。

「は、はい。言いました……」

 僕が、彼の放つ迫力に恐れをなしていると、彼は静かな口調で怒りをこらえながら尋ねた。

「何ゆえ、貴様は一国のこのような一大事を、不毛の一言で済ませられる?その腸の考えを言え」

 怖い。口調も声も。彼の僕の胸襟を掴む拳は怒りに打ち震えるように小刻みに震えている。それでも僕の目を見る目はまっすぐで、自然と僕は彼の質問に真摯に答えていた。

「一大事、だから、こんなところで大声を出して子供の喧嘩のように公開討論をするべきじゃないと、思ったんです。そういうのは、国議会で、してください。それに、個人的な意見ですが」

「個人的な意見とやら、聞かせろ」

「あらかじめ、言っておきますが僕はここの世界では無い、異世界の人間です。信じられないかもしれませんが、そこは、戦争なんてどこ吹く風の平和な国、あなたが言った、皆が笑っている国、です」

 農業省の人間は、僕の言を聞いてすこしざわめいたが、肝心の老獪は黙ったままなので僕はそれを無視して、話を続けた。

「でも、その国は平和によって腐った国です。平和のたどる末路と言うべきでしょうか。民は内輪の中で自分たちの権威や立場を誇示するべく闘争を始めたのです。少しでも自分が優位になるべく人を虐めて排斥し、社会のルールから、はみでないようにびくびく、と怯えながら日々を過ごすのです。それが、あなたが先ほどから強調している平和の正体です。それをわかっているから、あなたたちが、討論しているのは不毛だって言ったんです。わかりましたか?」

 と、ついに僕たちのやりとりが我慢できなくなったのか、後ろで、こそこそと話していた農業省の兵士が、一人僕の前に出てきた。その顔はどこか僕のいた世界の教師に似ていて、腹立たしく思った。だから、僕は極めて冷たい口調で言った。

「お前は先ほどからイセカイから来ただの、平和は腐っているだの、我慢して聞いていれば戯けたことを言うな! お前のような年端も行かない子供が、アイザック様の崇高な理想を汚すな!」

「君みたいな、雑魚には用はない。崇高?理想?真の平和がどういうものなのか、味わったことも無い人間が、この僕に意見するなんて片腹痛いね」

「何だとォ、お前ェ!」

 そいつはさらに立っている場所からズンズンと躍り出て僕に掴みかからんとした。そして、彼がもう腕を伸ばせば僕の首に喉輪をはめられるという距離にまで近づいたとき、制したのは意外にも上官の老獪だった。

「まぁ、待て。お主の気持ちは嬉しいが、暴力はいかん。感情に、かまけてはいかん。それでは、陸軍省や海軍省の戦争馬鹿どもと同じじゃ」

「何よ!私は感情にかまけてなんかいないわよ!」

 彼女はそう反論したものの、僕も含めて皆に無視された。

「ですが、こいつは……」

「まぁ、この者の話を一概に無視することはできまい。確かにわしらは、平和を求めてはいるが、それが何かは実際のところ知らないからの。ここで、この者を殴るのは得策ではない。耳を傾けるべきじゃ」

 彼はそう部下に優しく諭した。そいつは、唇を尖らせ不満げにしたが、やがて、僕のことを火と睨みしてから元の場所に戻っていった。それを見届けてから僕は口を開く。

「ただ、お主、わしのかわいいかわいい部下を愚弄して、わしが何も言わないと思ったら大間違いじゃぞ?それはわかったおろうな?」

「さぁね。ぼくにはわかりませんよ。ただ僕が分かるのは、僕の言うことを信用するなんて全く見た目に合わないその柔軟な頭をもっていることに感服いたします、ということだけですよ」

「フオッフオッフオッ。……それは皮肉のつもりかの?」

 眼光は鋭い。僕はたじろぎながらも臆せず答えた。

「めっそうもない。単純に感服しているんですよ。それ以上もそれ以下でもない」

 それからお互いが黙り込んだ。お互いは見詰め合ったままだ。そして、時間は経ち、先に動いたのは老獪だった。

「……ふっ。お主はよくわからんな。今日まで生きてきて、会った人間の本性を見抜くことが出来なかったのは、お主が初めてじゃ。全く、お主の言うことは眉唾物であると思いきや、どこか長い悠久の時を生きてきた仙人のように重みがあって、真実であるように聞こえるな。面白い。お主と話すのはここではもったいないし、この討論は明日の国議会で持ち込むことにしようかの」

 その口調は元に戻っていた。呼び方が貴様から、お主、に変わっているし。楽しみにしているぞ、それだけを言い残して彼は、自分の部下を引き連れ、自分たちの領土へと戻って行ってしまった。その一行が見えなくなるまで時は止まったように感じられ、見えなくなった途端、緊張が解け、ため息が漏れた。

「はぁー。良かった。怖かったよ。全く。何だって言うんだ。あの爺さんは」

「あれが、レンテンマルクの重鎮こと、アイザック・ハインリヒよ」

 そう言ったのは、エイラだった。彼女の農業省の入り口を見る目は鋭い。

「アイザック、って、さっきぼそっと、君が言っていた人か」

「そう、農業省長官にして口先の平和主義者、かつては私のお父様の腹心の部下で数々の戦いで名を馳せていたというのに、戦争に敗れてからは一転、ああして、知りもしない、味わったことすらも無いような平和を渇望して、国家の役人であるにもかかわらず、政治にはなかなか参加しないのよ。本当に民のために尽くす、なんていう人間のすることとは思えないわよ」

 彼女の横顔は重い。忌々しそうにぶつぶつと何かつぶやいている。だが、ここまで言われても、彼女が農業省を切り捨てることだけはしないのはそれだけ彼女が農業省の存在の重要性を重々承知しているからだろう。

 確かに、彼女がそうして我慢を決め込まざるを得ないのに、無理は無い。ここで、農業省をきっちり戦争に傾けさせ、総力戦で挑むようにしなければ、今は勝っているとしても、すぐに負けていることは見えている。

 もし僕が彼女の立場だったとしても農業省の戦争協力には固執するだろう。だって、昔の日本も資源や補給物資の差で、アメリカや、ロシアに敗れたわけだから。それ以前に国の内部を統一させることは、本当は、天授連邦に戦争を吹っかける前になすべきことであるのに、順序を違えたのが、頭の痛い問題だ。おそらく彼女が事を急ぎすぎたんだろう。それしか考えられない。

「な、何よ!あんた、私のこと見てため息なんかついて、その出来の悪い子を見る先生のような目をしちゃって」

 あれ、いつのまにか僕はそんな目をしていたんだろうか。つい、彼女の状況判断能力の無さに、辟易としてしまった。

「まぁ良いよ。どうせ君が、演説以外はからっきし、ってことは昨日会った時からわかっていたし……」

「何よ!それじゃ、私は上官としてダメダメってことじゃない!」

「うん」

「なんですってーーーーー!!!!」

 今更自分の無能さに気付いたのか……、と彼女にに胸襟掴まれながら、僕は思った。

 そして、途中で僕達が周りの野次馬の視線に晒されていることに気付き、すぐに彼女に言った。

「い、言い過ぎた。ごめんごめん。アイザックとの件は明日僕が……国議会だっけか?で、何とかするから、それは今はおいといてとりあえずどこかで、ご飯を食べない?僕お腹ペコペコだよ」

 そう言って、僕の首をゆする彼女に、必死にお腹を手で擦るジェスチャーを見せる。

 太陽はいい具合に真上にのぼり、合図でもあるのか、と聞きたくなるぐらい僕のお腹が、自己主張を繰り広げ出したのだった。

 そして、それを聞いてか彼女はぴたり、と僕の首を揺らすのを止め、僕から離れると、

「そんなに簡単なものじゃないけどねェ……まぁ、でも、確かにアイザックを、国議会に引っ張り出すことが出来たのは行幸だわ。だけど気をつけなさい。あんたはあいつを怒らせた。この事実は消えないんだから」

「彼を怒らせたって……それがどうかしたのかい?」

「どうかしたもなにも、あいつは部下のことは大事にする男よ。それで先の大戦では名を馳せてきたんだから。それをあんたは、愚弄した。あいつが本当に怒ったら何をしでかすか……」

「お?僕のことを心配してくれているの?」

 そう僕が聞くと、彼女は意外そうな目で僕を見てから

「べ、べ、別にあんたのことなんか心配していないわよ。ただ、一応私の部下だし、あんたとあいつの間で何かあったらこっちにも責任が及ぶから、面倒だな、って思った。それだけなんだからね!」

「あ、そうなの……。まぁ、何でもいいけどね。とりあえず、彼が軍人とはいえ、話の分かる人間であることはわかったし。何となるさ」

「全く、不安ね……まぁ、あんたに任せるわ。と、じゃあこの件はこれで終わり。一喧嘩して私もお腹減ったし、食べに行きましょうか」

 そう言って彼女は、馬の鞍にいとも簡単に乗り上げた。僕は、馬から下りたは、良いものの、乗るのは彼女の助け無しでは、出来ない。だから僕が困っていると、彼女はそれを察してくれたのか、僕に手を差し伸べてくれた。僕はそれに捕まって栗色の毛並みに足をすりながら何とか馬に乗り上げられた。そして僕の準備が整ったのを見てから彼女は、そのままもと来た道に方向転換していった。

 僕たちはそれから黙りこくっていたが、突然、門を抜けて通りを少し歩いたところで彼女は人々の喧騒の中はっきりと聞こえる声で僕に言った。

「ところで、今日の経費は全部あんたの給料から差っ引いとくからね」

 僕は、驚いて彼女を見た。彼女は僕に背中を向けたままだったが、どうやら嘘ではないようだった。

「え!?それは、鬼じゃないか……」

「当たり前でしょ。あんたね、そう簡単にこの私がおごると思ったら大間違いなんだから!大体、普通は、男が女におごるものでしょ。全くそんなことも分からないなんて、罰としてお昼ご飯は高いお店に行くわよ!」

「ちょっと!? 本当に鬼だね!?」

 そう言いながらも僕は嘆息して彼女に従った。それからはお店まで和気藹々としながら僕たちは馬に揺られていた。

いかがでしょうか?

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