出会いから一日が空けて
すいません改稿しました
つながりの不具合、誤字脱字、そしてテレジアさんの性格の改変を行ないました
そして一夜が明けてその翌朝のこと、僕は、昨日皆で夜遅くまで宴会を開いていたのが祟り、いつもならもっと早くに起きれるよう体ができているはずなのに、異世界に来て早々そのリズムが崩れていた。
閉じている僕の瞼の中には外から差し込む朝を告げる太陽の光が入ってきて、起きろ起きろ、と急かしている。
でもそこで目を開いたところで次に問題になるのは体が動かせないというところだ。戸に開く頭がずきずきと痛むのだ。
(お酒なんて飲んだからかなぁ……ちゃんと断っておけばよかったな)
エイラとの一件があったあと彼女はそれまでのしおらしさとは裏腹に、とても女の子とは思えない豪快なお酒の飲みっぷりで宴会を盛り上げていた。
そして彼女は酒癖の悪さも超一流。ジョナスやトルスト様とともに僕の体をすごい力で羽交い絞めにして、僕の口の中に一升瓶を無理やりぶち込んで僕は、勢いのままそれを全部飲んでしまったのであった。
今の気分は最悪。胃はむかむかするし、起き上がろうとするだけで眩暈がする。
(もう今日はこのまま寝続けるか。どうせ誰も僕なんか起こしには来ないだろうし)
そう考えて、僕が酩酊感の海に揉まれながら、目を閉じたときだった。
扉が、思いっきり蹴破られた。それは豪快な音を立てながら蹴られた勢いで百八十度回転し、壁に衝突する。
もちろん僕は飛び起きた。朝からこんなアグレッシブな起こし方をする奴なんて一人しかいない。
「ほら、あんた。こんな気持ちいい休日の朝なんだからぐうたら寝てないでおきなさいよね!」
彼女は、コツコツと音を立てて僕の布団まで近寄り、横になっている僕の顔の部分だけを、外気に晒した。
「……いや、もう起きているぞ」
それはエイラだった。彼女は既に、僕が着ていた昨日のままの敵軍の汚い軍服とは違って、一点の汚れもない上から下まで統一した、漆黒のレンテンマルク王国軍の軍服に着替えていた。そしてそれに相反するように腰まで伸びる、流れるような亜麻色の髪は、きっちりと整えられていて軍人とは思えない令嬢のような上品さを醸し出していた。
「下でもう朝食ができているんだから。早くに食べに来なさいよ。冷めちゃうじゃない」
確かに彼女があけたドアのほうからおいしそうな匂いがする。
「わかったよ。今体を起こすから……」
僕はだるい体に鞭打って、布団から這い出た。
「うわっと……」
ちゃんと床に立っているはずなのにゼリーのようなグニャグニャしたものの上の乗っているような感覚が僕を襲った。
「あんた、大丈夫なの?そういえば顔色も良くないし」
それはお前が、僕にあんなにお酒を飲ませたからだろう、と言い返してやりたかったがあいにく今の僕にはそれだけの気力も、残されてはいない。
「というか君は逆になんでそんなに血色いいのさ。昨日あんなにお酒を飲んでいたのに」
「私はあんたと違ってお酒を飲みなれているからよ。というかレンテンマルクじゃお酒を飲む年なんてあまり関係ないけどね」
「お酒は二十歳からじゃなきゃ体に悪……うぷっ。吐きそう。トイレの場所教えて」
「あんたもう顔真っ青じゃない!」
「……その声が頭に響いて……ごめん。もう無理かも」
「ちょっとー!」
僕はその後、彼女に猛ダッシュでトイレに連れられて、そのまま駆け込んだ瞬間に全てをぶちまけたのであった。
「全く、本当にあんたは危ないわね」
「いや、ごめん……」
僕は、そうして出すものを出し切って気分がすっきりした後、ベッドの脇に用意されていたレンテンマルク王国軍用と思われる黒の軍服、エイラを部屋から追い出して急いで着替えた。
シャツ、ネクタイそしてその上から、学ランのような、黒の薄手の重ね着を、と、エイラに指定されたとおりに、全て着終わった。すると気付いたのは意外にこれがとても暖かいということだった。素材は何を使っているかは分からないが生地の肌触りもよく、すぐにデザインも含めて気に入ってしまった。
エイラに僕の格好をお披露目した時だって、
『まぁ、私ほどじゃないけど、それなりに似合ってんじゃない?少しは格好よさもあがったんじゃないの?あっでも勘違いしないでよね、格好よくなった遠いってもほんのわずかだから。本当にこれくらい』
そう言って彼女はしきりに指で目で見えるか見えないか位の距離を強調していた。ここまでくると褒めているのか貶しているのかわからないが、まぁ、昨日一日付き合ってみて、彼女の性格を考えるとするのならこれは褒めてくれているととった方が妥当だろう。
そうこうしているうちにすぐにこの大きい屋敷のリビングにたどり着いた。
と、こう簡単に言っているが実際にはここまですごく時間がかかった。何せ昨日のトルスト様ほどではないものの、それでも僕が住んでいた家と比べればずっと広いし、なによりかなり構造が複雑で、よく昨日あそこの部屋までたどり着けたなと思ってしまう。
「エイラ様、遅いですよ!ご飯がもう冷めてしまっています!」
「ごめんなさい。テレジアさん。こいつがなかなか起きないもんだから」
「えっ、僕のせいなの?」
「全く、ヤクモ様でしたか? あなたは君国の儀を受けたレンテンマルク軍人とエイラ様から聞きましたよ。ちゃんと、自覚を持って規則正しく生活を送っていただかなくては困ります」
それは、エイラよりいくつか年上、二十歳あたりと思われるメイドさんだった。なんだか聞いてる限り世話焼きお姉さんと言う感じでエイラはその妹のようである。
彼女は、双眸は鋭く、黒を基調としたフリルがかわいらしいメイド服に良く似合う肩まで伸びる黒髪を鷲のエンブレムがついたヘアピンでまとめている。身長は僕よりも高く、しかも足が長いので、まるでモデルのようである。
「すいません?あなたはどなたですか?というかどうして、僕の名を」
一応僕は聞いておく。もちろん彼女はここの家のメイドなんだろうが、それでもだ。
「ああっ。気が至らなくて申し訳ありません。私はクシャーナ家に仕えるメイド長のテレジアと申します。これからヤクモ様のお世話もさせてもらいますのでよろしくお願いします」
「名前は私があんたが起きる前に皆に教えておいたの」
「あぁ、そうなのか。なるほど、こちらこそどうも。よろしくお願いします」
僕はきちんと頭を下げてお辞儀してきたテレジアさんにたいして、そして一応親切にも僕のことを紹介してくれていたエイラにも、こちらこそといった感じで下げ返した。
「ふむ、ヤクモ様、あなたはなかなか常識人のようですね。召使と言えど初見の私に礼儀をもって接する。エイラ様とは違ってなかなかあなたは優れた御仁のようだ」
そう言ってテレジアさんは僕に微笑みかけてくれた。その笑顔は、通常時の彼女の人を寄せ付けない雰囲気とのギャップがあいまってか、美人がさらに神々しくすら見えた。
「あんたテレジアさんをどんな目で見てんのよ!」
「とがっ……!」
怒ってからエイラは、僕の足を思いっきりふみつけた。僕に用意された生地の薄い褐色の革靴とは違って彼女が履いていた動物の毛皮でできたブーツは、底が厚く作られていてので、かなり痛かった。
「全く。エイラ様は何を言っておられるのですか。ヤクモ様が私を変な目で?ないない。そんな私ごときのこんな顔で男性が見向きもするはずが」
……え?彼女はそれ本気で言っているのか?あの、美人の皮肉とかじゃなくて?本気で自分が男性に見向きもされない顔だと思っているのか?
「だから、あんたはいい加減自分に自信を持ちなさい。悪いけどあんたのその美貌とか、体でそういうこというのは私に対する侮辱といっても過言ではないから」
それから彼女の目元はテレジアさんの顔から胸元に降りていった。そしてある一点を凝視する。
「ど、どこを見ているんですか?エイラ様!大体、私の顔が自信を持てるようなものじゃないって音くらいあなたも知っているでしょう?いい加減わかってください。あと早く朝ごはん食べましょう。今、に給仕させますから」
そう聞かれても、もうエイラは自分の小さい膨らみとテレジアさんの大きい体の膨らみに対して独り言をぶつぶつとつぶやいているだけで、彼女の言葉は耳には入っていないようで、テレジアさんは、それが分かった諦めたのか今度は僕のほうに向きかえって、
「ヤクモ様、お聞きしたいのですが、私の顔はそんなたいそうなものではございませんよね?」
そう真顔で聞いてきた。それはまだ寝起きで頭の冴えていない僕にとっては、とても反応に困る質問だった。別に僕は嘘をつくことに関しては何の罪悪感とかも沸かない性格だが、これは訳が違う。
ただでさえ女性の顔についてとやかく言うのも憚られるって言うのに、美人の顔を貶すなんて絶対に不可能だ。ただ、だからといってここで彼女にいや、美人だと思いますよ、なんていった日には何と返されるかもわからないので、思考に少しばかりの時間を要した後、
「テレジアさん。僕は顔は人それぞれの好みだと思います。顔だって所詮、形とか造形とかそういう部類に入るんだから良し悪しを抜きにしたら最終的にはやっぱり好みになってくると思いますよ。だから、テレジアさんは何ら恥じることはないと思います。自分で良し悪しなんて決めちゃいけないと思いますよ」
僕はそんないつぞやか読んだ哲学書の一部を記憶の隅から引っ張り出して言った。確かそこには顔も芸術と全く同じであるという冒頭の大きな見出しとともに
顔は絵画と同じ。必ずしもうまい(格好いい)ものが良いというわけではなく、そこには社会の通念やら人間の性質、風土などのたくさんの条件が複雑に絡み合って、尺度がなっている。
と、言い方は難しいが、とどのつまり顔は一概には女の人の場合であったらかわいい、とか美しいからいいとはいえないということである。まぁ、実際それ以前に何が可愛いのか何が可愛くないのかが明確に示されていないのも確かなんだけど。
「まぁ、たしかにヤクモ様の言われることには一理ありますね。ただこれに関しては、私にはどうしても、それも私の人生を全て使ってでも払拭できないやも知れない、といっても過言ではないくらい個人的に大きな問題があるんです。だからそんな簡単にはいえないといいますか……。すいません。せっかくのお言葉を」
彼女はとても申し訳なさそうにしているので、
「いや、めっそうもないです。こちらこごめんなさい。テレジアさんの事情も良く知らないのに」
すると彼女はにっこりと笑って、じゃあ、朝ごはんにいたしましょうか、と元気よく言ってから、奥のダイニングのほうに声をかけた。
「朝ご飯給仕お願い!」
「わかりましたァ~」
と、そんな快活な声がリビングの奥のほうからする。
「誰ですか?」
「うちはテレジアともう1人、新人なんだけど彼女の手伝い兼見習いとして雇っているのよ。名前はノエルといってね、顔は可愛いし、性格も申し分ないんだけど……」
「だけど、どうしたんだい?」
「……まぁ、今に見ていなさい。すぐにわかるから」
エイラが言ったとおりすぐにもう1人のメイド、ノエルさんはやってきた。彼女は、その華奢な体が折れてしまいそうなくらいの大きな料理がのせられたお盆を抱えていた。彼女の体自身がかなり傾いていて足取りはおぼついていない。
もっとはっきり言ってしまえば、彼女からは一目見ただけでこいつ料理こぼすな、と予感させてしまうものがあった
彼女がいる距離から僕達がいるテーブルまではさして距離はないが、いかんせん彼女の歩き方は不安しか感じられないほどぎこちないものであった。
「ちょっと、ノエル!あなた、少しは私を頼ることをしなさい!」
そう言ってテレジアさんが、彼女に駆け寄ろうとすると、
「先輩は座っていてください!いつもいつも先輩に助けられて私は役立たずなんですから。これくらい頑張らせてください!」
「……はぁ、わかった。じゃあ、そんなに距離もないし、こぼさないように頑張りなさい」
彼女の熱意に負けたのかテレジアさんはあっさりと、折れて今度は彼女を温かい目で見つめ始めた。それはまるで小さな娘を見る母親のようであった。
たぶんいつもこういうくだりがあったんだろうな……まぁ、詳しいことを聞くのは、よしておこう。一度口を突いたら延々と話を聞かされそうだし。
そしてその娘、ノエルさんは、というと何も言わずに、その場でお盆をメイドさんらしからず、スカートに包まれた太ももを使って上に上げ安定させた。
「じゃあ、ノエルぅ、行っきまーす!」
そんな掛け声とともに彼女は最初は、安定した歩きをみせ、途中から疲れてきたのか、またさっきのよたよた歩きをして、一度止まる。それから、またそこで足を使って持ち上げる、これを何度もくりかえした。そして、あと数歩でテーブルまでたどり着くというところまでたどり着いてからは僕以外の皆が声を出して応援していた。それはさながら運動会の徒競走で転んじゃった子を励ます父兄のようであった。
そして、彼女は慎重にテーブルの端にお盆を載せ、
「はい、着きましたー! 私、ついにやりました!テレジア先輩、エイラ様、そしてヤクモ様、でしたか?こんな私を胴上げしてください!」
「そうね……よくやった部下を褒めるのは上司の仕事。そうと決まればほら、テレジアさんもあんたも来なさい。一緒に胴上げしましょう」
「え?朝から胴上げするの……。しかも、それ以前に胴上げする理由がおかしくない?何でこんなしょうもない理由で、たかがこれだけの距離を料理をもって運んできただけじゃないか。全く小さな子供じゃないんだからさ」
僕はそこですぐに口が滑ってしまった、と後悔した。ノエルさんの大きな瞳が子犬のようにウルウルしていたからだ。
「ひどいよォ……せっかく、私頑張ったのにぃ、しょうもない、なんてぇ……うっ……うっ」
「あんた何、ノエル泣かせてんのよ! テレジアさん、奥の部屋から馬用の鞭を持ってきて。こいつに制裁を加えるから」
テレジアさんはやはり良識のある人なので僕とエイラのことを交互に見て、困り果てた顔をしていた。これはどちらかが譲歩しなければ朝食にすらありつけそうにない。僕は昨日あまり食べていないせいかお腹も減っていたので嘆息して言った。
「わかった。エイラ、ノエルさんを胴上げしよう。ノエルさんもごめんね。僕が悪かった。せっかく君は頑張った、っていうのにそれを評価するどころか、馬鹿にして取り合わないなんて僕はどうにかしていたよ」
それぞれの反応は多種多様だ。エイラは、満足げな顔をし、テレジアさんは、感心したように微笑をする。そして、ノエルさんはすぐに泣き止んで、
「ありがとう。ヤクモ様ぁ!そうと決まったら外に出て胴上げしよーう!」
いや、何で胴上げされる本人が胴上げを先導しているんだよ、と、つっこみたくなったが、笑顔でリビングの扉を出て行ってしまった彼女を見たらべつにいいか、と思えてきた。それに少し運動してから朝ごはんを食べた方がご飯もおいしく食べられそうだし。
そうして僕は、エイラや、テレジアさんと共に彼女の後を追いかけたのであった。
「じゃあ、馬を走らせるからちゃんと私の腰に捕まっていなさいよ?」
彼女は馬の手綱を握って僕にそう問いかける。
「う、うん……」
僕は初めての乗馬と言うことも会って緊張を隠すことができず、気を引き締めて答えた。すると彼女は前を向いて、腰に挿していたさっき僕を殴るために使おうとしていたであろう凶悪なまでに黒光りする鞭を、スナップをきかせて勢いよく、馬の肉付きの良い体に当てた。馬はヒヒーンと雄雄しい鳴き声を上げ、主人の期待に答えるべく走り出した。
あれから、僕達は胴上げをしてからようやく朝食にありついた。テーブルにはこれでもかというぐらいに色々な種類の料理が並べられて最初は食べ切られるか不安になったが、実際に食べてみるとかなりお腹が減っていたのもあったのか会話を楽しみながら僕たちの箸は止まらず、完食することができた。
そして、全てを食べ終わってから、僕は自分からテレジアさんに食器の片づけを手伝うことを申し出た。すると彼女は、
『ヤクモ様。あなたのご好意はとても嬉しいのですが、お礼はまた今度受け取らせてください。今日はエイラ様と共にレンテンマルク観光をしてきてください』
『レンテンマルク観光、ですか?』
そう聞く僕に彼女は食器を洗いながら強く頷いて見せた。
『そうです。ヤクモ様は名誉あるレンテンマルクの軍人になったのですから、軍人たるもの守るべきものをきっちりと掴んでおかねばいけませんからね。それに』
『それに、何です?』
僕が、彼女にそう聞くと彼女は、ふと食器を洗う手を止め、僕の耳に口を寄せてきた。僕は、彼女の端整な顔が近づいてきたこと、そして彼女の体からするほのかな良い匂いが僕の鼻をくすぐったことにドキリとさせられた。
『な、何です?』
『ふふ、ヤクモ様こそ何をそんなに焦っていらっしゃるのですか?』
『あ、焦ってなんていませんよ』
『そうですか?汗も多く出ていますし、声もいつもより少しだけ上ずっていましたけど……』
『そ、そんなことはないです!というより僕のことはいいですから早く僕が今日エイラと共に観光をしなくてはいけない理由を教えてください』
『……言おうかなと思いましたけど、こういうことは自分で考えた方が人間としては何回りも成長できますから、自分で考えて答えを見つけてください』
それだけ囁いてから彼女はまた食器洗いに戻ってしまった。僕はしつこく問いただしても彼女の怒りを買う恐れもあるし、何より彼女の邪魔になるので、諦めてエイラの元へ向かった。そうして、ソファであけっぴろげにくつろぐ彼女に先ほどの旨を話すと、
『はぁっ?なんでこの私が、せっかくの大事な休日にあんたなんかと一緒に、過ごさなきゃいけないわけ?』
『いや、テレジアさんがそう言ったんだから、僕に言われてもなぁ……』
僕が頬をかきながらそう言ったところ、彼女は鋭い双眸を吊り上げてからダイニングの方を見て、
『テレジアさん、こいつが言っていることは本当ですか?』
僕も彼女の方を見た。すると彼女は、食器を洗っていた手を止めて言った。
『えぇ、言いましたとも。エイラ様、ヤクモ様はレンテンマルクの民を守る軍人様なのですよ。しからば、レンテンマルのこと、民のことを知る必要があります。違いますか?』
その理路整然とした物言いにエイラはたじろいだ。
『だ、だけどそれだったら、こいつが1人でいけば!』
『エイラ様? ヤクモ様は昨日ここに来たばかりなのですよ?もう子供ではないのですから我侭言わずにちゃんと案内して差し上げてください?』
『じゃあ、テレジアさんが、一緒に行ってあげればいいじゃないですか。私は今日という大事な休日を休息に使いたいんですよ』
『何を酷なことをおっしゃられるのですか。エイラ様は。私のような醜い顔の女がヤクモ様と公の道に出たら、ヤクモ様の評判が下がってしまいます』
『テレジアさん。それ絶対世間の女の人に言っちゃダメですからね。本当に殺されちゃいますから』
僕もそう思う。こんな美人さんがそんなこと言ったら、僕にでも皮肉かそれに準ずるものにしか聞こえない。
『だからお願いします。エイラ様。どうか、私の言うことを聞いてください。これは死活問題なのです』
そう言う彼女の顔は必死そのものでエイラは嫌そうな顔をして僕の顔を一瞥した後、嘆息して
『わかった。仕方ない。テレジアさんの自虐癖は今に留まらないし。それにいつもテレジアさんは身の回りのことやってもらって恩義も感じているしね』
そうしてエイラは、重い腰を上げ、今に至るというわけだった。
僕たちは鬱蒼とした森の中を馬に乗って駆け抜けていた。車よりは遅いがそれでも生身に受ける冷たい風はかなり強く、その速さを物語っていた。
「何でテレジアさんはあんなに自分のことを低く見ているんだろう? 別に彼女メイドとしての能力で何か致命的に欠けているわけでもないでしょ?」
「当たり前じゃない。テレジアさんはうちの屋敷の家事も、洗濯も、炊事も、ほぼ1人で完璧にこなす、万能メイドよ?」
彼女の外見からしてもまぁ、それは容易に推測できる。というか、ノエルさんも人数に入れてやれ。
「まぁ、私が彼女を雇ったときの雇い金はそこら辺に転がっている普通のメイドと何ら変わりはなかった。あれだけメイドとしての能力が高いのに、そこんじょそこらのメイドと同等の扱いなんて前の雇い主と何かあったとしか思えないけどね」
鳥頭の彼女がきちんと覚えているのだからよほどテレジアさんのことを大事にしているんだろう。
「へぇ、君はいつ彼女のことを雇ったんだい?」
「私のお父様がお亡くなりになったあと、すぐね。だから大体九年ぐらい前かしら。あの時はまだ彼女は今ほど目はきらきらしてはいなかったけれどもね」
となると二人の間には九年の絆があるのか。まぁ、ああやって屋敷で二人でずっと九年間も過ごしてきたら、エイラもテレジアさんのことをまるで実の姉のようには扱うだろうな。
その言葉を最後に自然と僕たちはテレジアさんの話題に触れることはなかった。人の生い立ちや過去を詮索するのは、良くないと思ったからだ。人にとって重要なのは過去ではなく、今、そして未来。この教訓も哲学書の薫陶だ。
そして、そうこうしているうちに馬の速度がどんどん加速してきて、そろそろエイラに捕まらないと落ちてしまいそうだったので、おそるおそる馬から落ちないように、ためらいながらも彼女の腰に手を回すと、
「ちょっと、あんたどこ触ってんのよ!」
「こ、腰だよ。僕だってこんな経験初めてで、恥ずかしいんだからこれくらい許してよ……」
本当に恥ずかしいのだ。生地が厚いとはいえ軍服越しに触る彼女の体は、丸みを帯びていて、柔らかい。そして、風に揺れてたなびく彼女の髪からする女の子特有の甘い匂いがどうにも僕の脳みそをおかしくしているようだ。
「じゃあ、腰以外のところは絶対に触らないでよ? 触ったら馬の上から突き落とすからね!」
僕は、こくりとうなずいて見せて、落ちないように彼女の腰に回す手に意識を集中させた。
「ちょ、ちょっと、くすぐったいじゃない」
「いや、でもこれくらいじゃないと馬から落ちちゃうよ」
「じゃあ、落ちちゃいなさいよ」
「暴君過ぎるだろ……」
それから彼女は譲歩してくれたのか何も言わなくなり、僕たちの間には、すっかり会話がなくなってしまった。地面に降り積もる雪の上を駿馬が鉄蹄で駆け抜けていく音が響く。
シャクシャクと柔らかくて真白な粉雪はいとも簡単に馬の足型に形を成していく。太陽の光が木々の隙間をかいくぐって白のキャンパスに木漏れ日色の絵の具を垂らす。
そしていくばくかしてようやく林間を抜けた時、僕の目は、僕の声は、驚きに包まれていた。
それは自然とは全くかけ離れた人間らしさが感じられる昨日の夜では見えなかった町の容貌。屋根はどの家も色鮮やかで、住宅街のように横一列に、びっしりと奥まで並んでいた。
そして道はそれぞれの家を区切るように一軒ずつ一軒ずつずっと奥まで十字に交差している。それは言うなればまるで古の京都の都の碁盤の目のようであった。
道には籠を持った農夫や着飾った貴婦人が日傘を差して歩いていたりした。そしてその中で人の背丈よりも大きい、馬に乗った僕たちは明らかに注目を集めていた。
『きゃー! エイラ・クシャーナ様! 昨日の戦争、戦勝おめでとうございます!さすが、お父上譲りの卓越した才能……』
『あそこにおわすはエイラ様よォ! さすがはクシャーナ家の当主様。今日も凛々しいお姿だわ!』
と、黄色い歓声が巻き起こっていた。皆彼女を見る目は敬服以外の何物でもない。彼らは、道の端によって僕たちのために道まで開けてくれていた。
僕はエイラの耳に口を寄せて話す。
「君、すごく人気があるんだね」
「まぁ、そりゃ私はクシャーナ家の当主エイラ・クシャーナ様ですからねぇ?王であったお父様は民からとても慕われていたし、私はその一人娘。皆が私に期待しているのよ。それにぃ、昨日大国天授連邦に勝ったことがさらに私の人気に箔をつけているからねぇ」
「昨日の戦争に勝ったのは僕のおかげだし、それ以前にそれじゃ君はただの親の七光りじゃないか」
「何ですってぇ! 確かに、昨日勝ったのはあんたのおかげ、それは認める。でもね、七光りって言う言葉、私は世界で一番嫌いなの!訂正しなさい!さもないとあんた、馬から突き落とすわよ?」
彼女の目は本気だった。ここで訂正しなかったら本当に僕は突き落とされそうなので
「わっ、ごめん、ごめん。よく事情を知らない僕が君の事を七光りなんて言ったことは悪かったよ」
僕は彼女のことだから、それじゃまだ足りないといってさらに僕に何かさせるかもしれないと思い、内心ひやひやしていたが
「わかればいいのよ。ちゃんと次からは言葉に気をつけなさい」
彼女はそう言って馬に鞭を当てその場から早々に立ち去らせた。少し僕達が騒ぎすぎたせいであろう。皆の目が敬服から好奇に成り代わりそうだった。
そうして大通りに出ると、彼女は少しずつこの観光の本懐である町の紹介をし始めた。
「ここは昨日私たちが通ったトリニステライヒの中央大通りで、通称『戦士たちの栄光』と呼ばれているわ」
ここで僕は少しばかり言葉選びに吟味をする。昨日のようにいかめしい名前だ、といったら同じ轍を踏みかねないので
「へぇ、どうしてそんな興味深い名前になったんだい?」
無難に逃げた。
「ここはお父様が王になったばかりのころは木と草が縦横無尽に生えていて誰も立ち入っていなかったそうなの。でもお父様はここがレンテンマルク本土のちょうど真ん中に存在するから四方に対応できるという理由で開拓をはじめ、今こんなにたくさんの人で賑わい、お店が立ち並ぶような発展都市にまで育て上げたのよ」
そう説明する彼女は、自分のお家自慢ができて嬉しいのだろう。声はどこか弾んでいた。
それにしても、彼女のお父様は、話を聞く限りなかなか聡明な人のようだなぁ。本土の中央にある都市に目をつけるところとか戦国時代の武将斎藤道三が岐阜に本拠を構えた理由と全く同じだし。
「でもここは先の大戦で追い詰められたレンテンマルクとその圧倒的な兵力で本土進攻してきた天授連邦の最期の激戦の地となったの。ここでたくさんの兵士が誇りを賭け、家族や恋人の命を守るために散っていったのよ」
すぐに表情は一転、今度はそう言った彼女の顔にはどこか憂いが帯びていた。その目は、ずっと先にあるものを見ているように細められ、もっと遠くにある何かに向けられていた。それを見て僕は思った。
もしかしたら彼女のお父さんはこの戦いで敗死したのかも知れない、と。
それはとても悲しい戦いで、たくさんの命が湯水のごとく失われ、大切なものを残していったまま土へと還っていったのかもしれない。
でも僕は彼女を隣で支えてやることはできなかった。軽い気持ちで薄い言葉を駆けようものならそれは同情という名の悪魔に成り代わって彼女の心に入りこんでいってしまうかもしれない。それが嫌だった。
それに、僕は心の中でわずかばかりある気持ちが燻っていた。
――そうやって、何か誇りを持って生きて、目的を持って死ぬことができるなんて、僕には理解ができない。
人間の思惑と欲で作り上げられたこの世界に何か価値を見出し、死、という人間にとって最悪の天敵にも恐れも怯えもしない。
それが僕には理解ができない。とどのつまり哲学書を読み込んだ僕の脳みそが戦死者の美徳に拒否反応を起こしていた。でもそれは絶対に僕が口にしてはいけない言葉だ。そんなことはよくわかっている。
だから僕はエイラが自分から話し始めるのをじっと待ち続けた。彼女が笑顔になるときまで。しかし、彼女はいつまでたっても笑顔にはならず馬に乗ったままわずかに背を丸めているだけだった。
いよいよ心配になった僕は、
「エイラさんー?大丈夫ですか?」
そう言って彼女の目の前で手を振ったり、彼女の腰をくすぐってみたり、と色々アクションをあけてみたが彼女は何も反応を見せなかった。
そこで、最後の手段として、僕は彼女の肩に手を置き、耳元に口を寄せて、ふっ、と息を吹きかけてやった。
「ふっく……んあっ。って何するのよ! あんたは!人がせっかく感傷に浸っているときに!」
「いや、ごめん。でもずっとここにいたら寒かったしさ。しかも人が辛い顔をしていると他の人も辛くなるって言うじゃない?それが皆からの人気者だとしたらなおさらだよ」
僕はそう言って馬の足辺りで僕たちのことを見上げる小さな子に目線を移した。釣られて彼女の目線もその子に移った。
その子は粗末なつぎはぎだらけの服を着てぼさぼさの髪を右手でぽりぽりと掻きながら、左手を差し出していった。
「お姉ちゃん。大丈夫?こんな気持ちいお日様の下でそんな辛そうな顔したらいいことないよ?元気が出ないんだったら僕のお菓子あげるから食べて」
その土だらけで乾燥した空気のせいで肌荒れを起こした手に載せられていたのは赤い包装紙で両端を蝶ネクタイのように包んだ小さなお菓子だった。
「いいの?君が食べるんじゃないの?」
それは至極まっとうな質問だった。この子は誰がどう見ても、その日の食事にありつけるかもわからないぐらい貧しい子だ。そんな子からお菓子とはいえ、食べ物をもらうのは何か罪悪感の沸きあがる行為である。
でも、その子は、そんな貧困なんか吹き飛ばしてしまいそうな笑顔で言った。
「別にいいよ! だってお腹がすいたって、ご飯を食べれば、直るでしょ?でもつらいっていうのはただご飯をたくさん食べたって直らないもん。少しのお菓子を食べて、笑顔になる。そうすれば、それで苦しいことなんてなくなるよ」
それだけ言ってその子は、エイラの手にお菓子を握らせた後、その場から走り去ろうとした。
「ちょっと待ちなさい!」
と、エイラが大きな声を出してその子を引き止めた。たくさんの人が行きかう通りの喧騒の中その子の小さな体はまぎれてしまいそうだったが、彼女が周りを省みない大きな声を出してくれたおかげで見失うことはなかった。
「どうしたの?お姉ちゃん。まだお菓子欲しいの?」
その子はポケットを漁ってたくさんのエイラに渡したお菓子と同じものをいくつか地面にこぼしながらも手のひらに山盛り載せた。
「違う!そうじゃなくてお菓子のお礼を言おうと思って。ありがとう。お菓子!おかげで元気になれたから」
「そう、じゃあ、良かった。お姉ちゃん、綺麗だから、笑顔の方がいいもん!」
彼女の顔は今度こそ綻んだ。
「ありがとう!僕、名前を最後に聞かせてもらえない?」
「うん、いいよ僕の名前はね」
ヘスっていうんだ。『救いの手』っていう名前の孤児院に住んでいるんだ。
それだけ言ってからそのヘスと名乗った子は、もう待たせている人がいるから先に行くね、とだけ言い残して、今度こそ人ごみの中に紛れてしまった。
「あの子、ヘス君だっけか? 孤児院に住んでいるのか?大変だな……なぁ、エイラ?」
「……あっ、そ、そうね、あの子大変ね。孤児院なんてね」
「……うん」
「というか、早くしないと今日中にあんたにレンテンマルクの要所すらも紹介しきれないじゃない。こっからはちょっとスピード上げるからね!」
「わかったよ」
彼女はヘス君からもらったお菓子の包みを乱暴に開けて中身を口の中に入れてから、また馬に鞭を当て、他の通りを闊歩する馬よりも速い速度で歩かせ始めた。
僕は馬の上で揺られながら、次の目的地まで唯一つのことだけが気になっていた。
彼女の笑顔は、ヘス君が救いの手といったところでほんの一瞬だけ消えていたということが。