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最終話 少女は愛を求めた

これで二章完結。ここまで読んでくださって本当にありがとうございます・

あらすじで申しました通り、これより推敲に入るため更新は遅れますがどうぞお許しください

「くそっ、こいつら斬っても斬っても立ち上がってくるっ!」

 ウェルゾフは、華麗な手捌きで取り囲んでくるゾンビの群れをバッサバッサと切り捨てていくのだが、にもかかわらず彼らはすぐに立ち上がってこちらに向かってくる。

 おかげで僕たちはほとんど動けていない。

(全く、これじゃあジリ貧だ。何か解決策はないか……)

 僕はあくまで非戦闘員なので、王宮に向かって動き出して、すぐにこのゾンビどもの群れと遭遇した瞬間生い茂るっ背の高い植物群の中に身を隠した。

 こうして落ち着いて考えられるのは、運よく遭遇した場所がびっしりと一面生えわたっていたのでゾンビとは別の厄介な、僕たちを殺そうと躍起な一般兵から身を隠すのが容易だからだ。

 しかし、それも時間の問題。早く何か手立てを見つけなければ。

 とはいえ、ミリタリーのジャンルと違ってゾンビに関するゲームは一度もプレイしたことがないので弱点の目星すらもつかない。

(まさか、本当に生きていて目の前にゾンビが現れるだなんてね……)

 そんな言い訳をしつつも、結局は無駄だと悟り、目の前で戦闘を繰り広げるゾンビの動きに目を向けた。

 何か、動きに癖があるかもしれない。ありがたいことに奴らはあまり動きが速くないから、頭を使って見抜くしかなさそうだ。

 すでに激しい戦闘が繰り広げられているため、視界を覆っていた多くの植物が踏み倒されていた。

 そのおかげで視界はかなり良好。10人ほどのゾンビとウェルゾフが戦っているのがよく見えた。

 彼、大丈夫かな。かなり大立ち回りを続けているせいか、動きに疲労が見えるんだけど……。

 実際、彼の孤軍奮闘ぶりには目を見張るものがあった。

 両手に斧を構え、1人を強く見据えると地面を強く蹴り、1瞬で懐に入り込んでから次の瞬間には体を切断している。

 とてもだが人間業とは思えない妙技だった。まるで、殺人機械のような冷酷さがそこにはあった。

 1人を斬ってそのまま体を地面に投げ出すと、さっきまで立っていた場所に敵の小ぶりな斧が刺さっている。

 一瞬でも反応が遅れれば命がなくなる。既にそんな極限の戦いと化していた。

「おい……こいつら、ゾンビ、だっけか? いくら倒しても死なないんだが、こりゃどういうことだ?」

 そんなこと僕に言われても。確かに元いた世界ではゾンビはかなりしぶとい設定だったのは知っているが、正直ここまでとは思っていなかった。

 だって、彼らは僕が唯一ゾンビの弱点で思い出した、脳に損傷を与えれば2度と立ち上がらないが全く適用されないんだから。

 言葉にするだけでもおぞましいが、ウェルゾフは先ほどから平然と首と頭を切断して回っているのだ。全く持って信じられない。僕なんて今でも卒倒しそうなのに、殺すことはおろか対峙するのだって無理だ。

 まぁ、何にせよとにかう奴らは頭部を失っても勝手に自己再生する厄介な存在だった。と、これ以上はもう思い出すだけで吐き気がぶり返しそうなので説明を省くことをご容赦願いたい。

 いくらウェルゾフが強いとはいえ、人間である以上必ず疲れはやってくる。だから急いでこの状況を打開する案が思いつかなくてはならないのだがどうも頭がパニックになっていていまいち妙案がわかない。

(とりあえず、僕たちはこのゾンビたちを何とかして撒ければいいんだ。そうすれば王宮で地下にあるというゾンビに噛まれた人用の解毒剤を解放できる。おそらく、それは2個や3個じゃなく、もっと大量に培養されているはずだ)

 この突然のゾンビ出現は、元からゲームマスターである国王によって仕組まれていたことだろう。

 そしてそれと同時にこのゾンビ化計画はかなり大きい、それも国家全体での水面下で進められていたプロジェクトに違いない。

 人間を完全ではないとはいえ、蘇生させるためには莫大な費用と年月を費やさなければ不可能だ。しかも1体ではなく、500体。

 それで解毒剤が2,3本しか作られていないとは考えにくい。

 被害者はまだ少ないし、あのアナウンスで兵士たちは一致団結して僕たちを狙いに来ているようだから、不幸中の幸いと言うべきかこれ以上大量に被害者が出る可能性は減ったといえる。

(……となるとやはりここをどうにかして切り抜けて王宮まで辿り着ければ僕たちの勝ちなんだ)

 既にこのゲームは僕対ウェルゾフではなく、僕、ウェルゾフ対国王の構図になっている。

 潜んでいても遠くに臨むことのできる王宮を睨み付けながら解決策の模索に耽っているとついに戦局が動き始めた。

「うあっ!」

 ついにウェルゾフは、ゾンビの繰り出した一撃に斧をが吹き飛ばされ、そのまま膝をついてしまった。

 何やってんだ、あいつ。早く立ち上がらないと死んじゃうぞ。

 しかし、そんな声を上げれば、奴らは僕に気づいちゃ…………ん、待てよ。そうか、そうだ、その手が合った。

 何でこんな単純なことに気づかなかったんだろうと、僕は後悔したがそうこうしているうちに10体のゾンビがゆらゆらと彼に近づいていく。

 良く見れば彼らの足取りも、おぼつかない。そりゃゾンビなんだから足取りがおぼついていないのは当然だろ、と言われるかもしれないがそれは違う。

 それは僕のこの一か八かの賭けを後押ししてくれる決定打なんだ。

 僕は急いでポケットを漁る。頼む、あってくれ、普段神なんか信じない僕がそんな風に祈ったおかげかそれは僕のポケットの中に1個だけ存在した。

 よっしゃ、あった! たまには神様にも頼ってみるもんだ!

 僕は急いでなるべく音を立てないで立ち上がる。もうウェルゾフはゾンビに囲まれて風前の灯だった。

 彼は僕の姿に気づくと助けてくれ、というジェスチャーをしてきた。

 それを軽くスル―すると僕は手に持っていた手榴弾の安全ピンを抜いた。

 そして思いっきり湿地帯に向かって投げた。

 あまり肩に自信はないが、そこまで距離もないので恐らく何か起きない限り大丈夫だろう。

 すぐにポチャンと言う音がすぐ近くからした。あの得体のしれない泥沼に手榴弾が落ちた音だろう。

 しかし、それ以上に特筆すべきことが僕の目の前で起こった。まぁ、予想通りと言えばそれまでなのだが一応僕が気付いたゾンビどもの弱点とともに教えようと思う。

 彼らは疲れて荒い息をするウェルゾフに斧を振りかざしていたが、遠くで音がした瞬間ぴたりと動きを止め、顔を湖沼の方に向けたのだった。

 彼らはそれから目の前にいたウェルゾフのことを忘れたように歩き始めた。

 これでもうわかってくれただろう。

 そう、彼らは目が見えないかわりに微小な音を聞き分けてそれを視覚代わりにしているのだ。

 彼らはウェルゾフの荒い呼吸音を聞いてその方向に向かっていた。だから攻撃が単調だったわけで、改めてそこから、ゾンビの弱点を見抜けたな、と思った。

「ウェルゾフ、これで邪魔はいなくなった、早く王宮」

 と、いきなり立ち上がったウェルゾフは飛んで行った斧を腰のホルダーに挿すと突然僕の首襟をつかんで激昂した。

「おい、これで王宮に逃げ切れるだと? 今、お前が何をしたかは知らないがたかが10人ゾンビを撒いただけだ。他に何百人いると……」

 と、そこでそれを断ち切るかのように僕の作戦が発動した。

 ドーン、と戦場を駆け抜ける激しい爆破音がして高くまで泥の飛沫が巻き上がった。

 よし、大成功だ。

「よし、今のうちに走りぬけよう!」

 僕は呆然とするウェルゾフの手を払いのけると、急いで王宮に向かってかけ始めた。

 手で草木を払い、時には飛んで足蹴にする。時間は少ししか稼げない。

 なるべく敵とは一人も会いたくない。そのためにはこの時間でどこまでいけるか……!

 結局僕たちはそのまま誰とも会うことなく王宮にたどり着くことが出来たのだった。



「……と言うわけだ。わかった?」

「ほぅ、あの短時間でよくそこまで考えられたものだ」

 僕は王宮の廊下を歩きながらゾンビの弱点からどうして手榴弾を投げたかまですべてを懇切丁寧に教えてあげた。

「だから、今頃は音に反応したゾンビどもの大半が泥の中でもがき苦しみ、多くの兵士が付近を探索しているはずだ」

 と、僕はそこで無理やり言葉を締めくくった。

 なぜなら地下室の貯蔵庫に向かうエレベーターの前にたどり着いたからだ。

 普通ならば門番役の兵士が立っていそうなものだが、僕たちが城に侵入したとき、幾十の甲冑に身を包んだ兵士が通すまい、とふさがってきたのでその中にいたのだろう。

 無駄に広い廊下だったな。まぁ、見物用に建てられた王宮に過ぎないので壁は質素に、一面こげ茶色に塗られているだけだが。

 エレベーターをボタンを押すとすぐに扉が開いてそれに乗るとゆっくりと下に下がり始めた。

「……このゲームが終わったら、僕たちは敵同士になるのかね」

 ふいにそんなことを僕は口走った。自分でなぜこんなことを呟いたのか訳が分からなかった。

 それに簡潔にウェルゾフは答えた。

「そりゃ、そうさ。お前の主人と俺の主人は違う。主人が戦えと命令したら俺はこの斧で敵を殺し続けるし、お前はその卓越した頭脳で主人に奉仕する」

 そりゃ、そうだよな。なんで、こんな単純なこと聞いたんだろうな。僕。やっぱり疲れているんだろうか。

「……ごめん、変なこと聞い」

 て、と言おうとしてウェルゾフは遮るように言った。

「でも、お前は俺に似ている。その荒みきった瞳。だがそれは時折儚げに揺れる。お前もつらい過去を持っているようだな」

 それは今まで一番優しいウェルゾフだった。

「ウェルゾフ、君は……」

「ふっ、おしゃべりもここまでだ。気を引き締めろ。そろそろ地下室に着く」

 ウェルゾフの言うとおりすぐにポーンと言う音がして扉が開いた。

 地下室はただっぴろい空間だった。

 一定間隔で、何かの植物の培養装置が置かれ、そこから延びるパイプは壁を伝って奥まで伸びている。

 不気味極まりない空間だった。

 加えて外との温度差が激しすぎる。天井に設置された換気扇が轟々と周り心地の悪い風を送っているせいだろう。

「……ここは」

「ほぅ、誰かと思えば君たちはウェルゾフ君とヤクモ君か」

「……お前は!」

 培養装置に気を取られ目がいかなかったが奥に壇があってその上に玉座が2つ設けられていた。

 その内の片方は、僕たちをこんな目に陥れた王であった。そしてもう片方はと言うと。

「……アーブ!」

 見間違えるわけがない。あれはアーブだ。長い漆黒の髪も、その大きな椅子には似合わない小柄な体躯も質素な服装も。

 綺麗な顔立ちも。その全てがアーブだ。

 僕はいつの間にか走り出していた。久しぶりに彼女の姿を見れた昂揚感からだろう。

 話がしたい。あんな後味の悪い別れ方じゃ嫌なんだ。だから僕は。

 しかし、そうは簡単にいかないもので。

 突然僕の脛に激痛が走り、その場に倒れこんでしまった。

 何が起きたんだ。僕は張り裂けそうな痛みに襲われた脛を恐る恐る触った。

 それはぬるっとしていてすぐに何なのか分かった。ただ言葉にするのはどうも怖かった。

「おい、大丈夫か!」

 僕の後を追いかけてきたウェルゾフは、僕を見ると一瞬ぎょっとしたがすぐに自分の右腕の裾を破るとそれを僕の脛にてきぱきと巻きつけはじめた。

「……ありがとう」

 ウェルゾフは、僕の脛を応急治療すると肩まで貸してくれた。どういう風の吹き回しかはわからないけれども助かっているのでとりあえずお礼だけ言った。

「ふん、先ほど、ゾンビに殺されそうになった所を助けてくれた借りを返したまでよ。それよりも、王はもちろんそうだが、王の隣にいるあの女の様子がおかしい」

 王の隣にいるあの女とはアーブのことだろう……って、そうアーブだ!

「アーブ! 僕だ。三剣八雲だ!」

 しかし、彼女は反応しなかった。僕は不審に思い、ウェルゾフの肩を借りて壇上まで近寄った。

 そして気づいた。アーブの異変に。

 彼女は、完全に目の焦点を失い、口元は引くひくと引き攣っている。顔からは生気が一切消え、頭にティアラが乗っている。

 衣装も粗末な黒い服では無く、胸には蒼の宝石がちりばめられた、煌びやかなブレスレットがかけられ、その痩身は清廉潔白な白いウェディングドレスを纏っていた。

「どうだね、ヤクモ君。私の妃は。美しいだろう。その胸にあつらえられた宝石は、リッツ王国の象徴、ジューングライト鉱石を宝石職人に磨かせたものだ。なんと国の象徴たる人間にふさわしいことか、君も思わんかね?」

「……お前、アーブに何をした?」

「アーブ? アベルスピィ妃と言いたまえ、君ごときの身分で……なんだね、この銃は、また撃ち抜かれたいかね、その足を」

「うるせぇよ! 僕の質問に答えろ。彼女に何をした」

 僕は今本当に怒っている。この目の前で好き勝手言いやがる爺さんに。

 もう身分なんて関係ない。1人の人間として許されない行為だ。こんなのは。

「彼女が自らこの国の妃となることを選んだのだよそれがどうか……ぐあっ」

 僕はためらいなく引き金を引いた。急所は外してあるのでまだ口は開けるはずだ。

「……真面目に答えろ。あまり僕を怒らせるなよ、爺」

 この時ばかりはウェルゾフも何も言わなかった。どういう風の吹き回しかは知らないが今の僕には追い風となった。

 そして左の膝を打たれた王は跪きながら

「うぬぅ、貴様、私を撃つとは……」

「頭に風穴を開けられたいか?」

「くっ、わかった。話す。だからその銃を離してくれ」

「…………」

 とりあえず、銃を離さないと口を割らなさそうだ。とりあえず、僕は銃を下した。 

 それを確認してから、王はあっけからんとした様子で言った。

「別に大それたことはしていない。ゾンビになる薬を飲ませただけだ」

「……な!?」

「もうすぐ、彼女は、永遠に死なない、永久にこの国に君臨し続ける姫となるのだ! なんとも美しい、そう思うだろう?」

「こいつ、狂ってやがる」

 あぁ、ウェルゾフ。君の言うとおりだ。僕の目の前にいる男は人間の皮被った悪魔だ。

 と、ウェルゾフは器用に僕のポケットから拳銃を取ると王に突き付けた。

「お前は消えた方がいい。この国の民のためにならん」

 そうして引き金を引こうとした瞬間、王は突然甲高い声で笑い始めた。

「何がおかしい!」

「はっはっはっ! 何がおかしい?いやいや、クシャミニッツ教皇国も堕ちたものだな、と思ってな」

「わが祖国が堕ちただと……。今すぐその言葉取り消せ。その侮辱行為は我が主君に対するものだぞ」

「もし、お前が本当に祖国を思う軍人ならばその銃のむける先は私ではなく、隣にいる男のはずだが?」

「どっ、どういうことだ」

「どういうことも何も、そうだろう? もしここで今私と同盟を組み、この男を殺せばレンテンマルクは牙を失い、かつお前の国には私の国で産出された資源の利潤が回ってくる、こんな良い話はないはずだが?」

「ぐぬぬ……」

 おい、そんな口車に乗せられるな。こんな狂った爺さんがそんな真っ当なことをするわけがあないだろう。

 しかし、ウェルゾフの気持ちはわからないわけでもない、というのが歯痒いところだ。

 ここはもうウェルゾフの判断に身をゆだねるしかない

「さぁ、ウェルゾフ君、どちらが君の取るべき道か。少しでも頭があるのならわかるはずだろう。さぁ、その銃で撃つんだ。ヤクモ君を!」

「……」

 しかし、ウェルゾフは動かない。難しい顔をして下を見つめているだけだ。

「どうした。撃ちたまえ。ウェルゾフ君」

「……」

 そして、ついに彼は銃を持ち上げた。

 殺される。僕は目を閉じた。そして、パンと言う音がした。

「……なぜ、だ」

 苦悶の声が聞こえてきて目をゆっくりと開けるとそこには腹部を抑えて玉座に倒れこんでいた。

 そして手で押さえている部分は血で赤く染まっている。

「……ふん。何か、お前を撃っちまった。俺の軍人じゃない部分が勝っちゃったんだな。あぁ、また怒られちゃうよ」

「ウェルゾフ……」

「ふっ、勘違いすんじゃねぇ。これが終わったら次は戦争だ。そのときにはお前を殺す」

「……! あぁ、わかっているよ」

 やはり彼と馴れ合いは無用だ。気を許すだけ無駄だな。

 まぁ、いずれにせよ、王は2発銃弾をを受けてもう虫の息なわけで。

「とどめだ。何か遺言はあるか」

「……」

「無いようだな。じゃあ、死ね」

 そうして引き金を引こうとした瞬間、王は最後の力を振り絞って叫んだ。

「アベルスピィ、私を守れ!」

 何を馬鹿なことを……。

 しかし、それが冗談ではないことがすぐにわかった。

 アーブは先ほどまで玉座に座っていたのにもかかわらず、王の声を聴いた瞬間、素早く彼の身を守るように手を広げ、立ち塞がった。

「おい、撃つな!」

 僕は急いで、ウェルゾフの銃身を握ると方向をそらした。

 おかげで何とか銃弾はアーブに当たらずに済んだ。

「おい、お前、何しやがる!」

「ごめん。でも、アーブを撃たせるわけにはかない」

 アーブだけは、この国で、この世界で出来た初めての友達なのだお互いを名前で呼び合えるだけの仲なんだ。

 だから、僕は……!

「……はっはっはっ。若いのう。その若さが命取りとなるんだがな。ゆけっ、アーブ!」

 しかし、彼女はその命令に応じることはなかった。たふだ壊れ人形のようにそこで立ち止まっているだけ。

 僕はアーブの顔をよく見た。

「アーブ、君は本当は王妃なんかなりたくなかったはずだ。なぁ、そうだろ?」

 もちろん、彼女は、反応しない。ただ僕の声に反応して僕の顔を見た。

 確かに彼女は以前とはすべて変わってしまった。風貌も雰囲気も。

 でもその瞳だけはその悲しそうな瞳だけは同じだった。

「君は、ただ誰かに愛されたかった。そうなんだろ!」

 単刀直入に僕は結論を言う。彼女の理性がなくなる前に彼女を救わなくてはいけない。

 それに、僕を急がせたものはもう一つあった。それはこの地下室にやってきた新たな客だ。

「ヤクモ、早く、話を切り上げなさい! もう厄介なのが多すぎてこのアストロラーベ湿原一帯に爆弾を仕掛けて沈めることにしたわ。であと10分で作動する。爆発したらこの一帯全てが海に沈むわ」

 それは息せき切らして入ってきたエイラだった。

「王宮を出てすぐ裏に船を1艘止めてある。私は先行ってるからあんたも逃げなさい……って、あんた、その傷。それにウェルゾフとも仲良さそうだし。ってか、王も死にかけているし、何が何だか」

「とりあえず、細かいことは後で話す。エイラは先行っててくれ。僕もあとで行く」

「わかった。でも、あんたも急ぎなさいよ。爆発に巻き込まれたらひとたまりもないわ」

「気遣いありがとう」

「ちょっと待て、貴様。このアストロラーベ湿原を、この国の歴史を作ったこの由緒正しき場所を沈めるなど許されんぞ!」

 急いで戻ろうとするエイラを引き留めた王に対し、エイラは一瞥するとこう言い放った。

「残念ながらこれは、陸軍省長官、加えて海軍省の副長官彼らもこの案に賛成したわ」

「なっ、あの2人が……」

「あの2人、長らくあなたを支えてきた部下としてあなたも息をかけていみたいだけど、残念ね、もうあなたのことを見限ったって。もうついていけない。この10年間は負のに歴史だった、とね」

「そんな……馬鹿な」

「嘘じゃないわ。まぁ、よくよく走馬灯で自分の行いを顧みるといいわ。じゃあ」

 それだけ言い残すと彼女は颯爽とその場を後にしていった。

 それを見届けてから改めて僕は、アーブを見た。

 精一杯の気持ちを、彼女に届ける。気持ちがあれば、なんとやらなんて僕の柄じゃないはずなのに、今はそれ以上の最善の策が思い当たらないのが不思議だ。

「君はね、僕がこの世界に来て初めてお互いを名前で呼び合えた友達なんだ。かけがえのない友人なんだ。君は生前、不遇な人生を送っていたかもしれない。でも、どんな人間だって必要とされない人間はいないんだよ」

 彼女は本当にかわいそうな子だ。僕も中学で一人の男に会えたからこそ、少しは自分に自信を持てた。自分だって生きていいんだって思えた。

 ……まぁ、それでも大分ネガティブで後ろ向きな人間だったけどさ。でも、マシな人生は送っている。

 でも彼女はどうだ。家族にも煙たがられ、金と引き換えに王家に出されてもたくさんの側室に埋もれ、なかなか自分だけへの愛を注いでもらえないまま亡くなった。

 こんなのってない。僕がこの考えに至ったときあまりにもいたたまれない気持ちになった。

 僕は彼女のもとに近寄り、彼女の体を抱きしめた。

「君には、僕と言う友達がいる。君は一人なんかじゃない、君は必要とされてい無くなんかない。だからそんな苦しそうな目をしないでくれ。ゆっくりと眠るんだ」

「…………」

 彼女の体は冷たく、ボロボロだった、彼女の体は人間に必要なものが全く揃っていないかった。

 だからせめて愛だけでも僕が注いでなければいけないんだ。彼女が眠るときその頭をやさしく撫でて子守歌を歌ってあげられるような存在が必要なんだ。

 僕は、彼女の耳元で、自国の鎮魂歌を口ずさんだ。いつかの海戦で兵士たちが歌っていたのを覚えたものだ。

 自分で歌っていて思う。歌詞は重い。心がギュッと閉まるようで、それを彼女の抱きしめる手の糧とした。

 そして歌い終えたとき、僕は自分の肩が濡れていることに気づき、はっとして彼女を見た。

「…………君だって泣けるじゃないか」

 彼女の目からはつーっと涙が流れ落ちた。

「やっぱり君は素敵な子だ。君が愛されないなんてこの世界は理不尽だ。君は何にも悪くないんだよ」

 あやすように優しい声でそう告げる。

「……お……ちゃ…ん」

 彼女は弱弱しい声で確かにそう言った。

「どうしたんだ……アーブ」

 頭を撫で続ける。安心していえるように。1人じゃないっていうことを伝えるために。

「わ……た……し……も、ね」

「うん」

「…………だ」

「だ?」

「…………い」

「い?」

「………………」

 アーブは突然何も言わなくなてしまった。どうしたんだ。アーブ、何か言ってくれ。

 いくら彼女の頬を叩いても彼女は目を覚ますことはなかった。

「アーブ!」

 ついには涙も溢れてきた。起きてくれ、頼むよ。まだ君とはたくさん話をしなくちゃいけないのに。君にはたくさん教えなきゃいけないことがあるのに。

 君にはまだまだたくさん生きる時間があって。お買い物したり、着飾ってみたり、恋したり、君は女の子らしいことをたくさん出来たんだ。

「……お兄ちゃん」

「……!」

 最後の気力を振り絞ってアーブ僕の頬に手を伸ばすと優しく触れた。それは悲しいくらいやわらかかった。

「……泣かないで?」

「……泣いてなんかない」

 一度涙を抑えるために天井を見上げた。

「ははっ、泣いているよ。もう、私も長くないんだね」

「そんな……!」

 そんな、そんなこと言うなよ!

「私の最後のお願い……聞いてくれる?」

 本当は最後だなんて言って欲しくない。でも彼女はすべてを悟っているんだ。その覚悟に水を差すようなまねはしたくない。

「……わかった。何でも聞くよ」

「……ありがとう」

 その笑みには欠片も彼女の力が感じられなかった。

 そして僕は彼女の頼みを聞くと、すぐにそれを遂行した。





 ウェルゾフは、時間がないので先に小舟に向かっているといって行ってしまった。

 彼なりに空気を読んでくれたのだろう。

「……お兄ちゃん、今だけは私のこと見て」

 ちょっと怒っているのだろうか。それもまた可愛いが。

「ごめんな。ってうぷ」

 僕が、お姫様抱っこで抱えているアーブの顔を見た瞬間、彼女は僕の首に細い腕を回し、そのまま唇を合わせた。

 唇は柔らかくて、どこかずっとしていたくなるような心地よさがあった。

「うぷ……はむ……んちゅ」

「はむっ……ちゅ……っはぁ。お兄ちゃん……今日はちゃんとしてくれるんだね」

「今日は特別なんだよ」

 それに前みたいな強引な奴は僕の気持ちが伴っていなかったけど今は素直に僕の気持ちも伴っている。

 それから何度かお互い唇をついばんでから彼女は不意に儚げに笑うと

「……じゃあ、そろそろお別れだね」

「……!」

 暁の空に映える杏子色の夕焼けが切ない。彼女は僕の腕から離れるとバルコニーの手すりにちょこんと座った。

「……最後に一度だけ抱きしめて。そしたら私、安心して眠れる……」

 これで、抱きしめたらもう彼女はいないんだ。

「……ねぇ、お願い」

 傷つくのが怖い。もし、彼女をここで抱きしめたら、彼女が次にいなくなったとき、僕は……。

「……もう、最後の最後、でお兄ちゃんは、意気地なしなんだから」

 彼女はぴょんと僕の腕の中に自ら飛び込んだ。そしてそれは受け止めないわけにはいかなくて彼女が消える直前、ずるいなと思った。

 でも、本当にずるいな、と思ったのは消える直前、最後に言った一言だった。

「…………」

 そうして、僕が手を開いたときそこにはもう誰もいなかった。

「…………あああああああああっっっっ」

 その場で泣き崩れた。誰もいないことを言いことに僕は泣き続けた。

 

 

 結局僕は爆発する前になんとかアストロラーベ湿原を脱出すること出来た。

 爆発はすごいものでどれだけ爆弾を仕掛ければこんなことになるのだというぐらいの煙を上げ、アストロラーベ湿原と言う歴史の遺留物は地上から消えた。

 新しい王は、レンテンマルクの推薦で、陸軍省の長官が立てられ、その政務もレンテンマルクの監視下で行われるようになった。

 また、レンテンマルクはリッツに病院や、図書館など国民の生活の水準を高める公共施設を建て、段違いにリッツ国民の生活は豊かとなった。

 彼らの労働時間も増え、レンテンマルクからの出稼ぎも受け入れた結果、賃金も上がった。

 国の中央の広場では、一人の少女の銅像が造られた。

 長い髪の美少女が微笑みながらレンテンマルクを見つめる、そんな精巧な銅像だった。

「この像、それにしてもどうして微笑んでいるんだろうな?」

「さぁ?聞いた話によればこの像の製作者も、上から命令されたらしい」

「それ以前に、これが誰かもわからないんだよな。でもまぁ、この微笑みはこれから何か苦しいことがあっても俺たちを守ってくれそうな気がするな」

「そう思うのなら、この箱の中にお金を入れて、そこにぶら下がってある人形を銅像にかけるといいみたいだぜ?」

「へぇ、面白そうだ。値段も安いし、やってみるかな」

 その人形は1人の少年をデフォルメしたような小さな人形だった。

 リッツではこの人形による願掛けが銅像設立以来なぜか流行っており、今では彼女の像はいたるところにかけられている。

「にぎやかだなー。これならさびしくなさそうだ」

「あぁ、本当に」


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