全ての真相
ちょうど、その頃王宮では――
「……そろそろ、私の同志たちが所構わず襲い掛かる頃かな……」
そう言って王は、棚に置いてあった双眼鏡を手に取り、ガラス越しに遠くを望んだ。
「……よしよし、どうやら、実験は成功のようだな。莫大な資金を投入した甲斐があったというものだ」
それから、くるりと向きを変えるとソファでタバコを燻らせているプロタゴラスに向きかえって
「いや、実に見事だよ。プロタゴラス君。君にこの計画を一任して良かったよ」
「お褒めいただき光栄です。それでどうするんですか?この後は」
王は、もう一本煙草を取りだし、口にくわえると
「……そんなことを聞いてどうするんだ?」
「そんな眉間にしわ寄せて怖い顔しないでくださいよ。別に王の個人的な話なら、私が詮索するのはお門違いかもしれませんがねぇ」
一度、プロタゴラスは髪を掻き毟ってから、顔をおもむろにあげた。
その顔は、それまで豊満な脂肪に包まれた柔和な垂れ目が醸し出す優しげな雰囲気とは一転。
鋭い眼光を放ちながらドスの利いた声で王に話しかけた。
「ただでさえ、国民総生産の少ないこの国で、国家予算のおおよそ半分を使い、足りなくなった分を貧困な民に税として背負わせた挙句、あまつさえ国政を文人官僚にまかせっきりにしてずっとこんな得体のしれない薬の開発に携わっているんだ。そりゃ、どれほどのものか、知りたくなりますよ」
その丁寧語は、もはや単純に王を王として敬うものではなくなっていた。
それに気づいたのか、王も不穏な雰囲気を漂わせ始めた。
「……もし、教えないと言ったら、どうする?」
王はあくまで冷静な声音を崩さない。相手の出方を見るためだ。
そして、プロタゴラスはその老獪の強かな術中に見事に嵌った。
「申し訳がないが、あんたにはここで死んでもらう」
ゆったりと腰を上げると、制服の胸ポケットから、一丁の銃を取出し、長机一つ分離れて立っている王にそれを突き付けた。
安全装置を太い角ばった親指で外す。それがプロタゴラスの本気を表していた。
「10年前、私が憧れ、一生ついていこうと思ったあんたの姿は今じゃもう見る影もなくなってしまった。獰猛な獣のように野心に燃え、かつ瞳の奥には貧困と戦争であえぐ民への思いやりで溢れていた。だが、今はどうだ。戦争が終わり、民をまとめ世を平和に保つ立場になってからあんたは堕ちるところまで堕ちた」
プロタゴラスは唾をまき散らしながら、強く糾弾した。右手は引き金にかけられたままだ。
そして、王は自分の命がプロタゴラスの右手の人差し指に懸っていることをまるで意にも介していないように言い返した。
「……そんな理由で私を殺すのかね?」
「いや、今のはただの前口上さ。本当の理由は別にある」
「そうか……なら、その理由、死ぬ前の老獪に一つご教授頼めんかね?」
「教えてやりたいのは山々なんだけどさぁ。そろそろウェルゾフとヤクモの2人がこちらに来るだろう。その時にあんたの首でも献上すれば、この国も安泰、私は次の王として君臨する。だからお前にはもう死んでもらう」
死人に口なし。プロタゴラスは、現国王の死をもって手土産とし、今回の騒動を無事良い方向に収めてもらう。それが彼の算段だった。
八雲も、ウェルゾフも、レンテンマルクとクシャミニッツの高官であり、このようなゲームを仕掛けたことがたちまち両国の本国に伝われば、まず間違いなく彼らの怒りの矛先がこのリッツに向かってくるだろう。
だからこその策略だった。そして、それはこの国を思う軍人としては当然の行為だった。
しかし、それはうまくはいかなかった。
突然、二人の後方、部屋の入り口の扉が大きな音を立てて開かれた。
「ちょっと、アーブって、何! 聞いていないんだけど。説明してもらえる……」
二人の視線は一瞬そちらに向けられた。
またしてもそれが命取りとなった。国王は、素早く懐から銃を取り出すと隙を見せたプロタゴラスに向けて容赦なく引き金を引いた。
パンという鋭い音がしてすぐに苦しそうにうめきながらプロタゴラスは床に倒れ伏した。
「……エイラ様、セラ。俺の後ろに下がっていてください」
即座に自分の主人と丸腰の同僚を守るべく、愛用の銃を取り出すとそれを悠然と構える国王に向けた。
しかし、それに構うことなく、いや、もはや見えてすらいないのだろうか、倒れているプロタゴラスに近寄ると漁り始めた。
そしてすぐに何かを取り出すとそれを高く掲げて言った。
「ジョナス君、とりあえずその物騒なものを下したまえ。私のことを警戒するのは結構なことだがとりあえず話でも聞く気はないかね?」
「何だと……! 貴様、何をぬけぬけと。貴様のような……」
「ジョナス、とりあえず、話でも聞きましょう」
激昂するジョナスを冷静な声で諌めたのはエイラだった。
「なっ!? エイラ様。今、目の前にいるのは、貴賓の客の前で取り繕おうともせず、平気で自分の部下に平気で銃を向けたような人間ですよ?」
「それはまったくもって君の勘違いだ。私がこの男を粛清したのは、この男がその醜い太った体の中にでっぷりと黒い野心を抱えていたからだ。現に、この男から先に私を殺そうとしていたのだ」
「そ、そうなのか?」
「あぁ、そうだ。だからその物騒な銃を下したまえ。何、大丈夫。私も、ほらこの通りちゃんと銃をしまう」
そう言って見せつけるようにゆっくりと銃を戻した。
それを確認してからジョナスも胸ポケットに自分の銃をしまう。
この時、すでにプロタゴラスは息を引き取っていた。その死体を複雑な気持ちで見やりつつ、エイラたち三人は、ソファに座った。
「……お三方は、何か飲むかね?」
「いや、結構です。それよりも単刀直入に話の本題に入ってください」
立ち上がりかけた王は、やれやれと言わんばかりに溜息をつくと、座り直し
「煙草を吸ってもよろしいかな?」
エイラは少し顔をしかめつつも頷いた。ありがとう、と言うと煙草を口にくわえ、火をつけた。そうして一服。
「……リッツ連合政府がレンテンマルク王国と同盟を組んだ戦争が無残な結果で終わったのが10年前のことだ。資源供給、兵器供給を担当していたのはリッツで、戦争を行っていたのは、あなた達の国だった。ここまではわかるね?」
同席した全員がその質問に頷く。
「当然の話だが、先に降伏したのは本土にまで攻め入られ、本土決戦も余儀なくされたレンテンマルクだった。そしてレンテンマルクの王は都にて自ら武器を取って果敢に戦い、戦死した」
そこでエイラの顔が少し曇った。やはり彼女の父の話は、彼女にとってネックだった。
そのことに思いが至っているかどうかはわからないが、ともかく王は平坦な声音で続けた。
「残されたのは、物資を供給していたに過ぎないレンテンマルクに比べたら国土も小さく、財政も脆弱極まりないリッツだった。そして、天授連邦とはじめとした連合軍はレンテンマルクの首都を陥落させ、勝利が確実になっても、その動きは止まらなかった。つまりその矛先が今度は我々に向かったのだよ」
王が紡ぐ回顧録は、エイラたちにとっては新鮮そのものだった。特に他の二人と違って歴史を勉強した彼女は、近世それも10年前の戦争についてはレンテンマルクの動向しか、わかっていなかったのでなおさらだった。
「……その後は?」
「民は武器を持った兵隊たちが罪なき自分たちまで殺しに来るとまことしやかに流れた風評にかどわかされ、恐怖に怯えた。工場ではストライキが起き、政府では日夜、徹底抗戦派と即時降伏派の2つの派閥が論議を交わした。そのため、政府は機能せず、治安は乱れ、段々と革命の気運が高まっていった」
「その時、リッツの政府はどの程度の軍備を有していたの?」
「町の治安を守ることを義務とした治安維持部隊、それと政府が所有している軍人ざっと合わせて5000程だ。その時の連合軍側が万単位だから、敵が攻めてきたら蹂躙されることは目に見えていた。しかし、徹底抗戦派は、レンテンマルクとの忠義に反すると精神論を展開し、国民の税を重くし、軍備増強に努めることを主張した。そして、彼らは軍事力に物を言わせて即時降伏派を粛清した後に連合軍列強から提示されていた休戦協定を勝手に破棄し、それどころか宣戦布告をしたのだ」
それから王は、自分がその時既に政府を追い出されていて隠遁生活をしていたこと。戦争が本土決戦と言う形で再開することとなり、軍上層部が国民に率先して戦争に参加するよう、メディアを利用し求めてきたとき、多くの民が自分のもとに押しかけてきて反乱を決行するに至ったこと。長く語った。
それがすべて終わったとき、物言わず耳を傾けていたエイラはようやく口を開いた。
「……10年前の戦争のことはよくわかった。で、結局のところ、今回の真意は何なの? 私にはさっぱりわからない。特に、さっき奪ったその試験管の中身とかね」
これのことかね、と王は懐からエイラの指摘した試験管を取出し、机の上に置いた。
中身は紫色の透明な液体だった。それを恐る恐る持ち上げるとエイラは光に当てたり下からのぞき見たりした。
「その薬は、国家機密のことなんでね。丁重に扱ってくれ」
「……国家機密?」
「あぁ、それはだな……」
「死者を復活させる薬、なんだねー♪」
国の首脳が集まる場には全く持ってふさわしくないあどけない声がして一斉に全員の目がそちらに移った。
そこには、つい最近まで行方をくらましていた一人の少女が立っていた。
「あ、あなた誰……? さっきまで私たち以外にはこの部屋にいなかったはず……」
影が薄くて、皆が王の話に夢中になっている間に入室していたと言うこともあり得ない。
なぜなら人間はどれほど微弱であれ、気配というものがあり、ジョナスがそれを見逃すはずがないからだ。
だが、彼女の突然の登場にエイラ以上に動揺を隠しきれない人間がいた。
「……ま、まさか、お前は……」
王は、席を立ちあがってゆらゆらと彼女に近づくと、我を忘れたようにぶつぶつとつぶやきながら、みっともなく、その場に土下座のようなポージングを取り始めた。
それにぎょっとしたのは、エイラたちである。代表してエイラが再度尋ねる。
「あんた、本当に何者よ……?」
彼女の存在は不気味極まりない。コロコロと場違いなまでに快活に笑い、その容姿は人形のように整っているが生気はまるっきりなく、人間を相手にしている感じがしない。
「そっか、あなたたち、私とは初めて会うのか。ごめんごめん、つい、お兄ちゃん……いや、こっちの都合で、君たちとは面識あるように思ってた。私の名前は、アーブ。本名はアベルスビィ。一つ前の王の妻です」
エイラたちは、ただポカンと口を開けることしかできない。それも無理はないだろう。
いきなり出てきた幼い体型の女の子が、自分は実は前王の娘だ、なんて言い始めたら誰でもびっくりするだろう。
「……お、おま、い、いや貴殿は、そんなはずは……でも現に」
「ちょっと、王。この方は一体どうしてこんなところに……?」
一人勝手に迷走している王に対して投げかけられたその言葉は彼の耳には全く届いていない。
「どうしたの? 私はちゃんとあなたの目の前にいるよ?」
「そ、そうか、そうだよな。目の前にいるものを疑っても仕方がない。よし、ア、アーブ殿。き、き、き、貴殿に一つ頼みがあるが、よろしいか?」
先ほどまでの余裕泰然とした様子から一転、おどおどしてどこか落ち着きないものになっていた。
「何、言ってみて」
「は、はい。そ、そのこの薬を飲んでいただけないか?」
突き出したのは先ほどの試験管に入った薬。
「嫌」
それを間髪入れずにアーブは拒絶した。
「そこをなんとか、お願いする」
「嫌なものは嫌なの、それよりもあんたには……」
すると王の態度はすぐに豹変した。
「こちらが下手に出てるからっていい気になりおって小娘が。嫌、と言う権利がお前にあるとでも思っているのか?」
王は職業柄、人に謝り慣れておらず、また自分の考えが何よりも正しい、唯我独尊な人間であったため、こうして否定されるのは屈辱以外の何物でもなかった。
「逆にないの?」
「当たり前だ。私はな、10年前の戦争でお前の夫を殺してからこの薬を作り上げるのに莫大な年月と莫大な費用を投じた。もはや、お前がどこから湧いて出た、何の目的でいきなりここにやってきたなんてそんなことはどうだっていい。お前はこの薬を飲み、私の妃となる。そうして、この国に女王として君臨しその美しさでこの国をもう一度まとめあげるのだ。それこそが国民への恩返しであり、お前が妃だったころに望んでいたことだろう」
そう、それこそが王の真の目的だった。反乱軍時代から王の重心として仕え、彼もまた全幅の信頼を置いていたプロタゴラスに任せていた、王の人生と国の運命を投じた一大プロジェクト。その真意は、アーブの復活だった。
「なーんだ、私が生きていない、ってばれてたんだ」
「当たり前だ。お前はわが軍の兵士にアストロラーベの民家で殺された、そうだよな?」
「えぇ、まぁね」
「ふははは。軍服に身を包み、身の丈と同じほどの長剣をもったお前の姿は今でも忘れることが出来ない。どのような神話の女神でもあの美しさには叶うまい。だからお前をとらえずに殺した味方兵士はすべてこちらで処刑させてもらった。まぁ、私からの謝罪の気持ちだったと受け取ってくれ」
「ちょちょっと待ってよ。いきなりすぎてわけがわからないのだけれど、アーブ元妃が死んだのに、またこうして私たちの目の前に現れたのはいいとして、いやそれだって全然よくないのだけれど。ちゃんと説明してもらえない?二人だけの世界に閉じこもないでさ」
「説明、説明なぞするまでもないさ。お前らは余計なことまで知ってしまったんだ。ここから生きて返すわけがないだろう?」
次の瞬間王は、ソファのやや後方の業務机に向かうと、マイクに向かって
「城内、またはその付近にいるすべての兵士に連絡する。手が空いているものはただちに王の執務室まで向かえ、そして、執務室にいる3匹を始末せよ。始末したものには褒美を与えよう」
誰もが突然の放送にポカーンとする中、王は
「こっちに来い!」
近くにいたアーブの手を引っ張った。
嫌がるアーブはじたばた抵抗するものの王の力が大変強かったため、抵抗むなしく、所定の位置にまで引きずられた。
「では、諸君さらばだ。せいぜい頑張りたまえ」
スイッチを押すと、ガコンという音がして彼の床がぱかっと開いた。
スーッとダストシュートに沿って二人は落ちていった。
残された3人が我に返ったのは一番隊が執務室の扉を強く開けたときだった。
「いたぞ、あれが賞金首だ……ぐはっ」
素早く反応したジョナスが2人を立ち上がらせるとソファを扉側に思いっきり蹴りつけ、それが一番隊を吹き飛ばした。
さらにそれが良い具合に扉をふさぎ、バリケードとなった。
それから、ジョナスは、銃で窓ガラスを撃った。ジョナスの銃は反動が強い分、高い火力を有するマグナムだったおかげで5,6発撃つとひびが入った。
近くの観葉植物の鉢をつかんでそのひびの部分を何度も殴りつける。
「開けろ!」
「開けるもんですか。早くジョナス、なんとかしないさい!」
ジョナスがそうしているうちにエイラたちは扉を閉め、もう一つのソファーと長机を運んでバリケードの増強に努めていた。
バンバンと強まる外からの圧力に背中でソファが動かないように抑えるエイラたちは苦悶の表情を浮かべる。
ようやく窓ガラスが割れたとき、
「エイラ様、逃げ道を確保しました、来てください!」
「逃げ道、よくやったわ。ジョナス、で、どこなの?」
「ここです」
今、割ったところを指さすジョナス。
「ここから飛び降りましょう」
「却下! 却下に決まっているでしょう! あんた、何考えてんの?」
「大丈夫です、見る限り大した高さじゃありませんし、何よりここしかもうありません」
それと同時についに圧力に耐えられなくなりエイラたちは、家具とともにもろとも吹き飛ばされた。
「ようやくだぜ、皆、あそこだ、あそこにいるやつを殺せば俺たちの生活も楽になるんだ!」
「おうよ、お前さんたちに恨みはないが俺たちも生きなきゃいけねぇ、覚悟してもらおう」
ウオーッという声を上げて突進してくる兵士たち。
「もう、銃弾もないし、四の五の言ってられないわ。ほら、セラ逃げるわよ」
「えーっ、エイラちゃん、本当に飛び降りるの?」
「大丈夫、ジョナスが私たちを小脇に抱えてくれるから」
「ええっ、そうなんですか!」
「そうに決まっているわよね。ジョナス?」
笑みを張り付けて彼を見上げるエイラ。
「……わかりました、じゃあ行きますよ?」
それから彼は、二人を本当に小脇に抱えると、割った窓から助走もつけずに、飛び立ったのであった。
「「「あー、落ちるー!」」」




