少女は銃を突きつけた
すいません、先ほどは色々と滅茶苦茶で、お目汚しになってしまったので、改訂しました。
「何なんだよ、あれは……」
紫色の粘性のある、その泥濘は、僕の腰を下ろしている場所と、距離があるのに、プンプン臭ってくる。
それが、植物を飲み込むようずっと奥まで広がり、ポコポコと、間欠泉のように、泡を立たせている。
それにもかかわらず、そんな邪悪な温泉に、浸かりながら、鬱になるどころか、むしろ、元気に気丈に生きている植物の群れ。
最初見たときは、そのあまりに禍々しくて、人間の悪意すらも、ちっぽけに思えるようなそれに、疲れもあいまってか、その場で吐きそうになってしまったくらいだ。
確かにここは、禁忌の場所なのかもしれない。ここに来るときにプルタルコスさんが、あまり僕に教えるのが乗り気じゃなかったのも、わからなくもない気がしてきた。
ここは、確かに最低だ。また、この不気味で生物かどうかも疑わしい物が生えわたる中を、不快さを押し殺して進んでいかなきゃいけないなんて。
振り返ってみても、ずっと奥にはまだ続く。360度どこを見回しても、同じ光景。地面は、見る限り、ぬかるんでいる。おそらく、何もかも同じだろう。
こことあのトロッコの近くの入り口付近だけが唯一水たまりが広がっていて、家が2,3軒ほど、立ちそうな広さの更地が広がっていた。
また、あの、気持ちの悪い、群生に突っ込んでいかなきゃいけないのか、と思う時が滅入る。
でも、それでも、ここで立ち止まることはできなかった。
僕だってできるならそうしたかった。でも、最初からそんな選択肢は用意されていなかった。ただ、進む。そして、考える、最初から、それだけなのだ。
もう一度進んだら、後戻りはできない。それがたとえどんなに厳しい道のりであってもだ。
よし、もう行こう。ここで、長く休んでいるわけにもいかないからね。
僕はよっこらせと、立ち上がって、お尻についた、草を払うと、ナイフを手に取り、前を向いた。
ここにきて、どれだけ、歩き続けたのだろうか、ふと、見上げた空は、もう真っ暗だ。どこまででも、深くて綺麗な黒。
(もう、夜か……急がなきゃな)
ただ、帰るときも一苦労しそうだなぁ。だって、この植物いくら踏み倒しても、起き上がって次見たら、元通りになっているんだから。
これじゃあ、目印のつけようもない。だから、帰るときも、ゼロスタートだ。
でも、だからこそ、とにかく、どこか辿り着いて欲しかった。不安で仕方がない。
ナイフをずっと振リ続けて力任せに障害物を切っているせいか腕もつかれてきた。長時間歩き続けてきたから足も棒のようだ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
それでも、僕は、脇目も振らずに、ただ進み続けた。どこまででも、続きそうな道ともいえない道を。
どこまででも、不気味で、お腹が空いて、生きている感じがしなくて、温もりなんかあるはずもなくて。
何度だって僕は考えた。帰れる。引き返せる。僕がわざわざこんな苦しい思いをする必要はあるのだろうか、って。
でも、エイラたちは、僕を信頼して、送り出してくれた。その事実が、何度も止まりかけた僕の足を叱咤した。
誰だって物事を諦めて、やめてしまうのは簡単だ。でも、それは、楽に生きていける代わりに本来得られた多くのものを失う。
それは、僕だってそうなんだ。ウェルゾフに、セラを渡すわけにはいかない。
これは、彼女のことが好きとか、そういう高尚なものじゃない。
まずもって、経験則からいえば、僕が人のことを好きになったって、その人が僕みたいな退廃的思考を持った奴を好きになるはずがない。
元の世界で、学生時代、男女中が非常におよろしかった人間っていうのはたいてい、明るく前向きにクラスの中心になりうるような奴ばっかりだった。
つまり、輝いていて、顔も申し分のない奴。
それが、、セラみたいな尋常ならざるポジティブ美少女なら、なおさらだ。
恐らく、彼女は、誰にでも、優しく、分け隔てなく接することのできる、タイプなんだろう。
だから、僕みたいなやつにも、ああやって、声をかけてくれるんだ、そうに違いない。
……でも、だとしたら、どうして、前に議会に来たとき、抱き着いて来たり……。
あぁ、ちょっとした、フランクな挨拶の一種か……。そうだよな、いや、そうに違いない。
こういうところで妙な勘違いをするほど、僕の精神は、幼くないぞ。
とにかく、セラは、僕に、親切心で仲良くしてくれているだけ。うん、そうだ。
……あぁ、どうして、こんな結論に至っているんだ、僕は。最初シリアスな雰囲気だったのに、最後、赤裸々になっちゃっているし。
現実逃避はやめよう。どうせ、何も変わらない。うん、悲しくなるだけだ。
一度、立ち止まり、嘆息する。うん、おかげで、冷静になることが出来た。
顔を上げて、辺りを見回す。何かないか。
おそらく、今日はここで野宿だろうから、休息場所がほしい。とはいえ、こんなところで、ごろっと寝転ぶほど肝が据わっているわけでもない。
「駄目だ、何もない……」
あぁ、今頃、皆、おいしいご飯でも、食べているんだろうなぁ。というか、それ以前に、今、何時だろう。
と、何か、冷たい水滴のようなものが僕の頬を濡らした。
「うん……これって、まさか……雨か?」
「全く、どこに行ったのよ。あのバカ」
私は、古いお屋敷の広いお風呂につかりながら、まだ帰ってくることのない、あいつのことを考えていた。
今日は、大変だったな。午前中は、兵器工場直属の研究者の人と、新兵器輸入のこと、既存の兵器の増産のことなどを話して、午後は、リッツの海軍、陸軍の長官と、話をつけてきた。
お湯を掬って、お肌に、優しく撫でるように、塗りこんでいく。
最近、寝不足、極度の疲労が、祟ってか、肌が、荒れているわ。
本当に年を取るって嫌ね……、なんて、年でもないのにそんなことを言って、自分で苦笑してみたり。
私だって、軍人とはいえ、女だ。それなりに、美とか、女の子らしさ、とか、興味がある。
ただ、いつもは、書類整理だとか、政策決定会議などで、あまり化粧をする時間も、自分を着飾る時間もない。あくまで、それだけで、私だって全く、自分に無頓着というわけではない。
「はぁー。本当に皆、元気ないのよね」
終始一貫して誰もしゃべらない。あの、いつも鬱陶しくらいに元気一杯なセラでさえもだ。
基本的に、相手との会談の場で受け答えをするのは自分だから良いものの、それでも、あそこまで、道中暗い雰囲気で、夢現のように振舞われたらこっちまで、明るくできるものもできなくなってしまう。
「原因はわかっているのよね……」
昨日の海から帰ってきた後の一件だ。セラが、いきなり、政略結婚を申し込まれて、それを、あのバカが……。
もちろん、私たちだって、止めに入りたかった。だって、滅茶苦茶じゃない。
いきなり、何も知らない敵国の親衛隊長と同盟のために結婚だなんて、だれがどう見たっておかしい。
だけど、それは、あくまで、私の感情的な部分が、そう叫ぶだけで、理性は、どこかで、ここで、同盟を組めれば、お父様の夢の実現にぐっと近づけるんじゃないか、って思った。
お父様の夢は、私の夢。神代より続く、幾星霜の戦いと血にまみれた歴史。お父様は、それを、止めたくて平和を渇望して、そのために世界を征服し、一つの秩序のもとで皆が笑えるような世界に再編しようとした。
子供のころ、私はお父様から何度もその話をされて、そのたびに、お父様を好きになっていった。
だから、私のどんな感情、どんな行動よりも、まずお父様の夢、お父様の意思が、私の中で最優先事項だった。
本当だったら、私は、あの時、セラに無理にでも結婚させて、小国で同盟を組み、大国に立ち向かわなくてはいけなかった。
でも、不思議なことに、あの時は、私はちっとも、そんなことが頭の中になかった、ただ、どうすればいいんだろうって、子供みたいに慌てていた。
そんな時だ。あのバカは
「待て!」
室内に響き渡るくらい大きな声で叫び、
「セラは僕の婚約者なんだ」
だから、引いてくれないか、と、。
私たちが、出来なかった進めなかった一歩をあいつは自ら、進んだ。
あいつは、それから、必死に口論した。途中死にそうにもなった。
あいつは、参謀で、腕も、力も、軍人以前に男の中でもかなり弱い。だから、首に斧があてがわれても、抵抗しなかった
思えば、あいつがここに来てまだ少ししかたっていないのか、随分と、私たちも角が取れたと思う。
あいつが来る前じゃ、戦争には負けるし、アイザックが幅を利かせて、私の言うことなんかこれっぽっちも聞こうとなんてしなかったから、私は、怒ってばかりだった。
もちろん、打開策が思いつかない自分にもだ。
でも、あいつが来てから変わった。
私は、あいつが命を張ってまで頑張ってくれたおかげで、こうして、総統にもなって、一丸となってお父様の夢を継げるような体制にまで国を整えられて。
いつの間にか、あいつは、他の高官にも知り合いができて、あいつを信奉するやつもいて。
すでにこの国にはなくてはならない大きな存在になっていた。
普通ならば、皆いいことづくめで良かったじゃないかと笑って終わりだろう。
でも、私は違う。この国を統べる人間として、人々の上に立つものとして、本当ならば、自分の力で道を切り開き、人々に自分の力を見せつけなくてはいけない。
私が唯一覚えているお父様が始めに教えてくれた帝王学の基本だった。
力を有し、人をその力でひきつける者こそ真の王たる存在なのに、私は、一度も真の王たることをしていない。
あいつに、全てお膳立てしてもらって、それなのに、あいつは、謙虚に自分の頑張りを私にすべて渡してくるから、まるで、私が、頑張ったように思われているだけなのだ。
しかも、せめて、その功績に対し、恩賞を、と、いくら、私が、良い地位や、給料を与えて、恩返ししようとしても、あいつは表面上喜ぶだけで、笑うことはしない、
いつもの暗い陰鬱な表情が変わることはない。
私は、あいつのその表情を一瞬でも、喜ばせなくてはいけない義務がある。本来、褒美というものはそういうものだからだ。
でも、あいつが本当に欲しいものは何なのかわからなくて、いくら考えても、答えが出ない。
それで、今回の一件のように、どんどんどんどん、あいつからたくさんの恩恵を受けているだけ。
こんなことじゃ、私が王と名乗る資格はない。
私は、どうすればいいんだろう……?
ねぇ、お父様、だったら、どうするのかな? こういう時。
そうして、見上げた、空は、どこまででも暗くて、次第に、雨がポツリポツリと、降り始めてきた。
あぁ、あいつは、まだ、外でセラのために頑張り続けているんだ。私達がこうして、食事をとってゆっくりとお風呂に使っている間に。
ねぇ、どうして、あんたは、それを威張ろうとも、奢ろうとも、誇示しようともしないの?
あんたには、それをやって回ったって人から嫌われるどころか、尊敬されるようなことをやってのけているのよ?
ねぇ、どうしてなの……? 私には、わからないの…………。
空は、私の質問に対し、ただ、激しく雨を降らせるだけだった。
雨脚は、どんどん強くなっていった。遠くでゴロゴロと雷も鳴り響いている。
(これは、結構雷も近そうだ……。どこか、雨宿りできる場所はないかな?)
体もかなり限界だった。途中休息をわずかにはさんでいるとはいえ、一日中歩き続けていることに、かわりはないし、僕の体を叩き付ける雨粒が否応なく体温を奪って、体の感覚もあまりない。
もう足を進めることしかできない。顔に、体に、色々と当たっても、それを払うような気力もない。
(死にそうなほど寒い。どこか、小屋があれば……ってなんか、あそこに)
目を凝らしてよく見ると、茎の隙間から、垂直に聳え立つ何かを見つけた。
(……もしかしたら、あれは。、小屋かもしれない)
小屋じゃなくとも、何か、雨宿りのできる場所であれば、何でもいい。
僕は、走るような体力なんて微塵も残されていなかったが、それでも、歯を食いしばって、悲鳴を上げる体に無理を入れた。
(はぁっ、はぁっ、ああっ……!)
人間火事場の馬鹿力というのは、あながちバカにできないもので、僕自身余り走ることは得意ではないのだけれど、その時の足の軽さと言ったら、17年生きてきて、ぶっちぎりで、速かったと思う。
そうして、抜け出た先にあったのは、やはり、茶塗りの、丸太小屋だった。
よしっ、とりあえず、入ろう。
僕は、喜ぶのもほどほどに、中に入った。
後ろ手できっちりと、扉を閉めると部屋の中は真っ暗だった。
格子窓が、雨と風でガタガタと音を立てていた。
とりあえず、ランプがないか探してみたが、いかんせん部屋が暗く、外も暗いため、どこに何かあるかもわからず、途中で探すのを辞めた。
もう、なんか、色々とどうでもよくなっていた。とりあえず、身の安全が、少しは保証されて、安心感が、僕の心と体を包み込むのと同時に、怒涛のように疲労が襲いかかってきたのだ。
ここは、ちゃんと、屋根もあって、中は仄かな木独特の優しい香りがする。
僕は、そのまま適当な所に、座り込むと、そのまま、寝転んだ。
とりあえず、今日は、もう、これで、いいか……。
それから、降りしきる雨の音と太鼓をたたいたような、お腹に響く雷の音を聞きながら、僕の意識は、深くへと堕ちていった。
「…………て、…………て」
う…………ん? 何か、僕の体が揺れている。いや、僕が、寝返りを打っているだけか。
「……きて、……きて」
い……や、誰かの声がする。今度は、さらに強く揺すられたぞ。
誰かが、僕のことを揺すっているに違いない。
……でも、誰が?
まさか、この家屋に、誰か住んでいたわけでもあるまいし。かといって、こんな場所に人が近寄るともいえないし。
しかも、この声は、どう考えたって、女の子のものだ。それも、かなり年の若い、もしかしたら、僕よりも、下かもしれない、そんなあどけない声。
「……きてよ! ねぇ」
…………仕方ない、まだ、体もだるいし。起きたくなんかないけど、起きないと、怒られそうだ。
名前とか、どうしてここに来たとか、そういったこと諸々は、起きてから聞けばいいか。
「起きて、ねぇ、起きて!」
「……うん、わかったから、わかったら。ほら、起きただろ」
僕は、上半身を起こした。それもかなりきつかった。頭もずきずき痛んだ。もう本当に眠い。
これで、女の子じゃなかったら、殴りこそしないけれど、かなり怒っていただろう。
でも、まぁ、相手はよりにもよって小さな女の子なので、そういうわけにもいかず…………。
僕は寝ぼけ眼を何度か擦って、目を開けて…………ただ、言葉を失った。
一瞬で寝起き直後のぼやけた視点は、定まり、ただ、女の子を、直視した。
「動かないで」
その声は、どこまででも、冷酷で、いつもの優しさは、欠片も見えなかった。
しかも、その子は僕に、突き付けていたんだ。一丁の銃を。
「…………どうして、君が……」
目だけは冴えているのに、頭は思考回路は混濁の呈を擁していた。
そりゃ当然だろう。だって、僕の頭に、いったりと銃口を突きつけるその子は誰を隠そう――
「ごめんね、お兄ちゃん」
――アベルスピィだったのだから。




