舞台は新たに
皆様お久しぶりです。
今回で、新しいステージへと進展します。
どうぞ読んでみて下さい
時は、既に、五の月。
色々なことがあった。
参謀長官になれ、とエイラに言われた次の日。執り行われた各省の長官および中央政府の総統をはじめとした高官の就任式。
もちろん、僕も出席し、わずかながら、これから頑張ります、という旨の意思表明をさせてもらった。
わざわざ、トルスト様の屋敷の二階のベランダの特設演壇で拡声器に向かって、一つ一つ言葉を紡いでいったが、いかんせんあまりにも聴衆が多すぎた。
ベランダからは、トリニステライヒの市内中を一望できるためによく分かったのだが、屋敷の入り口前はもちろんのこと、そこまで続く木々に挟まれた坂道でさえも多くの人であふれかえっていたのだ。
彼らは、僕が口を開き始めると、不気味なほど、水を打ったように静かになった。そこには何千、もしくは何万という人がいるかもしれないにもかかわらず、誰もしゃべらず、熱心に話を聞いてくれていた。
僕は、人前でしゃべるのが得意ではないため、自分の前で喋る人たちを見て胃が締まる思いだったが、実際に、いざ自分の番になってみると、話をしているうちに、逆にこちらもしっかり話さなきゃという気になって最後まで熱を失わずに話すことが、出来たと思う。
そして、すべての就任式が終わると喝采の拍手と歓声。
僕たちは、特に何か公に反応を見せることはなく、そのままバルコニーを後にしたが、僕としては、不思議な充足感が得られ、自分って、そんなに目立つのが嫌いじゃないのか、と驚いた。
その翌日から、僕たちは、仕事に追われた。
僕は、基本的には書類整理や、事務的な案件を裁くことに徹した。
といっても、判子を押したり、中の文書に軽く目を通して、エイラに回すだけだが、これがどうしてつらい。
あまりにも機械的過ぎるので、つまらず、だんだんいやになってくるのだ。
そして改めて働くっていうのは、大変なことなんだな、と思った。
それでも何回か、政策方針決定会議が高官の間で行われ、意見を交わすことがあり、それは面白い。
僕は戦略シュミレーションゲームで敵国と戦闘するよりも、自国の内政を行って豊かにするほうが好きな人間だったので、そういう楽しみが出てくるのだと思う。
会議はいろいろな方面で行われる。
例えば、昨日、僕が提案したのは、経済についてだった。
あるとき、書類を見ていて、レンテンマルク王国は、山地が、人工的に開墾され、利用されている土地よりも圧倒的に面積が、広く、経済衰退率が前に演説でアイザック陣営を誹謗中傷するために、言ったほど高くはないものの、それでも確実に水準が、落ちていることが分かった。
そこで僕が提案したのは、金銭の循環だった。そのためには、もっともっとたくさんの人間を労働につかせ、巨大な公共事業を国営で行うしかない。
それは、もう、形式的なことを除いてどこの省の出身かということを超越させるように求める提案だった。でも、もう内部においては、ほとんど病巣が摘出され、しがらみは、ないはず、と踏んだからこそ、僕は提案した。
僕がいた元の世界でも、最初は黒人だ、白人だ、黄色人種だ、言って差別が当たり前に行われていたが、今では、それらは、心理的には作用しているものの、それはしょせん色眼鏡の形成に、手を貸したにすぎず、表面上は、インターナショナルという言葉の元、結託したのだ。
そして産業は驚異的に飛躍した。つまりは、そういうことだ。
ただ、その会議は結論が下されるまでに長い時間を必要とした。なぜなら、それらは、やはり伝統であり、こころに強く根付いていたからだ。
急速な伝統の改革は、反発を生むのは、自明の理だ。
だから、僕は付け加えで、さらに提案した。
そのかわり、それぞれの土地で公共事業を行う際に水面下で、その土地が属する省の人間を、優待するということを。
つまり、例えば、農業省の土地で、公共事業を行う場合、雇う人数を、五千から一万と仮定した場合、その半分を農業省の人間から、雇い、残りの部分を二分割して、採用することにする。
また、建設するものも、それぞれの省に必要なものを精査する。たとえば、農業省なら、灌漑水路などだ。
それら公共事業を農業省中心で行う。 そのかわり、彼らには徴兵されずに済む権利を渡す。 それは、相手からすれば、ギブアンドテイクの関係だ。実際にこのたび農業省に、使えるようになった新任の文官の人たちも承諾してくれた。
しかし、それらは、僕たちにとってはかなり好都合だった。
書類を見ていてわかったのは、おそらく十年前の戦争で、就任した天授連邦寄りの考えを持った地主たちの愚策のせいだろうが、おそろしく、農業省(とくに北部)の失業率、および経済衰退率が他と比べて高い数となっているのだ。
だからこそ、農業省集中の公共事業は、最善の策だった。どうせ農業に従事するのはどの家庭においても一家の長と、その妻、そして長男ばかりで子供が、多ければ多いほどただ飯ぐらいで家計をひっ迫しているにすぎないということだ。
また、僕は銀行に代わる、金融機関の創設も提案した。
元々、そのような機関は存在していたのだが、どうもあくまで、金銭を発行するだけが仕事であったため、数も少なくとても小規模だった。
それに、本来の日本で見られた銀行の機能をすべて付属し、かつ店舗数も国内全域に展開するよう求めた。
これは先ほどの公共事業の時とは違って、すんなり受け入れられた。
ただ、いよいよ他の高官から何というか、一目置くような目で見られるのが何とも居心地が悪かった。
会議が始まった四か月ぐらい前は、同じ陸軍省の人間と、セラ以外からは名前すらも知られていなかったのに、今では、農業省や海軍省の顔も知らない高官から、会議場ではもちろん議会で会うと、八雲さん、どうも、と言われ、帽子を取って頭を下げられるようになった。
僕は、そういう丁寧語とか敬う、とか苦手なのにもかかわらず、相手は、僕よりも明らかに年上なので、なんだか違和感がする。
だから、ある時僕がそのことを、夕食の間にエイラに話したら、
「は……? あんたね、いくらなんでも社会を知らなさすぎでしょ? もとの世界でどんな教育を受けてきたのか知らないけど、有能な奴は、もてはやされる。そんなの年なんて関係ない。こんなこと赤ちゃんでもわかるわよ」
そんなことをエイラは、ステューガ(金属の縦に長い棒二本、箸のように使う)で、僕を指しながら言った。
それは、社会を熟知している大人が言うようなことで、もちろん彼女も、よくは、知っているんだろうがどうも説得力がない気がした。
まぁ、日本の文化と、レンテンマルクの文化は違うだろうから、何とも言えないけど、と思っているところで、彼女はテレジアさんに行儀が悪い、と注意されていた。
とにかくそうやって時は過ぎていき、レンテンマルクも変化を遂げていたある日、僕は、昨日、夜遅くまで書類の整理をしていたため、休日ということもあってか、日が高く昇る頃まで、寝ていた時だった。
早朝、テレジアさんに揺り動かされ、寝ぼけ眼をこすりながらしぶしぶ起きた僕は、ふらふらと広間へと向かった。
そして椅子について一人での食事。
僕は朝にあまり強いほうではないので、目は、半開きのままだ。だから、何を食べているかわからない。食べ物を口に持っていく作業を、なくなるまで繰り返すだけ。
「ヤクモ様、食事を食べ終えましたら、軍服に着替えてエイラ様の総統室へお願いします」
テレジアさんは、掃除をしながら僕に、そう言った。いたって、なんでもないことのように言ったが、僕は、彼女に尋ねた。
「ええっ、何でですか? 今日は、休日でしょ。書類整理大変だったんだから寝かせてくださいよ」
「私にそんなこと言われても困ります。ヤクモ様がよくお仕事をなさっていたのはご存知ですから、私としても、ここは休暇としてのんびりなさるべきだと、思うのですが、いかんせん、エイラ様のご命令ですので、どうすることもできないんですよ……。本当にこんな女でごめんなさい」
「いえいえ! そんな。 テレジアさんが、責任を感じる必要はありませんから」
僕の目は一気に覚めた。 テレジアさんが急に掃除の手を止め、自虐モードに入ったからだ。 僕はそれからいくばくかの時間を要して彼女の機嫌を通常時まで戻すことに成功した。
そして、軍服に着替えながら、あまりこの人には、食い下がらないほうがいい、と心に誓ったのであった。
四か月前まであった雪はすっかり消え、木々に茂る葉も程よい具合に緑づいてきた。
虫たちは近くの木に、止まって、声を上げる。人々は、遠くの町に止まって、声を上げる。
風は、熱気を帯びている。地面は、何度か降った雨のおかげで、冷気を帯びている。
もうすぐ夏がやってくる。
そんな言葉鮮やかな、議会までの道を僕は一人で歩いていた。
今こうして、地面を歩いていることが実感がわかない。四か月前僕は、後にわかったことだが、過半数の水兵を失った悪夢のような海戦でかろうじて勝利を収めた。
脳裏に焼き付いた死体の映像は、まだ今でも色褪せることはない。匂いも形も、悲鳴も。何もかもすべて。
あの海戦で生き残った。そして、あれはまだ序章にしか過ぎない。これからが、本番だ。
果たして生き残れるのかどうか? そんなことはだれにも分からない。
海戦を終えて、僕が初めて目を覚ました日。エイラは、苦しんでいるといった。それでも僕を守るから手を貸してほしいと言った。
死ぬときは多分痛いのだろう。もしかしたら、それさえも感じないのかもしれない。
もしかしたら、こんなことを考えている時点で僕は、死を怖がっているのかもしれない。
戦争には向いていないのかもしれない。でも帰り方がわからない。別に帰りたいとも思わない。
だから、人助けをしようと思った。
でも、それは、本当に人助けなのだろうか?僕の正義と相手の正義は一生かみ合うことはない。相手からすれば、僕は侵略者、ないしは、敵大将としか目には映っていない。
そのことを、僕はジレンマに抱えていた。そんな当たり前なこと、どんな人間も割り切って気にしないことが僕の心を彷彿とさせていたのだ。
でも、それは元の世界に戻っても変わらないんだ。だから主観と、客観という言葉が存在する。
そもそも、何だろう、正義、って。
わからない。そうして僕の無限に回る思考はプツンと、途切れる。
うまい頃合いに議会についた。議会は戦争が終わって、エイラが、総統になってから、劇的な変化を見せていた。
門は巨大になったし、周りの木々は伐採されたし。町と議会をつなげる道は、海軍省へと行く道の一つとして大いに整備がなされたし。
『ヤクモさん。どうもです』
僕は、入り口から出てきた士官に、無難に、挨拶しかえした。いまだに名前を覚えていない。
今は、考えるべきときじゃない。
僕は、再度気を引き締めて、その場から歩みだした。
夏は近い。
部屋に入った瞬間、エイラは言った。
「遅い!」
彼女は、高級そうな木の椅子に腰かけてそう言った。机の上にはこれまた大量の書類が乗せられている。それに対し部屋の中は、とても簡素で良く片付けられていた。
印象的なのは彼女の背側の壁にかかった、ハルバードの形状をした鋭利な武器ぐらいだろうか、窓から差し込む光の一途が、刃を鈍く照らしている。
「いや、時間なんて定められていないじゃないか……」
「あ?あんた総統であるこの私に逆らう気?」
「そんな横暴な総統がいるもんか! 大体、いつも僕以外の人間に見せているような顔を僕にも見せてよ」
皆、知っていると思うが、この僕の目の前におわす、エイラは、何と、僕以外の人間には、とても優しい良妻賢母な姿勢を見せているのだ。
それでイメージは、赤丸急上昇中。もちろん元から、その対外的に見せる垢ぬけた雰囲気や、端正な顔立ちで、既に人気を博していたが、今回、僕の立てた政策を、彼女名義で施行するため、記者たちは皆彼女がすべて考えた、と思い込み、彼女ばかりを誉め讃えているのだ。
全く、そんな話だと思う。少しは、僕に、あの海戦のときの夜のように優しくしてくれたら、いいっていうのに。
「じゃあ、ジョナスのように接してあげようか?」
彼女はニッ、と笑いながら、そう言った。それがまた可愛いのがどうも癪に障る。
「いや、今まで通り頼むよ」
ジョナスのように接されたら、僕の体は、どうにかなってしまう。
「わかった。で、本題なんだけど、単刀直入に言うと、あらかた内政に関しては、片づけたから、今度は、外交に手を伸ばそうと思うの」
「外交……か」
「そう、で、次の休みの日から二日ほど休暇を取って隣国、リッツ連合政府に訪問しようと思っているんだけど」
「僕も行っていいのかい?」
「一緒に行か……って速いわね! あんた、何、そんなに行きたいの?」
「うん。たまには、僕も旅行がしたい。他の土地にも行きたいよ」
やった。二日とはいえ、バカンスに行けるぞ。書類の山をかなぐり捨てて泳いでやる。南国チックな木を見ながら冷えた甘いジュースで、五月を感じてやる。
「まぁ、あんたが、何を考えているのか、私にはわかりかねるけど、とりあえず、了承が取れて良かったわ。じゃあ、もう帰っていいわよ」
最高だ。気分がいい。僕は意気揚々と彼女に恭しく敬礼した後、部屋を出た。
とりあえず、街に出かけて、スイルジャコタンでも買おう。それを、食べながら旅行に必要なものを買い揃えようかな。
幸いにも、最近給料が出たばっかりだし。
僕は、わくわくしながら、駆けていった。
そして、後になって、僕は、激しく後悔した。
エイラの口車に乗ったせいで、また新たな火種を生んでしまうことになるなんて、と。
次話もどうぞよろしく