表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/34

そして彼女は始動した(一章最終話)

いかがでしたでしょうか?

これで長かった一生も遂に完結。これから二章を続けていこうと思いますが、これからもご愛読の方よろしくお願いいたします

それではどうぞ

激動の海戦から、二日がたった。

 ここはレンテンマルク王国国議会。そこには、レンテンマルク国内の情報を、紙面にして、国民に、送り届ける、いわゆる新聞記者たちが、ほぼ全社、顔をそろえて、新政権の誕生を今か今かと待ち続けていた。

 議会の最上段、議席の間の段下がり通路はかたく兵士に守られている。

 奥の壇上のエイラが、これから指針表明演説を国民に向けてするための演壇の横には、晴れ晴れとした顔のトルストと、護衛役のセルジュークがいる。彼女は、やはり若くても、このような国の生まれ変わりと言っても過言ではない時に高級な、赤紫の皮が張られた背中辺りのよさそうな椅子に深々と腰掛け、盟主らしい貫禄を見せていた。

 その横でたつセルジュークも、少し緊張を隠せない様子で、先ほどから上等な燕尾服の襟を手で何度も整えたり、髪を手櫛で軽く梳かしたり、と大忙しだった。

 そして、議会の議席に座る面子は大幅に、海戦の前と変わっていた。

 昨日、各地の士官の元に連絡が行き渡り、もちろん記者の者たちにもその情報が公開された。

 他にも、これからの国政の進め方に際し、今まで以上に議会の権限を強くし、総統、盟主、議会。この三つによるお互いに干渉しあいながらの権力分散政治を施行する音の宣言がなされ、一部の知識人たちや記者を騒然とさせた。

 結果、国政を総統と、ともに推し進めていくというためもあり、その全てが戦争推進派の武官もしくは愛国心に満ち溢れ、伝統に過敏な文官のみで構成されているのはもちろんのこと、農業省は、ほとんどが、そういった思考をもった農業省に所属する文官ではなく、陸軍省から派遣された士官だった。

 そして、ついに議会に一つの鐘の音が、響き渡った。それでやや弛緩していた空気は、一瞬にして瞬間冷凍がごとく固まる。

 記者同士の軽い話し合いの声も含めてその騒音たる騒音が、無へと還る。

 そんな中、最下段の中央で立ち上がる少女がいた。その上げられた腕は、水を打ったように静かになった空気を、裂くようにピンと、突き上げられ。皆の視線を一点に集めた。

 そしてそれは、すぐに下げられ、今度は、靴が小気味よく床とすれる音が奏でられ始める。

 そして彼女はただゆっくりと一歩ずつ踏みしめていくように前進していいき、壇上へと登る四段で構成された本当に小さな階段を、時間をかけて上がっていった。

 彼女の後ろから見た服装は、いつもと何ら変わらない。上等な布で織られた軍服に、特徴的な、戦場には似つかわしくないと言っていいほど、軍服と良く似合う、ファッションセンスに、富んだガーリング帽とそこから勇ましく出ている極彩色の羽。

 彼女は、長い時間をかけて演壇に立ち、拡声器も何も用意せず、ただ、こほんと、一つ咳を払ってから凛とした鋭い声で、喋り始めた。

「私が、この度レンテンマルク王国総統に就任したエイラ・クシャーナよ。どうぞ、よろしく。挨拶はこのくらいにして、本題に入らせてもらうけど……」

 彼女の目には奥で蠢く記者達の姿はまるで見えていない。そのおかげで、彼女はいつもの極度な人見知り、恥ずかしがり屋な所を発動せずにいられる。

「まず、皆には何より、経緯を聞かせたいと思うので、言うと、つい二日前、私の部下は、あなたたちが寝ている夜、たった四隻の防護巡洋艦、通常装備で、北部ココを、出港し、北の海で、十年前私たちの新造の軍艦を全て沈没させた世界最強と歌われた人災艦隊十四隻と交戦し、これを撃滅した」

 議会中が騒然とし、記者たちはその情報を必死に持っている用紙に書き付けた。彼女は目を閉じ、場が静まるのを待った。そして静謐(せいひつ)としてから、口を開く。

「これで天授連邦は、完全に、レンテンマルク近海の制海権を失った。しかし、それだけじゃない。これで、それまで、天授連邦の圧力に押され、私たちの征服も含め、リッツ、ルパチーニ、クシャミニッツの三国はその膠着関係を解き、今ここにまた戦争を始める。その証拠に、昨日、改めてリッツ連合政府から改めて軍事同盟の調書が来た」

 リッツ連合政府は、最初にレンテンマルクと交戦し、敗北して、彼らに服従し、十年前から、服従と言う言葉を嫌う彼女の父の意向で同盟と言う形になった、レンテンマルク本土の西に存在する、資源立国である。

 今回は、外交担当であった農業省が、完全に崩壊、総統制の施行で、外交を含め、全ての権限が彼女に移動するので、改めて申請してきたのだ。

「これでもうわかるでしょ? 世界は、再び十年前のように戦争へと突入するわ。そして、敵は次で絶対に、決着を、私たちの長い血にまみれた歴史に終止符を打って来ようとする」

しかし、そんなことをもちろん知らない記者たちは、彼女の堂々たる姿勢や口調を総統の貫禄と勘違いし、息を呑んでいる。

「だから、私たちも、私の代で、この由緒正しきレンテンマルク王国を、殻を破って、新しいステージへと向かわなせなくてはいけないの!」

 高らかに叫ぶ。続けて彼女は言う。、

「私たちはもう立ち上がらなくちゃいけない! 神代の昔より神話で決っているの。私たち、レンテンマルク血族、およびその国民のみが、この世界の覇権をその手中に収め、天下の治世を収めるに、ふさわしいっていうことがね」

 この時、彼女の演説は、まさに、神懸かっていた。もちろん彼女の天性のセンスもあるのだろうが、今日ばかりは、それにさらに磨きがかかり、議会にいる全ての人間の心を飲み込んでいた。

 人身掌握のコツは、とにかく血統の話を持ち出し、そのような人間の手では変えることの出来ない根本のところで、絶対の優越性を訴えることである。

 もちろん彼女はそんなことまでは父親から、習っていなかった。ただ彼女は思いのたけを、これまで、父が死んでからの10年間、溜まりに溜まってきた積年の思いを、口にしているだけだった。

「私たちは、これから、戦争へと突入するわ。でも皆は、それを誇りに思うべきなの。聖戦よ。10年前、私たちの国を、人民を、伝統を、さんざん汚した国を、私たちに、世界を治めるよう命じた神に代わって、戦うの」

 それからふと、彼女は顔に(かげ)りを落として続ける。

「私の父は、貴方たちのことが大好きだった。この誇り高いレンテンマルクの民族が大好きだった。そして、国民もそれを感じ、父が好きだった。だから、戦争に突入したの。私も同じよ! 戦争に突入するには、私たちレンテンマルクの誇り高き民族が、戦争を、望まなくちゃいけない。自分の中に良く問いかけて見なさい!」

 しかし、彼女は考えさせる暇を与えなかった。

「もし、今ここで自分に問いかけ、私、エイラ・クシャーナとともにこの戦争と言う名の地獄に身を投じようと思う者は、今ここで、恥も見聞も捨て立ち上がり、声を上げなさい!」

 しかし、誰も立ち上がらない。彼女は、周りを強い眼光で見回したが、誰も立ち上がろうとしなかった。

 彼女は言いたいことを強く言いすぎたか、と思ったが、後悔はしていなかった。ただ、それでもこの様子じゃこれからは国民や、新しくそろえた部下を、力で押さえつけながら、戦っていかなくちゃいけないのね、と嘆息すると、

 突然、議席の奥のほうで一名の士官が、立ち上がり、

「私は、一生ついていきます。妻を守るため、国を守るために。そして安寧の平和を世界にもたらすために!」

 皆が、仰天して彼を見た。彼は、皆を見ていない。ただ天井から吊り下げられた国旗と、壇上に立つエイラだけしか眼中に、捉えていない。

「その選択は正しいわ。私たちは、これからこの国を、その双肩に背負っていかなくちゃいけない。そのためには、もう戦うことしかない。だからこうやって一番乗りに意思を表明した貴方はもしかしたら救国の英雄になるかもしれないわね」

 彼女はそう言ってその日初めての微笑を見せた。

 それで、決心がついた皆が競うように一度に立ち上がったことは言うまでも無い。


 僕は、暗い部屋で目を覚ました。

 あれからどれくらいの日にちがたったんだろう。全く時間感覚がないので、もしかしたら何千年もたったのかもしれない。

 僕が体を起こすと、とても体の節々が痛んだ。そして暗い中で眼が慣れていくうちに自分の体が、包帯で所々包まれているのに気付いて、そこでようやく自分が、激しい海戦を乗り越えたことを思い出した。

「……そういえば、エイラはどうしているんだろう……」

 もしラインセルさんとの約束が本当なら、今頃、彼女は……。

 僕は、とにかく今の状況を確認しようと、悲鳴を上げる体に鞭を打ちつつ、ベッドから降りた。

 裸足で、触った床は、冷たく、足を引っ込めそうになったが、痛みでそれも叶わないので、ただ、部屋の扉目指して歩を進める。

 しかし、扉は僕が開ける前に開けられた。僕は驚いて、急いで、布団の中へ飛び込んだ。

 そして体をシーツで覆う。すぐに、寝たふりをする。

 僕の体重の反作用で、はねたスプリングの衝撃は、死ぬほど、痛かったが、どうも、変なところで、こういう臆病風を吹かせてしまうのが僕の性分なのだ。

 僕が、息を潜めていると、やはり、何者かが、コトリ、コトリと足音を立てて近寄ってきた。

 そしてそれは、僕の近くでぱたりと止まり、僕の体を覆いかぶさるシーツに何かが、触れた。

(誰だ……? というか、この感触は……手、か?)

 シーツを軽く押す手の感触は、ちょうど僕の頭に振れ、軽く撫で擦られた。シーツ越しに伝わるそれは、とてもやわらかい感触だった。

 それから、少し間を空けて僕の頭を撫で擦るそいつは、口を開いた。

「まだ、……寝てるのよね?」

 それは、とても優しい声だった。まるで傷ついた僕をいたわるために舞い降りた聖母のようだった。

 僕の頭を、そっと撫でながら、続ける。

「……私、あんたが、聞いていないから、言えるんだけどね? ……すごくすごく、あんたには感謝してるわ」

 感謝してる、の部分で僕の心は締め付けられ、その場にいても立ってもいられない気分になった。僕は、今どんな顔をしているのだろうか。

 こんな気持ちになったのは、初めてだから、僕自身もよく分からない。ただ悪い気持ちでは決してないことは確かだ。

「私ね、今日、総統として就任演説したのよ? とっても緊張したんだから。記者さんも、もちろん私の部下も皆が勢ぞろいして、私の一挙一投足に注目しているの」

 そうか、やはり彼女は正式に総統になれたのか。良かった。良かった。

 それにしても、演説があったのはもちろんのことだけど、良く、彼女は、人見知りなのに出来たな。でも、この口ぶりからして成功したんだろうから、本当に良かったと思う。

 物事は何にしても、出だしが肝心って言うしね。

 そう冷静さを、取り戻しつつあった僕の度肝を抜いたのはこの後の発言だった。

「……だけど、これも、その、あんたが、寝ているから言うんだけどね……。起きていたら絶対言わないんだから。……えぇと、その、認めたくないんだけど……あんたの……あんたが、命張ってまで頑張ってくれたおかげで、私の今があるのよ。だから、私も頑張らなくちゃいけない。そしたら、体が軽くなって不思議と力が漲ってきたの」

 本人は、僕が寝ているだろうと思って胸の内を、惜しげもなく晒しているが、実際僕は起きているし、いつも僕に対し、きつく当たっていた彼女がここまでしおらしい女の子に戻るところを見たせいで、動悸がいつもより激しい。

 胸がドクドク、と波打っているのが良く聞こえる。ただ今、僕が起きていることがばれたら殺されかねないので、呼吸は穏やかに保つことを心がけることを、忘れない。

「あんたと会ったばかりの頃はね、正直有能とはいえ、私への口の利き方はなっていないし、ジョナスとは喧嘩をするし、私に悪戯をするしで、どうやってあんたを本国に送り返そうかばかり考えていた。あんたを戦争に巻き込みたくないって言うのはもちろんあったけどね」

 僕の動悸はまだ収まらない。それを、収めるのに精一杯で彼女の話に耳を傾けている暇は無い。

「でも、戦争が終わった日、トルスト様の屋敷であんたは、私をかばった。それにバルコニーで、あんたは、私に、自分のことを道端の石ころと表現してまで、私と共に戦争の道を突き進むことを望んだ」

 彼女の、鳥頭は発動していなかった。僕は動悸も落ち着いて思い出そうとしたけど全く思い出せなかった。こういうとき、僕に鳥頭を押し付けるのは、止めて欲しいと思う。

 でも、僕なら十分に言いそうだ。別に僕は、自分の存在を特別、社会に存在する一個体として見ているわけじゃないし。元の世界じゃ誰も僕の存在を保証しちゃくれなかったし。

「私、その時は、こう言っちゃなんだけど、手駒が増えたとしか思っていなかったの」

 それ、本当かよ…………。別にそこまで気にはしないけど手駒っていうのはなぁ。

「そして、それから色々な事があって、時は過ぎていき、私はただ赤子のように何も出来ず、指を加えて、ただこの国を治めたい、父の後を継ぎたい、そういう願望ばかりは人一倍に膨れ上がっていた」

 一緒に商店街を回ったことか……。

「あんたは、私の知らないところで色々と考え、こうして選挙まで起こした。聞いたわよ。農業省の遊説で、ラインセルの家に泊まったとき、私が寝ている間、彼と密談していたそうね。今回の海戦のこと」

 やめてくれ。そんなに、僕のことを買いかぶらないでくれ。選挙の事だって元はと言えば、自分のいた世界のものを参考にして、たまたま古文書の中から、見つけた総統という少し前のレンテンマルクで失われた職を復興させて、何とかしようとしたに過ぎないし、ラインセルさんとの密談だって、彼から僕に振ってきたのであって、僕は、了承して細かいところを決めたに過ぎないんだ。

 ただ、今彼女にそう弁明することもできない。どうしてか胸は苦しくて涙が溢れてきそうだった。そしてそれを耐えるのは本当につらかった。

「どういうわけか知らないけど、あんたは私に黙っていなくなり、私は、ついにあんたが臆病風を吹かせて逃げたのか、と勘違いした。それは、喜ぶべきことなのに、私はとても憤慨というより、失望していた。図々しいのだけれども、私は、あんたに、この国を変えるだけの力がある、と心の奥底で期待していたのね」

 シーツ越しに伝わる彼女の口ぶりは、段段と、愁いを帯び始めてきて、それは否が応にも僕の頭を冷やす結果となった。

「今回の海戦、具体的な数値は出ていないけど、こっちの側でも大体三分の一の水兵が、亡くなったみたい。私は、あんたの傍にはいてやれなかったから、こんなことを言うのは憚られるけど、とても過酷な戦いだったでしょ?それもあんたみたいなろくに、従軍経験のあるわけじゃない奴からしたらなおさら地獄だったに違いないわ」

 確かに、今思い出してもあれは気持ちのいい光景ではなかった。

 燃え盛る甲板。狂人のように銃を撃つ水兵。火を消そうと水を持ってくるさなか、それすら叶わず、撃たれる敵水兵。 血は甲板の板の床にこびりつき、被弾した場所では五臓六腑をぶちまけて即死した兵士や、火に体を焼かれながら、悶え苦しむ兵士もいた。

 それら全てが頭の中に鮮明にフラッシュバックする。まさに人間の下劣な部分が、丸出しになる最低の光景だった。

 ただ僕は、吐きそうにはなるけれどもそれを、こらえようとも思う。

 これから、僕が踏み入れていく領域は人間の剥き出しの全てを見て平気でいられなくちゃいけないところなのだから。

「私、また迷い始めているの。……ごめんね。何度もこんなこと言っちゃって。でも、これからどんどん戦争は、過酷化して、たくさんの私の仲間が死んでいくに違いない。かつて、私のお父様も言っていたのよ。戦争はせねばならないことだが、それは、我々が、人間であり、生物の王であることを維持するために支払わなくてはいけない代償だ、って。実際お父様は、敗色が濃厚になって、仲間の方や部下の人が死んでいくたびに、苦しんでいたわ。自分も戦争に出て、皆の敵を討ちたい。でも王であるからそれは叶わない。と」

 その発言は、驚きだった。ここで彼女を優柔不断と責めてはいけない。彼女は、戦争の恐ろしさを良く、僕よりもわかっていて、大好きだったお父さんをそれで失って、まだ棒と指して年は変わらないはずなのに、何も僕たちにはもたらすものはないであろう戦争に、誇りや伝統と言う名の毛皮で、挑もうとしている。

 と、そこで扉のほうから、また声がした。それは、テレジアさんだった。

「エイラ様。ヤクモ様はまだ寝ておられます。あまり起こさないようにしてあげてください」

「別にいいじゃないですか。こいつ全然起きませんし」

いや、起きているけどね? 彼女は、いよいよ僕の頭を叩き始めたので、僕が、仕返しに、とむにゃ、と声を立てて、頭にのっかる手を払いのけるように、寝返りを打つと、

「ほら、エイラ様が変なことするから。ヤクモ様が起きてしまうではないですか」

 僕は、なるべく目を閉じてエイラに、起きていることがばれないように努めた。彼女は何も言わない。ただその視線だけはひしひしと感じた。

 そして、それから程なく、彼女は

「……わかりました。テレジアさん。先に下に降りていってください。私を呼びにきたのは、夕食が出来たからでしょう。良い匂いがするもの」

 確かに言われて見れば扉のほうから甘辛い匂いが漂ってきた気がする。

「よくわかりましたね。そうです。今日はエイラ様の総統就任記念として色々とご馳走を作ったんですから、冷めないうちに早く来てくださいね?」

 彼女はそう言って早々と部屋を出て行ってしまった。そして、彼女の階段を降りる音が遠ざかってから、おもむろにエイラは、僕の頭から手を離し、またコトリコトリ、と棒が起きないように配慮しているのだろう、本当に小さな足音で彼女のあとを追いかけていった。

(はぁ、これで、ようやく皆、出て行ったか……。さて……どうしたものかな)

 エイラは、僕を、ここに残しておくか、迷っていると言った。今さら何を、というのかもしれないが、そこには彼女なりの僕に対する気遣いがある。

 でも、僕としては、元の世界への帰り方も分からんし、かといって別に性急に帰りたいかと聞かれたら全くそういうことはないわけで。

 と、僕がそんなことを考えていると、

「……あんたは、心配しなくていいから。私たちは、あんたの命を全力で守るから。だから、本当に身勝手なのだけれどまだ私に力を貸してちょうだい。私一人では、これからのレンテンマルクを支えられるか分からない。だから、これからも私の部下であることをお願いできないかしら、なんて……私は、寝ている奴に何を言っているんだか。全く」

 それから、彼女は本当に、小さな、闇の空気に吸い込まれてしまいそうなほどのか細い声で、今はまだ寝ていなさい。そして、良い夢をたくさん見るの。何でも良い。家族でも、友達でも、ね。

 そうボソッと言い残して、出て行った。

 僕は、扉が閉まる音がしてから、少し時間をかけて、ゆっくりと今度こそ余裕を持って体を起こした。

 頭はまだややぼけている。それでもいなくなった彼女の独り言を聞いて何だか彼女に対し、僕は、独り言を返していた。

「……大丈夫だよ。エイラ。確かにあの海戦はつらかったけど、それでも僕はここに残るよ。ここでの日常は、変化に富んでいて飽きる事は、ないし、それにあのバルコニーのとき行ったじゃないか」

 僕は元の世界にあまり良い思い出は、ないんだ。別にそれを気にしてとやかく言う気はもう無いけれどもさ。

 どちらにしても、エイラから、あのように言ってくれたのは、こちらとしても行幸だ。

 今はもう寝よう。後のことはまた起きてからでいい。

 僕は、目を閉じてベッドに鼻を擦りつけ、もう一度頭の上から今度はしっかり毛布を被って意識を閉ざしたのであった。


 

 その翌日は、朝の光を受けて、いつぞやのようにエイラにどやされて、起きるわけではなく、きちんと自分で起きた。

 体に、痛みはまだ残るもののそれよりも空腹がひどかっため、何か口に入れようと、階段を下りたところで、掃除中のテレジアさんにばったり遭遇し、色々体調のことを心配された。

 僕はその質問に、ほとんど、えぇ、おかげさまで、この通りです、と答え、その場を後にした。

 そして、リビングへと向かうと、中央のテーブルには、料理がいくつか載っていて、それらを僕は席に着くや否やすごい勢いで片付けてしまった。

 全てを平らげ、若干の食休みと、ボーっとしていると、

「あら、あんた、起きていたのね?」

 そう声がして、振り返ると、それは、ガーリング帽が今日も良く似合っているエイラ総統殿だった。

 僕は少し声を出せずにいた。彼女は知らないだろうが僕としては昨日の出来事があったおかげか彼女とこうして、顔を直接合わせるのは恥ずかしい気がしたのだ。

「やぁ、おかげさまで、何とか体のほうも良くなってね。ところで君のほうこそ、総統になったのに格好は前のときとは変わらないのかい?」

 それでも、そのことを言うわけにもいかず、ましてや今度は彼女が僕のことをいぶかしむ目で見てきたので、話題を変えようと僕は服装に着目した。

 彼女は、総統に昇進したんだからもっと豪奢な服を着て威厳を見せ付けんとしてもいいのに、彼女はやはり変わらず、軍服に羽根付きの帽子の上官スタイルを貫いていた。

 だから僕がそれを指摘すると、彼女は別になんと言うことも無く

「馬鹿ねぇ、あんた。別に総統になったからといって、自分の服装まで変える必要なんか無いんだから」

「はぁ……。まぁ、君がそう言うのならいいけど」

「おっ、あんたもついに、私に反応しなくなったわね。さすが総統パワー! 本当はこれで敬語とか使ってくれるとなおさら良いのだけれど、まぁ、段階を追ってね。こういのは」

 いや、決して別に君の総統パワーとかいう摩訶不思議な力にひれ伏したわけではなく、ただ単に面倒だったと言うだけなんだけど、それを言うと、話がまたこじれそうなので僕は黙っておいた。

「と、まぁ、そんなことはどうでもよくて、とりあえず、今更な感じがするから、軽く言っておくけど人事に関して、農業省の反乱分子は全て粛清したから」

 随分、重い話が来たな。そんな軽いいかにも世間話の体で言うようなことじゃないと思うけどな。

 僕はボーっとした頭を切り換えて真面目に尋ねた。

「それで、政治制度は変えるの?」

「そのあたり詳細は、あんたと一緒に決めていくつもりだけど、農業関連の政務は、引き続きアイザックと、ラインセルの両名に任せるわ」

「ラインセルさんは良いとしてもアイザックは良いのかい?また反抗してきそうだけど」

 彼女は僕がそう聞くと、肩をすぼめて、

「仕方ないのよ。レンテンマルクは十年前に大量の優秀な人材を失ってから、かなり人材不足なのよ。農業にしたって書類整理以外の農業に案する指導や食料流通のバイパスを熟知しているのはあの二人だけだし。それに、少し前までどこぞの国とも知らない場所からやってきた流浪者のあんたを雇ったのだって、普通じゃありえないんだから」

 確かに。僕は、日本の出身だけど、相手はその国を名前すらも知らないわけだし。今から考えれば、あの子の世界に下りていた時に遭遇した戦争で彼女の元にたどり着いたのは相当運がよかったのかもしれない。

 普通なら僕みたいな面妖な奴まず敵だと勘繰って拷問にかけるか、もしくはその場で処刑だってありえる。それを彼女は、武器を所持していないだけで僕を体じゃないと判断し、それどころか戦線を潜り抜けたその能力を評価して仲間になれ、と言って来たのだから、その柔軟というか楽観的というか、器量には驚かされるものがあるし、またある種の側面で本当に、知力のある奴を求めていたんだろう。

 まぁ、僕もそんなに知力が高いか、と聞かれたら、よく分からないところもあるけれども。

「早くあんたも来なさい!」

 と、彼女は突然何かを思い出したように言ってきたので僕は思考を打ち切り、

「どこに? というか行く、って何? ぼくこれから寝ようと」

 僕がそう言うと彼女はいきなりつかつかと歩み寄って頬をつねると

「あんたね! 今、私のこの耳にはこれから寝ようとしている、というあんたのそのひん曲がった根性からの戯言が聞こえたんだけど、まさか気のせいよねぇ?」

「ひはひはひ、ごへんははい。ねまふなんへもふひひまへんかは」

「それでよろしい」

 そう言って彼女はすぐに僕の頬から手を離してくれた。

 どうしてほとんどハ行しか言っていないのにわかったのか疑問なところだが、まぁ、それは今おいといて

「まったく、いたた……。で実際、どこに行くのさ?」

 頬を擦りながらそう尋ねると、よくぞ聞いてくれたといわんばかりにあまり大きいとはいえない胸を張って

「実はね、なんと……議事堂に総統用の部屋を作ったの!」

「……そりゃ、すごいけど、それは君一人で行くものじゃないの?」

「それがね、あんたは今度から」

「あっ、まさか、一人で行くのが怖いとか?……大丈夫だよ。朝なんだからお化けは」

「人の話聞きなさいよ! なんでお化けの話になるのよ! おかしいでしょうが!」

「ごめんごめん。冗談だよ。……で、本当に僕はその総統室に行っていいのかい?」

「行って良いも何も、あんたは、参謀長なのよ? 役職として基本は書類整理と政治統括だから基本的にそれ関連の資料が山ほどあるから、それをまず裁いてもらわないとね?」

 エイラがどうも楽しげな口調でそう言ったので何か不穏な物を感じ取った僕は恐る恐るある質問をした。

「それってまさかだけど……僕一人なんて事は……」

 と、彼女はにこりと笑った。

 まさか、エイラの奴ちゃんと僕の下にスタッフをつけてくれているのか? 期待していいのかもしれない。だって、昨日僕のことを、守るとか、何とか言っていたのだから。

 しかし現実はそうは甘くなかった。

「何言ってんの? 当たり前じゃない。まぁ、あんたが自分の部下でもお手伝いでも雇えば別だけどね。どっちにしても基本はあんた一人よ」

「あぁ……さいですか……」

 僕は嘆息した。変な期待を彼女にかけた自分が馬鹿だった。

「ほら、早く、軍服を着て出かけるわよ? 参謀長さん?」

 それから彼女はウフフ、と品よく笑った。こうしているとお戯れなさっている深窓の令嬢のようなのに、一国を治める人間なのだというから不思議なものだ。

「……はいはい。わかりましたよ。総統殿」

 僕はそう返して急いで、自室へと戻った。

 僕の命は、今のところは彼女のためにあるようだ。


 

では次はキャラクターや政治制度の簡単なまとめを作りたいと思います

どうぞご期待ください

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ