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密談 

物語は佳境へ

「……ところで、皆さんは知らないと思いますが、この国の経済水準は、十年前から緩やかに落ちているのです。皆さんは、それを、身近に感じはしないでしょうが、着実にこの国は衰退しています」

 僕は、身振り手振りを交えながら、衰退や落ちる、といった言葉を強調しつつ大衆の前で演説をした。

 三日前、議会閉会後、僕はトルスト様と話し合い、選挙の日程や必要な投票箱の数などを決め、彼女は、三日かけて、部下を使って大々的に、レンテンマルク中に選挙の発表を行った。

 そしてスケジュールでは、僕たちは、今日から十日間、陸軍省の領地の各地で演説を行い、その後、アイザック達と入れ替わり立ち替わりで、農業省の領地に移り、南進しながら演説をした後、そのままトリニステライヒ、海軍省の領地と行ってそのまま、南に面する海、マリン海で、ゴールといった感じだ。

 そんなかなりハードなスケジュールに加えて、移動手段も馬であるので、体がおかしくなりそうだが、自分でやりだそうといったことなので、諦めるしかない。

「そして、奇しくもこの経済水準の下落が始まったのは、我が国が戦争に敗れ、憎き天授連邦が政治に介入し始めたときと重なるのです」

 やはり、戦争推進派のエイラの領地であるため、かなり演説がやりやすい。皆、僕が新入りでしかもこの国出身の人間でないにもかかわらず、演説を素直に聞いてくれている。

 大衆は、中層階級以上の人間に加え、そのほとんどが軍服に身を包んだ将校ばかりだった。

「ここまで言えば皆さんも分かるとは思いますが、彼らは、我々の経済水準、ひいては我々の生活を貧相なものに変え、文明の衰退を促し、二度と我々が刃向かうことの無いように手懐けようとしているのです。この蛮行を見逃しても、良いでしょうか?皆さん」

 皆が、天授連邦に対し敵意丸出しの声を上げた。声を上げて、天授連邦を口汚く罵り、そして戦争遂行に賛成の意を上げる。まるで僕の思惑通りにことが進み、僕は内心ほくそえみながら演説を続けた。

「もうこれ以上我々は我慢してはいけません。このままでは我々レンテンマルクの民族は彼らによって滅ぼされかねません。皆さんそれが果たして許されることでしょうか?皆さんは知らないかもしれませんが、太古の昔、世界の全てを掌握していたのは何を隠そうこのレンテンマルク王国であり、他の国は、初代盟主が、その慈悲の下、蛮族に独立を許したことで、彼らは勃興することが出来たのです。そして天授連邦はその筆頭格!にもかかわらず、彼らは母体ともいえよう我が国を支配し、あまつさえ、それを滅亡に追いやろうとした!これは絶対に許されない行為、皆さんはそうは思いませんか!」

 もはや大衆は、一体となって僕の演説に熱を浮かされたように敵国を憎み、愛国心を湧き上がらせ、戦争への渇望を熱狂的に表明した。

 僕が敬愛するヒトラーは演説の名手だった。彼の言葉に次のようなものがある。

『……大衆、特に、知識人以下の無教養の人間は、脳の要領がたかが知れているから、彼らを相手に演説する際、ポイントに絞って、頭にインプットするまでその言葉を繰り返すべきだ』

 もちろん、多少彼の言葉とは違うところはあるだろうが、おおよそ彼の演説の本旨はこんなところだ。そして手振り身振りを加え多少大げさに思えるくらいで演説し、自分たちの過失を誇張し、まるで被害者のように振舞いながら、相手になすりつけ、糾弾する。

 この方法でまさかこんなにもあっさりと人心掌握ができるとは、人間の心は、かくも脆いものなのか、と多少の荒涼の念を抱いたものの、すぐに振り払い、ラストスパートをかけた。

「皆さん、平和、平和とその味を味わったことも無い売国奴が掲げる虚妄の言と、我が国の安寧幸福と自由への追求を邪魔する朋輩共を武力を持って駆逐し、真の未来への恒久平和を、国民一致の下で掴み取ること、どちらが国を牽引する者として取るべき行いか、国家を担う国民として、自己の利益と国益を相願う人間として、そしてなにより、国家を愛する構成員の国民であるならば、心に問いかけてみてください!」

 国民か、非国民か。

 究極の選択を僕は突きつけた。最高にして最凶の命題。社会の枠組みから外れないことを選ぶか、もしくは自分の命をとるか。

 それがわかっているのか自然と大衆は息を飲んで熱に浮かされたように聞き入っていた。僕も演説に熱が入る。お互いのテンションはマックスまで上り詰め、心の奥底でどこかシンクロしているように感じる。

「僕が来た以上!この国が戦争に負けることはありません!そして僕の上司エイラ・クシャーナは、先王の娘として敵を激しく憎み、従える兵ともに血気は盛んです。しかし、それだけでは勝ってるものも勝てません。なぜなら国民の皆さんが国の未来を担っているからです。国の礎は皆さんが歯を食いしばって働くことにあるからです。だから、皆さん、もしあなた方に、この国を思う思慮と、一歩踏み出そうという勇気があるならばどうぞ、エイラを総統に任命するよう清き一票を投じていただきたい!これで、僕の演説は終わりです。このような寒い空の下ご清聴頂きありがとうございました!」

僕は、深々とお辞儀をすると、演壇から降りて、その場を後にした。僕がいなくなってから、大衆は長い夢から覚めたように皆、われんばかりの盛大な拍手をした。

 僕はその快音を耳にとどめながらエイラと、何十名もいる彼女の護衛兵を連れて次の都市へと向かった。


 この十日間の遊説で陸軍省の各地を回ってみて僕が分かったのは、陸軍省の領地内の都市はどこも中世ヨーロッパのような趣を残した町並みであることだった。

 首都トリニステライヒの昭和の戦後間もない闇市のようなくずれかかった親しみの持てる雰囲気とは違い、赤や茶などくすんだ色の煉瓦を敷き詰めて建てた飾り気の無い実用性だけが考えられた家が立ち並び、舗装されていないぬかるんだ道路をドレスを着た女性やら燕尾服を着た髭がトレードマークのジェントルマンが、意気揚々と歩いている。

 そうして発展した都市を抜けるとそこに田や畑は一切無く、あるのは奥に見える山地と雪が降り積もる荒野、そしてそこで訓練する士官兵、あとは士官学校ぐらいだろうか。教官に怒鳴られながら必死に匍匐前進をしては鉄条網を越える訓練をやっていたりとあまり自衛隊と変わらない訓練をしていて軍隊はどこの国でも変わらないんだな、と思ったりもした。

 後は、たまにその荒地を使って見たことも無い動物を放し飼いにして、牧畜を営む農家も散見された。一見ピンク色で四足歩行をしていることから、豚のように見えるが、鼻の頭に角があって口から鋭い牙が伸びている。しかも肉食。食べ方もとても汚く、共食いもオス同士の縄張り争いだってする何でもありの生物だった。ただエイラいわく、ドランハイ(その生物の名前らしい)は獰猛であればあるほどよく肉に脂身が乗って、おいしい、という。

 また牛のような外見をした、ホルスタインのあの黒と白が融和した、肌を持つこれまた牙つきの草食獣、キノが横に長い木の畜産小屋に轡を結ばれながら目の前に出された硬い木をバリバリと噛み砕き、柔らかくなったところをもそもそと食んでいた。エイラがいうには、彼らはキノミルクという栄養価たっぷりの乳を出すらしく、それから作られる乳製品はレンテンマルクの家庭では良く食べられるらしい。

 そして、九日目に僕達一行が向かったのは、レンテンマルク国土の北端に存在する港湾都市、ステッセルであった。陸軍省領地と諸外国を結ぶ玄関口として、レンテンマルクの海軍の軍艦や、諸外国からの物資を積んだ輸送船が寄港し、その港町は水兵や商人で、賑わっていた。

 僕たちはここで獲れたばかりの見目は不気味だが新鮮で味は良好な魚を調理してもらい、食事を取った。そして、その後は、休む暇なくすぐに演説を行い、ここでも大成功を収めた。そして僕達が意気揚々とこの市を去ろうとすると、エイラは、急に何かに気付いたように立ち止まった。その視線を追うと、そこには今にも出港せん、とする一艇の白い蒸気船であった。

「どうしたの?」

「いや、あの子、私どこかで見たことあるなぁ、と思って」

 彼女が、あの子と言って指差した方向には、兵士に連れられて、船に乗ろうとする汚い格好の少年がいた。そしてそれは僕も見たことのある子であった。

 ただ鳥頭が、仇なし、名前を思い出せない。

「ちょっと、行ってみるから、あんたもついてきなさい」

 そう言って彼女は、僕の言うことも聞こうとせずにその船乗り場に向かってしまったため、僕は時間の猶予を考えつつ護衛兵達に旨を言ってから、馬を向かわせた。


 その少年はエイラを、その視界に見つけるや否や後ろを歩いていた兵士を潜り抜け、馬上の彼女の元へ向かった。

「あっ、おねぇちゃん! 久しぶりだね! 僕のこと、覚えてる?」

 その少年は純真無垢な目でそう彼女に尋ねた。それは口では尋ねてはいるものの、内心彼女が自分のことを覚えているだろうという期待に満ちた眼差しであることは誰が見ても明らかだった。そしてそれはエイラも例外では無い。

「……えーとね。……うーっと」

 彼女は目をきょろきょろさせながら、必死に記憶から探ろうとしていた。そして、彼女は途中から諦めると、僕に目で助け舟を出せ、と言っていた。そこで、僕は彼女に耳打ちで教えてやった。

「……彼の名前は、デニーズ・ロイ・ホマックと言うんだ。いつぞや、彼は君に飴をくれたじゃないか」

 僕は即興で考えた、ファーストフード店の名前を安直につなげただけの名前を言った。すると、彼女はグーサインを見せて、ありがと、といって、その少年のほうに向きかえるときわめて優しい声音で、

「お姉ちゃんは君のことしっかり覚えているよ。ほら、君、私に飴くれたでしょ。市場で」

 どうやら場所を言えたと言うことは、話しているうちに思い出してきたのかもしれない。

「うん!ちょっと、お兄ちゃんが耳打ちしていたのは気になるけど……僕の名前は言える?」

 ここで、デニーズ君というか、もしくは正しい彼の名前を言うかどうか。彼女は僕が見守る中言った。

「もちろん、君の名前はデス(・・)君、だよね!」

 胸を張って言う彼女は見ていて痛々しい。彼女は僕の予想を超える珍回答を果たして見せた。海から吹いた潮風は彼女とその少年の間を通り過ぎて、香ばしい匂いだけを残していった。

「……おねぇちゃん、僕の名前は、ヘス、だよ?今、デス、って言わなかった?」

 ヘスは恐る恐るといった様子で彼女を見た。案の定彼女は固まったまま、赤面し、僕の顔を殴りつけたあと、

「ヘス君って言おうとしたら噛んじゃったのよ。誰だってあるでしょ。そういうことくらい、ね?」

 彼女は笑顔を表面に貼り付けてそう言った。その笑顔の下に隠された物を感じ取ったのかヘスは頭を何度も縦に振って彼女に了承の意を示した。

「ところで、おねぇちゃんたちが何でこんなところに来ているの?」

「お姉ちゃんたちは今、センキョ、っていうのを、やっていてね。それに勝つために各地で演説をしているの」

「へぇ、センキョ、って何?」

 これには彼女の代わりに僕が答えた。

「この国で一番偉い人を決めることだよ。この国の皆がいいなと思った人に投票して、一番皆から信頼を勝ち得た人が勝つんだ」

「へぇ。じゃあ、僕はおねえちゃんに、いれたいなぁ……」

「嬉しいこと言ってくれるじゃない。全く」

 そう言って彼女はヘスの頭を、くしゃくしゃと撫でた。彼は一瞬気持ちよさそうにしたがすぐに後方にいる兵士の事をちらりと見て彼は自分からエイラの手を離れた。

「でも、僕はおねぇちゃんにトウヒョウすることは出来ないんだ。ごめんね」

 彼はそう言ってとても申し訳なさそうにした。

「どうしてかな?おねえちゃんに教えてくれない?」

 彼はつぎはぎだらけの服の裾を強く掴み、小さい子がする目とは思えない澱み切った目、何か達観したような目で

「教皇様の命令でね、僕たち修道院付属の孤児院で食べさせてもらっている孤児たちは、本国であるリッツ国に帰らなくちゃいけないんだって。僕たちは、養ってもらっているから、僕たちのイシとかケンリは無視されるんだって」

 彼は、さらに続けた。

「本国だなんて、まったくめちゃくちゃだよね。僕の生まれはリッツ国なんかじゃない。誰に何と言われようとこのレンテンマルク国なのに、僕たちのイシやケンリは認められていないから、そう言うだけで反抗するな、って言われて、たくさんの大人の人たちに暴力を振るわれたり、ひどいと、僕の友達は銃で撃ち殺されちゃた。だから僕は、怖くて刃向かえないんだ。殴られるのも、殺されるのも、ね」

 僕は宗教の闇を見た気がした。彼が言っていた彼の信仰する宗教の理念、笑顔が一番、は、まったく守られてなんかいない。それはただの理想という名の隠れ蓑に過ぎず、その内実は、大人たちのエゴイズムだった。

 ただ、だからといって今僕たちがリッツ教皇国をはじめとした宗教勢力に感情に任せたまま戦争を吹っかけることはできない。なぜなら、国内にもその宗教勢力は存在しており、彼らを敵に回すことは選挙を不利にするので得策ではないことや、今の国家予算の程度や軍事力から鑑みるに天授連邦相手で精一杯だというのに、ここで、さらに敵を増やしたら戦争は目も当てられない程の傷を残しながらの敗北は目に見えているからだ。

 彼女も重々承知しているようで、感情を押し殺し、ピンク色の唇をきつく噛み締めていた。

 そして僕たちの間に沈黙が流れているうちに、痺れを切らした兵士がヘスをとっちめて船に乗るよう怒鳴った。彼はごめんなさいと謝ると、

「じゃあ、おねえちゃん。僕はもう行くけど最後に聞きたい。また僕たちは会えるかな?」

 息せき切らず彼女は答えた。

「会えるわよ!私が総統になってこの国を強くしたらリッツ国なんてぼこぼこにしてやる。そしたらあんたたちを解放して好きな所に住まわせてあげるわよ。この私の権力で。だから心配なんかしなくていい。今だけの辛抱だから」

 ヘスを船に乗るよう追い立てる兵士は眉間に皺を寄せて彼女を見やった。それとは対照的にヘスは入り口の前、ちょうど姿が見えなくなる手前で、ふっと笑って、楽しみにしているからね、おねえちゃん、とだけ言うとそのまま船へ駆け込んでしまった。その後わずかにもたたぬうちに船は僕とエイラの二人の見送りによって荘厳に海を掻き分けながら、遠くリッツ教皇国の地を目指して出港していった。

 ポーという蒸気の音が、冬の空に響き渡り、やけに哀愁溢れるように聞こえた。


 選挙開始からちょうど十五日が経ち、僕たちは農業省領地の中核都市、ヘイムレスを訪れていた。ここまで五日間農業省陣営の各地を演説して回ったがどこも、反応は悪かった。

 聴衆のほとんどは、雪を掬い取るためのシャベルのような農具を肩に担ぎ、頭に布を巻いた農夫や泥だらけの化粧が全くなされていない肥った農婦だ。それが老若男女関わらず、集まり、僕やエイラの演説に耳を傾けてくれてはいたが、その返答は陸軍省のときのような拍手ではなく、沈黙だった。

 それを五日、繰返しているにも関わらず、僕の心が折れていないのは、移動中にこの雄大な自然を眺めているうちに心が休まるからであった。

 陸軍省とここを隔てる、障壁となっている山を背景にその裾野から田や畑が広がる。西に面する海に流れ込む一本の短い川から引いてきているという農業用水が、雪の積もる田んぼに流れ込み、うまいこと雪を溶かしていた。田んぼには何も植えられてはおらず、今の時期農夫は皆、家で編み物を作ったり、炭鉱で働くのが主流らしい。

 ほとんどが木で出来た掘っ立て小屋ばかりで、たまに木で出来た趣のある家が見られるが、それらも風が吹くたびに中に隙間風が入って、建物自体が揺れるのがどうも心許なかった。

 訪れてきた都市はほとんどが、どこも拙い軍備ばかりがなされていた。木で出来た環濠やその周りの堀、中に入れば、寂れた商店と軍人以外は人っ子一人いない、閑散とした道路。そしてコンクリートで作られた軍事基地。その中でも、ヘイムレスは、特に防衛の面で頭角を見せていた。

 まず軍事基地の規模が違う。二階建ての基地ではなく、日本の城のような壮大な城郭。ヘイムレス自体は山であり、言うなれば山城の城塞都市であった。漆喰の、姫路城のような白塗りの壁で囲まれ、その外部には地形を利用した、塹壕や高く聳える見張り台などがあり、そこでは、兵士が絶えず訓練を行っていた。

 内部には住居をはじめ、商店街など人でごった返しになっていた。敵に気付かれないように馬を出す、馬出や、城壁で分けられた住居空間の郭、その郭と郭の間を通した川にかかる土橋など、日本の城特有の構造が見て取れた。

 農業省の防衛システムは、北部の雑多拠点組と南部の本格拠点組に分かれており、このような城郭は、ここをはじめとして南部には三つ存在するらしい。それぞれの周りには都市レベルで、防衛拠点が偏在し、お互いに連絡を取り合って、スムーズに兵力の移動を行うらしい。そしてこのヘイムレスは、中央に存在する最大の城として管制塔の役割を果たしているらしい。

 なぜ今、僕がこんな話をしたかといえば僕たちは、このヘイムレスを管理する、農業省役人、ラインセル・クロウ氏に、時間も遅くなり、宿を探しているところ、わざわざ泊まってください、と彼の館に招待していただいたからだった。

「いやはや、エイラ様、ヤクモ殿、ここまでの長旅、ご苦労様です。ただいま召使に料理を持ってこさせますのでどうかおくつろぎください」

 彼は、そう言ってから、どかっと主人らしくその場に座り込んだ。彼が言った通り、すぐにお膳に乗せられた豪勢な料理が運ばれてきて、僕たちの目の前に並べられた。

 僕はがつがつと女の子なのに意地汚く食べるエイラを尻目に、食事に舌鼓を打ちつつ、目の前に座るラインセル氏に話しかけた。

「今日は、どうも僕たちを泊めていただいてありがとうございます。ラインセルさん」

「いえいえ。そんな畏まらないで下さい。このあたりの宿だと衛生もあまりよくないですし、食事も貧相ゆえ長旅の疲れが全然取れませんでしょうからな。それだったら、このような家でもまだ他よりはましと思い、招待させて頂いたのですよ」

「いやいや、ましだなんてそんな、こんな立派な館に泊めて頂いて僕たち一同本当に疲れが取れますよ」

 実際五日間、泊まった宿はどこもその都市で最も高級であると言っておきながら、虫や小動物はわんさか出るし、ご飯は。食器はそのほとんどが割れていて、そこから見たことも無い黒いぬめっとしたものや赤いものがだらしなく出ているし、といった状況で、最悪の環境だったのだ。

 それに比べてラインセル氏の館は皿もセンスのいい白瑠璃椀に、うまい分量で乗っていて見目もいいし、何より味も良かった。そして部屋の広さもとても快適で、僕たち3人がいても全然事足りるくらい。

 僕は料理に手を伸ばしつつ給仕の人に、注いで貰ったお酒を飲み、愉快愉快とのたまう彼に尋ねた。

「ところで、ラインセルさん。どうしてこのヘイムレスは、こんなにも、軍備化がなされた拠点なんですか?」

 農業省は、反戦を旨としているはず。これまで見てきた大方の都市は確かに自衛程度の戦力しか有していない。木で作られた環濠や、その周囲を覆うV字型に掘られた深い堀、加えて木で出来た程度の物見やぐら、これでは弥生時代の村レベルの戦力であり、相手は銃に戦車といった近代的な兵器を持つ国なので、厳しいことを言えば自衛にすらなっていない。一日で陥落されるだろう。

 ここ、ヘイムレスはそれらとは段違いに攻撃的性格を持っており、決して平和論者が作ったものとは言えなかった。

 木と金属で作られた重厚な門、そしてその横部には山の斜面をを丘陵状に切り崩し、物見やぐらや、高い城壁が作られている。しかもその城壁には四角く穴が開けられ、そこから、城門手前の大手に対してカノン砲、六門が、城門を軸として左右対称に並べられ、その砲口が突き出していた。

 また、城門の外側には狙撃兵が配備された切岸が上下2段に切り出されており、前面には土が高く積み上げられ、そこを囲むように立てられた木柵では、歩兵隊が単発式銃を持っていわゆる三段戦法を行っており、銃弾や備蓄品などは、溝に置かれていた。

 他にも井戸や、脱出用の搦手口など用意周到に準備されており、要塞としてはかなりレベルが高かった。だが、だからこそ僕は疑問の覚えてこうして聞いたわけだ。

「その質問、どういう意味だね?」

 彼は顔を真っ赤にしながらもいたって冷静な声でそう聞いてきた。彼の急な豹変に僕はたじろぎながらも言い返す。

「どういう意味も何も、あなたは農業省側の人間ですよね。つまり平和論者であるはずなのに、こんなに軍備向上を図っているのは矛盾してませんか。そこを聞いているんです」

「……そういえば、あんた、何で私たちのこと泊めてくれたのよ。こいつの言うとおり、あんた農業省側の人間でしょ。私たちとあんたたちはとっても仲が悪いのに、こんなによくしてくれる意味が分からないわね」

 そう言ってエイラは一度止めた箸をまたせわしなく動き出し始めた。彼女の言っていることも僕の質問をより一層謎に深めさせるものとなった。

 ラインセル氏は僕たちのことを見やりながら、一つその出た腹を擦ると、

「……いやはや、お二人とも見事なものだ。さすがは先王様の娘様とその参謀といったところだな」

 彼はそう言ってガハハ、と豪快に笑った。

「どういうことです?」

「いや、どういうことも何も無い。私は君たちにある賭けを託そうと思っていてね。その腕試しとして、こういう質問が来るかどうかを待っていたんだ。良かった良かった」

 彼は給仕を呼んでもう一杯酒をもって来るように命令した。彼は僕とエイラの分も必要かどうか尋ねてきたが、物欲しそうにする彼女の代わりに、明日もあるので、と言って断った。

「その賭けとはなんですか?ラインセルさん」

 お酒よりもそのことが一番気になる。この際、まだ食べる手が止まらないエイラはもう無視しておくこととしよう。

 彼は酒が運び込まれてくるまで押し黙った。そして酒が目の前に置かれるや否や、自分の手でかわらけに注ぎ、一口で飲み干すとまた注ぎ直し、今度はちびちび飲みながら、こう切り出した。

「……君は何か勘違いしているようなので前もって言っておくが、私は決して平和論者などではない。それどころか戦争論者だ」

 その一言が僕にとっては衝撃的だった。彼は僕に構わず続ける。

「現農業省内部は、私をはじめとした現体制不満派と天授連邦傀儡の議員で構成された現体制保守派の二つに分かれている」

 彼は苦々しそうに顔を歪めた。それは彼の赤ら顔とあいまって本当の赤鬼のようであった。

「どういうことです? 天授連邦の傀儡と言うのは?」

 彼は、酒を全て飲み干し、かわらけをご膳の上にバン、と叩きつけてから怒鳴るように言った。

「やつらは十年前の戦争で、戦時中、天授連邦に食料の供給などで協力した裏切り者の連中だ。敗戦後、西部地域は天授連邦の改革により、農業省として分離され、かつそれまで、自由に土地を耕し、政府にある程度の土地税を納める以外は自由に税搾取が行えた貴族荘園制から全てが決められた地主分割制に変えられちまった! そのせいで私をはじめとした貴族組は皆、農民成り上がりと同じ地主に格下げさせられ、しかも領地は制定され、余剰分は全て没収。さらに天授連邦に加担した側の十人の地主は水の便が良い北部と海に面した西部を独占し、私たち旧貴族の地主は皆、内陸部もしくは南部に領地を与えられた。そして、しまいには奴ら、試験的意味で農業省にだけ自分たちと同じ通貨を流入させやがった」

「それは、国議会で糾弾されなかったんですか?」

 そんなめちゃくちゃなことが行われていたら普通は、訴えられるだろう。試験的とはいえ、突然一部の地域だけ通貨を替えるなんて経済混乱が起きるに決まっている。しかもそれが一国の食料、民衆の生活を担うところなら、なおさら国家全体で食料流通が、まかり通らなくなる。

「あの時はまだ戦後一年しかたっていなくて、奴らの力が強かったのが大きい。加えて一応レマルクやイェーガーも使えたには使えたからな。そういわれれば議会側も何も言えなくなっていた」

「ということは、問題なのは……相場とかですか?」

 思いつくものはそれしかない。レマルクにしろ、天授連邦の紙幣にしろ相互が兌換通貨である以上その両方が一領域で使われたのなら起きる問題は二つの価値の均衡がうまくとれていないことだろう。僕がそう言うと彼は首を強く縦に振って

「そうだ、よくわかったな!その当時、相場は二百レマルクで天授連邦の紙幣一枚と交換だ。ちなみにその紙幣一枚ではせいぜい市場でパンが一個買えるレベルだ。めちゃくちゃだろう?」

 いつしか食べたスイルジャコタンが袋一杯に入ったやつが七レマルクだったから、日本円では計算出来無いけれども、大体三十倍近くの値段って訳だ。確かにそれはめちゃくちゃだ。

「しかも奴ら北部や西部では大量に紙幣発行し流通させ、南部や内陸部ではほとんど発行せず、俺たちはレマルクで換金せざるを得なかった。その結果は、物価は上昇、硬貨の金属の海外流出、それによる中小貴族の滅亡と領民の闘争と餓死だ。そこらへの道端に皮と骨だけの人間だとか、自分の赤子を殺してその肉を食べる母親なんかも見られたさ」

 いわゆる南部ではデフレが起きたと言うわけだった。しかし、今の話を聞けば北部や西部でも……。

「それだと北部や西部でも、インフレが起きますよね?」

「いんふれって、なんだそりゃ?よくわからん」

「インフレって言うのは、簡単に言えば、物価がとても安くなって、そのかわり皆の給料がとても安くなることですよ」

「なるほど。確かに北部ではそのいんふれ、というやつが起きていた。その結果失業率が上がってな。南部の領民で職を求めて北部に移住したやつがいたが、職にはありつけず、ありつけても貧しい生活は一向に改善されない。それで大方が盗みをやらかすか、傭兵となって人殺しを働くか、もしくは自分の娘や息子の臓器を売って、金を得るか、いずれかの破滅の道をたどったと聞く。そして二年だ。二年でやつらは、もうどうしようもない、と思ったのか私たちに自治を任せるといって軍隊と監視の目だけを残して俺たちの行政をボロボロにしたまま放り投げて逃げやがったんだ」

 それから彼は、あぁ、今でも奴らのことを思い出すだけではらわたが煮え繰りかえりそうになる、と歯を噛み締めながら言った。そして酒をあおった。

 確かに今までの話から、彼が天授連邦の連中を滅茶苦茶に憎んでいることはよく分かった。しかし、それでも冷遇されていたはずのラインセル氏をはじめとした旧貴族派の人間がなぜ、天授連邦の目が光る中、こんなあからさまな軍事化を行えたのか?その答えはすぐに彼の口から告げられた。

「五年前、そこの嬢ちゃんが、法律を提案してくれたおかげだよ」

 そして彼は僕の隣で僕の飯に箸を伸ばすエイラを指差した。

「ちょっと、何、僕の分、食べてんだよ!」

「仕方ないでしょ。お腹減ってんだから! というか、そんなことより、私のおかげってどういうこと?」

 全然そんな事じゃないのだが彼女の言うことも最もだった。

「おい、覚えてないのか?お前、自分で作った法律だろうが……。まぁ、いい。何かって言えば、自衛程度の戦力の所持を許す法律だよ」

 あぁ、確かいつぞや僕に自慢していたな。あの時は話半分で聞いていたけど、まさかこんなところで生きてくるとは。

「あれは、どこまでが自衛と言う明確な規定はなされていないからな。あれが施行されたおかげでこんな巨大要塞をつくったわけだ。これでおおよそわかっただろ?」

「えぇ、わかりました。ありがとうございます」

 僕は急いで残りを食べて、疲れを取るべく風呂にでも入りにいこうとすると

「で、まだ話は終わっていない。ここからが本題だ」

 彼は立ち上がった僕の、軍服を引っ張り、無理やり座らせると、自身も僕の目の前にどしっと腰を落とし、僕と彼しか聞こえないような小さな声で周りを気にしつつ言った。

「今でこそ、数年にわたる協議の末、北部から水を月に二度か三度、樽で貰っているものの、それでもやっとたいるくらいだ。それ以上貰いたくても川に行けば規則違反だといわれ、敵兵に銃殺される。だから南部の農民は誰一人として自分たちを苦しめている天授連邦の奴らのことを憎んでいる。私だけではなく、南部の人間皆が戦争を望んでいる。だから私たちはエイラ様に総統になって欲しいわけだが、今回のセンキョ、おそらく勝負は引き分けになるはず」

「どうして、ですか?」

「農業省の農民は皆、村八分されるのが怖いからだよ。だから皆その地区を治める領主の考えに従って投票するに違いない。加えて陸軍省、海軍省でも内部分裂は起きている」

 そして僕と彼はともにエイラを見やった。彼女はいつの間にか寝ていたため、僕は自分の軍服を脱いで彼女の上にそっとかけてやった。

「エイラ様が引き連れている議員はおそらく皆戦争推進派の人間ばかりだ。実際には陸軍省を統治する高官の数は四十人。戦争反対の高官はほぼ全員が戦争には従事しない文人官僚ばかりだ、と聞く。加えて海軍省は、長官があんなのだからな。地方行政は最悪らしく、彼女に従う気が無いものは半数に上るという。そう考えると、たぶん票数はうまいこと半数ずつに割れるに違いない。そこで私にある秘策がある。それは君じゃなきゃ出来ないことなのだが、聴きたいか?」

「それでエイラは、総統になれるんですか?」

「うまくやればな。失敗すれば、命の保障は無い」

 その言葉に僕は息を呑む。もし彼の言うことが正しければ選挙戦で勝利がつかなかった場合、相手はすぐに手を打ってくる。正直言って僕がそれに対応して勝利を物に出来るかといったらとても怪しい。

 隣でクークー、と寝息を立てる彼女を見た。彼女のさらさらの髪を優しくなでてやると彼女はむにゃむにゃと言いながら寝返りを打った。

 この世界の価値は、どこか手の届きそうな場所にある気がした。でも、それは近いのだけれど果てしなく遠くて、でも掴み取るためには怯える自分に鞭を打たなければいけない。

「……その賭け、乗ります」

 僕の声は自然と重くなっていた。今僕はスタートラインから一歩踏み出した気がした。



 それから十五日後演説を終え、エイラは一人で、国議会の入り口をくぐった。八雲とはラインセル氏の館で別れ、その後は彼女一人で各地遊説を敢行し、ついにこの日を迎えた。

 彼女はビロードの絨毯を一歩一歩どきどきしながら力強く踏みしめた。あと少し歩けば、そして扉を開けば結果が分かる。

 怖い。踏み出したくない。自分の努力が否定されることはとても怖い。

 でも踏み出さなきゃ始まらない。後戻りは出来ない。

 その二つの感情が心の中で渦巻きながら彼女の足は議事堂を閉める扉へと引き寄せられた。そうしていつの間にか長かったろうかは終焉を告げ、大きな扉の目の前に彼女はいた。

 彼女はこういうときになんであいつはいないのよ、全く使えないわね、と八雲の事を貶しつつ嘆息して、扉の取っ手に手をかけ、勢いよくそれを開けた。

 結果は――

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