その2
古からある宮殿・ジェーダには、実しやかに語られる不思議な噂がいくつかあった。
どんなに長い棒で突いても、底につかない枯れた井戸、
数えるたびに段数が増えてゆく王廟の階段に、
死者のすすり泣く声が聞こえる今は使われていない地下牢…
そして、そのうちのひとつに開かずの扉があった。
本宮と奥の宮とを繋ぐ廊下に、意識せねばあるとも分からないほど、存在感無く佇むこげ茶色の少し屈まねば入れない小さい扉。
それは、門外不出と言われる鍵がなければ、誰にも開ける事は出来ない。
ためしにドアノブを捻っても扉は微動だにしない。
まるで飾り物のように。
しかし、そこに鍵が無くても入れる者がいる。
神がおわする、ジェーダの主である、王の一族の者だけが―――
アンリエッタは走っていた。
奥の宮を越えた先にある、使用人用の宿舎に。
宿舎のぎしぎしと軋む階段を一気に駆け上がり、息を切らしながら1年後輩である女官と同室で暮らしている自室へたどり着く。
5畳ほどの部屋の端に置かれているベッドの脇にある、実家から持ってきた裁縫箱の二重になっている底を開ける。
中にはゴロゴロとした、
おおよそアンリエッタには似つかわしくない宝石類と共に一際異質なものがあった。
銀色に鈍く光る、小さなトパーズのような黄色みがかった石のはめこまれた、そしてそれ以外には何も装飾が施されていない大ぶりの鍵が入っていた。
迷わずアンリエッタはその鍵を掴み取る。
そして掌の中にそれを押し込めておそるおそる部屋を出る。
『…花園の鍵。殿下が渡してくださった、この国に1つしかないもの。』
アンリエッタは後生大事に抱くその鍵を渡された時の事を思い出していた。
―――それはいつものようにアンリエッタが朝、問答無用でジェイドをたたき起こした時のことだった。
「でーんーかー!!早く起きてください!朝議に間に合わなくなりますよ!」
「…んー…朝議なんて、食べても美味しくない。」
「そんなもの食べられるわけ無いじゃないですかっ!!」
いつものようにアンリエッタはジェイドが猫のように包まっている上掛けを引っ張って床に引きずり落とそうと手を伸ばす。
しかし、いつもと違ってこの時ばかりは布団の中からふと手が伸びてきた。
「あ、わっああああ…!」
アンリエッタは伸びてきた手をかわした拍子にバランスを崩して、思いがけずジェイドの布団にダイブした。
しっかりとスプリングの利いたジェイドのベッドの、
シーツをアイロンで伸ばす時にリネン係が吹き付ける、
ラベンダーの香油の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
『い、今すぐ寝たい…』
その日夜勤明けで、ジェイドの朝の叩き起こしが終われば、
すぐさま自室に戻って寝たいと思っていたアンリエッタには至福の状況だった。
手放したくない感触にいつまでも包まれていたかったアンリエッタだったが、
このままジェイドのベッドで寝てしまえば、主人のベッドでおおいきびをかく女官として失格である。
誘惑に必死で抗いながらも顔を上げると、ニコニコと頬杖をついてアンリエッタがベッドを堪能していた様子を仔細に見ていたらしいジェイドの顔が、すぐ間近の真ん前にあった。
「で、殿下…」
「気持ちよさそうだね。ここで寝たらどうかな?」
「だ、誰が寝るものですか。殿下に倒されたからこうやって伸びてただけですよ。」
「でも、眠いんだろう?顔にはっきりと書いてあるからな。」
「うっ…」
図星を指される。確かに眠い。そしてこの心地よさを手放したくない。
けれどこんな変態王子様といえども主人は主人。そして王族だ。
この王子が一度アンリエッタに対して不敬罪だと唱えれば、即刻処刑される。それほどまでに、彼は権力をもった雲の上の存在だった。
「お言葉に甘えるわけには行きませんので、今から自室に戻ります。
殿下は私がいなくてもさっさと御朝食をお召し上がりになって、ちゃんと朝議にも御出席してくださいませ。」
そう言ってベッドから立ち上がろうとするが、再度腕を引っ張られ、フカフカのベッドに再度倒される。
今度は真上からアンリエッタはジェイドに覗かれる体勢になった。
アンリエッタは、睡眠妨害に対する非難を込めてギロリとジェイドに向ける。
「殿下、お遊びはおやめになってください。
もしかして、…よもやお誘いになってるんですか、わたしを。」
「かもしれないな。」
「…ならお止めになった方が賢明かと。
生憎わたしは今すぐ3秒で寝れる自信があるくらいの睡魔に襲われています。
殿下があれやこれやなさりたいとお思いでも、
わたしはこのベッドでグースカグースカ女とは思えない寝息を立てているでしょう。
きっとお楽しみにはなれないですわね。」
至極真面目にアンリエッタは正論を唱えた。しかし『女官食いの王子様』はそれを聞いてぷふっと噴き出した。
「…アンは本当にお堅いね。あと睡眠欲にバカ正直だ。」
「悪いのですか?殿下も性欲に御正直だとわたしは存じ上げてますが、それよりはいくらかマシかと。」
「うぐっ…」
図星を指されたのかジェイドは押しだまる。
しかし、どうもお遊びでこんなことをしているようには考えられなかったので、真面目に質問をぶつけた。
「それで、殿下、御用はなんでしょうか?
きっとお誘いになってるわけではないんでしょう、本題を早く仰って下さいまし。」
「アンの頭の回りっぷりは本当にイヤになるなあ…」
「そんなこといってないで早く。」
「…仕方ないなあ。」
そう呟いてからジェイドはベッドからすばやく降りて、飴色に輝いたチェストの中から明らかに女性が持つべき宝石箱を取り出してきた。
そして何処からか出してきた鍵をその箱の鍵穴に差込み、カチリと開錠する。
何十にも折り重なった段に置かれている、一目で超高級、国宝モノとわかるような
装飾類には一切目もくれず、ジェイドは一番底に隠してあった大ぶりな鍵を手に取った。
銀色に光る鍵には、特に装飾はついていない。
あるいといえば、手でつまむ箇所にトパーズのような黄色い石がはめこまれているだけ。
鍵自体もそんなに複雑な仕掛けがしてあるわけではないようだ。
アンリエッタは、ベッドの上で起き上がってジェイドの一連の動作を見ていた。
「これは見てのとおり何の変哲も無い鍵だ。
価値があるといえば、嵌め込まれているこの石ぐらいだが、鑑定士曰く大した値段はつかないらしい。
そのへんのガラス玉とほとんどかわらないそうだ。」
「その鍵はどこの鍵ですか?けれど、そんなに大きな鍵穴が必要な扉なんて…」
「何処というと、君も知っていると思うが例の開かずの扉の鍵だ。」
「開かずのって…あの、本宮に続く渡り廊下にある?!」
「ああ。」
アンリエッタは驚いた。まさかあそこの鍵をこの王子が持っているなどとは…
「あそこの鍵は、2つあるといわれている。
ひとつは王位継承時の神器だ。
ゴテゴテなまでに宝石がつけられていて、厳重に秘匿・管理されている。
儀式の時以外に、陛下ですら拝むことができない門外不出の代物だ。
そういうわけで、神器の鍵が本当に開かずの間の鍵かどうかは定かじゃない。
神器のほうはレプリカだという説もあるぐらいだ。
その上、この鍵を複製することは誰にもできない。
つまり、誰にも手が触れられない神器を除けば、現時点でこれ以外に鍵はない。」
「どうしてなのですか?」
王子はにやりと笑った。
「魔法だよ。」
「ま、魔法?!」
一瞬アンリエッタは耳を疑った。この国で、魔法―――?
呆然としているアンリエッタを尻目にジェイドは言葉を続けた。
「正真正銘の魔法と呼べるかは分からないが、確かにあの部屋は入れる者を選ぶ。
君も知ってるかもしれないが、あの部屋は王家の血が濃い者にのみ開かれる。
昔はあの部屋を使って、王の血の正当性を図っていたこともあるらしい。
そして王族の者以外にはこの鍵で開く以外に方法は無い
そして、どんな有能な鍵職人が型を取ってもなぜか合い鍵は作れない。
だからいつの間にか開かずの扉と呼ばれるようになった。」
「なら、どうして殿下のような王家の方にしか開かれないのですか?」
「それはなんともいえないが…あの部屋の向こうはなんと呼ばれているか知っているか?」
「いえ。」
「あの部屋の向こうは、庭なんだ。」
「庭?」
アンリエッタはさらに驚いた。
あの、扉の向こうにあると思われるスペースは、本宮と奥の宮が取り囲むところで、
きっと小さなスペースがあるだろうと思っていたが、どこからもそこは覗くことができず、
陽が差しているかも定かではなかった。
「でも、今までそんな場所があるなんて…」
「それも、魔法さ。」
なんでもないことのようにジェイドは言い切る。あまりに非現実的なのに、さも、当たり前のように。
「此処は昔、大神殿だったといわれる。
そのときの名残のように今もあちこちに怪談話が残っているし、
理屈では説明できない現象も目撃されている。
開かずの扉の向こうの世界が庭だとしても、俺は不思議には思わない。」
ジェイドはそう言って、アンリエッタに手を差し出すように身振りする。
なんのことだかわからないながらも、アンリエッタは手を差し出すと
ポトンと開かずの扉の鍵を落とされる。アンリエッタは悲鳴を上げそうになった。
「な、ななななな、何をなさるんですか…!!!」
「これ、あげる。」
「こ、これって、現状1つしかない鍵なんでしょう!?いいんですか!?」
「うん、いい。どうせ俺は鍵が無くても開けられるからな。」
「で、でも…」
「いいんだ、これで。」
真摯な瞳でアンリエッタは見つめられる。そしてジェイドはアンリエッタに強く約束させた。
「アンはあの部屋を口外するような人間じゃないと思うからこれを渡す。
もし、あの庭に俺が入った時、アンが見つけに来てくれ。
【王の花園】には、アンが入ってきて欲しい。いいな?」
なにがなんだかわからなかったが、常にない真剣なジェイドに気おされて、アンリエッタは頷く以外他に無かった。
――そしてジェイドが花園に逃げ込んだ今、アンリエッタは、本宮と奥の宮とを繋ぐ廊下の丁度真ん中辺りにそのチョコレート色した、小さな扉の前にいた。
真鍮で出来たドアノブは年月を経ているのが分かる程度に黒ずんでいる。
おそるおそるそのドアノブの下についているそれにしては大きいサイズの鍵穴に、今まさにとってきたばかりの鍵を差し込んだ。
―――ガチャリと、鍵が回る。
鍵穴から鍵を引き抜き、アンリエッタはドアノブに手を掛ける。誰も開ける事が出来ない開かずの扉。
『ええい、なんとでもなれ!』
アンリエッタはその扉のドアノブを一思いに回した。
突然のファンタジー要素ですいません。
まぁ、ぬるファンタジーなので、逆に怒られそうですが…orz
個人的には、この世界の戸籍制度どうなってるんだろう?とか、
医療技術はどのくらいかなーとか、そういうことを考える方が好きなんですが、
まー戸籍制度も医療性技術も書く場面ないわねー。(ぇー)
医療技術ぐらいなら、切った貼ったぐらいはありそうですが、戸籍制度を語るような場面がこれから出るのか自分でも謎です…
あとは宗教ですかねえ~。
宗教何それ美味しいのと言う典型的な日本人ですので、やっぱりあんまり宗教も深く突っ込めないんですよねえ…
きっと一神教だとは思うんですけど~。