Ep.1 困惑のシンデレラ
1,2か月で完結まで持ち込みたいと思っています。
お付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします。
「ユリィ=フェニアートですね」
「……はい」
穏やかな昼下がり、王立学園高等部のとある教室の前で。
きらびやかな正装に包まれた王室付き士官にひざまずかれて、少女は困惑していた。
「貴女は予言の花嫁に選ばれました。直ちに王城にお連れいたします。」
園を讃える赤羽の妖精
悠久の徒となりて花を咲かす
英知の砦の頂に立ちて
注ぐ光を太陽に還す
Ep.1 困惑のシンデレラ
お連れいたします、との言葉通り、あれよあれよと言う間に学園を離れ、ユリィは今、王城の豪華な一室に一人座らされていた。
初めて訪れた白亜の城。深緑色の制服姿のユリィは、自分がひどく場違いなところに居ると自覚して、身を固くしていた。
なすすべもなくここまで連れてこられてしまったが、ユリィ自身、なぜこんなことになったのか、まだ頭も心もついてきていなかった。
予言の花嫁。
ユリィを迎えに来たという王室士官の無愛想な男はそう言った。
貴女は予言の花嫁に選ばれました、と。学友たちの前で、ユリィに面と向かって。
あの眩暈のするような昼下がりの出来事を思い返し、ユリィは本当に眩暈がした。
大変なことに巻き込まれてしまった。ユリィの感想はその一言に尽きた。
ここ、ウルベラ王国に住む者で、「予言の花嫁」という言葉を知らない者はいないだろう。
数百年続く王家の伝統で、王子の花嫁は王室付き予言者の予言によって選ぶというものだ。その花嫁を「予言の花嫁」と呼ぶ。
その予言というものがどのようなものなのか一般市民であるユリィには知る由もないが、その予言のおかげか、今日まで平和に王家が続いていることを思えば、おろそかにするわけにもいかない。
何より、国民全体に花嫁の選定方法が知らされているのは、予言で選ばれる花嫁は貴族平民問わないという理由からであった。
つまり、どんな貧しい家の娘でも、予言によって王子の花嫁に選ばれる可能性があるのである。
そのため、ウルベラ王国に生まれた女性は誰もが競って自分を磨き、庶民でも礼儀作法やダンスを習いたがる。おかげで国内の女性たちは誰もかれもが、いつまで経っても美しい。
すべてはいつの日か、「予言の花嫁」として王城に上がるため。
しかし、夢見がちな少女たちの夢はともかく、王子は数十年に一人しか現れない。「予言の花嫁」に選ばれる可能性など、現実問題皆無に等しいのだ。
夢を見るのも自由なら、さっさと諦めて堅実に生きようとするのも自由であって、ユリィ=フェニアートは早くから後者の生き方を決め込んだ少女のうちの一人だった。
これほど選ばれる可能性が低いことをわかっていながら、内実ユリィのように堅実に生きていこうとする少女は少ない。
特にユリィの年代は、ほぼ同時期に王子が生まれていたこともあって、少女たちは誰もが熱烈に、必ず自らの上に至高の幸福が訪れると信じて、自分磨きに余念がなかった。
女性たちは中等義務教育を終えれば美容や社交に精を出す。学問の追求や労働はもっぱら男性の仕事で、それが許されているのは、ウルベラ王国が、それでも成り立っているくらいには恵まれた、健全な王国であるという証でもあった。
ユリィが通っていた王立学園高等部でも女子生徒はごく稀な存在で、その中でもユリィは努力の甲斐あり、常にトップクラスの学力を誇っていた。
すべては堅実な人生のため。そして心に秘めた目標のため。
それなのに、今日までそうして生きてきたユリィの人生は、ここにきてあっさりと崩壊してしまったのだった。
コンコン、と控えめにノックの音が響く。
「は、はいっ」
ふかふかのソファ、信じられないほど広い部屋、高級そうな家具に囲まれて、ただでさえ緊張していたユリィは、突然のノックに心臓が裏返るほど驚き、そのまま声を裏返らせた。
「失礼いたします」
断りとともに大きな両開きの扉から姿を現したのは、さきほどユリィを学園に迎えに来た王室付き士官の男。銀糸で繕った重そうなジャケットは士官の制服だろうか。黒髪の間から鋭い眼をのぞかせて、その眼でユリィをまっすぐに見つめていた。
王家の紋章入りの書状を見せられなければ、ユリィは決して、こんなに眼付きの悪い男にはついて行かなかっただろうと思う。
まるでユリィを見定めるように見つめた男は、続いて入ってこようとしている誰かのために扉を支えた。足音は毛の長い絨毯に飲み込まれて聞こえてこないが、ユリィは心持ち背筋を伸ばして耳を澄ませた。
「……お前がユリィ=フェニアートか」
(お前ぇえ?)
相手の第一声に、気付かれないように眉を吊り上げながら、ユリィは奥まで入ってきた人物を座ったまま見上げた。
高くもなく低くもない、澄んだアルトテナーな声の主は、どうもユリィと同い年くらいの少年だった。
さらさらとした茶色の髪に王家特有の濃いトパーズ色の瞳。黒髪の男より一層飾りの多い服の胸元には、王家の紋章が縫いこまれている。
優れた為政者として名高い現国王オービス=ジルシッド=ウルベラの面影を残す凛とした表情、まっすぐに自分を見据える視線に、ユリィは眼を奪われた。
ウルベラ王国第一王子、オルガノ=ジャンパート=ウルベラ様に他ならなかった。
庶民のユリィが王族に見える機会はほとんどないが、「王室会報」は国内の女性たちの大半が読んでいる人気雑誌だ。ユリィ自身が買わずともそこら中に溢れていたし、十七歳で行われる花嫁選びを目前に控える王子の姿はもちろん掲載されていた。
はなから予言の花嫁に興味の無かったユリィは特別礼儀作法を学んだことはなかったが、王族を前にして一応立ちあがり、正面で立ち止まった王子様に向かって丁重に腰を折った。
「……ユリィ=フェニアートと申します、殿下」
殿下、と呼ばれ満足したのか、少年は途端に表情を崩し、ふん、と息をつき、横柄な態度でユリィに腰掛けるよう促した。そして自分も正面のソファに腰を下ろした。
(……これが“女の子なら誰もが憧れる紳士”オルガノ様? 自分は名乗りもしないで座ってしまうなんて、紳士が聞いて呆れるわ)
この一連の動きで、王子に対するユリィの評価は定まった。
人並み以下の知識とはいえ、王子に対する世間の評価は耳にしていたユリィである。城下町に暮らし、異常なまでに王子へ熱を上げている女性たちを間近で目にしてきた身としては、彼女らに教えてあげたいくらいだ。
オルガノ王子は、ただのふてぶてしいガキですよ、と。
ソファにふんぞり返ったオルガノ王子は、腕を組み脚を組み、一向に口を開こうとしない。王子の後ろに立った黒髪の男性が、どこか困ったように眉を下げたのを見て、ユリィは急に彼が気の毒になった。
元来勝気で、正義感の強いユリィである。王子という身分に甘やかされているオルガノにはこの一瞬のうちに憤懣が募り、苦労の滲む後ろの男性にはささやかな同情心を抱いた。
ユリィが見守る中、男は小さくため息をついてユリィに申し訳なさそうに目礼すると、王子に声をかけた。
「殿下、ユリィ様の前です。きちんとなさってください。生涯の伴侶となる方に名乗りもしないとは、王家の恥ですよ」
やれやれという声音でたしなめる男に、王子は憮然と顔をしかめたものの、妥当な指摘に納得してしぶしぶ居住まいを正した。ユリィからすれば、それでも気に食わないくらいである。
「……うるさい、セドリック」
セドリックというのが後ろの王室士官殿の名前のようで、彼はさしずめ王子のお目付け役といったところか。王子の態度がこの歳でこれならきっと苦労してきたことだろう。自分の置かれた状況はひとまず置いておいて、ユリィはセドリックに対してさらに同情心が深まった。
ようやく居住まいを正し、ユリィを正眼で見据えた王子は、どこか気まずげに視線をそらし、それからきちんと顔をあげて名乗りを上げた。
「ウルベラ王国第一王子、オルガノ=ジャンパート=ウルベラだ。ユリィ=フェニアート、お前は俺の予言の花嫁に選ばれた」
ここまで毅然と言い切った後、小さな声で「……らしい」と付け足した。一瞬だけ、その威厳に感動しかけたユリィとしては、最後の付け足しが残念でならない。
(男ならしゃきっとしなさいよ!)
口には出さずに喝を入れつつ、ユリィはまだ信じられないでいる自分の身の上の出来事を問い直した。
「あの、……殿下、確かにわたしはユリィ=フェニアートです。ですが、本当にわたしが殿下の予言の花嫁なのですか?」
「……信じられないと?」
どこか憮然とした態度は崩さないままのオルガノにじろりと見つめられ、ユリィはとても居心地の悪い思いをした。女性に、しかもこんな場所に突然連れてこられた女性に対して、この態度はないだろうと内心毒づく。
「はい……。突然のことでしたし、何がなんだかわからないというのが正直な思いです。……ま、間違いということは……」
「予言からお前を割り出したのは俺ではなく執務庁の人間だ。俺では判断がつかない」
「オルガノ様」
そっけない物言いに、セドリックが忠言する。
ここでなら事の経緯がきちんと説明されると期待していたが、このままだと本当に期待で終わってしまいそうだ。
助けを求めるようにセドリックを見上げると、その鋭い眼光を和らげ、何か促すようにオルガノの肩を叩いてくれた。セドリックはオルガノの兄のような存在なのかもしれない。
セドリックに促され、一度渋面を作ったオルガノは、ユリィの顔を一瞥し、そこにまだ不安がありありと浮かんでいるのを見てとったからか、ぽつりぽつりと口を開いた。
「園を讃える赤羽の妖精」
「え?」
声を上げたユリィに視線で待つように諭し、オルガノは続けた。
「園を讃える赤羽の妖精
悠久の徒となりて花を咲かす
英知の砦の頂に立ちて
注ぐ光を太陽に還す」
朗々とした声で暗唱されたその詩の意味をわかりかねて、ユリィは首をかしげた。
古典の時間に古い詩はいくつも習ったが、今王子が諳んじた詩は初めて聞いた。
「……これが俺の予言だ」
「予言? 予言は詩なのですか?」
「さあな。俺に下された予言はこうだった。この詩を執務庁の役人たちが読み解いて、お前に行き着いたらしい」
「わたしに、行き着いた……?」
まだ理解しかねるユリィの呟きに、オルガノは仕方ないという顔で説明してくれた。
「“園を讃える”は園を王城になぞらえて“城下”、“赤羽”は赤毛。“悠久の徒となりて花を咲かす”は長く王家を繁栄させるという意味で、“英知の砦”は“王立学園”、“頂”はそのトップってことで、最後の一連も王家の繁栄を意味するだろうと」
「つまり、城下に住む赤毛の女性で、この国の最高教育機関である王立高等学校のトップに君臨する女性、執務庁はこの予言をそう解釈して、貴女にたどり着いたのです、ユリィ様」
セドリックの補足によりなんとなく理解はできた。「ユリィ様」という呼び名に途方もなく違和感を覚えるが、今はそれも仕方ない。
「でも……」
「とにかく、予言の花嫁はお前ということになった。実際の予言がどうであろうとそれは決定事項だから」
気だるそうな物言いでそう言い切ったオルガノに、ユリィはそれ以上聞くことができなかった。
そしてオルガノは立ちあがった。口元にうっすらといたずらな笑みをたたえて。
「……それと、今日からお前はここで暮らすことになるから」
「はぁっ!!??」
ぽんと投げられた爆弾発言に、王族の前という仮面をかなぐり捨ててユリィは声を上げた。
「花嫁の正式な発表は俺の十八の誕生日。それまでの約半年で、お前にはお妃教育が施されることになっている。城に住み込みになるのは当然だ」
「なっ……!」
「部屋はもう用意されているみたいだから、じき迎えが来るだろう。学校にも家にも連絡はいくから安心しろ」
「ちょっと……っ、そんな……!」
「精々頑張れ」
そっけなく言われた一言を最後に背を向けてしまったオルガノは、それ以上語ることなく部屋を出てしまった。仕方ないと首を振りながらセドリックもそのあとに続いた。
ぱたんと無情な音とともに扉が閉まると、ユリィは部屋に一人取り残された。
力が抜け、いつの間にか立ちあがっていたユリィはソファに落ちた。やわらかなソファはユリィを優しく抱きとめ……てはくれず、ぱふんと何度か跳ね返されて、やがて落ち着いた。
「……どうしろっていうのよ……もう……」




