第一話 新しい英雄
新たな『英雄』が誕生してから一年。
帝都には英雄の銅像が建てられた。右手には一本の剣を手にしており、左手は腰に添えている。
よくある、英雄の像そのものだった。
街の人々は毎日、新しい英雄の話をしている。
「隣町で信徒が暴れていたところを、死に物狂いでやっつけたらしい」
「剣も魔法も上手く扱えないのに、勇敢に立ち向かったんだと」
「何も持っていなくとも、立ち向かう精神が『英雄』なんだ」
「『ニセモノ』の英雄とはまるで違う。カイト様は『ホンモノ』の英雄だよ」
ベッドから上体を起こし、窓の外を見つめていた。
何分間こうしているか分からない。
視界の半分が黒に覆われながらも、外の景色は瞳に美しく映る。
だが、あの銅像だけは美しい帝都を汚しているようにしか思えない。
久しぶりに自分の中で、感情が動くのが分かった。
「ヘクトル、起きていたのだね……彼らの言葉を気にする必要は無いよ」
優しい口調で話しかけてくる赤髪の男。
いつの間にか扉を開いていたらしく、「ノックはしたのだが……」と申し訳なさそうに話している。
手には盆を持っており、パン、スープ、ミルクとスプーンが並べてあった。
「朝食を持ってきたんだ。体調が優れているのであれば少しだけでもどうかな? 温かいうちに食べたほうが、きっと美味しいはずだからね」
エメラルドのようなキレイな瞳でこちらを見つめてくるその男は、名をヴェルナス・エルカディオンという。
この国、グランヴェル帝国にて務めているとても優秀な騎士であり、その腕は騎士団の中でも二番目に優秀とされている。いや、今となっては彼が一番と言っても過言ではないが。
「あぁ、食べる。……頼んだ」
とある事件をきっかけに、ベッドからほとんど動かない生活が続いていた。動くとしたら、トイレと風呂だけ。風呂の場合は食事同様、ヴェルナスに付き添ってもらう生活を送っていた。
「新しい英雄とやら、今は帝都に来ているんだってな」
「あぁ、そうだよ。つい昨日、私も顔を合わせた」
食事の手伝いをしながら、ヴェルナスは応えた。
スープをすくい、スプーンを口へと運んでくれる。
俺はそれを受け入れ、口を開き、咀嚼し飲み込む。
「俺も、会ってみたいな」
「……ヘクトルが興味を持つなんて、中々珍しいね。散歩がてら、明日にでも会いに行ってみるかい? 丁度、非番なんだ」
一度目を見開いたかと思えば、その表情は直ぐに愛おしいものを見つめる目へと変わった。
現英雄に嫉妬心を抱いているのではと、そう思っていたのだろうが、俺がそんなことを考えるような人間では無いと信じきっている。
元英雄であるヘクトル・エルカディオンという男は、心優しい人間なのだと。
そう、ヴェルナス。お前はそれでいい。
「ありがとう。いつもゴメンな」
ヴェルナスだけは、英雄である俺を覚えていてくれる。
盆に乗っていた食べ物を全て平らげ、ごちそうさま。と一言伝えると、明日に備えてベッドに横になる。
ヴェルナスは軽くなった盆を持ち、部屋を後にした。
「アイツを英雄の座から引きずり下ろすために、どうすべきか——」
まだ外は明るく、陽の光が窓から差し込んでいる。
その眩しさから目を背けるように、俺は暗闇の世界へと瞳を守った。
まぶたの裏にこびりついて離れないのは、かつて俺が誇っていた『栄光』の残像。
十四歳で騎士団の門を叩いた日のことを、今でも鮮明に覚えている。
日本からこの世界へ転生し、人知を超えた才能を手に入れた俺にとって、無双することなど息を吸うより易しかった。
剣を振るえば海が割れ、魔法を唱えれば民が歓喜の声を上げる。
圧倒的な剣技。誰にも真似できない魔力。この手で国を守り、皇帝を戴き、帝都の広場に俺の銅像が立つ。地位も、名誉も、民の崇拝も、すべて俺の手の中に収まるはずだった。そんな順風満帆な人生を、疑いもしなかった。
——あの日、あの任務で失うまでは。
「……許せない」
奥歯が軋むほど噛み締めると、口の中に苦い血の味が広がった。
俺が血と泥に塗れて積み上げた居場所を、後からやってきた軽薄な男が横から奪い去っていった。民は手のひらを返し、俺を『ニセモノ』と嘲笑う。
どこかに監禁し、この世界から隔離することは簡単だ。だが、それでは消えた英雄を探す面倒な連中が湧くだろう。
ならば、どうするべきか。
「——いい方法があるじゃないか」
数年前に本で見たあの方法。あれを使えば、俺は戻れる。
もう一度、『英雄』の座に君臨するんだ。
◇◇◇
早々に朝食を済ませ、顔を洗い、街へ繰り出す準備をする。
久しぶりに部屋着以外に袖を通した。
騎士団に所属している人間は非番の場合でも剣を腰に備え、騎士団の人間だとわかるように最低限の格好をしなければならない。今となっては、剣を備えていたとしても使うことができないのだが。
決まりなので、仕方なく相棒を手に取る。
「久しぶりだな。何もかもが」
騎士団の証であるその服に腕を通し、剣を備え、新しい英雄に会いに行く準備を終える。カイトが英雄として名を馳せる少し前から、ずっと引きこもっていたのだ。最後に外に出たのは一年以上前。
……あの任務の時だ。
「さあ、行こうか」
ヴェルナスが扉を開きながら、俺の左手を取る。
僅かな段差にも気を配り、過保護な程に体を支えてくれている。
「ありがとう……行くか」
久しぶりに歩く帝都の景色は、窓から見ていたものとはなんら変わらなかった。
だが、明らかに違うものがある。
「あら、ヴェルナスさんじゃない! 最近はあまり見ないと思ってたんだけど、元気にしてたかい?」
「えぇ、今は少し仕事を減らしていてね。また何かあれば、遠慮なく」
ヴェルナスに話しかけてくる人間は、今も前も変わらず多い。
当たり前だ。『剣神』であるこの男は、今までに数え切れないほどの成果を残している。
「ヴェルナスの旦那じゃないか! それと、そっちは……」
誰も、俺には触れようとしない。
前までは俺にも同じように声をかけ、感謝の言葉を並べていたはずなのに。
今の俺は、彼らにとってはただの『ニセモノ』でしかない。
もう、英雄ではない。何も出来ない引きこもりなのだから。
「すまない。私たちは今急いでいるんだ。また今度、必ず話す機会を作ると約束しよう」
ヴェルナスは優しくそう告げると、蚊帳の外だった俺の手を引き、早足でその場を後にした。
今日の風は強い。前までは心地よいと感じていたそれが、今では苦痛を思い出す最悪のトリガーとなってしまった。
風に打たれ、あったはずの場所に存在しない『ソレ』が、バサバサと揺れる。
「あそこだよ。英雄、カイト様とはここで待ち合わせをしているんだ。さあ、椅子に座って休もう」
具合が悪くなってきた所で、ヴェルナスが声をかけてきた。ずっと側で支えてくれた彼は、俺を理解してくれる唯一の人間となった。
きっと、これも具合が悪そうなのを察して声をかけてくれたのだろう。
「そうか、ありがとう……やっと新しい英雄様に会えるんだな」
笑みが溢れた。ここで英雄の説得に成功すれば……英雄の称号は、またこの手に戻ってくるはずだ。
この一年間、無力感以外はほとんど何も感じなかったはずが、今は高揚しているのが分かる。
はやく、この手に名誉を取り戻したくて仕方ない。
テラス席の古びた椅子に腰掛け、注文を済ませた。
周りの席には人が居ないが、店内は満席だと言う。
やはりこんな風の強い日にテラス席に座ろうという物好きはそう居ないらしい。
だが、むしろ好都合だ。他人に聞かれて気分の良い話ではない。
ただ、少し緊張している。
噂でしか聞いたことがない『英雄』という称号を持つ男。彼も俺と同じようにその立場から離れたくないのだとすれば……
「お、ヴェルナスじゃん。もう付いてたんだ? やっぱ騎士様って思いやりの精神が凄いんだな。尊敬尊敬」
瞼を閉じて暗闇の中で思考を巡らせていると、知らない男の声が耳に響く。
礼儀知らずな物言い。敬語も知らない子供か?
……いや、ヴェルナスの事を知っている。
それなら、こいつが——
「こんにちは、アンタがヘクトルさん? 俺の名前はキリュウ・カイト。ヴェルナスにはお世話になってんだよ。まあ、二日前に出会ったばっかなんだけどさ」
「英雄……」
目の前にたっているこの男が、新しい英雄。コイツが。
こんなふざけた奴が?
……嘘をつくなよ。英雄の名に相応しくない。
コイツさえ居なければ。この場ですぐにでも殺してやりたい。コイツの存在を消してやりたい。俺の居場所を奪った張本人。
許せない。許せるはずがない。
それは、俺が俺だと胸を張れる唯一の証明なのに。
「どうしたんだい? ヘクトル。キミが会いたがっていた英雄様だよ」
カイトの目を見つめ、何も言わずに数十秒の沈黙。
殺意が相手に伝わらぬよう抑え込むことに必死過ぎて、言葉を交わすことを忘れていた。
「す、すまない……申し訳ない。僕の名前はヘクトル・エルカディオン。名前くらいは聞いたことがあるといいんだけれど」
ヴェルナスに対する態度とは違い、表情を作り、できる限り丁寧な言葉で話しかける。
一つに括られた青く長い髪を後ろに払い、敬意を表した態度で言葉をかけた。
「勿論、知ってるに決まってんじゃん! 超絶有名人でしょ? ヘクトルさんって!」
興奮気味で応えるその男は、机に両手を叩きつけ、前のめりになってこちらを見つめてくる。
まるで憧れの有名人にでも会ったかのような様子だった。
「青く長い髪に、紫と……あれ、眼帯してる? いや、それでも噂に聞いたまんまでイケメン!」
「お褒めの言葉、大変痛み入ります」
鼻が当たりそうな程にカイトの顔が近付いて来た所で、冷静さを取り戻したのかゆっくりと席へと戻って行った。
ゴホン、と咳払いをした後、何事も無かったかのように口を開く。
「それより、ヘクトルさんなんよね? 俺と会いたいって言ってくれたのは」
「そうです。英雄様の多大なるご活躍をお聞きし、僕から一つ提案をさせていただきたいと思いまして」
「ヘクトル? 一体、何を言っているんだい? ただ英雄に会って、話をしてみたいだけだと言っていたのに……」
黙れ。と言わんばかりに、ヴェルナスを掌で静止した。
この状況を作ってくれたことに関しては感謝しているが、今邪魔をされるわけには行かない。
「英雄様は、異世界から来られたとお聞きしています。この国ではかつて、同じように異国から転移してきたものがおりました。その者はとある方法を使い、元の世界へと帰っていったそうです」
「……」
「僕は、英雄様を元の世界へと帰すお手伝いをしたいのです。勿論、英雄様のこれまでのご活躍はこの国の民として、とても感謝しております。ですが、突然こちらの世界に転移し様々な事柄を押し付け、英雄と称して祭り上げられているのは、あまりにも……」
あくまで、突然英雄にさせられたキリュウ・カイトが可哀想だから。
見た目的にもまだまだ若いと見える。そんな人間に、急に全てを押し付けるなんて。
……我ながら、熱烈な演技だと感心してしまう。
絶対に、元英雄としてその座から引きずりおろしたい。というのは悟られてはいけない。
「いいのか? 帰っても。いいのか……」
突如見ず知らずの場所へと転移してき、与えられたたった一つの能力のみで様々な事柄を解決してきた。
それは勿論、壮絶な苦しみを、痛みを伴ったものだろう。できる事なら、もうこんなことなんてしたくない。それが英雄の本音だった。
「勿論です。英雄様には既に、この国は幾度も救われています。これからも救い続けろなんて、そんなことは誰も思いません。僕が、誰にも思わせません」
ゆっくりと左手を差し出しながら、カイトの目を見つめる。
黒く揺れる瞳。
「僕が必ず、貴方を日本へ帰します」
俺がまた『英雄』となるために。




