表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
京都、おひとりさま日和  作者: つなかん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/24

第5章 ざらついた夜

夜の鴨川沿いは、静かだった。

昼間の観光客の声も消え、

遠くで聞こえるのは、風に揺れる柳と水の音。


美咲は橋の手すりに手を置きながら、

暗い川面に自分の影を映していた。


あの会議室で見た孝太と千春。

そして、村瀬の穏やかな眼差し。


何も特別なことはなかったのに、

心の奥に、砂のようなざらつきが残っている。


――私、まだ気にしてるんだろうか。

――それとも、もう気にしないって自分に言い聞かせてるだけ?


冷たい夜風が、答えの代わりに頬を撫でた。



家に帰ると、

部屋の明かりがやけに白く感じた。

外の夜と自分の心の温度差が、

静かに浮き上がるようだった。


コートを脱ぎ、バッグをソファの上に置く。

テーブルの上には、開きかけの御朱印帳。

上賀茂神社の朱印の隣に書かれた「縁」の文字が目に留まる。


「……縁、ね。」

声に出すと、その二文字がやけに遠くに感じた。


人と人の縁なんて、

きっと紙の上の印のようなものだ。

押された瞬間は鮮やかでも、

時間が経てば、色もかすれていく。


それでいい。

それが自然だ。


――そう思おうとした、その時。


テーブルの上のスマートフォンが小さく震えた。

画面には、見慣れた名前。


山下孝太。


まさか、と思いながら開く。


「久しぶり。元気にしてる?」

「この前の会議、懐かしかったな。」


……何が懐かしいの。

裏切られた記憶しか、ないのに。


スクロールしても、まだ続く。


「あの頃はさ、俺も若かったっていうか。

でも美咲はいつも落ち着いてて、

正直、今思えば支えられてたと思う。」


文面は一見、誠実そうだ。

でも、行間から漂うのは“自己陶酔”。

謝罪でも、反省でもない。

ただの「俺、今ならわかる」アピール。


美咲は小さく笑って、スマホを伏せた。

だが、すぐにもう一度、震える。


「今カノ(って言うのも変か)

最近ちょっとピリピリしててさ。

なんか、俺まで息詰まるんだよね。」


――“今カノ”じゃない、“妻”でしょ。


つい口に出して呟く。

笑うしかない。

人を選ぶ時も、言葉を選べないのも、相変わらず。


「……お花畑も、ここまで来ると才能ね。」


スマホを手に取り、返信欄を開く。

指先が一瞬止まるが、すぐに文字を打ち込む。


「ご結婚おめでとうございます。

でも、既婚者の愚痴を聞く趣味はありません。

私はもう、過去より“今”を大事にしているので。」


送信。

即座に既読。


そして、しばらくの沈黙。


ほんの数分後、また通知が鳴る。


「そんな冷たいこと言うなよ。

俺、別に何かしたいわけじゃないけどさ。

美咲が元気か気になってただけ。」


――出た、“何かしたいわけじゃない”。

それを言う人に限って、

一番めんどくさい何かを抱えてるんだよ。


美咲はため息をつき、もう一度だけ返信した。


「だったら、なおさら返信いりませんね。

私、もう“あなたのたまに”には付き合えませんから。」


指を離した瞬間、

小さな解放感が体の中を駆け抜けた。


もう、誰かの都合のために

心をすり減らす自分には戻らない。



リビングの窓を開けると、

冷たい夜気が部屋に流れ込んだ。

遠くの街灯が滲んで、

まるで新しいページの余白のように見えた。


「……これで、やっと終わり。」


自分の声が、思ったよりも穏やかだった。

寂しさも後悔も、

もう痛みではなく静かな記憶に変わっている。


スマホを伏せ、

御朱印帳のページをそっと撫でた。


次に押す印は、

きっと“自分のための縁”になる。



翌朝。

会社に向かう電車の中で、

美咲はぼんやりと窓の外を見ていた。


川沿いの桜並木が新芽を出している。

春が、もうすぐそこまで来ていた。


スマホが震えた。

村瀬からのメッセージだった。


「今日、昼休み空いてる?」


思わず小さく笑って、返信する。


「はい。久しぶりに鴨川でも歩きませんか?」


電車の窓に映る自分の顔は、

どこか少しだけ明るく見えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ