第4章 すれ違いと再会
週明けの月曜日。
朝からオフィスの空気は少し落ち着かない。
新しい案件の打ち合わせに、山下孝太の会社が加わると聞いたのは、昨日の午後だった。
デスクの上で指先が微かに震える。
けれど、美咲は深呼吸をして、心を落ち着けた。
――もう平気。私は、あの頃とは違う。
「大丈夫?」
背後から村瀬の声。
「ええ。大丈夫です。」
短い言葉に、静かな決意を込めた。
⸻
午後二時。
会議室の扉が開く。
「お世話になります、○○商事の山下です。」
その声を聞くだけで、記憶が一瞬だけ蘇る。
続いて入ってきた女性。
落ち着いたベージュのスーツに、完璧な笑顔。
――川上千春。孝太の“今の妻”。
「本日はよろしくお願いいたします」
彼女の声は明るく、よく通る。
だが、その笑顔の奥に、うっすらとした挑発の色が見えた。
孝太の視線が一瞬、美咲の方に向く。
その気配を感じながらも、美咲は表情を変えずに資料を配った。
「こちらが今回の見積もりになります。」
「ありがとうございます。やっぱり高梨さんの資料って綺麗ですよね。
……山下さんも、昔から“こういうところが好き”って言ってましたよね?」
唐突に放たれた千春の言葉。
空気が一瞬だけ止まる。
村瀬の目が、すぐに美咲の方を向いた。
美咲は微笑んだまま、静かに答えた。
「そうですか。ありがとうございます。
でも、“昔の話”ですから、今はもう関係ないですよ。」
淡々とした口調。
その一言に、余計な感情はなかった。
けれど、千春の笑顔が一瞬だけ引きつった。
「……そうですね。失礼しました。」
彼女は笑いを整え、会議の話題へ戻った。
村瀬は何も言わなかったが、
その横顔には確かな誇らしさが宿っていた。
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会議が終わり、資料を片付けていると、
村瀬がそっと声をかけた。
「さっきの……、よく言ったね。」
「別に。事実を言っただけです。」
「強いな。」
「強くなったんだと思います。そうでもしないと、やってられませんから。」
村瀬の口元がわずかに緩んだ。
「……やっぱり、いいな。高梨のそういうところ。」
美咲はその言葉に少し戸惑いながら、
心の奥に、静かな温かさを感じていた。
⸻
夕方。
仕事を終えた美咲は、まっすぐ鴨川へ向かった。
水面に反射する光が、柔らかく揺れている。
バッグから御朱印帳を取り出し、
ページを開くと、朱色の印のひとつひとつが
自分の時間の証のように思えた。
「過去も、これも、全部、私の歩いてきた印。」
その呟きに、風が答えるように頬を撫でた。
「いい言葉だね。」
振り向くと、村瀬が立っていた。
ネクタイをゆるめ、手には缶コーヒー。
「どうしてここに?」
「たまたま。……でも、高梨が来そうだなって思って。」
二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。
夜の鴨川は、少し冷たくて、優しかった。
「今日、助けてくれてありがとうございます。」
「何もしてないよ。……でも、あれは見事だったな。」
「そうですか?」
「うん。スッと刺さって、すぐに抜ける感じ。」
美咲は思わず笑った。
「例えがちょっと怖いです。」
「褒め言葉だよ。」
川面の光が、二人の足元に揺れて映る。
静かな夜風の中、美咲は気づいていた。
自分の世界が、少しずつ色を取り戻していることを。




