第22章 噂は風にのり、恋は火種になる
千春騒動から一週間後。
会社は通常のリズムに戻ったものの、
社員たちの表情にはどこか“ざわめき”が残っていた。
そのざわめきの中心にいるのは——
美咲と村瀬だった。
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「ねぇ…課長と高梨さんって、やっぱり付き合ってない?」
「課長、この頃優しくない?
千春さんの件のあと、明らかに雰囲気変わった!」
「ふたり、帰る時間かぶってるし……!」
美咲は書類をめくる指を止める。
(……本当に、そんな噂になってるの……?)
同期の亜子がすっ飛んできた。
「美咲!!もう社内ラインでバズってるよ!
“村瀬課長と美咲、付き合ってる説”!」
「なんで!?おかしいでしょ!」
「だって課長が美咲守ったときの“庇い方”が男前すぎたんだもん!」
美咲は頭を抱えた。
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そこへ村瀬が来た。
「高梨さん。今日の帰り、少し話したいことがあります。」
周り「……(絶対付き合ってる……)」
美咲(ちょっとやめてぇぇぇ!!)
思わず頷くと、さらに噂は加速した。
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村瀬は、自分の席に戻ってすぐに呼び出された。
「村瀬、ちょっと来てくれるか。」
上司の部長が、資料室へと案内する。
部長は静かに封筒を差し出した。
「……お前に正式な辞令が出た。
来期から、シドニー支社だ。」
村瀬は一瞬言葉を失った。
「……海外、ですか。」
「前から打診はしていたが……
お前の数字とマネジメント力ならすぐ返事がくると思っていた。」
村瀬は封筒を開ける手が震えた。
部長は続ける。
「それと……例の“社内の噂”。
あまりよろしくない。不確定な噂話は判断に影響しないが……
シドニーの話は決まっていたとはいえ、
こういう時期に女性と名前が並ぶのは、お前のプラスにはならん。」
村瀬の胸が重く沈んだ。
(……タイミングが悪すぎる。)
「ご返答は一週間以内に。
……期待しているぞ、村瀬。」
部長はそう告げて立ち去った。
村瀬は封筒を握りしめたまま、
しばらく動けなかった。
(どうする……
この辞令、美咲さんに……言えるだろうか。)
噂が広まっている今こそ、
美咲に距離を置くべきなのかもしれない。
しかし胸の奥では、
“離れたくない”という声が膨らんでいた。
(……一体……どうすれば。)
⸻
夕方、帰り支度の美咲に村瀬が声をかけた。
「高梨さん……行きましょうか。」
美咲は少し不安を抱えながら歩き出す。
(村瀬さん……なんだか様子が違う気がする。)
オフィスの外に出ても、
村瀬は珍しく無言だった。
美咲が小さく切り出す。
「あの……村瀬さん。
噂、すごいことになってますよ?」
村瀬は一度だけ美咲を見た。
その目に、何か深い迷いの影があった。
「……すみません。
今日は……うまく言葉にできなくて。」
美咲「……?」
「話は……
次に会うとき、必ず伝えます。」
(……なにかある。
確実に、“なにか”隠してる……。)
胸に不安が小さく広がる。
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実家に戻ると、兄が待っていた。
「おいお前、なんか顔が不安そうだな。」
「え?そんなこと……」
兄は鼻を鳴らす。
「お前な……
最近の課長の雰囲気、変だろ。」
美咲「変って……?」
兄は腕を組んだ。
「多分……“大きな転機”来てるぞ。
アイツの人生か、仕事か……
お前との関係か……
どれかがデカく動く匂いがする。」
美咲は息を呑んだ。
(兄さんの言う“予感”は……怖いほど当たる。)
胸が締め付けられた。
(……村瀬さん……
何があったんだろう。)
静かな町屋に、
冬の風がすっと吹き抜けた。
その風はまるで、
何か“大切なことが動き出す前触れ”のようだった。




