第20章 静けさの中で、動き出す鼓動
千春が会社から退散したその日の午後、
美咲はデスクに戻り、
深く息を吸い込んだ。
(……終わった。
やっと、終わったんだ。)
重りが取れたように肩が軽くなる。
周囲の同僚たちが、
ちらちらと美咲を気にしていた。
「高梨さん、大丈夫……?」
「すごかったね……ちゃんとハッキリ言ってて、かっこよかったよ。」
そんな声に、美咲は少し照れた。
(私、ちゃんと言えたんだ……。)
自分の強さを、初めて実感できた気がした。
⸻
夕方。
帰り支度をしていると、
村瀬が静かに近づいてきた。
「高梨さん。」
「はい?」
村瀬はしばらく言葉を選んで、
ゆっくりと口を開いた。
「……今日のあなたは、本当に立派でした。
あんな風に、自分を守れるあなたを……
少し見直しました。」
美咲の胸がふっと温かくなる。
「ありがとうございます。」
「……心配したからこそ言いますが、
本当に辛かったら、
僕を頼ってください。」
美咲は驚いたように目を見開いた。
(……“僕を頼ってください”……?
そんなこと言われる日が来るなんて。)
村瀬は続けた。
「あなた一人に背負わせる必要は、もうありません。」
美咲は胸がぎゅっと締まった。
(……こんなに優しい人だったんだ。)
言葉にできない気持ちが、
心の奥で静かに波を広げた。
⸻
その夜、実家に戻ると、
兄がちゃぶ台に座りながら腕を組んで待っていた。
「おかえり。」
「兄さん。今日はありがとう。」
兄は鼻を鳴らす。
「まぁな。俺がいなきゃ暴走女が会社荒らしてた。
あいつの空気、危険すぎたわ。」
「そうだね……。」
兄はふと、美咲をじっと見つめた。
「……お前、なんか変わったな。」
美咲「変わった?」
「芯が強くなった。
前は絶対泣くだけで終わってた。」
美咲は苦笑した。
「泣きたかったけど……
泣いてる場合じゃなかったんだと思う。」
兄はぽりぽりと頭を掻いた。
「……ま、悪くはねぇよ。」
(褒めてる……?これ褒めてる……?)
兄は急に真面目な顔になり、美咲に向き直った。
「でもな。」
「?」
「俺はまだ、お前を誰にもやりたくねぇ。」
美咲「兄さん……!」
「言っとくけど、あの課長には気をつけろよ。
ああいう優男が一番危ない。」
言いながらも、兄の言葉にはどこか柔らかさがあった。
(兄さんなりに認め始めてる……?)
美咲の心に、小さな希望が灯った。
それから数日。
千春から連絡は一切なく、
SNSも沈黙したままだった。
噂も自然と消えていき、
会社の空気も落ち着きを取り戻していった。
(……ようやく普通の生活に戻れた。)
その日の帰り道。
美咲はふらりと、
仕事帰りに村瀬とばったり出会った。
「お疲れ様です。」
「あ……村瀬さん。」
ふたりは自然と並んで歩き出す。
夕暮れの空は薄橙色に染まり、
川沿いの風は穏やかだった。
村瀬がふと、横目で美咲を見た。
「……高梨さん。
もし良ければ……今度、ゆっくり話がしたいです。」
美咲「……話?」
村瀬は視線を前に向けた。
「あなたに伝えたいことが、いくつかあって。」
美咲の心臓がゆっくり跳ねた。
風の音が少し強く吹き、
村瀬の横顔をかすめた。
(……村瀬さん……
もしかして……?)
胸の奥に、
これまでとは違う温度の鼓動が広がっていく。
美咲は頷いた。
「……はい。私も話したいことがあります。」
夕焼けの光が二人を照らしていた。




