第二章 おひとり様の休日
土曜日の朝。
窓の外に差し込む光が、白いカーテンを透かして揺れていた。
コーヒーメーカーの音と、豆の香ばしい匂いが静かな部屋に広がる。
美咲はゆっくりとカップを手に取り、
温かい液体を口に含んだ。
苦味のあとに、ほのかな甘さが広がる。
こうして迎える朝が好きだった。
誰にも急かされず、誰にも合わせなくていい。
京都の街がゆっくり目を覚ます音を、
自分のペースで感じられる時間。
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午前十時。
美咲は御朱印帳を鞄に入れ、電車に揺られて嵐山へ向かった。
今日は新しい寺院に足を運ぶ予定だ。
両親が神社や仏閣をこよなく愛していた影響で、
幼い頃から自然とその空気が好きになった。
東京から京都へ移り住んで、もう二十年。
季節ごとに違う光と香りが、この街を特別にしている。
渡月橋を渡る風は少し冷たく、
川面には雲の影がゆっくり流れていく。
観光客の話し声が遠くで響く中、
美咲は御朱印帳を胸に抱き、
静かに手を合わせた。
朱色の印が押される音。
墨の香りが、ほのかに鼻をくすぐる。
――こういう瞬間が、たまらなく好き。
人の声より、風の音。
誰かと話すより、自分の心が静かに動くのを感じる。
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昼過ぎ。
「久しぶりにランチ行かない?」
大学時代の友人・梨沙からメッセージが届いた。
京都駅近くのカフェで待ち合わせると、
梨沙はすでに席に着き、
スマートフォンで料理を撮っていた。
「ねぇ見て、美咲。昨日ね、うちの子が初めて立ったの!」
「すごいね、成長早いね。」
美咲は穏やかに微笑む。
けれど、次に返ってきた言葉が、胸の奥に小さな影を落とした。
「美咲はいいよね、自由で。
でも、そろそろ結婚とか考えないの?」
「今は特に。ひとりの時間が、けっこう好きだから。」
「そう? でももったいないよ。美咲、きれいだし、性格もいいのに。」
――また、それ。
悪気がないことはわかっている。
けれど、その「もったいない」の一言に、
“結婚してこそ幸せ”という価値観が透けて見える。
美咲は笑みを保ちながら、
グラスの水をひと口飲んだ。
氷の音が小さく鳴り、心の中のざらつきを洗い流してくれるようだった。
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カフェを出て、駅までの道をひとりで歩く。
さっきまでの喧騒が嘘のように、
午後の光は穏やかに街を包みこんでいた。
――人は人。私は私。
その言葉が、自然と浮かんだ。
帰り道、小さな神社に立ち寄る。
境内には、冬を前にした風の匂いが漂っていた。
御朱印帳を開くと、今日押された印の隣に
「縁」という文字が墨で記されている。
縁とは、人だけを結ぶものではない。
場所、時間、そして自分自身。
それらすべてが、いまここにある。
美咲はそっと息を吐き、空を見上げた。
薄い雲の向こうで、夕陽がやさしく滲んでいた。




