第15章 呼び出しの声、乱れる心
翌朝。
美咲は実家の台所で湯を沸かしながら、
スマホを見つめていた。
(……千春さんにはまだ返事してない。)
朝の光が窓から差し込み、
畳に淡い影を落としている。
(今日こそ返さないと……。)
しかし指は画面の上で止まったまま、
何も押せない。
怖い——
というより、理由のない不安が胸を締めつける。
そのとき。
スマホが震えた。
【千春:今日、会えませんか。
ほんの少しでいいんです。】
【千春:美咲さんしか、いないんです。】
美咲は息を吸い込んだまま固まった。
(……断らなきゃ……
でも、このまま無視するのも……。)
気配を感じて振り返ると、
兄が廊下に立っていた。
「おい、美咲。
今の顔……なんだ?」
「え?」
兄は腕を組んだまま、じっと見てくる。
「なにか……嫌なことあっただろ。」
まただ。
こういうことだけは、兄の“勘”は冴えている。
美咲は嘘をつこうとしたが、
言葉が喉で止まった。
「……千春さんから、メッセージが来てて。」
兄の表情が険しくなる。
「またあの女か。」
美咲「あの……ちょっと相談したいって。」
兄「相談?お前に?
なんでだよ。筋が通ってねぇ。」
美咲は言葉を濁した。
「……孝太さんとうまくいってないみたいで。」
兄は舌打ちした。
「そりゃそうだろ。
あの男に家庭なんて守れねぇよ。」
「兄さん……。」
兄は深いため息をついた。
「……行くのか?」
「……どうしても、って言われてるから。」
兄は眉間を押さえた。
「……面倒なことになる予感しかしねぇ。
気をつけろよ。」
⸻
昼過ぎ。
美咲は意を決して返信した。
【美咲:少しだけなら大丈夫です。
どこで会いますか?】
すぐに返ってきた。
【千春:……できれば、二人きりの場所がいいです。
人が少ないところで。】
美咲は心臓が嫌な音を立てた。
(……なんで人が少ないところ?
普通、話したいならカフェとかでいいのに。)
胸に小さな恐怖が灯る。
【美咲:駅の近くでどうですか?】
【千春:……嫌です。
今日はどうしても、あなたと静かな場所で話したい。
お願いします。】
“お願いします”
その言葉に、追いつめられたような響きがあった。
そして続けざまに、もう一通。
【千春:……逃げないで。】
美咲は息を呑んだ。
(逃げないで……?)
それは、
相談を求める人の言葉ではなく、
“執着を持つ人の言葉”だった。
⸻
胸がざわざわし、呼吸が浅くなる。
(村瀬さん……どうしてるかな。)
連絡したい気持ちがよぎったが、
仕事中だろうし迷惑になるかもしれない。
(兄さんにも……言いにくい。)
結局美咲は、
重い体を起こしてメッセージを送った。
【美咲:わかりました。
では、近くの河川敷で。
人は少ないけれど、完全に人気がない場所ではないので。】
【千春:……ありがとう。
向かいます。】
美咲はコートを着ながら、
胸が不自然に冷えていくのを感じた。
(……ほんとに、大丈夫かな。)
玄関の戸を閉めた瞬間、
背筋を冷たい風がなぞった。
まるで
“ここから戻れない道に入った”
と告げられたようだった。




