第10章 痛快な一撃
土曜日の午後。
縁側に腰掛けながら、美咲は町屋の庭を眺めていた。
古い木の香りと柔らかな風は、
まるで美咲の気持ちまで優しく撫でてくれるようだった。
そんなとき——
玄関の戸が乱暴に開く音がした。
「美咲……いるか?」
兄ではない声。
美咲が振り返ると、そこには
元カレ・孝太
が立っていた。
一瞬、空気が凍る。
「……どうしてここに?」
美咲の声は冷静だった。
孝太はどこか自信ありげな表情で近づいてきた。
しかしその目は、どこか甘えた色を宿している。
「久しぶり。
LINE、返してくれないからさ……
直接話そうと思って。」
「返す理由がありません。」
その一言で、孝太の顔が歪む。
「いや、別に責めたいわけじゃなくて……
最近、千春とうまくいってないんだ。」
出た——お決まりの言い訳。
孝太はため息をついて続けた。
「なんかさ、あいつ……不安定で。
ちょっとしたことで疑うし、怒るし……
家に帰るのもしんどいんだよ。」
美咲は黙って聞いていた。
その表情は優しくも怒ってもいない。
ただ、静かだった。
「で、君に連絡した。」
「……君ならわかってくれると思って。」
その言葉が、美咲の心の奥で冷ややかに響いた。
(結局この人は、誰かの安らぎを“無料でもらえる”と思ってるんだ。)
孝太は、美咲の沈黙を自分への期待だと勘違いしたのか、
さらに一歩近づいた。
「美咲はさ……俺の前では素のままでいられるだろ?
千春みたいに張り詰めなくていいっていうか……
君のほうがさ、いい女だって最近思うんだ。」
美咲は、ふっと笑った。
「それ、私にとって褒め言葉じゃないですよ。」
孝太は目を丸くした。
「…………え?」
美咲は立ち上がり、彼を静かに見据えた。
「あなた、自分の奥さんを“ヒステリック”呼ばわりして、
不満だけ私にこぼして……
それを“君のほうが楽だから”で済ませようとしてる。」
孝太の表情が強張る。
「それってただの——
逃げです。
そして、私を都合よく使ってるだけ。」
孝太は一歩引いた。
「待って、それは誤解だよ!
俺はただ——」
「ただ?
“楽な女”を確保したかったんですか?」
その瞬間、孝太の口が止まった。
美咲の声は静かだが、
その言葉は刃のように鋭かった。
「私はもう、誰かの“予備”にも“逃げ場”にもなりません。」
孝太の喉が震えた。
「……美咲、お前……変わったな。」
「変わったんじゃありません。
あなたに振り回されてた頃の“私じゃない私”から、
本来の私に戻っただけです。」
孝太は何も言えなくなった。
少しして、
うつむいたまま玄関に向かう。
「……帰るよ。
こんな冷たい美咲、初めて見た。」
美咲は静かに答えた。
「冷たいんじゃありません。
“もう終わった”だけです。」
孝太は振り返りもせず、町屋を出ていった。
⸻
孝太が去った直後。
柱の陰から兄の真がひょっこり顔を出した。
「……お前、すげぇな、美咲。
ちょっと鳥肌立ったわ。」
「兄さん、いたの?」
「玄関に知らない靴があったから嫌な予感してな。
影で聞いてたけど……
スカッとしたわ。」
美咲は苦笑した。
「そんなに強く言ったつもりはないよ。」
「お前は本気出せばできる女だ。
……でもな。」
兄は急に真顔になった。
「美咲……
あと一波乱くるぞ。
俺の“鼻”がそう言ってる。」
美咲は息を飲んだ。
兄の鼻は、昔からよく当たる。
美咲は胸にうっすら不安を抱えたまま、
静かに縁側を見つめた。
外の風が、
どこかざわついているように感じた。




