ビッグマウスの努力家④
その知らせは、五島エリック麗矢にとって待ち続けた合図だった。
「決まったぞ。RIZIN、年末大会だ」
マネージャーの低い声が、ジムの一角で告げられた瞬間、周囲の空気が一斉に変わる。年末。RIZIN。たとえ前座カードであろうと、その二つの言葉が持つ重みは別格だった。テレビ、観客、世間――すべてが集まる舞台。
五島は一瞬だけ目を伏せ、それから口角をわずかに上げた。
「やっとか。遅すぎるくらいだな」
取り巻きたちがざわめく。
「マジっすか」「年末RIZINって……」
誰かが興奮を隠しきれずに声を上げる。
対戦相手の名前が続けて告げられた。
「ウィレム・アレン。オランダ系。詳しい戦績はまだ少ないが、向こうじゃ“危ない素材”って言われてる」
五島はその名を頭の中で反芻した。
聞いたことがない。
日本の格闘技界では、ほぼ無名。
「未知数ってやつか」
彼は肩をすくめる。
「まあ、年末の客にはちょうどいいだろ。派手に倒して、俺の名前を覚えさせる」
余裕。
少なくとも、取り巻きの目にはそう映った。
「相手、かなりフィジカル強いらしいっすよ」
「海外のジムで揉まれてきたタイプだとか」
「で?」
五島はプロテインシェイカーを軽く振り、飲み干す。
「俺が負ける理由になるか?」
その一言で、会話は終わった。取り巻きたちは笑い、同意し、彼の自信を疑わない。疑うこと自体が許されない空気が、自然と形成されていた。
だが、五島の内側では、別の鼓動が鳴っていた。
RIZIN。
年末。
大舞台。
リングに上がる自分の姿が、はっきりと浮かぶ。照明、歓声、カメラ。胸が高鳴ると同時に、胃の奥がわずかに締め付けられる感覚。
未知の相手。
情報の少なさは、不安の余白を生む。
ウィレム・アレン――
海外で戦ってきたという事実だけが、逆に不気味だった。日本の評価軸では測れない。型にはまらない可能性。何をしてくるか分からない怖さ。
それでも、五島は表に出さない。
「前座? 問題ねえよ」
彼は笑いながら言った。
「どうせ一試合で空気変える。メイン食うくらいのインパクト残せばいい」
取り巻きの一人が、少し持ち上げるように言う。
「勝てば、一気に次が見えますよね。来年――」
「勝つ前提で話せ」
五島は即座に遮った。
「俺は“可能性”でやってねえ。“結果”で来た」
言葉は強く、鋭い。
それは自分自身に向けた宣言でもあった。
ジムの鏡に映る自分の姿を見る。
鍛え上げられた体。
自信に満ちた目。
――負けるわけがない。
――負けてはいけない。
その二つの思考が、静かに重なり合う。
夜、帰り際に一人になると、胸の奥の緊張が少しだけ顔を出す。年末大会という言葉が、過去の挫折の記憶を微かに揺らす。それでも、五島は立ち止まらない。
「未知だろうが何だろうが……踏み台だ」
そう呟き、歩き出す。
余裕の仮面を被ったまま、五島エリック麗矢は、念願の舞台へと向かっていった。




